我が子同然の車

第33日 根室−羅臼

1995年8月13日(日) 参加者:安藤・鈴木(康)

第33日行程  早朝5時、寒さで目が覚める。部屋の温度計は14度。8月の日本とは思えない気候である。部屋には当然のようにストーブが置いてあり、布団を体に巻きつけてストーブに点火する。しばらくすると部屋が暖まり、ようやく布団から出ることができる。
 寒さに震えながら早朝の根室市街を駅に向かって歩く。根室駅6時15分の根室交通バスで、日本最東端の地を目指すためである。外周の旅を始めたからには、日本最東端の地に立つのはひとつの節目だ。正確に言えば納沙布岬は北海道の最東端であって、日本の最東端は択捉島になるのであろうが、実際問題として北方領土はロシア統治下にあるのであるから、現時点では納沙布岬が日本最東端と認定せざるを得ない。
 バスの車内には暖房が効いており、早朝であることも手伝って当然に居眠りが始まる。「終点ですよ」という運転手の声で気が付けば、道路脇のポールに「納沙布岬」の文字があり、こんなところが納沙布岬だったかなと首を傾げながら降車する。4年前の3月に納沙布岬に来たときは、確か行き止まりの回転場のような停留所だったと記憶したからである。もっとも周囲を見回した途端、記憶のある回転場が少し離れたところにあり、間違いなく納沙布岬だ。
 朝もやの中を納沙布岬へ歩き、お決まりのたて看板と灯台の前でパチリ。北方領土は見えるかと目を凝らすが、ぼんやりと島影が見えるようでもあり、見えないようでもあり判然としない。地図で確認すれば、納沙布岬にもっとも近い貝殻島まではわずかに3.5キロ程度。それほど近い貝殻島もはっきり確認できないのであるから今日も天気には恵まれそうにない。
「おやまあ、居たよ、居たよ」
安藤クンが変な声をあげるので何が居たのかと指差す方向を見れば、昨日、釧路で別れた鈴木クンだ。この寒い中、納沙布岬で野宿したというのだから恐れ入る。昨日の終列車で根室に到着し、ひたすら夜道を納沙布岬まで歩いていたら、通りすがりの兄さんが自家用車で納沙布岬まで連れて来てくれたそうである。それにしても根室から納沙布岬まで歩こうという発想がすごい。距離にして20キロ以上あり、ナイトハイク気分であろうか。私も旅先で無謀なことを行い、しばしば仲間の非難を浴びるが、当方以上の無謀者である。
「実を言うと納沙布岬が根室からそんなに遠いとは思っていなかったから・・・」
苦笑いをしながら鈴木クンが言った。
 納沙布岬の近くには北方館なる立派な施設もあるのだが、早朝から開いている筈もなく断念。外周ルートを忠実に回ろうとするのであれば、根室から乗ってきたバスは根室半島の南側を走って来たので、同じ根室駅に戻るにしても、半島の北側をたどるのが筋である。しかし、納沙布岬から半島の北側を経由するバスは14時15分の1日1本だけで使いものにならない。結局、折り返し便のバスで根室駅へ舞い戻る。鈴木クンもさすがに駅まで歩くとは言い出さずに同じバスに乗る。
 8時前に根室駅に戻り、これからの行程を検討する。基準となるのは厚床駅を11時25分に出る標津バスターミナル行き「ハマナス号」であるから、それまでに厚床駅へ着けばよい。もっとも好ましいのは根室から国道44号線を走るバスに乗って厚床まで行くことである。国道44号線はしばらく根室湾に沿って走った後、白鳥の飛来地として有名な風蓮湖を経て厚床に至るので、車窓も変化に富んでいそう。ところが厚床駅行きのバスは1時間前の7時05分に出たばかりで、次は12時35分までない。根室バスターミナルの窓口で相談すると、中標津空港行きのバスがあり、厚床駅では乗車のみ扱いになっているが、特別便乗しても良いとの申し出があったのではあるが、それでも根室駅前11時15分。厚床駅までの所要時間は50分であるから「ハマナス号」に間に合わない。不本意ながら根室8時19分の5628Dで厚床まで昨日たどったルートを引き返すことになる。釧路まで戻るという鈴木クンも同じ列車だ。
 厚床には9時03分到着。ここで鈴木クンとお別れ。鈴木クンはこれから東京に帰省するとのことなので、これが本当のお別れ。再会を約束してホームから見送る。北海道の小駅で誰かを見送るとはドラマのワンシーンを演じているようだ。
 さて、5628Dが発車してしまうと、私たちは厚床駅で暇を持て余すことになる。実は5628Dよりも2時間半後に根室を出る快速「はなさき」でも厚床到着は11時21分でぎりぎりながら「ハマナス号」に間に合う。どうせならこの際、昨日通過してしまった花咲岬か落石岬に立ち寄りたかったのであるが、「はなさき」は根室−厚床間をノンストップ運行するのである。他の快速列車はすべて落石には停車するので、「はなさき」が落石を通過するのは恨めしい。
厚床駅  かつては標津線が分岐駅として道東の鉄道交通の要所であった厚床であるが、1989年4月29日に標津線が廃止され、今では根室本線上の1駅に過ぎない。駅舎は白い小洒落た駅舎で「ATTKO・St」と標記されている。パッと見では喫茶店かなにかと間違えそうだが、駅舎にあるのはキヨスクのみ。ところがそのキヨスクで思わぬ発見があった。時刻表には厚床に駅弁の標記がないのにもかかわらず、このキヨスクで「ほたて弁当」(500円)が販売されていたのである。ただし、キヨスクに残っているのはひとつだけ。とりあえずキヨスクで最後のひとつを購入し、包装紙の住所から製造元である田中屋を訪ねもうひとつを無事に入手。駅の待合室で安藤クンと箸を動かしたのであった。
 11時過ぎに厚床駅へ姿を見せた「ハマナス号」は観光バス仕様。今回、「ハマナス号」にこだわったのには訳がある。これから私たちは野付崎のトドワラ観光船が発着する尾岱沼へ向かうのであるが、通常、厚床から尾岱沼へ向かうにはまず中標津へ行き、中標津から標津、標津から尾岱沼と2度乗り換えて大迂回しなければいけないのであるが、7月23日から8月20日までの期間運転の「ハマナス号」を利用すれば、尾岱沼へ最短ルートで直行してくれるのである。
 私たち以外に乗客のいない「ハマナス号」は定刻に厚床駅を発車。簡単な観光ガイドを兼ねた女性の声のテープアナウンスが始まる。「ハマナス号」が観光バス的な正確をもつ所以であるかもしれないが私は大いに不満をもつ。本気で観光客を乗せたいのであれば、厚岸始発ではなくて根室始発にするべきだ。おそらく旅行者のどれだけの者が「ハマナス号」の運行に気が付いているというのだろうか。「ハマナス号」の運行については、私自身、「JR時刻表」の標津BT−白鳥台の時刻表欄に1本だけ「厚岸駅11:25」の注意書きがあったことから気が付いたのであるが、相当注意深く時刻表を見ていなければまず気が付かない。「道内時刻表」でこそ観光バス扱いとして記載されているが、純粋に厚岸から標津方面に向かおうと考えている人はまず観光バスの欄には目を通さない。私ですら「道内時刻表」に紹介されていることは帰宅後に気が付いたのであるから。やはり認識の低い「ハマナス号」が旅行者に知られるためには、納沙布岬に惹かれて多くの旅行者が集まる根室発着とすべきである。もっとも、根室−厚床間は根室交通の縄張りであるから、「ハマナス号」を運行する阿寒バスが容易に手を出せないのかもしれないが。
 標津線の廃線跡をところどころに確認しながらバスは国道243号線を北上。やがて国道244号線とのY字路があらわれ、「ハマナス号」は国道244号線を進む。ここからがこのバス独自のルートである。通常のバスはすべて別海町の中心部を通過するために国道243号線をそのまま進むのであるが、このバスは中心部を無視してオホーツク沿岸にある本別海を経由するのである。根室から鉄道利用としたため眺め損なった風蓮湖をかろうじて眺め、オホーツク沿岸を快走する。しかしながら天候は次第に悪化する一方で、とうとう雨が降り出し、フロントガラスに大粒の雨が打ち付ける。やがて右手に海老の尻尾のように伸びる野付半島が視界に入り、12時10分の予定がなぜか15分近くも遅れた尾岱沼で降車する。
 傘をさして尾岱沼港にある野付観光汽船の事務所に駆け込む。天気が悪いので通常の遊覧船であれば欠航も止むなしであるが、野付観光は小さな野付湾内を往来するだけなので海が荒れるということはなく、幸いにも運行されていたのでひと安心。
「片道コースと往復コースがありますが、どうしますか?」
観光船は尾岱沼と野付崎のトドワラを往復するコースが一般的であるがトドワラで下船することも可能であるとのこと。「道内時刻表」の地図によると野付崎にもバス路線があるようなので、観光船でトドワラに渡り、トドワラ入口からバスに乗って標津に出るのがスマートであろう。
「野付崎にバスなんて走っていませんよ」
事務所の職員が怪訝な顔をするので、「道内時刻表」の地図を見せて説明する。職員はわざわざ阿寒バスに問い合わせてくれたが、野付崎に入るバスは1日2本で、それも半島の付け根に近いポンノウシまでとのこと。トドワラからポンノウシまで10キロはあるとのことなので往復コースに落着く。2,480円也。
 次の観光船は13時10分とのことなので、待ち時間の合間に近所の食料品店で菓子パンを購入し、観光船の待合室で昼食とする。食堂でしっかりしたものを食べたかったのであるが、微妙な時間しかなかったのである。
 観光船「竜神」は悪天候にもかかわらず、マイカー客やミツバチ族を何人か乗せて出航。事務所でもらった「野付半島秘境の旅ガイド」によると、野付湾内はアサリ貝やホッキ貝が生息し、潮干狩りの好適地とのこと。さすがに今日は潮干狩りをする人の姿を見ることはないが、潮干狩り客の便宜を図るため、野付半島の先端に位置するアラハマワンド行きの便もあるそうだが、尾岱沼10時発の1日1便では利用できない。
トドワラ  アザラシの群泳する姿などを眺めながら約40分でトドワラに到着。約30分の滞在時間が与えられたので散策を開始する。幸いにも雨は小雨だし、探勝路が整備されているので歩きやすい。トドワラはトド松が海水に侵され、風化した白い木肌の巨木が乱立する奇観の地である。荒涼とした風景が一帯に広がり殺伐としている。野付埼灯台のある竜神崎まで足を運びたかったのであるが、片道だけで30分以上かかるというので諦める。
「ここも随分寂しくなったものだ。昔はもっと木があったのだが・・・」
私たちがトドワラの景観に感心していると、同じ観光船でやって来た初老のおじいさんが独り言のようにつぶやく。考えてみれば現在残っているトド松もすでに枯れた松なのであるから、風雨にさらされていればやがて倒れて朽ち果ててしまうのであり、トドワラの景観は時間とともに失われていくのである。もし私が野付半島を再訪する機会に恵まれたとしても、そこにはもうトドワラは存在しないかもしれない。
 尾岱沼へ戻る船は一旦トドワラを出航しかけたのであるが、無線で自転車旅行の女子大生2人組みが乗船するとの連絡があり、再びトドワラに舞い戻る。遠方に自転車をひいた人影が見えたが、のんびりと歩いているようでもあり、他の乗船客をイライラさせる。待つこと15分。ようやくやってきた女子大生は申し訳なさそうにするわけでもなく、我が物顔で船の甲板に乗り込む。おまけに自転車を船室と甲板を結ぶドアに立てかけるものだから、船内から甲板側に押し開くドアが開かなくなり、船内にいる私たちは甲板に出られなくなってしまった。そこでアザラシの群泳姿を写真に収めるために甲板に出ようとした中年男性の怒りが爆発する。
「おい、こんなところに自転車を置いたらドアが開かないじゃないか。非常識だろう」
それでも怯む様子はなかったのであるからたいしたものだ。
 尾岱沼16時45分の阿寒バスで標津へ向かう。バスに乗るとまた大粒の雨が降り出した。不安定な天気である。17時05分、旧標津駅跡に整備された標津バスターミナルに到着するとそろそろ宿の手配が心配になる。今日は標津泊りとも考えていたのだけれども、18時10分に羅臼行きのバスがあることを確認し、羅臼まで行ってしまうことに決定。安藤クンが朝食付4,500円で民宿「野むら」を予約した。今回、朝食を付けたのは羅臼から先、知床峠を越えてウトロへ行くバスが10時40分までなく、朝は民宿でゆっくりするしかないと判断したからである。
 1時間の待ち合わせ時間を利用してまずは北方領土館を訪れる。納沙布岬といい、道東地区の沿岸部には北方領土関係の施設が多いようだ。もっとも、北方領土館も閉館時刻を過ぎていたので中に入ることはできなかったのであるが、私自身はかつて見学済みなので悔しくはない。標津から国後島までは約24キロの距離で、北方領土館の2階には展望室があったはずだ。まだ標津線が健在だった8年前の夏のことではあるが、当時も今日と同じように天候が悪く、望遠鏡をつかっても国後島の島影を確認することはできなかった。今回も堤防によじ登って目を凝らすがやはり同じこと。はっきりと目に見えれば北方領土問題ももっと身近な問題に感じるのであろうが・・・。
 ファミリーレストランのような装いの食事処「いし橋」で日替わり定食(700円)の夕食。ピンク色の切り身が出てきたので、鮭と勘違いし、安藤クンに笑われる。マスも鮭も良く似たものだ。標津町は秋鮭漁獲量が日本一の鮭の町。サーモンパークなる施設もあり、頭の中に鮭という印象が強く残っていたのだ。
 18時10分の羅臼行き阿寒バスも観光バス仕様。始発は釧路で、生活路線バスというよりも長距離バスの部類なのだ。
「この回数券の注意書きに、1人1乗車4枚までしか使用できないってあるよ」
私たちはいつものように回数券を利用して、バス代の節約を試みる腹づもりだったのであるが、標津バスターミナルで購入した回数券の表紙には確かに安藤クンが言うような注意書きがある。でも回数券を購入する段階でそのような注意事項は聞いていない訳だし、回数券を利用して受けることのできる割引額140円を支払えば、バス会社も文句は言わないであろう。
 周囲は次第に暗くなり、集落が近づくとポツリポツリと灯火が見えるのがなんとも寂しい。右手には根室海峡が広がり、その向こうには国後島が横たわっているはずなのであるが、闇に包まれた世界である。国道335号線をゆっくり走るバスはやがて羅臼峠を越えて、雨がしとしとと降る羅臼に到着した。運賃は1,740円を示しおり、素知らぬ顔で1,540円分の回数券と200円を運賃箱に投じたが、運転手からおとがめはなかった。
 雨の中、民宿「野むら」を目指して歩いていると、突然呼び止められる。民宿の女将さんでわざわざ迎えに来てくれたのだ。
「ほとんどのお客さんはマイカーですからね。バスで来るお客さんは珍しいのですよ」
 羅臼郵便局に近いところにあった民宿「野むら」は近所のおばさんたちが共同経営しているような民宿で、居間を挟んでカプセルホテルのように各自のベッドスペースがあるのも変わっている。各ベッドスペースにはカーテンがあるのだが、部屋に男女の区別はなく、着替えも基本的に狭いベッドスペースで行わなければならない。
「御飯が残っているから食べないかい?」
民宿の女将さんに言われ、一瞬、残り物を3,000円で引き受けさせようとした根室の「エクハシの宿」のおばあさんを思い出すが、今度は本当のお裾分けで、無料で新鮮な刺身を食べさせてもらう。今回の旅の行く先々で食べ物に縁がなかった安藤クンは大喜び。満ち足りた気分で床につくのであった。

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