マニアックカーライフ

第46日 村上−酒田

1996年12月29日(日) 参加者:鈴木(康)・鈴木(竜)

第46日行程  村上駅前の「トラベルINN」を7時過ぎにチェックアウト。今日は粟島に渡る予定であるが、昨日の飛島と同様に定期船の運航状況が気になるところ。天気は夕方から崩れるとのことで、粟島を往復するだけなら支障はなさそうだが、冬の日本海には荒れたイメージがつきまとうので心配だ。粟島汽船の岩船港の出航時刻は10時40分なので、ホテルでもっとゆっくりしていても良さそうだが、岩船港からの便は、8時30分に粟島を出航した便の折り返しである。すなわち、日本海が時化で粟島からの便が欠航になれば、自動的に岩船港10時40分の便も欠航になる。早めに欠航がわかれば、岩船で待ちぼうけをしている必要もない。岩船港は外周旅行の行程途上なので、早めに岩船港に赴き、定期船の運行情報を確認するのが効率的だ。
 村上駅前7時23分発の八日市行きは、新潟交通北貸切という奇妙な社名の路線バス。新潟交通北貸切は、新潟交通の地域子会社で、営業地域は村上市を中心に岩船郡、新発田市、北蒲原郡を主として担当する。どうして「貸切」を名乗るのかは不明であるが、新潟交通北貸切が新潟交通からバスを貸し切って路線バスを運行しているのかもしれない。
 バスは村上の市街地を抜けるとすぐに旅館の立ち並ぶ温泉街に入って行く。1904年(明治37年)、石油採掘のボーリング中に偶然湧き出したという瀬波温泉だ。豊富な湯量と95度の温度が特徴で、泉質はナトリウム一塩化物泉。白砂青松の浜を持つ瀬波海岸からの眺めは風光明媚で、1937年(昭和12年)2月10日に瀬波温泉を訪れた与謝野晶子は、あまりの美しさから45首もの短歌を詠んだという。しかし、今日は日本海に浮かぶ粟島が気になるので瀬波温泉は素通り。かろうじてバスの車内から瀬波海岸の片鱗を眺める。
 岩船港に近いと聞いた岩船下大町でバスを降りようとすると、運転手は「粟島汽船なら次の上大町が近い」と言うので、1つ先の岩船上大町で下車。ところが、岩船上大町は、商店街の中にある停留所で、どちらへ行けばいいのかさっぱりわからない。結局、岩船下大町停留所に近い岩船港入口の交差点まで戻って、岩船港にたどり着く。後で詳細な地図を確認したら、岩船上大町から路地を抜ければ岩船港に出ることができたようなのだが、知っている人でなければ複雑な路地を通り抜けて港に行き着くことはできないであろう。
 岩船港待合室には「欠航」の案内が掲げてあり、やっぱり冬の日本海は侮れない。8時前にもかかわらず、既に職員の姿があったので念のため確認してみる。
「欠航?ああ、あれは昨日の案内。今日は運航すると聞いている」
昨日の案内をいつまでも掲げておくとは紛らわしいと思ったものの、まだ出航時刻の2時間以上前であり、今日の準備をこれから始めるところであったのだろう。
 粟島へ渡れるとなれば、10時40分の出航まで時間はたっぷりある。まずは開いたばかりの待合室で朝食。村上駅前のローソンで購入したドライカレー(399円)を食べながら、粟島での過ごし方を検討する。当初の予定では午後の便で粟島に渡って1泊するつもりであった。ところが、昨日の飛島航路が欠航したため、行程が半日前倒しになったうえ、明日、飛島へ再度挑戦するのであれば、今日中に酒田入りしておく必要がある。粟島航路は粟島を拠点とした2往復体制であるため、粟島を日帰りで踏破するためには、10時40分の便で粟島に渡り、50分の滞在後、13時の便で戻って来るしか選択の余地はない。たった50分では粟島を一周することは無理であるが、せめて集落のある釜谷地区には足を記しておきたい。電話帳で粟島の交通機関を調べてみるが、バスやタクシーは存在しないようだ。粟島では内浦周辺を見て戻って来るしかないかなと諦めかけたが、ふと、今年の夏の外周旅行で、焼尻島へ渡ったときに、民宿のおやじが催す島内観光に参加したことを思い出す。
「ガソリン代と手間賃さえ払えば、どこかの民宿が車ぐらい出してくれるかもしれない。時間もあることだし、何軒か交渉してみよう」
 鈴木(康)クンが受話器を持って電話帳に掲載されている民宿に電話をする。最初の民宿は「年末で忙しいので」と断られたが、2軒目の「民宿あわしまや」で最初は「うちは民宿ですよ」と怪訝そうな対応をされたが、事情を説明すると釜谷往復3,000円で引き受けてくれた。
 無事に粟島での車の手配もできたが、出航までにはまだ時間を持て余す。留守番をしているという鈴木(竜)クンに荷物番を任せて鈴木(康)クンと周辺を散策。岩船と言えば、648年(大化4年)に蝦夷に備えて古代城柵のひとつである磐舟柵(いわふねのき)を築いた場所ではなかったか。708年(和銅元年)前後に出羽柵が設置されるまで、磐舟柵は蝦夷征討の最前線の拠点であった。磐舟柵の遺跡は未だに発見されていないが、荒川と三面川の両河口のほぼ中間地点あったとされ、現在の岩船神社付近が有力とされている。岩船神社にたどり着くと、由緒ある神社のようで立派な鳥居と本殿が構えている。境内には風格のある岩舟柵址の碑まであり、何も知らなければここに磐舟柵があったと信じて疑わないであろう。
フェリーあわしま  10時に粟島からやって来た「フェリーあわしま」が無事に岩船港に入港。「フェリーあわしま」は定員487名、総トン数626トンと意外に大きな船で、これなら多少の波があっても大丈夫であろう。フェリーといっても積載するのは島民や業者の車両に限られ、観光客の車両は載せてもらえない。「只今、島内の道路は整備工事中であり、車で観光されることはできません。」との注意書きまである。
 粟島までの1時間30分は甲板で過ごすことにする。冬の日本海を航行するのに物好きだと思われそうだが、私はすぐ船酔いする性質である。過去の経験から船内ではすぐに具合が悪くなるが、外の空気を吸っていれば酔いにくいことがわかっている。鈴木(竜)クンはまっすぐ船内へ入ったので、鈴木(康)クンは私に付き合って甲板に残る。
 定刻に出航した「フェリーあわしま」であったが、岩船港の堤防を過ぎた途端に大きく揺れ出す。今年の夏には礼文島、利尻島、天売島、焼尻島、奥尻島と北海道の日本海に浮かぶ離島航路を経験したが、これほどまでに揺れたことはなかった。甲板に居ると師走の冷たい風はもちろんのこと、波の水飛沫の洗礼も受ける。鈴木(康)クンも早々に音を上げて船内へ逃げ込んで行った。私は船酔いに耐えるよりは寒さや冷たさに耐えた方がマシなので甲板で頑張る。
 冬の日本海の荒波にも耐えて「フェリーあわしま」は12時に粟島北東部の内浦港に入港した。船内から出てきた両鈴木クンはげっそりしている。桟橋に降り立つと軽ワゴンの前に「民宿あわしまや」の爺様が待っていた。
「電話の人かのう?」
「はい。そうです。年末の忙しいときにご迷惑をお掛けします」
「ずかん(時間)がないので早く乗って」
時間がないのですぐにワゴンに乗り込み出発。粟島は面積9.86平方キロ、周囲23キロの南北に長い島。粟島の人口は約500人で、島全体が岩船郡粟島浦村に属し、一島一村を維持しているが、島内のほとんどが山地であり、集落は東海岸に面した内浦と西海岸に面した釜谷の2箇所だけである。村名が「粟島村」ではなく、「粟島浦村」と名乗っているのも、島全体で村を構成しているというよりも、粟島の海辺の一部で村を構成しているという要素が現れているのかもしれない。島を一周する道路は遊歩道のみで、フェリーの発着する内浦と西海岸の釜谷を結ぶ道路のみ車の通行が可能だ。今回はその貴重な道路を爺様の軽ワゴンで往復する。小さな島なので2つの集落の移動は容易であるかのようにも思えるが、内浦は島の北東部、釜谷は南西部にあるため、山道を斜めに横断することになる。道のりにして片道9キロ近くありそうだ。軽ワゴンは小さな集落を抜けるとすぐに杉や竹で覆われた山道に差し掛かる。
「せっかく来たのにもったいねぇ。泊まっていけ」
爺様から誘いを受け、泊まって行きたい気もするのだが、泊まってしまえば飛島へ行けなくなってしまう。しかし、爺様を説得するためにはもっともらしい口実が必要だ。
「泊まって行こうとも考えていたのですが、今日の夜も天気が悪くなるみたいですし、船が欠航になると困るので」
実際、初日に飛島へ渡ることができれば粟島で1泊していたのだから嘘ではない。天気予報も夜は雨と伝えている。
「そうか。天気は大丈夫だと思うけどな。粟島は鯛が名物だ。5月から6月にかけて鯛がたくさん獲れる。今度はゴールデンウィークにでも鯛を食べに来てくれ。それに最近、粟島で温泉を掘っている。数年後には立派な温泉施設もできる予定だ。温泉に入って、鯛を食べに来ればいい」
冬の日本海の荒波の洗礼を受けた直後だけに鯛のためだけに粟島へ再訪するのは躊躇するが、温泉もセットになればもう1度来てもいいかなという気になる。
 粟島の歴史は古い。磐舟柵とも関連するが、大和朝廷の蝦夷征討が始まると、土地を追われた蝦夷が粟島に逃れ、東海岸(内浦)に集落を築いた。9世紀の初めになると肥前の松浦一族が粟島へ上陸し、内浦の蝦夷を西海岸(釜谷)へ追い払い、内浦を占拠。しかし、半世紀後には越前の本保一族が粟島へ上陸し、内浦の松浦一族を追い払う。松浦一族は釜谷の蝦夷を北へ追い払い、釜谷に逃れた。やがて北へ逃れた蝦夷は絶滅し、粟島には内浦の本保一族、釜谷の松浦一族のみが残ったという。そのためか爺様によれば釜谷の村民が役所の手続き等で内浦へやって来ることはあっても、内浦から釜谷へ出掛けて行くことはほとんどないという。
 目の前に日本海が開けるとやがて釜谷の集落に到着。釜谷港に面するように民家が密集している。
「去年までは小学校があったけど、なくなっちまった」
爺様がポツリという。1995年(平成7年)をもって粟島浦小学校の釜谷分校があったらしい。現在は内浦の本校まで集団登校しているのであろう。釜谷の集落を見下ろす高台には塩釜六所神社があり、釜谷の氏神様として祀られている。内浦にも八所神社に氏神様が祀られているが、まったく関係のない神社であるとのことだ。
 釜谷のたたずまいを眺めて多目的広場でUターン。内浦に引き返す。
「うちの民宿はここだから。次は泊まってくれ」
内浦の集落に入ると一軒の民宿の前で軽ワゴンを停車させ爺様はしっかりと「民宿あわしまや」の宣伝をした。粟島へ再訪するときは、「民宿あわしまや」へ連絡しよう。
粟島内浦港  内浦港では既に13時出航の「フェリーあわしま」の乗船手続きが始まっていた。再び冬の日本海の洗礼を受けると思うと気が重く、特に鈴木(竜)クンは乗船前からげっそりとしている。
「騙されたと思って甲板で過ごしてごらん。あまり酔わずに済むから」
帰りは3人とも甲板で過ごす。相変わらずの海風と揺れだが、日が高くなって日差しが増えた分だけ過ごしやすい。無事に岩船港までの1時間30分を過ごす。
 岩船港に近い岩船上大町停留所からは平林駅方面に向かうバスがあるのだが、運悪く土曜・休日は運休となっている。村上駅まで引き返す手もあるが、地図を見れば3キロも歩けば岩船町駅がある。外周旅行で3キロなら徒歩圏内だ。船酔いで足元のおぼつかない鈴木(竜)クンはますます足取りが重くなる。
「岩船町駅まで行く途中に国道345号線があるから、もしかしたらバスがあるかもしれない」
鈴木(竜)クンに希望を持たせて歩くこと20分。国道345号線とのジャンクションである八日市13交差点に出たが、近くにバス停は見当たらない。鈴木(康)クンが自転車で通りかかったおばさんに尋ねてみるもののバスは走っていないとのこと。やはり岩船町駅へ向かうしかないようだ。
 国道345線を少し北上し、八日市12交差点から県道145号線へ。関根川を渡ると神林村に入る。鈴木(竜)クンは随分と遅れているが、視界に入っているので大丈夫だろう。岩船港から1時間近くかかって岩船町駅にたどり着いた。
 岩船町駅は神林村の中心駅であるが、神林駅ではなく、隣接した村上市岩船町に駅名を譲っている。しかし、岩船町と岩船集落を結ぶバスは朝夕1往復のみで、岩船集落へのアクセスはもっぱら村上駅からのバスが役目を果たしている。そう考えれば、岩船町というよりも、神林駅を名乗る方がふさわしいと思うのだが、無名の神林よりも、知名度の高い岩船町を名乗った方が利用者にはわかりやすかったのかもしれない。次の列車は15時52分発の940Mなので、20分近い待ち時間がある。近くにコンビニエンスストアでもあれば、遅い昼食を調達しようと思ったが、コンビニエンスストアどころか、駅前には食料品店すら見当たらない。それなら中条に出てから昼食兼夕食でしっかりしたものを食べることにしよう。
 940Mは久しぶりの電車だ。新潟近郊区間に入っているので乗客も多い。羽越本線は貨物専用線である酒田−酒田港間を除き、全線が電化されており、電車であるL特急「いなほ」が頻繁に走っているが、新津−村上間が直流であるのに対し、村上−秋田間は交流となっている。そのため、村上−間島間にはデッドセクションと呼ばれる電化方式の切り替え区間が存在するが、JR東日本新潟支社は、普通列車用の交直流電車を保有していないことから、この区間を通過する普通列車はすべて気動車で運用しているのだ。村上−新津・新潟間は直流電車が走っている。
 16時08分に中条到着。中条町を代表する駅であるが、市街地からはやや外れているようで駅前に飲食店は見当たらない。何もないはずはなかろうと駅前通りを突き当たりまで歩くと、「中華料理龍」を発見した。中華料理といっても大衆食堂のような雰囲気なので抵抗なく入れる。
 「タンメン」(450円)を注文し、今後の行程を検討していると、鈴木(康)クンが時刻表を見せて欲しいという。持参していたJR時刻表を手渡す。
「今、中条だよね。酒田まで引き返して、飛島へ行くの?今からだと今日の『ムーンライトえちご』にも間に合うね。俺、このまま帰るよ」
突然のリタイア宣言。すると黙り込んでいた鈴木(竜)クンも重い口を開く。
「だったら俺も一緒に帰るよ」
2人は明日も船酔いに苦しめられるのはごめんだと言いたげだ。酒田に戻っても飛島以外に行くところはないのだからやむを得ないかもしれない。
「わかった。でも、『ムーンライトえちご』は全席指定だから、指定券が取れなければもう1泊するしかないよ」
 昼食兼夕食を済ませ、中条駅のみどりの窓口で「ムーンライトえちご」の変更を試みる。年末の多客時なので密かに満席を期待したが、残念ながら2枚ともすんなりと変更ができた。今まで外周旅行の途上、空中分解の危機があったが今回は本当の空中分解である。思い切って、このまま外周旅行をここで打ち切り、私も一緒に帰途へつくことも考えたが、飛島が後々に厄介な存在になることは明白だったので、単独での渡航を試みることにする。
 「ムーンライトえちご」の始発駅でもある村上まで戻ると言う2人と一緒に中条17時54分発の村上行き937Mに乗る。終点の村上では4分の接続で18時19分発の酒田行き833Dに乗り継ぐ。ホームでは鈴木(康)クンと鈴木(竜)クンが満面の笑みで見送り。苦行から解放された喜びであろうか。「ムーンライトえちご」の発車時刻までまだ5時間以上もあるが、2人が村上でどのように過ごすかは知る由もない。
 833Dの車内は閑散としており、4人掛のボックス席を1人で占拠する。沿線にほとんど灯火はなく、闇夜の中をひたすらコトコトと走る。なんだか突然に孤独感が襲ってきた。今まで何度も一人旅を経験して、夜汽車にも乗って来たが、最初から一人旅と割り切って出掛けるのとはまったく違う。やっぱり一緒に帰ればよかったかなと考えたりしているうちに眠ってしまった。
 気が付けば終点酒田からの乗り継ぎ列車を案内する車内アナウンスが流れている。慌ただしく荷物をまとめていると、定刻の20時28分に833Dは酒田に到着した。さて、感傷に浸っている暇はなく、今宵の宿を探さなければならない。駅前には「ホテル・アルファーワン酒田」のネオンが輝いており、面倒なので多少高くても決めてしまおうかと思ったが、1人とはいえ外周旅行。駅前旅館風の宿が似合うと駅前の電話ボックスに入る。電話帳をめくっていると、「安藤旅館」の文字が目に入る。安藤クンが一緒だったら文句は言っても飛島まで付き合ってくれただろうなと思いながら電話をしてみると、素泊まりで3,800円というので即決した。
 「安藤旅館」も酒田駅前とのことであるが、駅前ロータリーを出たところで周囲を見回すがそれらしき旅館は見当たらない。犬を散歩させているおばさんが通り掛かったので尋ねてみると怪訝な顔をする。
「安藤はうちですけど、今日はやっていませんよ」
「たった今、駅前の公衆電話で予約したのですが…」
「あら、お父さんがお客さんを引き受けたのかしら。すぐそこです。電気を付けるのでちょっと待ってください」
おばさんは犬を連れて目の前の路地に入って5、6軒目の建物に入っていく。よく見れば「安藤旅館」の看板が掲げてあるものの、灯火は消されており、近くまで来なければ気付かない。やがて看板と玄関先に灯りが点き、おばさんが招き入れてくれる。「安藤旅館」の女将だったのだ。旅館は基本的に女将が切り盛りしているが、たまたま犬の散歩に出て留守だったので、旦那が電話に出たとのこと。「安藤旅館」は三菱重工の常宿になっているらしく、旦那は三菱重工関係者からの電話と勘違いしたらしい。宿泊料金も本来は素泊まり4,000円らしいが、三菱重工関係者は3,800円の割引料金が適用されるらしい。
「電話で3,800円と言ってしまったので、学生さんなら特別に200円割引にしておきます」
女将が犬の散歩中だったことが幸いした。最初に女将が対応していれば、間違いなくその場で断られていただろうから。
 夜半に雨音が聞こえたが、明日の天気の回復を祈って眠りについた。

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