車好きの気持ち

第35日 網走−稚内

1996年8月6日(火) 参加者:奥田

第35日行程  網走駅裏にある「宿ランプ」でパンと牛乳の朝食をとる。昨日、網走駅の観光協会で紹介を受けた宿で、素泊まりが2,800円。280円で牛乳とパンの朝食付きとなる。その他1,500円でドミトリータイプの部屋もあるのだが、ミツバチ族で一杯だったし、翌日はレンタカーで網走−稚内間の約320キロを激走する予定だったので、ゆっくりと睡眠時間を確保できる環境を選んだ。
 今回は道東の網走から旅をスタートするため、昨日、奥田クンと一緒に羽田空港13時発の日本エアシステム185便で女満別空港へ飛び、女満別空港に近い石北本線の西女満別から4665Dで網走入りしていたのだ。女満別空港から西女満別駅までは1キロ程度しか離れていないにも関わらず、空港ターミナルからの連絡バスは女満別や網走行きしかなく、西女満別駅までとぼとぼと歩いた。
 網走から稚内に至るオホーツク沿岸は、かつては鉄道がかなりの区間をカバーしていた。網走−湧別間は1987年(昭和62年)3月19日に廃止された湧網線、湧別のひとつ手前の中湧別−興部間は1989年(平成元年)4月30日に廃止された名寄本線、興部−雄武間は1985年(昭和60年)7月14日に廃止された興浜南線、北見枝幸−浜頓別間は1985年(昭和60年)6月30日廃止興浜北線、1989年(平成元年)4月30日に廃止された浜頓別−稚内間が天北線である。雄武−北見枝幸間を除いてレールが敷かれており、オホーツク縦断鉄道の完成も目前であった。しかし、モータリゼーション化により、道内の路線は次々と赤字不採算路線であることを理由に廃止対象路線に指定され、結局これらのレールはすべて消えてしまったのである。今回の旅の過程において、これらの鉄道が健在であればレンタカー利用などまずは考えなかったであろうが、300キロ以上に及ぶ区間をバスで乗り降りするのはあまりにも不経済であるし、北海道ではドライブ旅行がもっとも効率的であるかは前回の知床の旅でも認識している。わざわざ北海道まで来てバスのダイヤに束縛され、無意味に乗り継ぐのもバカバカしいと考えたのだ。
 網走駅前にあるマツダレンタカー網走駅前営業所で釧路ナンバーのファミリアセダンを借り受ける。北海道のレンタカーは通常、基本料金の他に走行距離に応じて課金されるシステムが一般的だが、マツダレンタカーは夏の北海道キャンペーン中で、走行距離は無制限で、24時間借り受けて料金は燃料代別で10,100円。別途18,800円の乗り捨て料金は痛いが、わざわざ稚内から車両を返却しに網走まで戻り、稚内まで舞い戻る手間を考えれば止むを得ない。
能取岬  最初の目的地は網走郊外の能取岬である。能取岬へは路線バスこそないが、観光バスも立ち寄る観光ポイント。網走駅から20分でたどりついた能取岬には駐車場や土産物屋も整備されており、想像以上に整備されている。どうせならシーズン期間だけでも網走駅から路線バスを運行してもよさそうなものであるが、マイカーや観光バス客ばかりで需要がないのであろう。植物が朝露でぬれている遊歩道を、縞模様の灯台を目指して歩く。灯台はオホーツク海に面して切り立った断崖の突端に立っており、左手には能取湖も広がっている。ここからオホーツク沿岸ドライブの本格的なスタートである。
 能取湖沿いの美岬ラインは途中、工事中のため未舗装区間があり、ガタガタと土埃をあげながら走る。マイカーなら車体が汚れて困ったものであるが、レンタカーなので気にしない。野生の鹿が飛び出してきたりして、冷やりとしたが、北海道のドライブらしくなってきた。幸いにも未舗装道路でゆっくり走っていたため、鹿を跳ねずには済んだ。
 二見ヶ岡から国道238号線に合流し、サロマ湖畔の栄浦を目指す。サロマ湖は面積152平方キロで北海道最大の湖で、日本でも三番目の大きさを誇る。オホーツクとサロマ湖を仕切るように突き出ている大砂州が特徴で、栄浦は大砂州の根元に当たる。栄浦大橋を渡ったところにネイチャーセンターがあり、一般車両の通行はここまで。これより先は自然を保護するために一般車両の通行を禁止している。ネイチャーセンターにはレンタサイクルも用意され、大砂州のサイクリングを楽しむこともできるが、天候があまりよろしくないので見合わせ。ネイチャーセンター付近の原生花園を眺めて過ごす。原生花園のシーズンは6月から7月なので、季節的は少し遅れているが、それでも遅咲きのハマナスなどを確認して満足する。
 サロマ湖をぐるりと迂回して、対岸となるは湧別側の大砂州へ移動。こちらは栄浦とは違って大砂州の先端まで舗装道路が整備されており、竜宮台という展望台がある。折悪しく、竜宮台への迂回中に雨が降り出し、竜宮台は傘を差しながらの見学。残念ながら周囲は視界が悪く真っ白で、栄浦側の大砂州の突端も確認できない状況。周囲には小さなお社もあり、昭和の始めに鮭の定置網にかかった大海亀に酒を振舞って海に返したところ、竜宮城からの贈り物としてその秋の定置網漁が大豊漁となったことを記念して建立された模様。北海道にも変わった竜宮伝説があるようだ。
竜宮台  紋別空港やコムケ湖にも挨拶をしてオホーツクの中心都市である紋別市街地に入る。車の通行量も多く、網走以来の都市であるが、雨足は強まる一方。能取岬での土埃は綺麗に洗い流されたものの、夏の北海道の爽快なドライブには程遠い。
 12時半を過ぎたところで道の駅「おこっぺ」で休憩。道の駅「おこっぺ」は、かつては名寄本線と興浜南線のジャンクションとして親しまれてきた興部駅跡地を利用した施設で、興部交通記念広場として整備されている。記念広場内にはかつての名寄本線や興浜南線を紹介した写真パネルを展示した交通記念館やディーゼルカー2両を改修した簡易宿泊施設まで整えられていた。昨年、根室でも列車を利用した簡易宿泊施設に泊りそびれており、こんな施設があることを知っていたら、ここでの宿泊も検討したかもしれない。簡易宿泊施設は無料で開放されている。休憩室となっている車両に乗り込み、経験することのできなかったオホーツク縦断の汽車旅の空想にひたる。
 道の駅近くのセイコマートで昼食を仕入れて先へ進む。セイコマートは北海道でよく見掛けることになるコンビニエンスストアだ。茨城県や滋賀県でも見掛けたことがあるが、北海道が本拠地のようだ。本来ならどこかで食事をしたいのであるが、日本最北端の宗谷岬へは日暮れ前に立ちたいので先を急ぐ。助手席では奥田クンがセイコマートで買ったフライドポテトを美味い美味いとほお張っている。
「やっぱり北海道のポテトは違う」
コンビニエンスストアのポテトの味にそれ程の違いがあるとは思えないが、本人が美味しいと言うのだから水は差さないでおく。原材料は北海道産のじゃがいもであろうから。
 雄武町に入ったところで日ノ出岬なるものがあったので立ち寄ってみる。単調なオホーツク沿岸では貴重な岬である。興部にも沙留岬があったのだが、名前だけの岬で単なる漁港のような雰囲気であったので素通りしてしまっていた。今度の日ノ出岬は地図にも景勝地のマークがあるのでそれなりのところであろうと予測する。
 「サンライズ王国」と派手な宣伝文句のある日ノ出岬にはガラス張りの展望台「ラ・ルーナ」が待っていた。1992年(平成4年)12月完成と比較的新しい施設であるが、周囲の風景とはマッチせず、どちらかというと浮いた存在。観光客の気配もまったくなく、地元の催しにでも利用するのであろうか。似たようなガラス張り施設を以前、釧網本線浜小清水付近でも見掛けており、ガラスは流氷をイメージしているのではないかと察する。
「有名人が来たらここでコンサートを開くに違いない」
奥田クンが併設された舞台にあがってとぼけた感心をする。
 ハンドルを奥田クンに譲り、助手席に座ってセイコマートで購入した「カツ丼弁当」を開く。北海道の道路は気持ち良く直線が伸びているので、豆にメーターを確認しないとついついスピードを出し過ぎてしまう。奥田クンも100キロ以上のスピードを平然と出すのだが、カーブになると極端にスピードを落とす。猛スピードでカーブに突っ込まれるよりマシだが、少々運転にムラがあるので注意する。
「緩急をつけた上手い運転じゃないか」
奥田クンは反論するが、それは野球のピッチングの話である。スピード違反で捕まっても、罰金は折半にしないぞと釘を差す。
宗谷岬  奥田クンの巧みな運転で浜頓別町に入ると時刻は15時。なんとか日没までに宗谷岬へ到着できそうな見込みだ。大沼・小沼・ポン沼の大小3つの湖からなるクッチャロ湖畔を走り抜けると天気も回復し、日が差すようになってきた。日本最北端の地を前にして有り難い。
   貯金業務終了の16時前に日本最北端の大岬郵便局でも旅行貯金を果たし、いざ宗谷岬へ。さすがに有名観光地だけあって、周辺整備は進んでおり、観光客の賑わいもひときわだ。北緯45度31分22秒、東経141度56分12秒。とうとう外周の旅も日本最北端を極めることになったと思うと感慨も格別である。日本最北端の地碑の前で写真におさまる。日本最北端の地碑の脇には樺太探検を敢行した間宮林蔵の立像がサハリンの島影を望むように立っているが、残念ながら今日は樺太の姿を確認することはできない。北方領土も確認できなかったことであるし、外周の旅は異国の地に縁がないようである。
 近所の土産物屋では「日本最北端の地到達証明書」を100円で販売しており試しに購入する。はっきりと樺太の島影が見える日本最北端の地碑と間宮林蔵の立像の写真に、宗谷岬に到達したことを証明する文言が入り、「平成8年8月6日16:04」と日時まで印字された。
 奥田クンと運転を交代して稚内市街地へ入ると時刻はまだ17時。このまま稚内駅前の営業所にレンタカーを返却してもよかったが、せっかく時間に若干の余裕があるのでノシャップ岬にも足を運んでしまうことにしよう。
竜宮台  ノシャップという地名は「岬があごのように突き出たところ」「波のくだける場所」というアイヌ語「ノッ・シャム」が語源となっている。ノシャップ岬は稚内の西側に位置し、宗谷岬と競り合うように突き出ており、稚内市街の延長のようなところにあるので交通の便も良い。いわば街の中の岬なのである。ノシャップ岬は6年前に訪問済みであったが、周辺はすっかり整備されて別の場所のようだ。赤と白のツートンカラーの稚内灯台は健在で、42.7メートルの高さは島根県日御碕灯台に次いで日本で2番目に高い灯台とのこと。6年前も時間外で訪問できなかったノシャップ寒流水族館は17時に閉館したばかりで今回もふられてしまった。
 ノシャップ岬からいよいよ日本海沿岸に外周の旅の舞台は移る。ノシャップ岬から10分も走ると1997年(平成9年)6月にオープン予定の稚内温泉の建設が進んでいる。もう1年早くオープンしてくれていれば間違いなく入浴を志したであろう。ノシャップ岬の水族館と併せて次回訪問時の楽しみとしておく。
 マツダレンタカー稚内駅前営業所でレンタカーを返却すると、本日の走行距離は約390キロ。途中、奥田クンと運転を交代したことを勘案しても、これほどの距離をドライブしたのは初めてである。スピード違反で検挙されることもなくよかった。事前に安藤クンから北海道ねずみ取りマップなるものを提供してもらい、要所を注意して運転した賜か。あまり褒められたことではないけれども。
 昨日も網走駅の観光案内所でとびきり安い宿を紹介してもらえたので、今日も稚内駅にある観光案内所で紹介を乞う。稚内駅近くの旅館「さいはて」を紹介してもらえたが、料金は交渉次第という奇妙な案内。ひとまず駅から徒歩5分程の「さいはて」を訪ねる。女将さんは比較的新しい別館に案内し、部屋を見せて「いくらにしますか?」と尋ねるので困惑する。今まで宿泊してきた部屋よりも綺麗な部屋なので、それなりの宿泊費は請求されるのであろうが、外周予算を大幅に上回るようであれば別の宿を探すしかあるまい。
「いい部屋ですけれども、予算があまりないので素泊まりで4,000円までしか出せません。この部屋はそれ以上するでしょうね」
「本当は4,500円なのだけれども、4,000円でいいわ。本館だったら4,000円だから」
女将さんは苦笑した。いずれにせよ契約は成立したので荷物を部屋に運んで、夕食に出掛けることにする。
「夕食に行くの?だったら隣でラーメンでも食べて来たら?うちで勧められたと言えばサービスしてもらえるから」
駅前の食堂にでも出掛ける予定だったので、女将さんの勧めに従ってラーメン屋に足を運ぶことにする。ラーメンなら安上がりだ。
「たからや」はおばあさんがひとりで切り盛りしている店で、メニューは醤油ラーメンと塩ラーメンしかない。
「ここのお店はNHKでも紹介されて旅行者がたくさん来るお店なのよ」
おばあさんと談笑していた近所のおばさんが言う。それほどのラーメンとはいかなるものか楽しみだ。「醤油ラーメン」の大盛り(600円)を注文する。昆布でよく出汁をとったスープが美味しかった。女将さんの紹介で来た旨は伝えたが、さしたる反応はなく、サービスがあったのかは不明。
 夜は夕涼みがてら稚内のシンボル的存在、北防波堤ドームへ足を運ぶ。稚内は四季を通じて強風と高波に見舞われるため、5年の歳月をかけて1936年(昭和11年)に完成したのが北防波堤ドームだ。延長427メートル、高さ13.2メートルの半アーチ型の波よけに、古代ローマ建築を思わせるような太い円柱とアーチの回廊が印象的である。かつてはドームに沿って稚内駅から桟橋まで列車も走っていたというが、終戦で稚泊航路が役目を終えてからは線路も撤去され、現在は稚内の歴史的遺産となっている。稚泊航路記念碑を確認し、明日はここから樺太ならぬ礼文島へ旅立つ予定だ。

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