第28日 蟹田−三厩
1995年3月17日(金) 参加者:安部・安藤・奥田・鈴木(竜)
「佐々木屋旅館」を早朝6時半に出発。3月中旬とはいうものの、北国はまだまだ冬の装いで寒さが身にしみる。蟹田駅前7時ちょうどの青森市営バスで津軽国定公園の袰月海岸を目指す。バスが走る国道280号線は陸奥湾にぴったりと面して走っているので外周と呼ぶにふさわしい。対岸には2日前に旅をした下北半島が横たわっている。
地図によると宇田回転場を通り過ぎた辺りから津軽国定公園の領域となっているのであるが、私自身、津軽国定公園のメインがいかなるものであるか判然としない。地元に詳しい運転手であれば何かを知っているだろうと確認する。
「う〜ん、津軽国定公園というのはこの辺一帯をそう呼んでいるだけで、特別何かがあるっていうわけではないからね。夏場にキャンプをするなら高野崎で降りればいいのだけど、この時期だしね」
運転手も困った様子。運転手の言う高野崎には灯台もあるので下車してもいいのだけれど、キャンプ場の他は何もなく時間を持て余しそう。結局、時刻表で周遊指定地となっている袰月海岸であれば何もないわけはなかろうと下車を決定。蟹田駅から40分近くもバスに揺られていたことになる。
袰月海岸は小さな集落の中にあった。停留所の前には陸奥湾に面した袰月海岸があるのだけれども、これといって特徴のない小さな海岸である。しばらく海岸でたたずんでみるがすぐに時間を持て余し、今度は海岸の反対側にある石段を登ったところにある小さなお社まで行ってみる。リュックを停留所のベンチに預け、石段登りに挑戦すると、雪と氷で滑りやすくなっており、手すりにつかみながらゆっくりと登らねばならない。やっとの思いでたどり着いたお社は高台にあるだけに眺めはよく、袰月海岸が高野崎と鋳釜崎に挟まれた小さな湾状になった海岸であることが確認できる。
慎重に石段を下り、袰月の景勝地とされている袰月海雲洞釈迦堂にも足を記す。釈迦如来を本尊に祀ってあるお寺で、近くには雪解け水がちょろちょろ流れる滝のような箇所があり、地図を確認すると雪崩注意とあるのでぞっとする。長居して雪崩に巻き込まれたらたまらないと早々に退散し停留所に戻るが時刻はまだ9時前。次のバスまで1時間異常もある。停留所近くに開いたばかりの何でも屋があったので、パンと缶コーヒーを購入して朝食タイムとした。
「寒いから中で食べていきなさい」
店のおばちゃんが有り難い声を掛けてくれるので、お言葉に甘えて土間に上がらせてもらう。ストーブだけではなく、暖かいお茶まで出してもらい恐縮していると、今別町の教育委員会の人がやってきて宣伝が始まる。
「おう、何でこんな時期に来なさった。今別は夏にキャンプをしに来るところだ。実は、廃校になった中学校があるんだけども、この校舎を宿泊施設にする計画がある。オープンは今年の夏だ。オープンしたらまた今別に来てくれな。若い人にどんどん来てもらえれば町の活性化につながる」
バスの時刻になったので延々と続く教育委員会の人の話を辞して腰をあげる。件の宿泊施設は、その後、海峡の家「ほろづき」として無事にオープンした。
袰月海岸を10時ちょうどの青森市営バスは予想外に混雑しており立ち客となる。地元のお年寄りの足としての役割をしっかり果たしている。
バスは三厩駅行きであったが、蟹田以来の鉄道が恋しくなって今別駅前で下車。時刻表で確認すると、次の津軽線三厩行きは12時33分の331Dと2時間以上の待ち合わせである。旅行貯金のため、次の津軽浜名に近い今別郵便局まで往復しても時間を持て余すので、駅前で営業していた「伊東食堂」で昼食。私は定番の「カツ丼」(650円)を注文。
「兄ちゃんたち、どこから来たんだ?」
昼間からビールグラスを手にした子連れのおっちゃんが話し掛けてくる。酔っ払いの相手は嫌だなと思いながら適当に相手をしていたのであるが、これが思いがけない展開となる。
「えっ?ここまで来て竜飛岬に行かないのか。それはいかん。竜飛には行くべきだ」
今日は331Dで三厩まで行って旅を打ち切り、その折り返し列車で青森まで戻る予定だったので、竜飛岬まで行くつもりは最初からなかったのである。それに外周ルートとしては、北海道を一周してから竜飛岬へ行くのが筋だ。三厩13時21分発の列車にどうしても乗らなくてはいけないとの事情だけを説明する。
「よし、わかった。俺の車に乗れ。竜飛まで往復して、三厩駅まで送ってやる。時間は大丈夫だ。竜飛まで片道30分もあれば十分だ」
飲酒運転の車に乗るのも気がひけたのであるが、おっちゃんは私が返事をするまでもなく食堂の女将さんに子供を預けて席を立つ。
「折角だから行ってきなよ」
食堂の女将さんにも進められたので、カツ丼を大急ぎでかき込んで車に乗り込む。
おっちゃんの白いバンは粉雪の舞う40キロ規制の国道280号線をビュンビュン飛ばす。お酒も入っていることだし、無理をせずに安全運転でと念を押す。
「心配すんな。この道は俺の庭のようなもので、すべて頭に入ってんだから。ポリ?そんなもん、こんなところにおりゃせん」
12時半頃に行き止まりのようになった竜飛岬に到着。伊東食堂を出たのが12時過ぎていたから所要時間は20分少々。竜飛崎の石碑があり写真に収まる。
「本当はこの崎に灯台があるのだけど、今日は時間がないからな」
おっちゃんは残念そうに言いながらUターン。
「今別には青函トンネルの入口があってな、建設工事中は工夫がたくさん来たのでキャバレーだってあったんだぞ」
おっちゃんの話題は今別町の栄枯盛衰になる。地図には掲載されていない工事用の道路を通れば近道だと、高速道路のような装いの道路を走って三厩駅に到着。おっちゃんに丁重に礼を述べる。
「いやいや、また今別に来たら食堂に来てくれ。俺は毎日、あの食堂にいっから。じゃあ、子供を迎えに行かにゃならんで」
おっちゃんは笑顔で走り去った。善意の人である。
三厩駅は津軽線の終着駅。青函トンネルの開通により脚光を浴びるようになった津軽線ではあるが、海峡線の分岐駅となる中小国からは依然としてローカル線の色彩が強く、その存続も危ぶまれている。そんな三厩で今回の旅を打ち切りにするのは、夏期限定ではあるが、三厩と北海道の福島間に東日本フェリーが運航しているからである。北海道への渡り方としては、青函トンネル経由か青森−函館間の東日本フェリーを利用するのが一般的であるが、片道を青函トンネルとし、もう一方はその上を航海するフェリーで横断するのがコースとして自然だし、面白いと思ったのだ。駅前で解散写真を撮影し、13時21分発の青森行き336Dに乗り込む。旅の疲れのためか、青森までの1時間30分を熟睡してしまい、安藤クンに叩き起こされる。
家路に向かう急行「津軽」の発車は16時47分。待ち合わせ時間を利用して、昨日パスした観光物産館「アスパム」へ足を運んで過ごしたのであった。
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