毎日を綴る

第18日 大谷−気仙沼

1992年4月2日(木) 参加者:安藤・奥田

第18日行程  早朝7時過ぎに目が覚めて窓の外を見ると小雨がぱらついている。ただ、空は明るいのですぐに天気は回復するであろう。当初の予定では、大谷を6時26分の始発列車931Dに乗って早朝の気仙沼市魚市場の競りを見学しようとも考えていたのだが、疲れて起きることができなかった。次の列車は7時25分の2933Dであるが、安藤クンと奥田クンは熟睡中。叩き起こしてバタバタと準備をするのもためらわれたので、部屋の窓から2933Dを見送る。もう少し待てば雨も止みそうだったので、7時59分の395Dも見送って、9時12分の2937Dで気仙沼を目指すことにする。935Dでは、時間的に気仙沼市魚市場の競りも終わっているだろうし、9時12分であれば、大谷駅前にあった大谷郵便局で旅行貯金もできる。
 再び布団に入ってぐずぐずしていると、時刻は8時過ぎ。素泊まりの宿泊客であったにもかかわらず、「民宿紅屋」の女将さんの好意でカップラーメンとおにぎりの朝食が部屋に運ばれた。素泊まり3,000円で朝食付きの民宿など聞いたことがなく、宮城交通の運転手の勧めに従って正解だった。ちなみに大谷の民宿は1泊2食付きでも4,800円とのことで、やはり破格の料金体系だ。
 「どうやってうちの民宿のことを知ったのですか?」
女将さんから尋ねられたので正直に答える。
「宮城交通の運転手に大谷の民宿が安くてサービスも良いと聞いて、ハローダイヤルで紹介してもらいました。もっとも、最初は「浜見」を紹介されたのですが、休業中ということで、こちらを紹介してもらいました」
「ああ、そうなの。浜見さんの紹介ねぇ」
女将さんは何度も頷いて、飛び込みの宿泊客がやってきた経緯に納得した様子である。
 外周の旅では珍しくゆっくりとした旅立ちで9時に宿を発つ。すぐに回復すると判断した天候は気まぐれで、日が差しているにも関わらず、未だに小雨が降ったり止んだりを繰り返している。昨日、タクシーに傘を忘れてきてしまった私たちに、「民宿紅屋」の女将さんが「古いものでよければ」と傘を持たせてくれた。
 大谷郵便局で旅行貯金を済ませて、気仙沼行き2937Dを待つ。昨夜は気が付かなかったが、大谷駅のホームの前は線路とフェンスを挟んで海岸が広がっている。大谷海水浴場で、ここも夏になればたくさんの海水浴客で賑わうことであろう。これだけ駅と海水浴場が近いのであれば、臨時列車を走らせて海水浴客を運ぶこともできるのではないかと思うのだが、やはりほとんどの海水浴客がマイカーで訪れるのであろうか。
 大谷駅のホームで2937Dを待っていると、背後から声が掛かる。
「傘が邪魔でしょう。この様子ならもう雨は大丈夫。傘は置いて行きなさい」
振り返れば声の主は「民宿紅屋」の女将さん。空を見上げれば、いつの間にか雨はやみ、青空が広がっている。わざわざ気に掛けてホームまで来てくれるとは善意の人だ。丁重に御礼を述べて、傘を女将さんに返す。
 「民宿紅屋」の女将さんに見送られて2937Dに乗り込む。合理化のためのレールバス仕様であるが、運転席の後ろに運賃箱があるスタイルは旅の雰囲気が損なわれ、なかなか好きになれない。もっとも、車掌が乗務していたのでは、人件費がかかるだけなので、合理化を進めて経費を削減するためにはやむを得ない。このような努力がなければ、気仙沼線自体が存続していなかったかもしれない。
 気仙沼への買い物客や春休み中の部活に向かう生徒が多く、2937Dの車内は混雑している。1957年(昭和32年)2月11日に開業していた本吉−気仙沼間の21.3キロは、気仙沼の都市圏内であり、列車の需要も高そうだ。小牛田への直通列車の運転に捉われず、区間運転の列車を設ければ需要がありそうな気がする。
 十数メートルもの海水が吹き上がる潮吹き岩で有名な岩井崎に近い陸前階上を過ぎると、今日の目的地である大島が姿を現した。大島と名乗る島は、東北地方だけでも5つもあり、日本全国に広げれば50は超えそうである。外周旅行でこれからいくつの大島に足を記すことになるのだろうか。
 気仙沼湾を挟んで大島を眺め、気仙沼市魚市場に近い南気仙沼で下車する。
「ここは南気仙沼ですよ!」
旅行者が間違えて下車しようとしていると思ったのか、ワンマンカーの運転士は怪訝そうな顔をする。
「はい。ここで間違いありません。南気仙沼で降ります!」
私が答えると、今度は大磯から東海道、東北、仙石、石巻線、気仙沼線経由の気仙沼行き普通周遊乗車券を回収しようとする。
「ここで下車するなら切符を回収します」
あえて南気仙沼で下車したのは、気仙沼市魚市場が近いだけではなく、切符を記念に手許に残すためでもあるから、回収されてしまっては困る。
「いえ、気仙沼まで乗りますので、途中下車でお願いします」
無事に運転士から切符を取り戻して南気仙沼のホームに降り立つ。ローケーション的には気仙沼魚市場や大島行きの汽船発着所である「エースポート」にも比較的近いのだが、観光客にはあまり知られていない模様。JR東日本ももっとPRすれば良さそうだ。
 南気仙沼駅から10分も歩くと気仙沼市魚市場があった。既に今日の取引を終えて閑散とした状態ではあったが、それでもたくさんの魚介類がまだ並んでいる。さすがに世界三大漁場のひとつである三陸海岸沖を操業域とする漁船の水揚げ港だ。三陸海岸沖は、大陸棚が広がり、暖流の黒潮と寒流の親潮が交差する潮目があるため、豊富な種類の魚が漁獲されるという。
 同時に気仙沼は、マグロを中心とした日本の遠洋漁業の基地でもある。魚市場の近くの岸壁には400トン級のマグロ漁船がずらりと接岸され、日本を代表する漁業都市の風格は充分だ。遠洋、沖合マグロ漁船の船籍数は日本一とのこと。
 気仙沼市魚市場からそのまま気仙沼湾沿いに歩き、「エースポート」へ。「エースポート」の1階には、大島合同汽船のターミナルがある。大島合同汽船は、正式な会社名ではなく、気仙沼市営船と大島汽船が合同で大島航路を運航していることから、双方を総称した呼称である。昨日訪問した鮎川−金華山航路の鮎川金華山航路事業管理所と同じ要領だ。
 タイミングが悪く、ちょうど10時の便が出航した直後で、次の大島行きは10時40分となる。30分以上の時間のロスだがやむを得ない。
 まずはコインロッカーに荷物を預けて身軽になる。大島へ渡ったところで、どうせ気仙沼へ戻って来るので、わざわざ重い荷物を抱えて大島に渡る必要はない。
 「エースポート」の2階には、気仙沼湾観光協会や気仙沼市物産振興協会が入居しており、気仙沼市観光物産センターになっている。特産品の売店や「ミニ海の博物館」があるので退屈せずに済む。お土産は荷物になるので下調べだけに留め、大島の観光パンフレットなどを入手した。
 10時40分の便は気仙沼市営船の「たつまい」であった。「たつまい」は、大島にある龍舞崎に由来する。
 大島までの所要時間30分で運賃は250円。気仙沼湾内の航行なので揺れはほとんどなく快適な船旅を楽しむ。大島航路は観光航路と思っていたが、乗客は地元のお年寄りが中心の生活航路。大島から気仙沼の病院へ通った帰りと察しが付く。地方のローカル線では病院通いのお年寄りが常連客となるケースが多いが、鉄道やバスに限った話ではなさそうだ。大島へは「エースポート」の他に気仙沼市魚市場の近くからフェリーも就航しているので、観光客はフェリー利用者が多いのかもしれない。
 大島は面積が9.05平方キロ、周囲22キロのやや南北に長い島で、気仙沼港の堤防のような役割を果たしている。大島があることで、気仙沼湾は常に穏やかで、気仙沼港が良港と呼ばれる所以でもある。人口は約4,600人で東北地方最大の有人島だ。本土とは最も近い地点で230メートルしか離れておらず、20年以上前から大島へ架橋する計画があるようだが実現に至る見込みはない。
 「たつまい」は大島北部の浦の浜桟橋に着岸。浦の浜が大島の中心となる。桟橋の近くにあった大島民宿案内所にレンタサイクルがある旨の看板が目に入ったので迷わず利用する。大島には宮城交通のバス路線もあるのだが、地図で路線図を確認しても浦の浜と大島南部の龍舞崎を結ぶだけで、島を一周する路線がないことは明白だ。今朝はゆっくりとしたことで体力も回復しており、レンタサイクルで大島を一周することぐらい朝飯前である。
 大島民宿案内所で自転車を借りようとすると身分証明書を預けて欲しいとのこと。自転車を借りたにもかかわらず、島内で乗り捨てる不届き者が後を絶たないそうだ。健康保険証はコピーしか持ち歩いていないので、学生証を預けるしかない。全員ではなく、代表者だけで良いというので、安藤クンが学生証を預ける。
龍舞崎  まずはバス路線が通じている龍舞崎を目指す。浦の浜周辺は平坦な道路であったが、次第に起伏が激しくなり、上り坂では自転車をひいて歩くしかなくなる。旅行者が借りた自転車を途中で乗り捨てたくなる気持ちも少しは理解できる。やっとの思いで龍舞崎停留所にたどり着くと、息は上がり、汗だくの状態だ。ただし、龍舞崎へは停留所からさらに遊歩道を歩かねばならない。
 ここまで来て龍舞崎に立ち寄らないわけにはいかないので、停留所の脇に自転車を並べて遊歩道に挑む。自転車には鍵が付いていないが気掛かりだが、島内でレンタサイクルを盗む人もいないであろう。
 遊歩道は起伏の激しい道路を自転車でたどったことを思えば楽勝。10分も歩けば大島灯台の待つ正真正銘の龍舞崎にたどり着いた。龍舞崎は大島の最南端に位置し、海に突き出た荒々しさが魅力。竜の頭のような波頭が寄せては砕ける。この様子を竜が舞い上がる姿に例えて、龍舞崎の由来となったのであろう。すぐ目の前にある島は黒崎島で、龍神様が祭られている。天然のトンネルや乙姫窟も神秘的だ。亀島と名付けられた島もあり、この辺りには浦島太郎伝説が残っているという。
 龍舞崎でしばらく景色を堪能し、汗がひいたところでゆっくりと停留所へ引き返す。雨上がりなので足場は悪いが天気は回復傾向にあり、これならば大島の最高峰の亀山に登るリフトも期待できそうだ。
 今度はバスの路線が通じていない大島の東側を自転車で北上する。大島には県道208号線が通じており、しっかりとした舗装道路が概ね島内を循環している。今度は全般的に道路が下り坂になるので自転車の威力を発揮。ところが、快調に自転車を飛ばしたところで悲劇が起こった。前を走る奥田クンの自転車が水溜りに突っ込み、勢いよく跳ねとばした泥が後方を走っていた私を直撃したのである。白いハーフコートが泥だらけになってしまい、とんだ災難である。今日が旅行最終日であるのが不幸中の幸いだ。
 小田の浜を経て、大島の南半分を一周したところで一旦浦の浜に戻り、大島民宿紹介所へ自転車を返却する。大島の北部には海岸沿いの道路が無いうえ、標高235メートルの亀山がそびえているので、自転車は不要なのだ。ただし、亀山にはリフトが通じているので、移動手段には不自由しない。
亀山リフト  浦の浜から15分ほど歩いて開店休業中のようなリフト乗り場に着くと、切符売場からおばさんが飛び出して来た。
「リフトに乗りますか?リフトに乗るなら動かしますよ!」
今日はお客が私たち以外に皆無のようで、リフトも停まっていたのであるが、営業はしているとのこと。
 亀山リフトは気仙沼市が運営しており、運行開始は1967年(昭和42年)5月と意外に歴史がある。往復600円のリフト券を購入し、貸し切り状態のリフトに乗車。上りは山の斜面ばかり見せられるのでおもしろくないが、振り返れば太平洋が広がっており、帰りの景色はさぞかし良いことだろう。お楽しみは後にとっておくというわけか。頂上までの所要時間は12分と思っていたよりも時間がかかった。
 山頂にある亀山展望台からは周囲に視界を遮るものがないので、内湾から外洋と360度のパノラマが広がる。天候が回復したため、昨日訪れた金華山もかすかに確認できる。間近に横たわる半島は、次回訪問予定の唐桑半島だ。施設も景色も素晴らしいが、春休み期間中でもこれだけ閑散としていると施設の将来が気掛かりになる。レストハウスもあったのだが、先客は無く、喫茶店のようなメニューしかなかったので、昼食は浦の浜に戻ってからにする。
 帰りのリフトからは期待通りの景観を楽しみながら亀山を下山。浦の浜に戻れば次の船まで若干の時間があるので、昼食を食べようと桟橋近くの「観光センターしま」に入る。食堂と土産物屋を兼業している店であったが、昼食のメニューは比較的高め。3種類の海藻が入っているという「磯ラーメン」(600円)なら手頃かなと思ったが、奥田クンがあまり乗り気ではない。結局、パンを買って遅めの昼食となる。奥田クンは自動販売機でポッカの「ミルクセーキ」を見つけて「懐かしい!」とはしゃいでいる。確かに幼い頃にはよく目にした商品であるが、最近はさっぱり見掛けていない。
 浦の浜桟橋を15時に出航する便も気仙沼市営船の「たつまい」であった。できれば大島汽船に乗船して乗り比べをしてみたかったのだが、わざわざ1便遅らせるまでのことでもないので素直に乗船する。
 気仙沼に戻ると、16時40分の唐桑航路に乗り継ぐことも可能であったが、今から唐桑半島に入ったところで、途中でタイムリーリミットになることは明白である。このまま唐桑半島に入っても、アプローチでもう一度同じルートをたどることになってしまうので、今回は気仙沼で外周旅行を切り上げとするのが良さそうだ。
貯金が可能な16時までの残された時間を活用して、気仙沼市内の郵便局巡りにあてる。もっとも30分足らずでは、気仙沼南町郵便局と気仙沼古町郵便局に立ち寄ったら時間切れ。本当は気仙沼郵便局にも立ち寄ったのであるが、あまりの混雑ぶりに素通りしてしまったのだ。
 気仙沼駅に出ると、次の列車は17時24分の2944Dであったので、それまでをフリータイムとする。フリータイムといっても、気仙沼の市街地へ繰り出す元気はなく、自然と足は駅前に店を開いている土産物屋に向かう。
 暇そうにしていた「斉隆商店」の店主のおやじは我々が店に入ると上機嫌。
「おおっ!あまりにカッコいい兄ちゃんだから、光GENJIかと思った!」
散々おだてられた安藤クンは、奮発して店主の勧める気仙沼産の「ふかひれ」を購入。「ふかひれ」と言えば、鮫の背びれや尾びれを乾燥させた中華料理の食材で、珍味としては知られるものの、日本の食卓には縁がない。ところが、気仙沼は「ふかひれ」の生産量が日本一とのことで、「ふかひれスープ」や「ふかひれラーメン」など、「ふかひれ」を使った土産物が数多く並んでいる。しかし、どれも1,000円以上の価格帯で、お土産として気軽に買って帰るには躊躇してしまう。そもそも「ふかひれ」を口にしたことがほとんどなければ、美味しいとも思ったことがないのだ。
 一方で、今回の外周旅行に不参加だった鈴木クンへのお土産として、南三陸を代表する名菓「かもめの玉子」を購入。鈴木クンは、今回の外周旅行に参加するための切符を購入しに行く途中に交通事故に遭うという不幸に見舞われた。現在は入院中であるが、幸いにも精密検査の結果、異常は見当たらず、新学期を迎えるまでには退院できる見込みだという。早く回復して、再び外周旅行に顔を出してもらいたい。
 2944Dで昨夜は闇で景色を確認できなかった大谷−陸前港間の車窓をフォローして、18時17分の歌津で下車。「歌津タクシー」の事務所を訪ねて、車内に忘れた折り畳み傘を無事に回収することはできたが、昨日の運転手は不在で、巻き上げられた釣銭を取り戻すには至らなかった。
 歌津駅に戻れば次の19時54分発の946D列車が驚くべきことに本日の気仙沼線上り最終列車だ。946Dの気仙沼発車時刻は18時52分であり、あまりにも早過ぎる最終列車だ。これでは利用したくてもダイヤが悪くて利用できない。だから乗客は減り、ますます利用しにくいダイヤになる。ローカル線の悪循環を気仙沼線のダイヤに垣間見た気がした。

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