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第23日 津軽石−陸中野田

1994年3月29日(火) 参加者:奥田・鈴木(竜)

第23日行程  昨日タクシーで運ばれた「朝日旅館」の女将さんに津軽石駅までの道順を尋ねると、近所に宮古駅近くの病院に行く人がいるので送ってもらえることになった。昨夜に引き続き朝食としておにぎりも用意してくれ、3,500円の素泊まり客にこれだけのサービスをしてくれる旅館も珍しかろう。もっとも、女将さんに何度も「宮古に着いたらきちんとお礼を言うのよ」と念を押されたのには参った。なんだか母親に送り出されているようでもある。
 便乗させてもらった車は宮古湾を右手に国道45号線を北上する。宮古市街地に入ると若干渋滞したものの、20分程で宮古駅近くの小さな病院に到着。車の主は30代半ばの男性でスーツを着ており、出勤前に病院で診察を受けるのかと思っていたが、実はその病院の医師であることが判明する。
 宮古からは8時30分の岩手県北交通バスで浄土ヶ浜に向かうことになるが、バスの時刻まで余裕があったので駅のスタンドで山菜そばを食べて腹ごしらえ。昨夜も今朝もおにぎりだけだったので物足りなかった。奥田クンは「よく朝から食べるな」と呆れ顔だが、食べれるときに食べておくのが外周の鉄則だ。
 浄土ヶ浜行きの岩手県北交通バスは時刻表にも掲載されているバスであるが、観光色よりも生活色が強く、病院通いと思われるお年寄りが多い。商店街を通り抜け浄土ヶ浜ターミナルビルまで15分で運ばれる。運賃は170円。
 浄土ヶ浜は陸中海岸国立公園の中心をなし、宮古の代表的な景勝地である。鋭くとがった白い石英粗面岩が林立している。浄土ヶ浜の地名の由来は、天和年間(1681年〜1684年)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと伝えられているが、現在の浄土ヶ浜は開発が進んだせいか極楽浄土を連想させるような場所ではない。
 3月から運航を再開したばかりの『浄土ヶ浜島めぐり』の遊覧船が9時30分に出航するので1,000円の乗船券を購入。時間まで近くの浄土ヶ浜海水浴場を散歩して過ごす。
 遊覧船も岩手県北交通の運営でこちらは観光船事業部の管轄とのこと。最初はほとんど利用者の姿がなかったにもかかわらず、出航時間が近づくにつれてマイカーや観光バスでやってきたグループが乗り込み、思わぬ大盛況で遊覧船は出航。春休みの影響かもしれない。
「浄土ヶ浜島めぐり」は蛸の浜、ローソク岩、潮吹穴、姉ヶ崎、日出島をしっかり視野におさめて帰ってくる40分ほどの航路。浄土ヶ浜の見どころをコンパクトにめぐるコースであるが、三陸海岸の光景に慣れてしまったので少々食傷気味だ。他にも田老まで行くウミネコ航路もあり、そちらの方が外周旅行向きなのであるが、残念ながら夏場だけの就航とのこと。この遊覧船でもウミネコパンを積んでおり、パンを差し出すとウミネコは器用にパンを咥えて持ち去る。
 浄土ヶ浜港に戻った後は11時06分の宮古駅行きバスに乗ることにする。時間があるので館ヶ崎展望台に足を伸ばして三陸海岸を眺めると、目前には重茂半島が横たわり、半島中腹には月山がそびえる。外周で三陸海岸に入ったのは高校1年の冬で、高校時代の外周は三陸海岸が中心であったが、それも今日で終わると思うと感慨深い。私が高校生を名乗れるのも今日を含めてあと3日である。
浄土ヶ浜  バスで宮古駅に戻り、今度は三陸鉄道に乗り継ぐ。12時24分の三陸鉄道北リアス線115Dは嬉しいことにレトロ車両。しかし、列車は宮古を出ると内陸部に折れ、三陸海岸を眺めることはできない。大小いくつかのトンネルを抜け、地図で海に近そうな田老で下車。3駅19分で運賃は390円。三陸鉄道はここ数年運賃の値上げが頻繁に行われており、経営状態の苦しさが容易にうかがえる。
 駅から海に向かって15分程歩くと津波対策の大堤防が横たわっている。その大堤防によじ登ると目前には太平洋が広がる。少し歩けば真崎で、灯台も展望台もあるとのことだが、鈴木が反対する。昨日の魹ヶ崎のこともあるし、無理はしない方がいいのかもしれない。今回は鈴木案に従って素直に田老駅に戻り、13時33分の117Dで普代へ向かう。
 田老―普代間は鉄道建設公団の工事凍結線を引き受け三陸鉄道が独自に開業した区間である。前回、龍泉洞に向かうバスに乗り換えた小本からは私にとって初乗り区間である。小本―普代間は、駅以外はトンネルを走っている区間で景色はほとんど楽しめない。普代到着は14時11分。
 普代駅は新幹線を思わせる高架橋の立派な駅であるが、駅の1階にはスーパーがある程度。駅前には2台の普代タクシーが客待ちをしているが人の気配もなく、運転手が暇そうにしている。三陸海岸の景勝地である北山崎に向かうバスは夕方までなく、じっとしていても仕方がないのでとりあえず歩こうかと提案すると鈴木クンが言う。
「地図を見ると道路がうねうねしているから昨日のような峠道に違いない。ここは展望台のある黒崎までタクシーで行き、そこから直線になっている北山崎まで歩き、夕方のバスで戻るのがベストだと思う」
 黒崎―北山崎間は地図に「シーサイドライン」と記されており、道路は4キロ程の直線が続いている。それに比べて普代―黒崎間は道路が蛇行しており、急勾配であることは容易に想像がつく。ここでも鈴木案を採用し、タクシー利用と決定。駅前のタクシーのうち1台はどこかへ消えたので、残っていた1台の運転手に黒崎展望台までと告げる。鈴木の予想通り黒崎までの道路は急勾配が続く。タクシー利用は正解であった。
黒崎  タクシーで運ばれた黒崎は近くに国民宿舎「くろさき荘」もある程の観光地ではあるが先客はゼロ。展望台をひとまわりすると『北山崎自然遊歩道』が北山崎に通じていたが、シーサイドラインに比べて距離がありそうなので見合わせる。北山崎展望台を17時48分のJRバスに乗らなければ今後の行程に支障が生じるからだ。
 シーサイドラインを名乗る県道ではあるが、道路から海は見えない。多少の起伏はあるもののそれほど苦にはならない直線道路を黙々と南下し、黒崎から1時間半で北山崎展望台に到着。黒崎よりは整備された公園になっている。200メートル近い大断崖が海に落ち込む様子は陸中海岸を代表する景観だけのことはある。展望台から磯へ降りる階段もあり、奥田クンが往復してきた。階段数は755段とのこと。バスの時刻まで自由に過ごし、夕暮れの中を走るバスで普代駅に戻った。ミニ周遊券の効果でバス代は不要。
 普代駅で10分の待ち合わせ時間に、鈴木クンが陸中野田にある「大唐旅館」を素泊まり3,000円で予約した。列車の時刻を教えてもらえれば駅まで迎えに来るとのこと。  普代18時23分の5125Dに乗れば、18時42分に陸中野田に到着するが、私はこの機会に三陸鉄道完乗を果たしたいので久慈まで往復するつもりだ。先に野田で下車して宿に入っていればいいと言ったのだが、2人とも久慈までの往復に付き合うという。宿には陸中野田20時20分の132Dで到着する旨を伝えた。
 5125Dは定刻の18時56分に久慈到着。久慈駅はホームがJR八戸線と並んでいるにもかかわらず、三陸鉄道はJRと別の駅舎を設けている。JRへの改札業務委託料を節約するために別駅舎を建ててしまうのであるから恐れ入る。駅近くの食堂で「カツ煮定食」の夕食をとり、暗闇の中にパチンコ屋のネオンがさえる陸中野田へ2駅戻る。駅には約束通り「大唐旅館」の女将さんが迎えに来てくれていた。

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