時事問題を考える

第31日 室蘭−帯広

1995年8月11日(金) 参加者:安藤・鈴木(康)

第31日行程  室蘭6時21分の苫小牧行き423Dが本日の旅の始まり。朝が早いイメージのある北海道であるが、意外にもこの列車が室蘭駅の始発列車である。朝から車内で室蘭駅のキヨスクで見付けた北海道名物の「きびだんご」を賞味する。「きびだんご」は岡山の名物ではなかったかと思うのであるが、桃太郎のデザインを施された「きびだんご」には間違いなく「北海道名物」の文字がある。製造元は函館にある国産製菓株式会社とあり、北海道にも桃太郎伝説があるのかは知るところではない。
 423Dは苫小牧への通勤列車のようで、昨日の道南バス同様にスーツ姿のサラリーマンが多い。今でこそお気楽な学生で、平日にのんびりと旅をしているが、数年後には自分も同じようにネクタイを締めて企業勤めをするのかと思うと気が重い。
 温泉で有名な登別を経て、白老からはまっすぐな線路を走りつづける。白老−沼ノ端間は知る人ぞ知る29キロの鉄道線路直線区間。もちろん国内でもっとも長い直線区間である。こんなマメ知識も「道内時刻表」から仕入れた情報で、まず列車に乗っているだけでは気が付かないであろう。直線区間の途上にある苫小牧には7時50分に到着。  苫小牧では駅弁の売り子が威勢のいい声をあげているので、朝から駅弁を購入。昨日は「いかめし」の他は「みそぱん」ぐらいのものしか口にしていないので、そろそろしっかりした物が食べたかったのである。苫小牧の有名な駅弁は「シシャモチップマス寿司」(720円)であるが、売り子の所属する「まるい」の商品ではないとのこと。売り子は「サーモン寿司」(700円)を勧めるが、私はかつて「サーモン寿司」を賞味したことがあるので、安藤クンに譲り、私は「日高路」(600円)に落着く。これから乗る日高本線の様似行き2225Dの車内で食べるつもりであったが、ホームにはまだ列車の姿がないので、ベンチに腰掛けて早々に包みを開く。味の方は空腹も手伝ってまずまず。
 「お知らせ致します。日高本線は土砂崩れのため、現在不通となっております。代行バスを運行致しますので、ご利用の方は南口駅前にお越し下さい」
列車代行バス 駅弁を食べるか食べ終わらないうちに、閑散としたホームにアナウンスが流れて驚く。日高本線が不通との情報は初耳だ。室蘭駅でも423D車内でもそのような案内は一切なく困ったものであるが、代行バスが出るのが救いである。駅弁の包みを早急に処分して、南口駅前に行くと、「日高本線代行」と書かれたプラカードを持ったJR職員がおり、近くに停車していたJRバスに案内された。JRバスの方向幕には「代行」の文字がある。幸いにも私と安藤クンは進行方向右側の2人掛席を確保できたが、代行バスは1両のみであるから、補助椅子まで用意された車内はすし詰め状態だ。
 代行バスは8時30分、2225Dよりも13分遅れで苫小牧駅前を出発する。列車代行なので停車するのは鉄道駅のみで、運転手の他、車掌が1名乗務している。苫小牧市内は渋滞しており、最初の停車駅である勇払まで実に30分以上を要する。勇払では地元の利用客の他に、襟裳岬観光を諦めた旅行者が数名下車した。このまま代行バスに乗り続けても、様似到着は何時になるかわからないのであるから賢明な判断である。私もぶらりと北海道旅行を楽しむだけが目的であれば、同じような行動をとったに違いないが、今回は襟裳岬に行かなければ目的を達成できないのであるから先に進むしか手段はない。様似に夕方到着するのであれば、様似で宿泊するだけのことである。
 苫小牧市内を抜けると渋滞は解消されたが、バスは各駅に立ち寄るので遅れはどんどん積み重なる。苫小牧−様似間は国道235号線が整備されているので、国道をまっすぐ走ればそれほどの所要時間を要することはないのであるが、駅は国道から外れたところにあることが多く、代行バスはいちいち国道脇に反れて駅に立ち寄る。乗客の行き先を確認して、降車客のいない駅は通過してもよさそうなものだが、乗客の有無を確認する必要があるので、無視するわけにはいかないのである。そのために遅れは増す一方で、最初のうちはいちいち代行バスが駅に到着する時刻と2225Dのダイヤを比較していたが、馬鹿馬鹿しくなて途中で辞めた。
 ところどころ土砂のかぶった線路を目にするが、路盤や鉄橋が破壊されているわけではないので、その気になれば容易に復旧できそうな様子である。しかし、復旧作業を行っているような様子はなく、土砂被害の箇所が多いのか、函館本線のような重要幹線に作業員をとられて日高本線には手がまわらないのかは定かではない。
 様似駅に到着したのは13時前。2225Dの様似到着より1時間30分遅れで、実に4時間30分も代行バスに乗り続けていたことになる。当初の予定では様似に11時30分に到着し、11時40分のJRバスで襟裳岬に向かう手順になっていたが、遅れた代行バスに接続する臨時JRバスの運行はないようで、1時間後の13時55分まで様似駅で待ちぼうけとなる。昼食時なので駅近くの食堂に入ってもいいのであるが、安藤クンがかつて「えりも岬YH」で食べたいくら丼が忘れられないというので、食事は襟裳岬までお預け。駅に併設されたスーパーで菓子パンをひとつ買って空腹をしのぐ。  様似駅前13時55分のJRバスで襟裳岬を目指す。途中に「えりも」という紛らわしい停留所があり、「えりも岬ではありません」と運転手が注意を呼びかける。「えりも」は襟裳岬のあるえりも町の中心部なのだ。
えりも岬  えりも岬には14時53分に到着。様似駅から1時間近くも要して、ようやく日高山脈終焉の地に到達。安藤クンはかつて訪問済みであるのでそれほどの感慨でもなさそうだが、初めてこの地にやって来た私にとっては感激そのもの。苫小牧から長時間のバスを乗り継いでやってきたこともあろうが、岬の先端に続く岩礁と潮流が生み出す風景は雄大そのもの。岩礁に目を凝らすと動く黒い物体が確認でき、夏場にだけ見ることのできるゼニガタアザラシとのこと。夏場だからといって必ずしも見ることのできるものではないそうで、必ずしも不運だけではなさそうだ。
 次の広尾行きのバスまで2時間以上の時間があるので、まずは安藤クン待望の「えりも岬YH」に足を運ぶ。ユースホステルはご存知のとおり青少年を対象にした簡易宿泊施設であるが、「えりも岬YH」では食堂も兼業しているとのこと。襟裳岬から20分程歩いた「えりも岬YH」は岬小学校前停留所のすぐ近くにある。ところがYHには「closed」の看板があり、食堂の営業時間は14時までとのこと。函館朝市の「イカソーメン」に続き、えりも岬の「いくら丼」にもフラれた安藤クンは落胆の色を隠せないがどうしようもない。気乗りしない安藤クンを急き立て、襟裳岬レストハウスの食堂に入り、定員のお姉ちゃんが勧める「大漁ラーメン」(800円)を注文。わずかながらカニやいくら、ホタテの入った豪勢なラーメンで安藤クンもひとまず納得したのである。
 えりも岬17時18分のJRバスで広尾を目指す。このバスが広尾行きの終バスなので、乗り遅れては大変と、早くからえりも岬の停留場で待ち構えていたのであるが、バスはなかなか姿を見せずにやきもきする。17時30分にやっとのことで現れたバスは乗客のほとんどがえりも岬で降車してしまったので、乗客は私たちの他に旅行者らしきもう1名である。
 ミツバチ族のグループがキャンプをする百人浜を経て、庶野から黄金道路に入る。黄金道路とは国道336号線庶野−広尾間の約69キロで、この道路を敷設するのいは黄金を敷き詰めるほどの費用を要したことから命名されたそうである。この区間の道路は崖にへばりつくように道路があり、この道路を建設するには想像を絶する難工事で合ったに違いない。ところどころに「落石注意」の表示があるが、仮に落石があったとしても非難するようなところはなく、土砂崩れがあれば間違いなく土砂の下敷きか海中に押し流されるであろう。前夜の豪雨で地盤が緩んでいるのではないかと心配になるが無事に広尾に到着。
 広尾は1987年2月1日に廃止された広尾線の終着駅。広尾線は広尾−帯広間84キロを結んだ鉄道で、「愛国から幸福行き」の記念切符で有名になった鉄道である。JRバスは旧広尾駅前に到着したのであるが、現在は十勝バスの広尾営業所として、旧広尾駅が活用されていたので嬉しくなる。駅舎の待合室には広尾線のメモリアルコーナーもあり、広尾線縁の展示物が所狭しと並んでおり、広尾線の歴史を示したパネルもあった。「愛国から幸福行き」の乗車券も、十勝バスの記念乗車券として販売していたので1枚購入する。硬券のバス乗車券も珍しいのではないであろうか。1枚410円で、廃止当時の国鉄の乗車券が220円だからやや高めである。
 待合室で帯広駅行きのバスを待っていると、えりも岬から一緒だった旅行者が、帯広行きの乗車券を購入したので声を掛けてみる。東京あたりからの旅行者と思っていたのであるが、北海道に住む大学生であることが判明。名前は鈴木クン。出身は東京なので、実家から都区内発の北海道ワイド周遊券を送付してもらい、A券(往路)を放棄し、B券(周遊および復路)の期間ぎりぎりまで北海道を旅してから帰省するとのこと。えりも岬どころか苫小牧の代行バスから私たちと同じ行為を旅しており、帯広から釧路に向かうことから、しばらくの間、私たちに同行することになった。
 19時09分の帯広駅前行き十勝バスは、広尾線の代替交通手段。帯広は北海道の内陸部に位置し、広尾から帯広へ向かってしまっては海岸線から遠くなってしまうのであるが、広尾から浦幌方面に向かう国道336号線を走るバスが存在しないので、やむを得ず帯広経由にしたのである。
 日高本線が平常通り運行されていれば立ち寄る予定であった帯広郊外の幸福、愛国を経て21時10分に帯広駅前到着。運賃は1,700円であるが、広尾営業所で1,000円分の夜間回数券を購入していた私たちは回数券プラス400円で済む。夜間回数券は18時以降に降車するときに利用できる十勝バスの回数券で100円券13枚綴りになっているのである。
「やっぱり旅慣れている人は違うな。何も考えずにノーマル運賃の乗車券を購入してしまいました」
鈴木クンがしきりに感心する。回数券利用によるバス代節約は今までに何度も試みているが、夜間バス回数券は広尾営業所で回数券を購入しようとしたときに、職員に教えてもらったものである。
 今日は帯広泊りが妥当であるが、今から今夜の宿を探すのも億劫になり、今夜は汽車旅が宿泊費節約のために行うトンボ返りを試みることにした。トンボ返りとは周遊券を利用できる夜行列車に乗り込み、深夜、上下線列車がすれ違う駅で乗り換え、翌朝に出発した駅に戻ってくるという方法である。帯広からであると1時28分の札幌行き「おおぞら14号」で2時25分の新得下車。新得から釧路行きの「おおぞら13号」に乗れば、帯広には3時16分。そのまま乗りつづけて釧路まで行ってしまっても、帯広−釧路間を「おおぞら13号」で移動したことにすれば、外周ルートもつながるので問題ない。時刻表で検討した結果、まもなくやって来る釧路行き「おおぞら11号」で白糠まで「おおぞら14号」を迎えに行き、睡眠時間を確保することで落着いた。帯広駅で駅寝を目論んでいた鈴木クンも賛同し、3人で「おおぞら11号」に乗り込んだ。

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