怖くない金融

第32日 帯広−根室

1995年8月12日(土) 参加者:安藤・鈴木(康)

第32日行程  「ねえねえ、ちょっと起きてよ!」
「おおぞら14号」の車内で安藤クンに叩き起こされる。時計を確認するとまだ3時過ぎ。こんな真夜中に何事かと言いかけてハッとした。今日は2時25分の新得で「おおぞら14号」に乗り換える手はずだったのではないか。「おおぞら14号」は1時間近く前に新得を発車しており石勝線を快走中。次の停車駅である追分は4時58分だが、追分から帯広方面に向かう列車は8時02分の「おおぞら1号」までない。「おおぞら1号」の始発は7時20分の札幌であり、それならばこのまま「おおぞら14号」で札幌まで行ってしまっても同じこと。「おおぞら14号」の札幌到着は6時である。私たちに同行した鈴木クンも夢うつつの状態で、わざわざ事の次第を夜中に叩き起こして説明するのも悪いので、安藤クンともども2度目の眠りにつく。
 札幌到着直前で目を覚ました鈴木クンに事情を説明。鈴木クンも特に綿密な予定のある旅ではなかったため、苦笑いで許してもらえる。
 札幌はさすがに人口172万人都市。駅前に24時間営業のコンビニが店を開いており、まずは朝食の確保。
「十勝に向かうのだからやっぱりワインでしょう」
安藤クンはハーフボトルの十勝ワインを見付けると、サッとレジに差し出したのである。
 「おおぞら1号」はお盆休みの始まりの土曜日ともあって大混雑。早くからホームに並んでいた私たちは自由席を確保できたが、通路はすし詰め状態で、トイレに行くこともままにならない。安藤クンと「おおぞら1号」で釧路まで行くことにし、外周の旅は10時08分の帯広から再開することを確認する。帯広−釧路間の沿線には、有名なワイン城もあるのだが、ワイン城のある池田町自体がそもそも海に面していないことから、外周の旅で無視したとしても支障はない。釧路行きが決定すると、安藤クンは先程のワインをチビチビとやりながら、さっさと眠ってしまった。私もこの際、睡眠不足を補っておくことにする。
 車内が騒々しいなと感じると、「おおぞら1号」は帯広に停車している。さすがは十勝地方の中心都市で、車内の混雑もかなり解消される。ここからが本日の外周の旅の始まりなので、目を開いて車窓を見やる。池田を出るとすぐに進行方向左側にワイン城を確認。私はアルコール類には興味はないが、ワイン城のレストランでの十勝牛料理は一度賞味してみたいと思う。
 しばらく十勝平野を走っていた「おおぞら1号」であるが、厚内を通過した辺りから太平洋が顔を出す。1983年10月22日に日本一の赤字ローカル線として廃止された白糠線をしのんで「しらぬか線のあった町知ってますか?JR白糠駅」というロゴと線路のイラストが駅舎に描かれた白糠を通過するともう釧路近郊。釧路港が視界に入り、12時19分に釧路に到着した。
 釧路湿原を観に行くという鈴木クンと別れ、私たちは13分の接続で、根室行き快速「ノサップ」に乗り継ぐ。国鉄時代は急行として運行され、西村京太郎のサスペンスの舞台にもなった列車であるが、2両編成のステンレスカーで往年の貫禄はない。
 根室本線は釧路を出るとまたもやしばらく内陸部を走る。「道内時刻表」には尾幌から20キロ程のところに尻羽岬の文字があり、厚岸湾に望む立派な岬があるのだけれども、交通手段がないので無視することにする。北海道に入ってから行程が荒っぽくなっているが、広い北海道を三陸海岸のようにこまめに旅をしていたのであれば、何日あっても一周なんておぼつかない。次回はいよいよレンタカーを活用するしかないであろうと密かに考えている。
 「ノサップ」は門静から厚岸湾沿いに走り、13時20分の厚岸で下車。厚岸といえば「かきめし」が有名。森駅の「いかめし」にも匹敵する名物駅弁であるが、なかなか手にできないといわれる幻の駅弁でもある。ところが駅構内では駅弁を販売しているようなところはなく、キヨスクのおばさんに尋ねると駅前ロータリーの一角にある「厚岸駅前氏家待合所」を教えてもらう。風変わりな商号だと思いながら、無人の売り場で声をあげると中から売り子が出てきた。
「昼の分は売り切れてしまって、3時になればまた用意できるのですが・・・」
厚岸からは16時27分の霧多布行きのバスに乗ればいいので、幸いにも時間に余裕はある。
「わかりました。それでは3時過ぎに来ますので2つ確保しておいてください」
国泰寺  幻の駅弁を予約して厚岸観光に転じる。駅前に停車中のJRバスに乗り込み国泰寺へ向かう。バスは私たちが乗り込むと同時に発車し、進行方向右手が厚岸湾、左手が厚岸湖となる厚岸大橋を渡って国秦寺へ。厚岸駅からの所要時間はわずかに12分だ。
 さびれた印象のある国泰寺であるが、1804年に江戸幕府が東蝦夷を平定するために建立したお寺である。山門には葵の門が残り、有珠の善光寺、様似の等澍院とともに北海道三官寺のひとつとのこと。境内一帯はエゾ山桜の名所としても知られているが季節外れだ。
 100円の入館券を買って隣接する厚岸町郷土館にも立ち寄る。道内最古の仏舎利の他、館内には国泰寺関係資料も展示されているが、むしろ列車にひかれた熊のはく製が一番印象に残った。
 帰りは適当なバスがないので歩いて厚岸駅へ戻る。厚岸駅までの距離は4キロ弱なので楽勝だ。「かきめし」の暖簾を掲げた食堂が目に付き、浮気をしたい気分ではあるが、駅に戻れば幻の駅弁が待っているので我慢する。
 予約をしておいた「かきめし」(620円)を無事に受け取るとまだ温かい。厚岸駅の待合室に持ち込んで包みを開くと、醤油のいい香りが広がる。しかし、私の箸はそこでとまってしまった。正直に告白すると私は牡蠣が苦手である。かつて牡蠣フライを食べたときに、牡蠣の臭みと苦み、グジュッとした食感にたまらなく嫌悪感を感じて吐き出してしまったことがあり、以来、牡蠣を口にしたことはなかった。幻の駅弁ということもあって、ここまで大騒ぎをしたものの、いざ牡蠣を口にするとなると勇気がいる。安藤クンが隣で「美味しい。美味しい」と牡蠣をほお張っている姿を確認し、思い切って大きな牡蠣を炊き込み御飯と一緒に噛みしめる。牡蠣のエキスが口の中に広がる。美味い。かつて食べた牡蠣フライのような臭みや苦みは一切ない。瞬く間に「かきめし」をきれいに平らげる。もうひと箱とも考えたのであるが、有り難味がなくなるので辞めておく。
 黄色いボディーのくしろバスは10分以上も遅れて厚岸駅前に姿をあらわした。このバスの霧多布到着時刻は17時50分。霧多布で接続する浜中駅前行きのバスは18時05分であり、この15分間を利用して霧多布岬訪問を目論見ているのでイライラする。ところが次の厚岸営業所で時間調整するダイヤになっており、営業所の停車時間を短縮して正常ダイヤに戻ったのでひと安心だ。
 再び厚岸大橋を渡り、40分程走ると進行方向左手に霧多布湿原が広がる。6月下旬から7月上旬にかけて約100種類もの高山植物が咲き乱れる湿原ではあるが、湿原は立ち入り禁止なので展望台から眺めることしかできない。その展望台のひとつである琵琶瀬展望台を通過するとまもなく霧多布市街地。霧多布に近づくにつれてやや薄暗くなるのは夕暮れのためなのか街にかかる霧のためなのかは定かではない。
 霧多布には途中で乗客の乗降がなかったこともあり、約2分の早着。急いで停留所の近くにある公衆電話から霧多布タクシーを呼ぶ。小さな街なので電話を終えるとすぐにタクシーがあらわれた。
 運転手に18時05分の浜中駅行きのバスに間に合うように霧多布岬往復して欲しいと頼む。霧多布岬までの距離は片道2.5キロだから、往復には10分あれば足り、単純計算であるが岬での持ち時間は5分となる。
「大丈夫です。間に合いますよ。いざとなればバスを追いかけて乗り移ってもらってもいいですから。タクシーならバスに追いつくのなんて訳ありませんから」
霧多布岬  タクシーは人気のない霧多布市街を抜けて、霧多布岬へ猛スピードで走る。岬近くには数台のバイクが並んでおり、テントも見える。ここもミツバチ族のキャンプ場所になっている模様。タクシーで展望台の近くまで乗り入れてもらい、草原に囲まれた展望台までの道を安藤クンともども走る。岬に来て霧はますます濃くなった様子で視界が悪い。霧多布岬の正式名は湯沸岬といい、霧多布の東突端に位置する。眼下にあるのは浜中湾であるが霧のため確認できない。既に灯のともった灯台を確認してタクシーに戻る。
「展望台から景色が見えましたか?ここは海流の関係で年中霧がかかっているからね。霧が晴れるのは冬場ぐらいだよ」
タクシーの運転手が苦笑しながら言う。時間がないのにわざわざ出掛けるところでもないだろうと言わんばかりであるが、昨日も今日もいたずらに無駄な時間を過ごしてしまったので、どこかにしわ寄せが来るのは止むを得ない。
 浜中駅前行きのバスには余裕をもって間に合い、霧の街、霧多布を後にする。幻想的な雰囲気をかもし出す街で、今度ゆっくりと再訪してみたいものだ。
 浜中駅では5分の接続で根室行き5639Dに乗り継ぎ。浜中−根室間には落石岬と花咲岬があるが目をつぶる。岬へ歩く気力もないし、この時間から歩いても景観は楽しめないからだ。日本最東端の駅、東根室を経て終点の根室で下車。まだ20時前だが根室の街は静寂としている。根室駅には車両を開放したミツバチの宿という簡易宿泊施設があるとの情報を安藤クンが仕入れてきたので、宿泊を試みたがあいにく満員とのこと。仕方がないので安藤クンが駅前の公衆電話から駅近くの民宿に片っ端から電話をするが、根室の民宿の相場は高い。結局「エクハシの宿」という変わったネーミングの民宿に素泊まり4,000円で落着き、駅前で老夫婦が切り盛りする「渡辺食堂」でラーメンの夕食とした。
 「エクハシの宿」に到着すると屋根裏部屋に案内されて驚く。安藤クンの話によると、「どんなところでもいいのであれば4,000円でいい」と言われたそうで、その結果が屋根裏部屋なのである。それでもテレビとストーブが設置されたきちんとした部屋で、部屋に入るのに梯子を使わなければいけないものの、むしろ面白いところに宿泊できるので良しとする。宿名の由来は択捉、国後、歯舞、色丹の頭文字から名付けたとのこと。民宿のおばあさんに食事はしてきたかと尋ねられ、何かお裾分けがあるかと期待したが、ひとり3,000円を出せば、食堂にある料理を全部食べていいと言われて閉口する。食堂にあるものはタッパに入っているものの、どうみても今宵の民宿客の食べ残しであり、ただならともかく3,000円払って残飯処理なんて御免である。腹立だしくもあり、商魂たくましいおばあさんに参ったという複雑な心境で1日を終えたのであった。

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