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第44日 象潟−酒田

1996年8月15日(水) 参加者:安藤・奥田

第44日行程  象潟駅近くの「シティーパレス」で目を覚ますと、空はどんよりとしている。今日は酒田から日本海に浮かぶ飛島へ渡るつもりだったので、天候次第では今日の行程を見直さなければならない。テレビの天気予報では、台風12号が東北地方に接近しているようである。
 早めにホテルをチェックアウトして早めに象潟駅へ向かう。7月1日から8月31日までの2ヵ月間に渡り、「第13回奥の細道象潟全国俳句大会」が開催されており、象潟駅前をはじめとする象潟町内5箇所に投句場所が設置されている。今朝は早めに象潟駅へ向かい、記念に何らかの俳句をそれぞれ投句しようというのだ。もっとも、私はどのような言葉が季語に該当するのか国語の授業で習った程度の知識しかなく、駄作しか思い付かない。列車の時刻が迫ってきたので、「象潟のそらに流れる天の川」「蚶満寺せみに呼ばれてたどりつく」と2作を苦し紛れに書いて投句した。本当は2作品目を「蚶満寺椿に呼ばれたどりつく」と蚶満寺七不思議の夜泣き椿に掛けたかったのだけれども、椿は春の季語だし見合わせた。安藤クンと奥田クンは優秀作品には豪華賞品が贈呈される別の主催の俳句に応募したとか。年末になって、自宅に主催者である「秋田花まるっ象潟くらぶ」から投句集が送られてきて、私の作品もお情けで収録されていた。
 象潟7時17分の526M酒田行きに乗り込む。天候はますます悪くなり、とうとう雨が降り出した。526Mの酒田到着は7時56分なので、約40分間で飛島へ渡るかどうかの決断を下さなければならない。
 526Mは国道7号線と交錯しながら日本海沿いを走る。小砂川を過ぎるといよいよ秋田県から山形県に入る。ちょうど県境にある三崎峠には有耶無耶(うやむや)の関址という記載がある。有耶無耶の由来は、この地に人食い鬼が住んでいて、神の使いである鳥が、鬼がいるときは「有耶」、いないときは「無耶」と鳴いたという伝説に由来するという。有耶無耶の関は蝦夷の侵入を防ぐために9世紀頃に築かれたと伝えられる関所であるが、関所があった場所としては、この地の他に山形県と宮城県の県境にある笹谷峠にあったとする説もあって、定かではない。それでも鳥海山から流れ出た溶岩が日本海に流れ出した場所でもあり、荒波による浸食と相俟って「馬も通れない」難所であったことは確かだ。どのような関所であるのか車窓から目を凝らす。
象潟  やがて日本海側に小高い丘が現れ、国道7号線沿いの三崎公園が目に入る。公園の前には石碑があり、有耶無耶の関址の石碑なのだろうと思っていたら、「奥の細道」に関する石碑とのこと。1689年(元禄2年)8月1日、松尾芭蕉は門弟の曾良と一緒にこの地を通過したのである。石碑の正体は、曾良の日記の文学碑だったのだ。
 さて、列車で通過してしまえばかつての難所であった有耶無耶の関もあっという間である。526Mは山形県に入り、東北地方最後の県に足を踏み入れる。雨はますます強くなり、容赦なく窓を叩きつける。雨が強いだけであれば飛島航路が欠航になることはないだろうが、酒田駅から酒田港まで行くのも大変だし、台風12号が東北地方に接近しており、万が一、飛島に渡って帰りの便が欠航になったら大変なことになる。昨日までの旅の疲れもあってか、安藤クンも奥田クンも飛島へは行きたくないような様子だが、私としては冬の日本海は荒れるので、できれば夏の間に飛島を片付けておきたい。
「よし。この列車が酒田駅到着したときに雨が降っていなければ飛島へ行く。もし、少しでも雨が降っていたら今回は酒田で解散にしよう」
宣言してしまえば気が楽で、後は運を天に任せるしかない。吹浦から日本海と別れ、遊佐の市街地を通り抜けて526Mは定刻の7時56分に終点の酒田に到着。結果は多少小降りになったものの雨である。
 公言どおり今回の外周旅行は酒田で打ち切る。結果的に象潟−酒田間を羽越本線で移動しただけの1日だ。しかも、午前8時前に解散するのだから異例中の異例である。
 解散と決めてしまえば、外周ルールの適用はなくなるので気楽なものだ。後は好き勝手に過ごして、新潟23時23分の快速「ムーンライトえちご」に間に合うようにすればいいだけである。まずは、朝食の確保。昨夜は結局、まともな夕食をとっていないので、食欲はある。ホームの売店では、庄内米を使った「特製ササニシキ弁当」(720円)が販売されていたので購入する。
 さて、今日は「青春18きっぷ」利用なので、1日自由に動ける。なるべくまだ乗ったことがない路線に足を伸ばしたい。酒田の4駅先の余目から分岐する陸羽西線も未乗線区のひとつで、ちょうど8時03分の快速「月山2号」が発車するとことだったので飛び乗る。「月山2号」は余目まで羽越本線を走った後、陸羽西線に入り、新庄から奥羽本線で山形を目指す。山形県内の主要都市を結ぶ都市間快速だ。
 「月山2号」は指定席こそガラガラだが、自由席の乗車率はまずまずで、かろうじて通路側の座席を確保する。さっそく「特製ササニシキ弁当」の包みを開くと、メインはもちろんササニシキであるが、焼き鮭、ホタテ風味フライ、海老フライ、ぜんまいやこんにゃくなどの煮物、肉団子、昆布煮などが入っている。分量的には物足りなさを感じるけど、朝御飯なのでちょうどいいぐらいか。
 余目から陸羽西線に入ると最上川が寄り添ってきて、渓谷が続く。天候の悪さが却って水墨画のような車窓を演出だ。雨の影響か最上川は少々濁っていて、水量も多めのようだ。最上川にはライン下りもあり、古口で降りれば、乗船場に近いようだ。1度は試してみたいが、今日は天候が悪いので次の機会に譲ろう。
 陸羽西線は1914年(大正3年)12月24日に新庄−酒田間が開業したが、当時は羽越本線が開通していなかったため、酒田へ通じた最初の鉄道路線でもある。開業当初は酒田線を名乗っていたが、1917年(大正6年)11月1日に陸羽東線が開業したのを受けて、現在の陸羽西線に改称している。
 8時55分に新庄に到着。雨は止み、これなら飛島へ行ってもよかったような気もするが、日本海側と様子は違うだろうし、今さらどうしようもない。奥田クンはこのまま「月山2号」で山形を目指し、今日中に家に帰るというので安藤クンと見送る。
「なんだかんだで今回は10万円以上の出費になったな。これなら海外旅行もできるよ」
少し恨めしそうな言葉を残して去った奥田クンの今後の動向がいささか気掛かりだ。
月山2号  私と安藤クンはそのまま新庄から陸羽東線に入ることにするが、次の列車は11時04分の738Dまで2時間少々の待ち合わせとなる。
 新庄駅には山形新幹線の早期新庄延伸を求める横断幕が掲げられている。山形新幹線の山形−新庄間の延伸は、総事業費351億円を山形県観光開発公社がJR東日本に全額無利子貸し付けすることで建設が決まった。地元の資金で実現した画期的な整備新幹線であるが、新庄市の人口は5万人にも満たず、果たしてどれだけの需要があるのか疑わしい。秋田新幹線を奥羽本線経由で実現させた方が良かったのではないかという気もするが、奥羽本線内では130キロしか出せない山形新幹線の実情を踏まえると、純粋に東京−秋田間の所要時間を考えるのであれば、やはり田沢湖線経由ということになろう。
 新庄から11時04分の738Dで鳴子に向かう。次の南新庄までは完全に奥羽本線と並走しているが、南新庄は陸羽東線だけの駅となっている。南新庄を出ると奥羽本線と分かれ、今度は小国川沿いに列車は走る。最上川と比較すると川幅も狭く、車窓から見る渓谷の規模としてはスケールが小さくなる。
 738Dが終点の鳴子に近付くと、周辺の山々に小さな崖崩れの跡が残る。わずか4日前の8月11日の未明から早朝にかけて、栗駒山南麓付近を震源とする震度5の地震が3回発生し、鳴子の鬼首地区では負傷者16名、倒壊した家屋は200棟以上の大惨事を招いたのである。鳴子温泉郷は、鬼首地区よりも10キロ近く離れており、それほど被害が出ているわけではないが、それでもお盆の掻きいれ時に相次いで宿泊予約のキャンセルが入ったという。
 鳴子は、鳴子温泉の玄関口で、福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられる。鳴子こけしの産地としても有名で、駅前の土産物屋にも鳴子こけしが並んでいる。せっかくなので鳴子温泉での入浴を果たそうと、駅に近い早稲田湯へ。なんだか、東京の有名私立大学を連想するなと思っていたら、共同浴場の名は早稲田大学に由来しているという。1948年(昭和23年)に早稲田大学理工学部土木工学科の学生7名がボーリングの実習で源泉を掘り当て、共同浴場として利用するようになったのが、早稲田湯だという。入浴料は150円と安く、観光客よりも地元の常連客の方が多い様子である。ナトリウム−硫酸塩・塩化物泉の無色透明の湯で軽く汗を流す。
 鳴子ではゆっくりするつもりであったが、早稲田湯を出ると12時47分の1740Dに間に合いそうな時間だったので、走って発車間際の1740Dに駆け込む。地元の人の会話を聞いていると小さな余震があるみたいだし、なんとなく地震が発生して陸羽東線が運転見合わせになったら厄介だなと思ってしまったのだ。
 東北新幹線の接続駅である古川を経て、14時に終点小牛田へ到着。無事に陸羽東線も踏破することができたが、「ムーンライトえちご」に乗るためには新潟へ戻らなければならない。陸羽東線で新庄に戻るのは芸がないので、東北本線で仙台へ移動し、仙山線で山形に出て、やはり未乗の米坂線で新潟を目指すのが良さそうだ。
 小牛田14時10分の東北本線1556Mは、安藤クンが不満を漏らしていたオールロングシート車両の701系。旅行者だけではなく、地元の乗客からの苦情も多く、席が空いていても床に座り込んでしまうお年寄りもいるらしい。減車による積み残しが出ることがしばしばあったため、乗客を1人でも多く乗せようと導入された701系。合理化という点ではJR東日本の方針は当たり前のことかもしれないが、一考の余地はありそうだ。
 仙台ではわずか2分で14時57分発の快速「仙山13号」への乗り継ぎに成功。愛子までは仙台の住宅街を走るが、やがて広瀬川と並行して、ローカル色が強くなる。「奥の細道」で松尾芭蕉が「静けさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだことで有名な立石寺のある山寺を経て、終点の山形には15時58分に到着。
 山形からは奥羽本線で米沢を目指すが、奥羽本線の山形−福島間は、1992年(平成4年)7月1日に山形新幹線が開業すると、線路幅を在来線の狭軌から標準軌に変更し、JRでは在来線で初めて標準軌の普通列車が走る区間となった。それに伴って、山形−福島間には、山形線との愛称が付けられている。過去に山形新幹線でこの区間を通ったことはあるが、標準軌の普通列車に乗るのは初めてで、どんなものなのか気になっていた。
 山形16時32分の446Mはセミクロスシートの719系。確かに線路幅は標準軌になっているが、車両自体は同じ大きさなのであまり乗っていても実感は湧かないのだ。車両を大きくすれば、駅やトンネルを通過するときに支障を来すわけだから当然だ。
 米沢駅では、松川弁当店がホームで駅弁を販売していたので、夕食用にボリュームのありそうな「牛串弁当」(1,000円)を購入。安藤クンは松川弁当店の看板駅弁である「牛肉道場」(1,000円)を購入する。米沢は米沢牛の産地として知られ、米沢牛を使った駅弁の激戦区で、松川弁当店と新杵屋が様々な米沢牛を使った駅弁を開発してはしのぎを削る。もっとも、この日は新杵屋の売り場には人影はなく、既に売り切れたのか、優等列車の発着する時間帯を見計らって営業しているのかは定かではない。
 既にホームに停車中であった米坂線の快速「べにばな3号」に乗り込むと、扇風機が設置されている非冷房車両。かつては急行列車であった「べにばな」が非冷房車両であるとは想像もしていなかった。扇風機を回して、さっそく箸を動かす。「牛串弁当」はご飯のうえに大きなサイコロ状の牛肉の串が2本並べてある素っ気ない弁当であるが、それゆえに牛串が強調されている。1串に刺さっている牛肉は4切れ。冷めているためか少々硬く食べにくい。すぐに串を握る手がベタベタしてしまう。味はいいのだけれども、食べやすさと食感がいまいちなので評価の分かれるところ。それに牛肉とご飯、漬物だけではやはり物足りなさを感じてしまう。
 新潟行き快速「べにばな3号」は18時23分に米沢を発車。米沢市街地の南側を取り囲むようにぐるりと迂回して北へ向かう。動き出せば窓から自然の風が吹き込んでくるので非冷房車両でも過ごしやすい。車内は閑散としており、乗客も数えるほどしかいない。快速を名乗っているが、米坂線内で通過するのは成島と犬川だけの2駅で、本格的な快速運転が行われるのは坂町から羽越本線に入ってからである。
 山形鉄道フラワー長井線との接続駅である今泉を経て、川沿いの勾配を登っていく。沿線は磐梯朝日国立公園に指定されており、渓谷の多い車窓であるが、残念ながら日が暮れ始めている。車窓を楽しむのはまた次の機会に譲らなければならない。
 20時46分の新発田で快速「べにばな3号」は白新線に入るため、羽越本線の新津行き134Dに乗り継ぐ。白新線は何度か乗った記憶はあるが、羽越本線の新発田−新津間は乗車する機会に恵まれていない。景色は見えないが虫食いのように未乗区間があるのは気持ちが悪いので、この際踏破してしまおうと考えた。
 新発田では1時間の待ち合わせで、駅前に銭湯でもないかと探したが空振り。新発田駅で期待していなかった硬券入場券を入手できたことが唯一の成果である。
 新発田21時43分の134Dで無事に新津へ運ばれて、羽越本線もめでたく全線走破。新津で「ムーンライトえちご」を待ってもいいのだが、駅のベンチで寝過ごしそうな感じがしたので、463Mで新潟まで迎えに行く。
 新潟から「ムーンライトえちご」に乗り込み、指定された座席に座ると、近くの席のおばさんが目を大きく見開いて文句を言う。どうやら指定された場所は女性専用席らしい。「ムーンライトえちご」の指定券は、安藤クンが近畿日本ツーリスト平塚支店で予約してくれたもので、よく券面を見れば「ムーンライトえちごL」と印字されている。そう言えば安藤クンが「ムーンライトえちごし」と誤植があると言っていたが、「し」ではなく、女性専用席を示す「L」だったのだ。おそらく旅行会社の担当者は、女性専用席があることすら知らなかったに違いない。すぐに車掌を呼んで事情を説明し、隣の車両の調整席を割り当ててもらう。
「まったく、僕が何かしたわけでもないのにムキになって怒る必要ないじゃないか。女性専用席でなくても、あんなおばさんに痴漢する人なんていないよ」
安藤クンはおばさんにまるで痴漢扱いのような言われ方をしたとご立腹。女性専用席の賛否には議論の余地があるところだが、現在のところ、わざわざ女性専用席を指定する人は自意識過剰な人が多いに違いない。最後にトラブルに見舞われたが、無事に長い旅の行程を終えることができそうだ。

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