世界の車、日本の車

第19日 気仙沼−小友

1992年8月24日(月) 参加者:安藤・鈴木(竜)・柳田

第19日行程  急行「八甲田」を4時30分の一ノ関で降りると、早朝にもかかわらず駅弁の売り子が立っているではないか。嬉しくなって思わず「義経」(900円)とお茶を買ってしまう。奥州平泉は源義経終焉の地。その源義経にちなんで「義経」と名付けた駅弁だが、ネーミングに対して中身は平凡な幕の内弁当で名前負けしている。朝から無駄遣いをしてしまった気分になる。
 大船渡線の始発列車323Dで気仙沼に着いたのは6時46分。まだ活動を始めたばかりの市街地を通り抜け、前回大島へ渡ったときと同じ気仙沼港へ歩く。気仙沼港は前回大島へ渡ったときにも利用しているので、地図を見なくても駅からの道順はしっかり覚えている。
 大島からの船が入港するとまだ8月下旬だというのに、黒い学ランを着た学生たちが降りてくる。東北では既に2学期が始業していることにも驚いたが、何よりも真夏の学ラン姿には唖然とした。9月までは夏服というのは勝手な思い込みで、東北では早くも秋が訪れているようだ。
 気仙沼港7時40分の唐桑汽船の「からくわ」で大島瀬戸を通り、唐桑半島の小鯖港へ向かう。海上は霧に覆われて視界が利かないが、連絡船の就航には支障がないらしい。やがて唐桑半島が目の前に姿を現す。
 小鯖は小さな漁港で、一緒に乗り合わせた人たちはすぐにどこかへ散ってしまった。港に取り残された私たちは、まずは交通手段の確認をする。小鯖港にも宮城県交通の停留所があるが、夕方までバスの便は無く、使い物にならない。半島の背骨にあたる部分には県道気仙沼唐桑線が通じており、県道まで出ればバスの本数はありそうだ。とりあえず県道に向かって坂道をたどる。
唐桑汽船  県道に出ると中井停留所があり、バスの頻度も1時間に1本程度と多い。とりあえず唐桑半島先端の御崎まで行くことにして、開いたばかりの中井簡易郵便局で旅行貯金をする。中井簡易郵便局は食料品店を兼業しているので、1.5リットルのスポーツドリンクも仕入れておく。夏場はその都度缶ジュースを購入していては不経済なので、ペットボトルを持ち歩くことにしている。
 宮城交通のバスで10分あまり運ばれたところが終点の御崎停留所。バス停の近くに御崎神社があったので、旅の安全を祈願し、自然探求路を灯台目指して歩く。御崎全体が自然公園になっており、マイカーでの観光客も多い。鯨塚や御崎漁業無線局を経て、陸前御崎灯台前で記念撮影。展望のきかない無人灯台で面白味に欠けるが、灯台に足を記したことで満足する。鈴木クンが灯台に隠れて半ズボンに履き替えた。旅の準備は万全の模様。
 バス停近くの唐桑半島ビジターセンターには津波体験館なるものが併設されており。高校生料金250円を支払って見学する。パンフレットには映像、音響、送風、振動装置などにより津波の疑似体験ができるとうたっている。映画館のような部屋に案内され、座席に座るとシートベルトの着用が求められた。いよいよ本格的な体験ができるようだ。しばらくは津波の発生原因の解説や明治三陸大津波、昭和三陸大津波、チリ自身津波による被害の状況がスクリーンに映しだされる。津波はこれほど恐ろしいものだという認識をさせられてからいよいよ津波の疑似体験。スクリーンには津波の画像、ザザーッという大音響、座席が前後左右に揺れ、風が吹き込んでくる。確かに映像、音響、送風、振動装置による疑似体験ではあるが迫力の点では物足りず、パンフレットの記載は少々誇大である。もっとも、本当の津波は疑似体験できるような生易しいものではないのであろう。
御崎  御崎からバスでしばらく引き返し、唐桑半島の中間地点に位置する巨釜半造口で降りる。唐桑半島の北岸には、巨釜・半造という奇岩の名勝地があるのだがバスは通じていない。最寄りの停留所が巨釜半造口であるが、1キロぐらいの歩きは覚悟しなければならない。途中、何台ものマイカーに追い抜かれながらたどり着いた巨釜・半造は海中公園になっており、駐車場も整備されていた。巨釜の折石は高さが15メートルもある壮大な岩。1896年(明治29年)の三陸津波で先端が2メートル程折られたことから名付けられたという。ビジターセンターの疑似体験よりも自然の爪跡の方が津波の恐ろしさを感じることができる。
 県道に戻ると次のバスまで15分程ある。地図を見ると1キロも歩けば唐桑郵便局があり、徒歩で先行すれば1局増殖できそうだ。歩く気力を無くした3人に荷物を預け、私は唐桑郵便局を目指す。ところが地図に記載のない道路に惑わされ、バスの時刻が迫ってくる。郵便局を諦めてバスに乗ろうとしたが、肝心のバス停も見当たらない。地元の人にバスの通る道路を教えてもらい、海岸沿いの道から1本山沿いの道に登ると宮城交通バスが通り過ぎるところ。慌てて大きく手を振ってバスを止める。この辺りはフリー乗降区間なのでバス停以外の場所からもバスに乗ることができる。
「何やってんの!無謀なことばかりするから!」
柳田クンに注意されて反省しきり。時間に余裕の無い行動は慎まなければならない。
 国道45号線と合流する唐桑半島の付け根部分に位置する只越で下車。乗ってきた宮城交通バスはここから気仙沼方面へ戻ってしまう。只越は小さな集落で郵便局も見当たらない。陸前高田へ向かうバスまで2時間待ちとなるが、じっとしているようなところではないので歩く。3人の顔は曇るが2キロも歩けば郵便局があるので、冷房の効いた場所で休憩しようとなだめる。国道45号線をとぼとぼと30分も歩くと真新しい建物の小原木郵便局が現れた。局内の冷房が行き返るようで、他にお客さんがいないことをいいことに、しばらく休憩させてもらった。
 郵便局の冷房で鋭気を取り戻した安藤クンが局前の公衆電話で今夜の宿を手配してきた。小友駅前の旅館「土手久」で素泊り3,000円。場所、値段ともに上々である。
「大磯の安藤ですと言ったら、この前も宿泊された方ですねなんて言われてびっくりしたよ。」
偶然とはいえ、同一市町村の同一姓の人が数日前に「土手久」に宿泊したようだ。小友のような観光客も少ない無名の地では、同一人と間違えるのも当然であろう。
 汗がひいたので安藤クンと海岸へ出てみる。小原木海岸には「大理石海岸」という看板があり、如何なるところかと興味があった。海岸は白い大きな岩がゴロゴロしており、これが大理石なのであろうか。地学に疎い私では判断がつかないが、大理石海岸と命名しているのだから大理石なのであろう。バス停に戻るとアイスクリームを加えた鈴木クンが荷物番をしていてくれた。
 小原木郵便局前からのバスは一ノ関−気仙沼−陸前高田−大船渡という区間を走る岩手県交通の特急バス。特急料金は不要であるが、車両はハイデッカーの観光バスタイプ。女性車掌も乗務しており驚く。バスは宮城・岩手県境を越えて陸前高田市に入る。私たちは陸前高田市の中心部に位置する陸前高田駅口で下車。陸前高田駅までは500メートル程離れており、競合相手の鉄道との接続は重視していないようだ。
 小さな駅舎の陸前高田駅で列車とバスの時刻を確認する。これから目指すのは広田半島であるが、バスはこの陸前高田駅が始発となる。次のバスは1時間後で、ここでバスを待ってもいいのであるが、広田半島へ行くバスがJR大船渡線の脇ノ沢駅前を通ることは明らかで、脇ノ沢には郵便局もあるので列車で先行すれば1局増殖できると目論んだのだ。ところが次の列車もやはり1時間後。列車に接続して広田半島方面のバスが出るのだから合理的なダイヤなのであろうが、私たちには都合が悪い。地図を見れば脇ノ沢まで4キロ程。歩いて脇ノ沢へ行き、旅行貯金をすればバスに追いつかれる頃合だ。私は迷わず脇ノ沢行きを表明。他のメンバーは陸前高田からバスに乗ってもらえばいいと思っていた。ところがバスに弱い柳田クンが脇ノ沢まで同行すると言い出すと、後の2人も文句を言いながら付いて来た。右手に高田松原を見て再び国道45号線を歩く。大船渡線と2度交差して脇ノ沢郵便局へたどり着いたのは16時の貯金業務終了10分前であった。
 旅行貯金を済ませても時間があったので脇ノ沢駅をのぞいてみる。小さなおもしろおかしくもない無人駅であったが、ホームのコンクリートに「チリ地震津波最高水位 昭35・5・24 午前4時45分」とペンキで記されている。駅前は道路を挟んで防波堤が広がり、サイレンによる津波警報に関する注意を促す看板がある。やがてウーウーとサイレンが響き渡り、津波警報ではないかと心配になった。サイレンの正体は不明。
 広田行きの岩手県交通バスは意外にもマイクロバス。先客は老人と小学生だけで私たちを含めても10名にも満たない。バスはしばらく大船渡線と並走してからやがて右手に折れ、広田半島の西海岸を行く。広田水産高校前からバスは半島を横切って、今度は東海岸に出る。運賃は時刻表によれば陸前高田から乗っても終点広田まで590円のはずであるが、車内の運賃表は600円を越えてドキリとする。ところが終点の広田では590円と運賃が下がった。不思議な運賃体系は、路線図を眺めていると理由が判明した。このバスは広田半島の先端を迂回して広田に到着したのであるが、陸前高田から広田へは、この他に小友駅前を経由して純粋に広田へ直行するルートがある。広田へ行きたい人にとっては、バス会社の都合で余計な迂回をさせられているのであるから、実際の経路に従った運賃を請求しては申し訳ないということであろう。陸前高田−広田間のバスの本数が限られていることにも配慮しているのかもしれない。結果的に私たちは外周ルートを安くたどってもらえたことになり、恩恵を受けることができたのである。
 広田湾を眺めながら集落を歩くと15分程で先程の広田水産高校へ出た。ここが先程のバスと小友駅経由のバスが交差する地点だ。広田半島はバスが8の字運転をしていることになる。広田水産高校前からバスで小友駅へ出て本日のフィナーレの予定であったが、高校の下校時刻と重なってか、バス停の前には制服姿の高校生が列をなしている。なんとなく、列に加わり難い雰囲気なので、座れないのを承知で1つ小友駅寄りの天王前停留所まで歩いてバスに乗る。高校生で超満員のバスはさすがに大型バス。リュックを背負ったよそ者の乗車に迷惑がられながら、小友駅までの10分間を小さくなって過ごす。
 小友駅はひっそりした寂しい駅。安藤クンが予約してくれた旅館「土手久」は正に駅前旅館ですぐにわかった。旅館の場所が判明したので、食事のできるような店を探すが、小友駅周辺に外食産業はまったく存在しない。高校生が列車の待ち合わせに利用するような店があってもよさそうであるが、バスも陸前高田へ直行するのであるからそんな需要もないのであろう。素泊りにしたのは失敗だった。結局、駅近くの食料品店でカップラーメンを買って宿に入る。
「あらっバスで来たの?珍しい人たちもいるものね。他所から来る人は列車だと思っていたからね。駅まで迎えに行こうと思っていたのに。小友の旅館はここだけでね。」
玄関先で声を上げると女将さんがバタバタと現れた。案内された部屋からは小友駅がバッチリ見えるが、列車の時刻が近づいても人影はほとんど無かった。

第18日目<< 第19日目 >>第20日目