オフィスワーカーの気持ち

第36日 稚内−鷲泊

1996年8月7日(水) 参加者:奥田

第36日行程  北防波堤ドームに見送られて7時50分に東日本フェリーの「クィーン宗谷丸」は静かに稚内港を出航した。天気は快晴でこの様子であれば穏やかな航海となるであろう。かつての稚泊航路はこのまま北上して樺太へ向かったのであるが、「クィーン宗谷丸」はやがて進路を右にとり、昨日訪れたノシャップ岬沖を横切る。これから向かうのは日本最北端の島である礼文島だ。稚内からフェリーで約2時間弱のところにある礼文島は、南北に22キロ、東西に6キロと細長い形をしている。礼文という島名はアイヌ語の「レプンシリ」(沖の島)に由来する。300種類以上もの高山植物が島中に咲き乱れ、別名「花の島」とも呼ばれている。
 「クィーン宗谷丸」は定刻の9時45分に礼文島の東南部に位置する香深港に着岸。ただし、実際に下船するまでには5分程船内で足止め。10時の観光バスに乗る予定であるから下船に時間をとられると困るのであるが、多少遅れたところでまさかフェリー客を置き去りにして出発することはあるまい。
 我々が利用するのは宗谷バスの「礼文完全一周コース」(3,300円)である。一周とはいうものの、礼文島の西海岸は道路が未整備なので、結果的に東海岸を往復することになる。観光バスは夏のシーズンで大盛況。同じコースのバスが3台で行動する模様。我々には2号車があてがわれたが、観光用車両が用意できなかったとみえ、運賃箱や降車ボタンが付いた路線バス車両である。それでも若いガイド嬢が乗り込んだので思わずニンマリする。車両は見劣りするが、ガイドの容姿は3台中でピカ一だ。何となく合コンで知り合った京都女子大の子に似ていたので、親戚ではないかとも疑ったのだが、稚内出身の道産子とのこと。高校卒業後、夏は礼文島、冬は稚内で観光バスのガイド嬢を務めているそうだ。
 観光バスはまず、礼文島南部の桃岩展望台へ向かう。桃岩はその名の通り桃の形をした高さ250メートルの巨大な奇岩であるが、素晴らしいのは桃岩だけではない。スカイブルーの空、紺碧の海、利尻富士の展望、そして北海道の天然記念物にも指定されたというお花畑。かつてこれほどの景勝地を訪れたことがあるであろうか。まさに桃源郷と呼ぶにふさわしい世界である。しばし我を忘れてその景観に陶酔してしまった。
 桃岩からバスで15分程移動して元地海岸へ移動する。この辺りは唯一、礼文島の西海岸で道路が整備されているところだ。礼文島のシンボルともなっている高さ50メートルの地蔵岩を望む元地海岸はメノウ原石の産地。ガイド嬢よりメノウ石の見分け方のレクチャーがあり、早速メノウ石探しを始める。私はかなりの劣等生で、メノウ石と信じてガイド嬢に鑑定を申し出るとことごとく首を横に振られてしまう。出発時刻になってようやく「これはメノウですね」との返事をもらえた。もっとも、これをアクセサリーに加工しようとすると数千円の加工費がかかるそうで、結果的には既製品を購入するのも変わりがない。
地蔵岩  元地海岸を後にした観光バスは東海岸に戻り一気に北上し澄海岬を目指す。礼文島の街灯は礼文島でしか見ることのできない高山植物であるレブンアツモリソウを象っていてなかなかオシャレである。
 島内に2機しかないという信号機は、礼文島の子供達が島外に出たときに信号の見方がわからないと困るので教育用に設置したとか。信号なんて小さい頃から当たり前のようにあったし、気にも留めたことはなかったが、確かに見たこともなければ、信号を守りましょうと机上の講義を受けたところで身に付くことはないであろう。
 バスの窓から大きな釈迦像が見えたので、由緒ある寺院でもあるのかと思ったら、信仰心から個人が私財を投じて建立したという。礼文にも信心深い人がいるのだとなぁと感心する。どうせなら観光名所とすれば良さそうなものだが、あくまで個人の信仰の対象で、商業主義には馴染まないのかもしれない。
 澄んだ海が特徴で1989年(平成元年)に命名されたという澄海岬。桃岩で紺碧の海は充分に堪能してしまったので感激はやや薄いが、1948年(昭和23年)には海中公園の候補地にもなったとのこと。この澄海岬を境に西海岸は断崖絶壁が連なるリアス式海岸が南に向けて伸びる。この西海岸にはハイキングコースが整備されており、礼文島北端のスコトン岬からこの澄海岬を経て、先程の元地海岸まで8時間を要する。このコースを恋人同士で歩くと必ず結ばれると言い伝えられており、通称「愛とロマンの8時間コース」と呼ばれている。奥田クンと2人で歩いても無意味なので見合わせるが、いつか意中の女性と歩いてみたいコースだ。
 景色に飽きると花より団子で、奥田クンと売店に足を運ぶ。「礼文島の牛乳」(100円)に「いももち」(100円)、礼文産のタコが入った「タコ焼」(300円)を賞味する。奥田クンは「イカ焼」(500円)だ。「トド肉の串焼き」なるものもあり、興味津々ではあったのだが、結局手を出さずに終わる。わざわざ礼文までやって来たのだから試してみればよかった。
 観光バスの最終ポイントであるスコトン岬に移動する。スコトン岬は日本最北限をうたっている。日本最北端は昨日訪れた宗谷岬であり、ここは日本最北端の島のもっとも北にあることから最北限というらしい。いずれにしても苦しいネーミングではある。それでも船泊郵便局の出張所が設けられており、レブンアツモリソウの記念切手に風景印を押印した「日本最北限の礼文島到達証」なるものを販売していたので思わず購入してしまう。我ながらこの手の商法に弱い。
 スコトン岬の800メートル先には無人のトド島があり、本当の最北限はトド島ではないかと思うが、無人島なのであまり深く考えないでおく。トド島へはレストハウスで頼めば船で連れていってもらえるらしい。料金は5人以上集まったら1人1,400円とのこと。せっかくならトド島にも足を記したかったが、人数が集まらないし、何よりも時間がない。トド島へ渡るのは主として釣り人や海水浴客が対象のようである。
 帰りのバスではガイド嬢の案内も聞かずに熟睡してしまい、13時40分に香深フェリーターミナルに戻って来た。かわいいガイド嬢ともここでお別れ。ちょっぴり寂しい。
 次の利尻島行きのフェリーは15時30分なので、2時間近くの時間を持て余す。地図をみると礼文島の最南端と思われるところに知床という集落がある。知床へは路線バスも運行されており、最北端に足を記して最南端を無視するのもどうかと思う。それに知床半島を思わせる集落にも興味がある。イカに当たったのでフェリーターミナルで留守番しているという奥田クンにリュックを託し、身軽になって知床往復を試みることにした。
 知床行きの宗谷バスは14時35分までなく、このバスで知床を往復しても15時30分のフェリーに間に合うのであるが、それでは知床滞在時間が2分しかなく面白くない。知床までの距離は3キロ程だから45分もあれば十分に歩ける。今から歩けば14時30分に知床に到着することになり、約20分の滞在後、知床14時50分のバスで戻ればいいだろう。利尻富士を望みながら、防波堤沿いの静かな道路を歩く。ところどころでワカメや昆布を干しているのはよく目にする風景だ。
 知床は小さな集落で桃岩までの遊歩道の入口もあったのだが、遊歩道を散策する時間はない。礼文島最南端の位置を確認するが、それらしき案内はなく、利尻富士を正面に捉えることのできる場所を最南端と解釈する。小さな待合室のある停留所にはまだバスは現れていないので、帰りもバスに追いつかれるまで徒歩で先行することにする。差閉(さしとじ)という集落からバスに乗り込むと、地元の乗客から声がかかる。
「あんた、差閉の人かい?」
声の主はこれから京都の弟のところへ行くという地元の漁師。妙なところから見知らぬ人が乗ったので不思議に思ったらしい。
「礼文の漁師は年収3,000万円だぞ。お前も漁師にならんか?」
若い女性が嫁に来ないかと誘われるという話は聞いたことはあるが、漁師に勧誘されるとは思わなかった。都会であくせく働くよりも、礼文でのんびりと暮らすのも悪くはなかろう。漁師の仕事は過酷であろうが・・・。
 香深フェリーターミナルで、無事に荷物番の奥田クンと合流する。15時30分のフェリーは「第十一宗谷丸」で、東日本フェリーの利尻・礼文航路はすべてが「宗谷丸」を名乗っているのではなかろうか。利尻島の沓形港まではわずか40分の航海で、運賃は720円。稚内港から香深港までは学生割引証で2,060円の2等運賃が2割引の1,650円になったが、今回は近距離のため学生割引の恩恵は受けられない。
 利尻島は礼文島とは対照的に南北19キロ、東西約14キロ、周囲約63キロの円形をした島で、礼文島と並べるとバットとボールのような形に見える。島名の由来はアイヌ語の「リイ・シイ」(高い山)で、利尻島の中心には標高1,721メートルの利尻山が構えている。
「第十一宗谷丸」は利尻島の西部に位置している沓形港に入港。沓形港周辺は整備工事中で殺風景な印象を受ける。ゆっくりと周囲を確認したかったのであるが、フェリーに接続した鷲泊行きのバスの発車時刻が迫っているので明日に譲る。利尻島の中心部は稚内航路が発着する鷲泊なのだ。
 鷲泊フェリーターミナル行きのバスも宗谷バス。所要時間は30分であるが、運賃は690円と少々割高感がある。離島の路線バスの相場はこんなものであろうか。礼文では短距離しか乗車しなかったので違和感がなかった。
 北海道は観光協会で割安な宿を紹介してくれることが多かったので、今度も鷲泊フェリーターミナルの一角にあった観光案内所で紹介を乞う。ところが一番安いところでも5,500円という。
「これ以上安く泊れるところなんてありませんよ」
観光案内所の窓口氏は言うが、北海道の民宿で素泊まり最低料金が5,500円なんてことがあるはずがない。それなら野宿するので結構と紹介を断り、鷲泊の民宿や旅館に公衆電話で片端から当たる。シーズンのため満室のところが多く、観光案内所の言う5,500円というのは、今日、部屋が空いているところで一番安いところという意味だったかもしれない。諦めて5,500円で妥協しようかと考えていると、電話に向かっていた奥田クンが振り返る。
「4,000円で泊めてくれるって」
言い値が4,000円ならもっと値切れそうな気がする。昨日も4,500円が4,000円になったので、3,500円ぐらいにならないだろうか。
「5,500円のつもりが4,000円になったのだから決めようよ」
奥田クンに促されて4,000円で妥結。ただし、せめてもの抵抗で税別4,000円のところを税込み4,000円にしてもらった。
 奥田クンのおかげで鷲泊港から徒歩7分のところにあった民宿「うめや」に落着くことができた。観光案内所にも当たり外れがあるようだ。
利尻山  まだ日は高いので、民宿の近くにあるペシ岬展望台を目指す。かなりの急坂をハアハアと息を切らせて登ると見事に360度の展望である。夕陽に染まった利尻富士がなんともいえない美しさである。
「利尻富士は高さこそわずかに1,721メートルしかないけれど、裾から登るから富士山の5合目から頂上まで登るのと大差がないらしい」
奥田クンがガイドブックで確認しながら教えてくれる。そういえばハイキング感覚で利尻富士に入り、遭難する観光客が後を絶たないという新聞記事が民宿の玄関に貼ってあった。外周途上、本州最東端の地である岩手県の魹ヶ崎で遭難しかけた経験もあるので他山の石とせねばなるまい。
 民宿の帰り道に食料品店「リシリフード」で夕食用と朝食用のパンとコーヒーを購入。せっかく利尻島までやってきたのだからまともな食事をすればよさそうであるが、今回は10日間にも及ぶ長期旅行なので、倹約に努めなければならない。
 民宿に戻ってテレビをつけると、映画「男はつらいよ」シリーズの寅さん役で知られる渥美清氏が亡くなったことを伝えていた。亡くなったのは3日前の8月4日で死因は移転性肺癌。既に家族による密葬を済ませ、荼毘に付されたとのこと。まだ68歳という若さだ。「男はつらいよ」シリーズは好きな映画だけに残念である。「男はつらいよ」をまったく知らないという奥田クンをよそに追悼特別番組「男はつらいよ〜寅次郎心の旅路」を夜遅くまで観て過ごしたのであった。

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