日々進化する自動車考察

第20日 小友−岩手船越

1992年8月25日(火) 参加者:安藤・鈴木(竜)・柳田

第20日行程  早朝6時に目覚めると天気は良好。折角なので朝のうちに南陸中を代表する碁石海岸へ寄ってみたい。皆を叩き起こして6時半にはバタバタと宿を後にする。
「あれっ?もう出発するの?おにぎりでも作ってあげようと思ったのに…」
旅館の女将さんにありがたいお言葉をもらうが、おにぎりができるまで待ちますとも言えず、丁重にお礼を述べて宿を後にする。JR大船渡線の線路にそって、畦道を黙々と歩く。今日も暑くなりそうなので、午前中の涼しいうちに先へ進んでおきたい。
 目指す碁石海岸は本来であれば小友の次の細浦まで列車で行き、バスに乗り換えればいいのだが、地図で確認するとバスの路線は細浦からしばらく小友方面に逆送する模様。それならばわざわざ細浦まで行かなくても、歩いてバスを迎えに行こうという次第だ。30分も歩くと碁石海岸行きの文字が見える栽培漁業センター停留所に着いた。
「あ〜あっ、朝から30分も歩いちゃったよ」
安藤クンのぼやきは毎度のことなので気にしない。岩手県交通バスの始発便で碁石海岸へ運ばれる。
   碁石海岸の停留所は駐車場のようなところにあり、海岸までは防砂林の中に遊歩道が通じている。まだ朝が早いので海岸はひっそりとしており、立派なレストハウスも締め切っている。キャンプ場にはテントも見えたが、音沙汰もなく、まだ夢の中なのかもしれない。唯一の先客は中年の夫婦だけで、マイカーでやってきたようだ。私たちもしばらく海を眺めながら足を休めた。海岸には黒い玉砂利のような石もあり、おそらく碁石海岸の由来であろう。
 遊歩道はまだ先へと続いており、遊歩道をたどって行くと様々な珍しい形の岩が見られる。2キロも歩けば浸食によって基底部に3つの大きな穴が空いた穴通磯に出られる。穴通磯は周遊指定地にもなっており、ポスターやパンフレットにも紹介されているので見過すのはもったいない。バスもあるのだが穴通磯まで行くバスは1日3便のみ。次の穴通磯行きのバスは10時11分でまだ2時間以上もあるので、バスを待っていては時間がもったいない。歩いていこうとすると安藤クンが猛反対。朝から30分の強硬もあったのでやむを得ないか。そこで、柳田クンが妥協案を提案する。
「遊歩道もあることだし、8時半の盛行きのバスに間に合うところまで行って引き返そう」
 安藤クンもそれならばということで、しばらく海沿いの小道を歩き、穴通磯の変わりに海馬島を眺めた。
碁石海岸  「碁石海岸はどんなところですか?」
停留所に戻ると目の前に停まった車の中から声がかかる。声の主は若いアベックの男性である。現地に来て「どんなところですか?」とは妙な人だ。
「どんなところも何も、三陸海岸独特のリアス式海岸が続いています。防砂林を抜ければすぐ海です。遊歩道もあるのですから行ってみたらどうですか?」
しばらく女性と顔を見合わせて思案した挙句、アベックは車を降りて防砂林の中へ消えて行った。
 8時30分の岩手県交通バスは盛の権現堂行き。細浦駅に寄ったので、JR大船渡線に乗り換えようかと腰を上げかけたが、このままバスに乗り続けた方が早く大船渡に着けそうだ。バスは8時56分に大船渡駅前に到着。次の大船渡線盛行きは1時間後の9時58分までなく、バスから降りるとまずは大船渡駅には背を向けて開いたばかりの大船渡大通郵便局へ足を運ぶ。
 旅行貯金を済ませると途端に暇を持て余す。じっとしていても仕方がないので、バスか徒歩で盛を目指そうかと思ったが、地図をよく見るとわざわざ盛まで行かなくても、立根川河口に架かる橋を渡れば三陸鉄道南リアス線の陸前赤崎駅が近い。距離にして2キロ程度なので30分もあれば充分だ。セメント工場の敷地を横切る道路を黙々と歩き、高架上の陸前赤崎駅を目指す。左手に現れた高架橋を2両編成のディーゼルカーが釜石方面に走り去り、陸前赤崎9時02分の釜石行き211Dと時刻表で確認。次の213Dは10時13分なので1時間以上の待ち合わせがある。途中で見掛けた赤崎郵便局に寄って本日2局目の旅行貯金をしてもまだ時間に余裕がある。駅近くの食料品店で1.5リットルのペットボトルの麦茶を仕入れてホームに上がる。陸前赤崎は片面ホームで、高架上にあるので大船渡湾が一望できる。ちょっとした展望台に得した気分だ。
 ホームのベンチに腰を下ろして一息ついていると、盛行き212Dがやってきた。
「三陸鉄道を完乗したければ、この列車で盛まで往復してきてもいいよ」
他のメンバーに声をかけるが反応はない。安藤クンはJRが主催していた「いい旅チャレンジ20,000キロ」のキャンペーンに参加し、鉄道の乗りつぶしに精を出していたこともあったのであるが、キャンペーンの終了と同時に興味が失せてしまった模様。212Dは静かに走り去っていった。
 213Dで陸前赤崎を後にして吉浜に向かう。列車はすぐに綾里トンネルに突入してしまうので景色は楽しめない。三陸鉄道は地図を見る限り、海岸線沿いに走っているので、景色がいいと思いがちであるが、実際はトンネルばかりで期待するような車窓は楽しめない。複雑なリアス式海岸線に忠実にレールを敷くことなんて考えてみれば無理な話である。
 地図と時刻表を見比べて、下車すべき駅を考える。候補は2駅で三陸か吉浜だ。ズバリ三陸を名乗る駅には興味があるし、三陸からは海洋生物研究所なるところまでバスの路線もある。一方の吉浜は現三陸鉄道の南リアス線の一部(盛−吉浜)が国鉄時代に盛線として開業した当時の終着駅だ。それに陸中海岸国定国立公園の特定周遊指定地にもなっている。思案した挙句、特定周遊指定地に惹かれて吉浜で下車することにした。
 吉浜は往年の終着駅の面影はなく、静かな集落があるだけだ。線路の山側には国道45号線が通じているので、国道沿線の方が開けているのかもしれない。駅から徒歩5分のところに吉浜郵便局があったのでお決まりの旅行貯金をする。「吉浜郵便局」のゴム印を眺めていると、この郵便局名に記憶がある。通帳の2頁前を開いてみると、ここにも「吉浜郵便局」のゴム印がある。 「ああっ同じところで旅行貯金している!」
通帳をのぞき込んだ柳田クンに冷やかされるが、よくみれば郵便局の取扱局番が異なる。同じ吉浜郵便局ではあるが、以前に訪れたのは神奈川県真鶴町の吉浜郵便局だ。全国には同一名称の郵便局がいくつか存在するに違いない。
 郵便局を後にし、特定周遊指定地になっている吉浜海岸に繰り出す。時刻表の索引地図を見ると、主な観光地には周遊指定地として緑の網がかかっているが、黒部・立山アルペンルートや上高地、尾瀬など日本を代表する景勝地が特定周遊指定地としてピンクの網がかかっている。吉浜はピンクの特定周遊指定地とされており、隣の三陸は周遊指定地にすら指定されていない。これは三陸を代表する景観が楽しめると期待が膨らむ。
 ところが、堤防を越えて吉浜海岸に出てみると見事に期待は裏切られた。吉浜湾を望む小さな海水浴場は海岸整備工事中で、吉浜湾の眺めも今までの景観とあまり変わらない。特定周遊指定地の選定基準はいかなるものなのであろうか。文句を言っても仕方がないので、しばらく堤防にたたずみ、次の列車の時間まで三陸の海を眺めて過ごした。
 吉浜11時25分の215Dはレトロ調のディーゼルカー。車体には「宝くじ号」と印されており、宝くじの収益を車両購入の費用にあてたらしい。第三セクター方式の経営ならではだ。車内はクロスシートで大きなテーブルが備え付けてあるのが嬉しい。車内灯もお洒落ではあるのだが、なぜかトンネルに入ると車内は真っ暗になってしまう。私たちはレトロ調車両に名残りを惜しみながら終点釜石のひとつ手前の平田で下車した。
 駅前では三陸・海の博覧会の臨時入場券売場が設置されており、ここは博覧会の釜石会場に近いことを知る。
「三陸博覧会へお越しでしたら、前売り券がお得ですよ!」
売場の職員から声がかかるが、博覧会へ行くことなんて全く考えていなかった。パンフレットを見せてもらったが、釜石会場は他の会場と比べると小ぶりで、パビリオンにも興味を惹くものがなかったのでパス。当初の予定通り鉄の歴史館を目指して国道45号線の坂道を歩く。
 釜石といえば鉄の町として有名である。鉄の歴史館は釜石市のシンボルとして、総工費7億余円を投じて1985年7月20日にオープンした施設。もちろん釜石市の公共施設で、入館料は高校生210円。円筒型の吹き抜けドーム内には、釜石市の北西、橋野町青ノ木に残る橋野三番高炉が原寸大で復元されていた。これが鉄の歴史館のメイン展示場で、音と光を駆使した演出で釜石の鉄づくりの解説が10分程度行われる。もうひとつユニークだったのが「鉄とあそぶコーナー」で、ブリキのおもちゃをはじめ、知恵の輪、スチームドラム、パズルなど、鉄のおもちゃで自由に遊ぶことができる。しばし、幼少の頃に戻って時を過ごす。屋外には、日本で3番目の鉄道として釜石を走ったというSL209号も展示されており、鉄の歴史館は予想以上に充実した施設で有意義な時を過ごすことができた。
釜石大観音  次は鉄の歴史館の向かいに位置する釜石大観音へ。釜石大観音も釜石市のシンボル的な存在である。中高生600円の入山拝観券には陸中海岸の霊場と記されていた。動く歩道に傾斜を付けたような動く参道「スカイレーター」でコンクリート製の観音様の足元まで運ばれ、観音様の胎内は灯台のような螺旋状の階段を上ると展望台に出た。三陸海岸の景色は見飽きたというものの、高い位置からの眺めは新鮮だ。
 釜石大観音の参道には土産物屋が建ち並び、あちらこちらか呼び込みの声が掛かる。時間に余裕があればちょっと冷やかしてみたいものであるが、時刻は13時半を過ぎたところ。次のJR山田線は釜石13時59分発の久慈行き5643Dであるが、これに乗り遅れると15時47分の5649Dまで2時間近く列車がなくなる。釜石駅まで所要時間15分のバスでは間に合いそうもないので、鉄の歴史館から13時40分に時間を指定して釜石観音の入口にタクシーを配車してもらっている。
「お兄さん、待ちなよ!急いでいるようだけど、冷たい麦茶があるから飲んでいきなさい」 一軒のお土産屋の店番をしているおばさんから声がかかり、素早く麦茶の入ったコップが差し出される。炎天下の強行軍が続いているので有り難く、コップを手にする。
「ありがとうございます。本当はゆっくりお店を見せていただきたいのですが、列車の時間がありますので、今日はこれで失礼します。」
頭を下げるとおばさんが笑いながら言う。
「いいのよ。その代わり今度釜石観音に来たときはうちで何か買ってちょうだい」
善意の人である。店の名前を確認しなかったのは失敗だった。
 早くから電話しておきたにもかかわらず、釜石観音の前にはタクシーの姿はみえず、イライラがつのる。ようやく姿を表わした釜石タクシーは指定時刻を5分も遅れていた。
「13時59分の列車に乗りたいのです。急いで下さい!」 「大丈夫。釜石駅なら7分だ」
タクシーの運転手は保証するが、前回の旅の途上、宮城県の歌津でいい加減な運転手のせいで列車に間に合わなかった経緯がある。ただ、今度はきっぱりと所要時間まで断言するのであるから信用はできそうだ。釜石製鉄所の近くにある釜石駅には5643Dの発車時刻の5分前にすべりこんだ。
 5643Dには制服やジャージ姿の中学生が大勢乗り込んでおり大混雑。ちょうど部活からの帰りの時刻のようだ。反対列車の遅れのために7分停車した鵜住居、大槌と停車する毎に車内は落ち着いていく。私たちも何人かの中学生に紛れてホームに吉里吉里王国のノボリが並ぶ吉里吉里で下車した。
 吉里吉里は井上ひさしの小説「吉里吉里人」がベストセラーになったことで一躍有名になった土地。一時の賑わいは失せたものの、地元では根強く吉里吉里王国を宣伝している。原作を読めば実際の吉里吉里王国は東北本線沿線を舞台にしており、実際の吉里吉里の所在地とは異なるようだ。
 吉里吉里駅の業務は観光協会に委託されており、窓口ではおばさんが切符の他、様々な吉里吉里グッズを販売している。吉里吉里浜の風景が入った独立記念特別入場券というものを買い求めると「夢の里吉里吉里国駅120イエン」と記されていた。吉里吉里国発行となっており、正規のJRの入場券ではないのかもしれない。そもそも吉里吉里駅は無人駅なのだから入場券など必要ない。駅帽を無料で貸してくれるというので、さっそく安藤クンとホームで記念撮影。帽子を返しに行けば、吉里吉里国パスポートなるものに気付き、300円を払って購入する。吉里吉里国民の身分証明書であるが、日本国民である私がわずか300円で吉里吉里国民の身分証明書を手に入れてしまった。
 駅の待合室に荷物を留守番させて、吉里吉里国内の探索に出掛ける。小さな駅前広場からまっすぐ延びる小道を歩くと「釜石裏口通用門」の標柱があった。先に訪れた釜石に縁があるのだろうと思っていたら、釜石家の邸宅があり、本当は私有地なのかもしれない。通用門を抜けたところにあった電気屋でカメラの電池を補充し、パスポートに「吉里吉里さま」と記された神社を目指す。吉里吉里国の鎮守様なのかもしれないが、神社は薄暗くて気味が悪い。長居するところでもないので、そそくさと立ち去る。
 吉里吉里郵便局で旅行貯金を済ませて駅に戻ればものすごい夕立ちだ。タイミングよく駅に戻ることができた。駅の待合室で雨宿りをしている合間を利用して鈴木クンが今宵の宿の確保に努めるが難航している模様。まあ、最悪の場合は釜石か山田に出れば泊れるところがあるだろう。  しばらくすると、駅の窓口に挙動不信な男がやって来て、窓口のおばさんに電話を貸せとわめき散らす。おばさんは公衆電話の場所を教えるが、男はやがて「俺は人を刺した。警察を呼べ!」と言い出すではないか。安藤クンは興味深々で経緯を見つめる。
「吉里吉里国で殺人事件か!」
やがて中年男性がひとりやってきて駅の事務室に入っていくが、警察官ではなさそうだ。先ほどの男と何やら話をしている。これからの経緯も気になるが列車の時刻になったので、私たちはホームへ移動。
「ねえねえ、さっきの男が何か光ものを投げ捨てたよ!凶器のナイフかもしれない」
安藤クンはホームからも経緯を観察しているようであるが、本当に人を刺したのであれば、あまり刺激をするようなことをしない方がいい。
「因縁をつけられたら大変だから、あまりジロジロ見るなよ!」
やがて吉里吉里16時10分の5649Dがやってきてホッとする。もっとも安藤クンは不満そうだ。車内ではもっぱら男の話。
「今夜のニュースをチェックしなきゃ。地方版なら明日の新聞で扱っているかもしれない」
 船越半島の付け根にあたる岩手船越で下車すると、意外にも駅前に観光案内所がある。
「宿の紹介承りますだって。ここで探してもらおうよ!」
吉里吉里で宿の手配に失敗した鈴木クンが言う。電話帳を開いて片っ端から電話するのも億劫なので、観光案内所に宿の紹介を乞う。
「高校生で予算がありません。どんな施設でも結構ですので、素泊まりでできる限り安く泊れるところを紹介してください。」
こちらの希望をはっきりと伝えると、観光案内所のおばさんは、正規料金素泊り4,000円の民宿を3,000円で泊まれるように値引き交渉してくれた。
「その代わりに今度はお嫁さんを連れて新婚旅行にここへ来てね!」
新婚旅行は海外が相場の今日で、新婚旅行に岩手船越では嫁さんに逃げられそうであるが、こちらもやす請け合い。
「嫁さんがみつかり次第また来ます。そのときもまた安くしてくださいね。」
「駄目!今日まけた分も払ってもらうからね。」
 観光案内所に紹介してもらった民宿「満潮」は岩手船越の駅前だった。安藤クンは夜遅くまでテレビのニュースを見入り、翌朝の岩手日報にも目を通していたが、吉里吉里の事件は一切報道されていなかった。吉里吉里国の奇妙な事件の真相は今も謎である。

第19日目<< 第20日目 >>第21日目