上を目指せ!キャリアアップに

第47日 酒田−酒田

1996年12月30日(月) 参加者:

第47日行程  酒田駅前の「安藤旅館」で初めて一人の朝を迎える。夜半の雨はすっかりやみ、明るい空が広がっている。ただし、冬の日本海は侮れない。風が強ければ天気がよくても欠航する可能性はある。8時過ぎに宿を出て酒田港へ向かう。途中に「HOTSPAR」があったので、パンとコーヒーの朝食を確保する。
 飛島航路の待合室は相変わらず無人であったが、開放されていたので朝食とする。やがて職員らしき人がやってきたので、運航状況を尋ねてみると「今日は出航します」との返事で安心する。
 片道2,000円の乗船券を購入し、「ニューとびしま」に乗船する。昨日の「フェリーあわしま」と異なり、定員300名、総トン数223トンの小型船である。昨日の粟島航路を経験した後だけに大丈夫かなと一抹の不安を感じるが、こちらは1989年(平成元年)に就航した日本初の双胴貨客船。双胴船は安定性が良く揺れに強いと言われているので、評判通りの安定性を発揮してくれることを祈るしかない。「フェリーあわしま」と同様に飛島への物資輸送船でもあり、酒田港には飛島へ運ばれる物資が積み込まれている。食料品などの生活必需品が中心のようだ。ただし、フェリーではないので、車両を搬送することはできない。
 小型船のため甲板はなく、飛島までの1時間30分は狭い船内に閉じ込められることになる。しかも、5人掛けの座席客室で、私がもっとも嫌うタイプである。かつて、外周旅行の途上で宮城県の牡鹿半島沖の金華山から女川までの高速船を利用したときの悪夢がよぎる。あの時も座席客室の狭い船室に閉じ込められ、船酔いに散々苦しめられた。
 「ニューとびしま」は9時30分に酒田港を出航。しばらくは最上川に沿って形成された酒田港内を航行するので穏やかな航行であったが、防波堤が途切れると昨日よりもすさまじい揺れを感じる。小型船であるため、フェリーよりも重心が軽く、波の影響を受けやすいのであろう。双胴船の安定性が良いなんて嘘だと思うが、この状況から逃れる術はない。飛島に着くまでひたすら眠り続けようと思うのだが、座席客室では上半身を起こした状態で大きく揺れ動かされるので眠れたものではない。たまらずトイレに駆け込み、朝食のパンやコーヒーをすべて吐き出してしまう。修行僧は即仏身になるために体内の水分を減らすため、漆の茶を飲んで嘔吐したというが、飛島へ往復するだけで充分目的を達することができたのではなかろうか。
ニューとびしま  11時に無事に飛島へ到着。船員はもちろん、その他の乗客も平然とした顔をしているのが不思議だ。フラフラしながら待合室でしばらく休憩。頭の中のグルグルが収まらないことには身動きができない。昨日、リタイアした2人は正解だったかもしれないが、このまま酒田へとんぼ返りしたのでは合わせる顔がなくなってしまう。30分ほど休憩すると多少は船酔いの症状が治まった。待合室にはありがたいことに無料のコインロッカーがあったのでリュックサックを預けて身軽になれた。
 飛島は山形県唯一の離島で、面積は2.32平方キロ、周囲10.2キロ。粟島よりも小さいが、集落は勝浦、中村、法木と3箇所にある。人口は約400人で、かつては飛島村を形成していたが、1950年(昭和25年)の時点で酒田市に編入されている。島民の自治という意味では一島一村の粟島の方が恵まれているようであるが、財源を考えると酒田市に編入された飛島の方が良かったのではなかろうか。
 地図を確認する飛島を一周する道はなく、東海岸沿いの道路を北上して、中村、法木の集落をたどり、飛島の中腹に通じた農道を通って勝浦に戻って来るのが良さそうだ。歩き始めると年末だというのに意外に暖かい。飛島周辺は対馬暖流の影響が強いようで、平均気温が12度と山形県内ではもっとも恵まれた気候であるとのこと。
 勝浦の集落に飛島郵便局があったので、今回の外周旅行で初めての旅行貯金。昨日の粟島にも郵便局があったが、日曜日だったので断念した。どうせ一人で旅になるのなら、日程をもう少し前倒しにできたのにと悔やまれる。
 勝浦の集落を抜けると道路脇に海蝕洞があった。1964年(昭和39年)に平安時代のものと推定される人骨22体や土器が発見された洞窟だ。恐る恐るテキ穴の中に入ってみると、間口と比較して内部は意外に広い。奥行きは82メートルもあるとのこと。昭和40年代の調査では、高さ4メートル、幅5メートル、奥行き23メートルの大広間も見付かったそうだ。これほどの洞窟が昭和の中頃まで放置されていたのは、龍の住む穴として地元の人は近付かなかった場所だからとのこと。人骨を発見したのは中学生だったというから、発見の経緯についても、中学生が興味本位で洞窟に入り込んだのがきっかけではなかろうか。当時の発掘品は鶴岡市の致道博物館で展示されている。
 テキ穴の先はすぐに中村の集落で、勝浦と中村はほとんど集落が繋がっているような感じだ。中村にも港が整備されており、飛島中学・小学校や市役所の支所も中村にある。また、中村には小物忌神社があり、鳥海山の大物忌神社と対をなしている。鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで、飛島になったという言い伝えに関係しているようであるが、実話ではあるまい。
 学校をさらに進むと飛島の最東端である鼻戸崎で、展望台があったので小休憩。目の前には無人島の寺島が浮かんでいる。小春日和でのどかな感じだ。
鼻戸崎展望台  鼻戸崎から北部の法木集落を目指して歩いて行くとコンクリート敷きの広場がある。最初は建物の跡地かと思ったが、よく見ればコンクリートには黄色のペイントがなされており、ヘリポートであることに気がつく。片道1時間30分の「ニューとびしま」では、急患の対応ができないため、緊急時に備えてヘリポートを整備してあるのだ。
 法木の集落を経て、飛島北端の八幡崎展望台に立てば、概ね飛島のポイントをまわったことになる。島の背骨のような農道を歩いて勝浦を目指すと、飛島で最も高い高森山に飛島灯台が建っていた。最も高いといっても標高68メートルで、飛島が平坦な島であることがわかる。初点灯は1948年(昭和23年)6月28日とあり、建設にあたっては島民が一丸となって物資を高森山へ運んだという。飛島のシンボル的な存在だ。
 飛島ウミネコの繁殖地である館岩を経て勝浦港に戻って来る。喉が渇いたので自動販売機でジュースを買おうとしたらお金を入れても反応しない。それどころか投入した110円は自動販売機に収まったままで110円を詐取された気分だ。故障中であるならその旨をしっかりと明記しておくべき。島民は勝手知っているのだろうが、観光客を誘致しようというのであれば、故障した自動販売機の放置など許されない。無料のコインロッカーで気分を良くしたが、ジュースの自動販売機で飛島の好感度は差し引きゼロ。ジュースは「ニューとびしま」船内の自動販売機でファンタオレンジを入手することができた。
 飛島滞在ですっかり船酔いが回復したものの、帰りも再び1時間30分の地獄が待っている。追加料金を支払えば上層階の特別席を利用できるらしいが、特別席であっても座席客室であることには変わりない。せめて横になるところがあればと思っていると、船底へ降りる階段がある。特に立ち入り禁止の標示もなかったので降りてみると小さいながらも桟敷席を発見。先客がいなかったことを幸い、すぐに横になって船酔いに備える。
 「ニューとびしま」は13時30分に勝浦港を出航。座席客室をのぞいてみたが、乗客は数えるほどである。冬場の飛島航路は1日1往復なので、島民が酒田へ買い物に行こうとしても泊まりがけになってしまう。明日は大晦日だし、年末年始の準備もすべて終わっているのであろう。余計なことを考えていると船酔いするので、すぐに桟敷席に戻って横になる。
 吐き気がして目が覚めたのは14時半頃。酒田港到着までまだ30分もある。やむを得ずトイレに駆け込むが、今度は黄緑状の液体を吐き出す。胃液混じりのファンタオレンジに違いない。やがて吐き出すものがなくなるが、吐き気だけは続く。酒田だけに即仏身の祟りではないかと疑う。
 15時前に酒田港に到着。若干の早着は不幸中の幸いだ。やはり地に足が付くと安心する。船酔いには苦しんだが無事に飛島を踏破し、当初の目的は達成した。フラフラしながら酒田駅まで歩き、15時34分発の秋田行き555Mに乗り込む。決して船酔いで思考回路が麻痺したわけではなく、意図的に秋田行きに乗り込んだ。今から中条を目指したところで日が暮れてしまい、中条から先へ進むことはできない。今宵は「ムーンライトえちご」で帰路に付くことだけは決まっているのだから、村上発車時刻の22時25分までに村上へ着けばいい。それならば余った時間を利用して、まだ乗ったことがない由利高原鉄道へ足を記してみようと考えたのだ。由利高原鉄道の羽後本荘−矢島間には鳥海山ろく線という路線名が付けられており、鳥海山の山頂が飛んで誕生した飛島とも鳥海山繋がりになる。
 555Mは有耶無耶の関を越えて秋田県へ。半年前に訪問したばかりの象潟を通り過ぎ、16時35分の羽後本荘で下車。1時間も列車に揺られていると船酔いはすっかり回復した。同じ乗り物の揺れであるにもかかわらず、鉄道の揺れは心地よく感じるのだから奇妙なものだ。
 次の由利高原鉄道は17時11分の矢島行き19D。30分程の時間があったので、駅前ロータリーに出てみると左手にあった「柏屋」に入り「肉鍋定食」(550円)で早めの夕食。実質的に今日は何も食べていないに等しいので、熱々の肉鍋が美味い。
 お腹も満足して由利高原鉄道19Dのレールバスに乗り込む。レールバスには鳥海山と子吉川、そして秋田美人をモチーフにしたデザインに「おばこ」という愛称が付けられている。「おばこ」は17歳から20歳ぐらいの秋田美人のことをいう。車内は年末であるにもかかわらず、制服姿の高校生が多い。「おばこ」もちらほら。部活動の帰りであろう。高校生は由利高原鉄道の貴重な常連客だ。第三セクター化により鉄道の存続を望むのは地域の活性化の問題もあるが、地元の高校生の通学時の輸送力をバスではカバーできないからとの理由もある。もっとも、これから少子化が進めば第三セクター鉄道の存続も危うい。由利高原鉄道も1985年(昭和60年)10月1日に国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定された国鉄矢島線を第三セクター方式で引き継いだのだ。
 レールバスは次の薬師堂まで羽越本線と並走し、やがて子吉川に沿うように鳥海山麓へ分け入っていく。進行方向の右手には鳥海山が姿を見せる。もっとも、既に夕暮れ時で間も無く闇に消えていった。
 17時51分に終点の矢島に到着。ホームに面した駅舎の壁には名所案内として濃くて公園鳥海山矢島登山口と鳥海高原矢島スキー場の案内が掲げてある。国鉄時代から使われていた駅舎はローカル線の雰囲気が漂っているが、隣に建てられた真新しいトイレが対照的だ。レールは100メートルほど矢島よりも先に続いており、当初の計画では奥羽本線の院内まで結ばれる予定であった名残りだ。
 時間の都合で折り返しとなる矢島17時59分発の24Dで羽後本荘へ引き返す。羽後本荘から羽越本線を酒田、村上で乗り継げば、「ムーンライトえちご」にかろうじて間に合う。次回はいよいよ佐渡島へ渡ることになろう。

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