時事問題に強くなる!

第24日 陸中野田−本八戸

1994年3月30日(水) 参加者:奥田・鈴木(竜)

第24日行程  早朝6時に起床。大唐旅館の近くを散歩すると昨夜は気が付かなかったのだが、旅館の目の前にJRバス野田湊停留所があったので都合がいい。時刻を調べると7時03分とあるので、奥田クン、鈴木クンの両名を起こしに戻る。
 無事に7時03分のJRバスに乗車。JRバス陸中海岸線は久慈駅を起点とした循環運転をしており、このバスも陸中野田までは三陸鉄道北リアス線に並走する国道45号線を南下して来たはずで、今度は海沿いの県道を北上して久慈駅に戻る。先客は中学生ぐらいの女の子が1人だけ。その女の子も小袖海岸で降りたので私たちの貸し切り状態となる。
 小袖海岸は久慈湾に臨む海岸景勝地である。段丘崖や海水の浸食を受けた花崗岩の岩礁、海食洞などの変化に富む岩石海岸をなし、つりがね洞、かぶと岩などの奇岩が点在する景色は圧巻。1971年(昭和46年)に陸中海岸国立公園に追加指定されている。小袖は磯漁業や定置網による漁業集落で、磯漁に従事する女性の姿は、1958年(昭和33年)に水木洋子の「北限の海女」としてラジオドラマ化された。
 「周遊券だったら切符を見せてもらえますか?」
小袖海岸で時間調整の間に運転手が私たち3人の周遊券番号を控えていく。周遊券のJRバスの取り扱いは不明確で、当然に運賃は不要であるが、周遊券番号を控える運転手とフリーパスの運転手がいる。昨日の北山崎から乗ったJRバスはフリーパスであった。おそらくJRバスが鉄道部門から分社化した影響で、周遊券の場合、運転手が利用者をチェックして後日JRバス東北がJR東日本に請求するのであろう。その場合に周遊券番号が必要になるのではないか。それならば昨日の私たちが乗った北山崎展望台−普代駅間の運賃は請求できないのではないか。一方で運転手が周遊券番号を控えるのも手間であり、一考の余地がありそうだ。
小袖海岸  久慈市街地に入るとバスの利用客も増え8時05分に久慈駅到着。ここから八戸線に乗り継ぐことになるが次の列車は9時08分の快速「こはく」まで1時間の待ち合わせ。
駅スタンドで山菜そばの朝食をとっても時間があり、久地駅のみどりの窓口で盛岡・陸中海岸ミニ周遊券の飛び出し区間となる久慈−二戸までの乗車券および明日から有効の蒲田−平塚間の乗車券を購入する。周遊券の飛び出し区間であれば金田一温泉までの乗車券でよさそうであるが、金田一温泉までは営業キロが100キロ未満で学割が使えない。久慈−金田一温泉間は運賃計算キロが100.9キロであるが営業キロは94.4キロ。学割は営業キロが100キロ以上必要なため無学割となり運賃は1,850円。ところが久慈−二戸までは運賃計算キロが108.5キロ、営業キロが102.0キロとなり、学割が適用されて運賃は1,480円となるのである。蒲田−平塚間は地方交通線に指定されている八戸線への寄付だ。久慈駅で東海道本線の切符を買っても八戸線の売り上げになるらしいから。ところが、久慈駅の窓口担当者は態度が悪い。蒲田−平塚間の乗車券に対して「現地で買えばいいだろう。なんでこんなところでわざわざ買うの」というありさま。腹が立ったので学割証を取り返して大声で言う。
「だったら結構。こちらはバスでも支障はないのですから切符は要りません」
そうすると窓口担当者はまずいと思ったのか、「ちょっと待って下さい」と言い、久慈−二戸間の学割乗車券と蒲田−平塚間の乗車券を発見した。オレンジカードにも手を出しかけていたが、これ以上久慈駅の売り上げに協力する気はなくなり取りやめ。
「切符を売ってくれなかったらどうするの?」
鈴木クンがニヤニヤしながら尋ねる。バスでは支障があるだろうと言いたそうだが、別に乗車券は駅でなくても旅行会社で買えばいいのである。
 リュックを鈴木クンに託し私は久慈郵便局へ。9時の開局と同時に旅行貯金を済ませ、「こはく」に乗り込む寸法だ。身軽になれば十分可能であろう。ところが、久慈駅から久慈郵便局までは意外に距離があり、貯金を済ませて駅に走るが時間に余裕がなくなった。改札口を通り抜け、なんとか間に合ったと一安心したのも束の間、「こはく」の車内に2人の姿がない。どこに行ったのかとキョロキョロしていると後ろから私のリュックを抱えた鈴木クンと奥田クンが現れた。どこに居たのかと尋ねれば、ずっと駅の待合室に居たとのこと。「こはく」に乗ることはわかっていたのだし、私がリュックを預けたときに言付けたのに困ったものだ。まあ無事に乗れたからあまりとやかく言うのは止めよう。私が時間に余裕がないのに郵便局へ行ったことも一因であるのだから。
 「こはく」に漢字をあてると「琥珀」となる。琥珀は数千年前の松脂が化石化したもので、宝石としてはもちろん学術的にも希少性をもつとのこと。久慈地方は日本でも有数の琥珀の産地なのだ。八戸線を走る快速列車としても希少性のある「こはく」は陸中夏井を過ぎると内陸部に折れ、山間鉄道のような装いになるが、陸中中野からは再び太平洋が顔を見せる。この辺りはリアス式海岸の複雑な海岸線ではなく、なだらかな海岸が広がる。角の浜−階上間が岩手県と青森県の県境で、外周の旅もいよいよ1都7県目に突入した。
蕪島  広大な天然芝生が海へと続く種差海岸を眺め、蕪島の見えた鮫で青森県初の下車。蕪島はウミネコの繁殖地として天然記念物の指定を受けている。ちょうどこの時期に南方から数万羽のウミネコが飛来し、産卵するとのこと。黄色い蕪の花が咲く4月には雛がかえり、夏の終わりには南方へ旅立っていくそうだ。地続きになっている蕪島へ渡ればうみねこがミャーミャー、ギャーギャーと騒々しい。人が近づけば逃げそうなものだが、蕪島のウミネコはそのような気配もない。平気で近くに舞い降りてくる。ウミネコをかき分けて蕪島の中腹にある厳島神社に参拝をすると、鈴木クンが「うわぁ」と叫ぶ。不幸なことにウミネコの糞が鈴木クンのリュックを直撃した。
 蕪島のすぐそばに近代的な建物を八戸線車内から確認しており足を運ぶ。建物の正体はマリンエイト八戸水産博物館で、展示物だけではなく、レストランや展望室まで備えた立派な施設。おそらく最後となる高校生料金の適用を受けて500円の入館料が350円になる。まずは5階の展望デッキで八戸港を一望。ここから眺める八戸港は漁港というより無数の煙突が見え工業港という印象を受ける。3階の「うみねこシアター」で八戸を紹介した立体映像15分程を見てから館内をひとまわり。展示物は博物館と水族館を組み合わせたような内容であった。
 12時10分の1438Dで2駅進み陸奥湊へ。鮫−八戸間は八戸市街なので列車の本数も格段と増え、気軽に下車できる。陸奥湊に下車した理由は駅前に朝市があるとの情報を仕入れたため。もうお昼を過ぎているが、まだ開いている店もあろう。今日でひとまず旅を打ち切るのであるから、土産の選定もしなければならない。
 陸奥湊の駅前にある朝市がまだ開いていることを確認して、まずは近くの館花公園へ足を記す。公園自体はどこにでもある児童公園の雰囲気で、神田重雄像、夏堀源三郎像に津波の碑が並ぶが、わざわざ足を運ぶほどのところでもない。早々と朝市へ戻ることにする。朝市は既に店じまいをしているところもあったが、まだ威勢のいい声が飛び交うところもある。
 「兄さんたちは大学生かい?」と声の掛かったお婆さんの店で足を止める。「4月から大学生です」と答えると、地方から八戸の大学にやって来たと勘違いされる。初めは否定していたのだが、なかなか誤解が解けず、次第に面倒になって黙って頷いておく。
「地方から若い人が集まれば八戸にも活気が出る」
お婆さんをだましているような気分にもなり、イカの塩辛と干しワカメを土産に買って罪滅ぼしをしておく。
 陸奥湊13時04分の440Dで本八戸に着けば今回の旅は解散。まだ日は高いがここから下北半島方面のバスに乗らねばならず、ここで解散しないと次回のアプローチが不便になるからやむを得ない。八戸市の中心は東北本線八戸駅周辺よりもむしろ本八戸周辺のようで、かなりの乗降がある。部活動と思われる制服姿の高校生も多数が下車した。私は中学生のときから6年間着つづけた学生服をもう着ることはない。明後日からは大学生として新たな生活が始まるのであり、この旅の終わりが高校時代の終わりである。次回、本八戸にやって来たときは大学生だなと考えながらそのまま440Dに乗りつづける。八戸には13時28分着。八戸から13時42分の532客車列車で盛岡まで。夕暮れの盛岡城跡のある岩手公園に足を運び、沼宮内まで急行「八甲田」を迎えに行って帰途についた。

第23日目<< 第24日目 >>第25日目