サブカル暮らしっく

第26日 大畑−野辺地

1995年3月15日(水) 参加者:安部・安藤・奥田・鈴木(竜)

第26日行程  早朝6時半に民宿「松ノ木」を出発。下北交通大畑駅に向かう。昨日は夜に到着したので周囲の様子がわからなかったが、大畑は意外に大きな集落である。制服姿の高校生を何人か見受ける大畑駅舎には「本州最北端の駅おおはた」とあり驚く。今日の第一のポイントは本州最北端の大間崎であるが、本州最北端の駅がどこであるかなど考えたこともなかった。これから私たちが乗るバスはむつバスターミナル始発であり、昨日むつに泊っていれば、バスで大畑を通過するだけになり、気付かなかったかもしれない。
 下北からの始発列車1Dが定刻の7時07分に大畑駅に到着。これに接続するように佐井行きバスが駅前広場にやってきた。こちらも下北交通である。時間調整のため5分程停車した後、7時15分に大畑駅を発車した。
 大畑の集落を抜けるとバスは木野部峠を越え、その後は津軽海峡に面した国道279号線を延々と走る。2車線道路であるが、ところどころで工事が行われており、片側通行に制限されている。崖崩れがあるようで、少々恐ろしい。下風呂温泉を経て、本州最北端大間崎に到着したのは大畑からちょうど1時間の8時15分であった。
 大間崎は北緯41度33分、東経140度58分に位置し、北緯41度24分、東経140度12分に位置する北海道最南端の白神岬よりも北に位置する。地図を見れば明白であるが、改めて本州最北端の地にやって来たと思うとわくわくする。
 しかし、大間崎停留所付近には土産物屋が何軒か並んでいるが、早朝のためか軒並みシャッターが下ろされている。肝心の大間崎はといえば、夏に向けての準備中か、海岸整備の工事が行われており、風情はまったくない。それでも折角やって来たのだからと「ここ本州最北端の地」と記された石碑の前で記念撮影。同じく「大間崎」の看板前でもパチリとやるが、背景にショベルカーが入ってしまい、有り難味がない。
 大間崎灯台も大間崎から1キロ程沖合いにある弁天島に建てられているので見学どころか近づくこともできない。盛り上がりに欠ける本州最北端の地は早々に退散して、本州最北端の町である大間の集落を目指すことにした。
大間崎  大間では本州最北端の郵便局でめでたく旅行貯金をする。ゴム印には「本州最北端」の文字が刻まれているので記念になる。大間停留所近くの本州最北端のコンビ二でパンとコーヒーの朝食を確保し、9時33分のバスで佐井を目指す。
 下北交通9時33分のバスは8割程度となかなかの乗車率。その中に外周常連の安藤クンの姿もあった。安藤クンも1浪の末、見事に国立大学に合格。入学手続きの関係上、私たちより1日遅れの「はくつる」で追いかけて来た。
「本州最北端の大間崎はどうだった?」
安藤クンに感想を求められるが、わざわざ行くこともないところだったと正直に答えておく。安藤クンもバスの車内から大間崎の片鱗を眺めたはずだから、なんとなく状況は察していた模様。
 下北交通バスは30分かけて終点佐井に到着。私たちは大間から630円の運賃だが、大畑からバスを乗り通した安藤クンは1,730円を支払う。
「普段はバスで小銭しか払わないから、運賃箱に千円札を入れるのって抵抗があるね。運賃箱が壊れないかと心配だったよ」
安藤が面白いことを言うが、これから北海道へ入れば長距離バスに乗ることも多かろう。千円札を運賃箱に入れることは今後ますます増えるのは明らかで、いずれ卒倒するのも間違いない。
 佐井は仏ヶ浦観光の起点であり、仏ヶ浦をひとまわりしてくれる遊覧船もあるのだが、私たちは12時30分の青森行き下北汽船利用とする。時間があるので佐井の集落を散策。地図に記載されていた長福寺などに足を運ぶが特に興味を惹くものはない。佐井郵便局で旅行貯金を済ませた後、港近くの「田中食堂」で焼き魚定食(850円)を食べる。いつもならかつ丼なのだが、海の近くにまできて魚を敬遠するのもどうかと思い、焼き魚に挑戦することにしたのだ。焼き魚定食にはイカの塩辛が入った小鉢が付いた。今までイカの塩辛を家族の土産として買ったことはあるのだが、私自身は食べたことがなかった。
「ご飯と食べればおいしいよ。ほら、こうして食べるの」
釣りを趣味とし、おいしい魚が大好きな安藤クンがイカの塩辛の食べ方を講釈するが、どうもイカの臭みが苦手だ。少し試してみたがやはり駄目で、「この塩辛は辛すぎる」などと屁理屈をつけて残してしまった。鈴木クンもイカの塩辛を残しており、同類がいてホッとする。
 下北汽船の出航時刻まで時間があったので、桟橋近くの「津軽海峡文化館アルサス」をのぞいてみる。観光物産会館といった施設であるが、1階には観光案内所や佐井村の紹介を始め、下北半島の風土や歴史、文化、観光をビデオで紹介している「PR広場」の他、イベントやパーティーにも利用できる「しおさいホール」まで整っている。佐井村のひば製品などの特産品を展示販売店を冷やかして2階に上れば、本州北限の博物館「佐井村海峡ミュージアム」、3階には津軽海峡が目前に広がる展望室と想像以上に充実した施設だ。ただし、天気は良いものの、霞みかかっていて北海道を確認できなかったのは残念。
下北汽船「ほくと」  12時30分の下北汽船「ほくと」は甲板のあるフェリーのような船を想像していたのだが、予想に反して高速船。
「窓の開かない高速船は船酔いしやすいから嫌だな」
鈴木が情けない顔をするが、私も外周途上、金華山−女川間の高速船でひどい目にあっており、鈴木と同じ気持ちだ。しかし、船に乗ってしまうと暖かい日差しと寝不足が手伝って、すぐにウトウトとしてくる。2キロに及ぶ奇岩の連なりが続く仏ヶ浦はかろうじて確認したが、後は夢の中。気が付けば「ほくと」はどこかの港に停泊していた。時刻を確認するとまだ13時半を過ぎたところだ。私たちの目的地である脇野沢はJR時刻表によると14時になっているから時間的には早過ぎる。時刻表に記載のない小さな集落にも立ち寄るのであろうと、近くにいた船員に所在地を尋ねる。
「ここは何処ですか?」
「脇野沢港ですよ」
脇野沢に30分も停泊時間があるとは知らなかった。まだ船内で眠りこけている他のメンバーを起こしに行く。寝ぼけ眼で下船をすると、乗船券を回収するとのこと。安部クンと奥田クンの2人が「チケットが見付からない」と騒ぎ出す。
「出航まで時間があるのでゆっくり探して下さい」
船員が笑いながら言う。乗船時に乗船券を確認しているので、見付からなくともお咎めはないだろうが、2,600円の乗船券を再購入させられたらたまったものではない。程無く2人とも無事に乗船券を発見し事なきを得る。
 脇野沢港は整備されたばかりと思われる小奇麗なところ。港前の広場に大きなモニュメントが建てられているが、何を示しているのかは判然としない。脇野沢郵便局で旅行貯金をしてしまうと、他にすることもなく、港近くの愛宕山公園でのんびりとしたときを過ごす。夜行で駆けつけた安藤は「歯を磨く暇がなかった」と公園で洗面を始めた。
 脇野沢14時56分の田名部行きバスは下北交通ではなく、JR東北バスの下北線。「青森・十和田ミニ周遊券」の恩恵に与れるのが嬉しい。時刻表によると陸奥脇野沢が始発のようであるが、定刻を5分程遅れてやってきたJRバスには先客がいた。
 小さな岬をいくつか経て、16時20分に大湊駅到着。定刻より11分の遅れだ。バスはこの先下北駅まで行くのでこのまま乗り続けてもいいのだけれでも、鉄道に敬意を表すことにした。運転手は下車時に私たち5人全員の周遊券番号を控えたので、大湊駅でさらに5分近くも遅れることになった。
「できれば周遊券利用の場合、あらかじめ申し出て欲しいのだけれど・・・」
運転手はひとりごとのように言うが、運転手によっては周遊券番号を控えない人もいる訳だし、まずは画一的な取り扱い方法を定める必要があろう。
 大湊駅はJR線では本州最北端の駅にあたるのかもしれないなと考えていたが、そのような記載はどこにもない。バスが遅れたために駅周辺の観察はそこそこにして、既に入線していた736Dに乗り込む。進行方向右側に陣取ると大湊湾が広がっていた。
 16時37分に736Dは静かに大湊駅を発車。しばらくして右へ急カーブを描いたかと思うと昨日利用した下北交通大畑線とのジャンクションである下北駅だ。私は昨日、安藤は今朝に下北駅に訪れているので、丸1日かけて下北半島北部を循環して来たことになる。下北を出るとなだらかな海岸が続き、海水浴場がいくつも現れるが、季節外れのためほとんど人気はない。湘南海岸であればサーファーが年中無休で出没しているのであるが、ここ大湊湾は下北半島と津軽半島に挟まれた内湾で波はほとんどない。
 陸奥横浜で大湊行き733Dと行き違いのため、7分の停車。横浜という地名に惹かれて下車してみるが、駅前には公衆電話がある程度。近くに郵便局もあったがもとより時間外だ。
 野辺地到着は17時43分。そろそろ今夜の宿を心配しなければならない。明日は夏泊半島をまわるので、宿泊地としては小湊が適当であろう。鈴木が駅前の公衆電話から小湊の旅館や民宿に電話をするが、どこも休業中の模様。結局、野辺地泊りで妥協をする。駅から徒歩15分と少々遠いが、素泊まり3,000円で「大万旅館」を予約できた。
 偶然に入った駅前の「さかもと食堂」の店内には「東京行き特急さくら」「盛岡行き特急やまびこ」など、昔懐かしい列車の鉄道写真や行き先表示板が展示されており、聞けばこの店の旦那が元国鉄職員だったとのこと。旧国鉄時代から多くの職員が利用したため、かつて日替わり定食は「国鉄定食」と呼ばれたこともあったそうだ。この店を目当てにする鉄道ファンも多かろう。
 「今日は歩こう会の活動は休止かと思ったけれど、やはり最後は歩きやなぁ」
安部クンが旅館までの道のりで笑いながら言った。

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