ワーキングステップ

第9日 野栄−銚子

1991年3月20日(水) 参加者:池田・鈴木・柳田・山田

第9日行程  「国民宿舎飯岡観光センター」で目覚めると、部屋の前は県道30号線を挟んで九十九里浜が広がっていた。ちょうど国民宿舎の前が飯岡海水浴場となっており、夏場は海水浴客で賑わうのであろう。
 国民宿舎のワゴン車で八日市場駅まで送ってもらい、八日市場駅前から横芝駅行きの千葉交通バスに乗り込む。ワゴンの運転手は駅まで送ったにもかかわらず、列車に乗らずにバスに乗り込む我々を見て怪訝そうにしている。本来であれば野手浜まで送ってもらえば良かったのだが、これからたどるルートを逆走するのも芸がないので、野手浜−飯岡間の景色を見ないように八日市場駅まで送ってもらったのだ。
 八日市場駅前からバスに揺られること20分で野栄町の野手浜に到着。昨日は野手浜までを外周旅行のルートとして認定したので、今日はここから日本外周旅行を再開する。野手浜にも「国民宿舎望洋荘」があり、どうせ国民宿舎に泊まるのであればこちらにした方がスマートだったが、事前の予測で宿を予約してしまったので仕方がない。
 野手浜から飯岡方面へ向かうバスはなく、今日も早々に歩きとなる。
「うわぁ〜今日もいきなり歩きなの!昨日みたいのは御免だよ!」
柳田クンが悲鳴を上げるが、どの程度の歩きになるのかは私自身もまったく予想ができない。不本意ながらいざとなればタクシーの世話になるしかなさそうだ。
 今日も春の日差しが降り注ぎ、小春日和になりそうだ。この先、神宮寺浜西停留所まで行けば旭駅行きのバスがあることは確認済みだが、野手浜から神宮寺浜西までは5キロ近くあり、気長に行くしかない。野手浜から30分ほど歩いたところで自動販売機を見掛けたので早々に小休憩とする。
「皆さん!ここで飲み物を確保しておかないと後で災難になりますよ!」
柳田クンが茶化して言うが、昨日の今日なので受け取る方は半ば真面目である。
「朝から炭酸系を飲むと体調を崩すから、炭酸が入っていないものを選ぶといいよ」
鈴木クンの忠告に従い、各自スポーツドリンクを手にするが、私は「房州酪農牛乳」という商品が目に留まったので購入してみる。
「ええっ!牛乳なんて買うの!自動販売機で牛乳を買う人なんて初めて見たよ!」
柳田クンが目を丸くして言うが、需要があるから自動販売機でも牛乳を売っているのである。しかも、房総半島を旅しているのだから地元の名産の牛乳を賞味してみようと思ったのだ。
「自動販売機で買っても牛乳は牛乳だろう。牛乳はカルシウムが補えて体にいいんだぞ。牛乳を飲まないから周囲から『カルボーン』を食べろと言われるんだぞ!」
「カルボーン」とは、カルシウムが含まれた骨の形をしたお菓子で、中学時代、小柄な柳田クンは背が伸びるように周囲から「カルボーン」を食べろと冗談でからかわれることがあった。
「それを言っちゃあ〜お仕舞いだよ!」
柳田クンと喧嘩になる前に話題を打ち切る。
 新川大橋を渡ってしばらく行くと、池田クンがバス停を見付けたと走り出す。交差点の近くにバス停のポールが見え、吉崎浜停留所のようだ。近寄って時刻表を確認すると10分後にバスがあるのだが、行き先は八日市場駅となっている。九十九里浜一帯のバスは、JR総武本線の駅を起点に放射状に運行されており、野手浜とは別に八日市場海水浴場に近い吉崎浜と八日市場駅を結ぶ路線があるようだ。もちろん、我々の行き先とは違う方向へ向かうバスなので利用できない。
 吉崎浜から更に20分少々歩いたところにバスの回転場らしき敷地があり、「神宮寺浜回転場所」と記載されたポールを発見する。神宮寺浜停留所のことだろうか。神宮寺浜は、当初予定していた神宮寺浜西よりもひとつ先の停留所で、神宮寺西停留所に気が付かずに通り過ぎてしまったのかもしれない。時刻表をのぞき込めば、行き先は旭駅行きとなっていたが、次のバスの時間まで2時間もある。旭駅からは銚子観音行きのバス路線があることは確認済みで、もう少し先まで歩けば銚子観音行きのバスに乗れるかもしれない。
「歩きましょう!こんなところに2時間も居ても仕方がない。僕はまだ歩ける!」
一晩で元気を取り戻した山田クンは積極的だが、柳田クンは慎重だ。
「銚子観音行きのバスがどこを走っているのか知っているの?地図のバス停マークだけではあてにならないから、地元の人に確認した方がいいよ!」
地元の人に確認するといっても、周囲に人の気配はない。唯一、回転場の近くに「林商事」という食料品店があったので情報収集に向かう。
「ここから銚子観音行きのバスが来るバス停までどのくらいの距離がありますか?」
私が店番をしていたおばさんに尋ねると、少し考えてから口を開く。
「旭駅からのバスが通るところかい。そうだね。一人で歩くとすごく遠いように感じるけど、あんたらみたいに大勢で歩いていれば、大した距離じゃないかもしれないな」
具体的にどのくらいかという情報は得られなかったが、少なくとも歩いて行ける距離らしいことが判り柳田クンも安心する。
「ところであんたらはどっから来たんだい?」
「神奈川です。今日は野手浜から歩いて来ました。昨日から九十九里海岸沿いをたどっています。」
私が答えるとおばさんは強く歩きを勧める。
「だったら歩くといいさ。野手浜からここまで歩けるなら大丈夫だ。飯岡の漁港まで行っちまいな。この道を行くと途中に大きなカーブがあるから、それを右に曲がって海岸沿いの通りを歩けば海が見える。そのまま進めばまたこの道と一緒になるよ。この道を歩いても海は見えないねぇ」
海岸沿いには広大な松林が広がっており、確かに県道30号線を歩いていても海は見えそうにない。ついでに「神宮寺浜回転場所」が、神宮寺浜西停留所であることも教えてもらった。バス停のポールに停留所名が記されていないのは旅行者には判りにくいが、おそらくもともとの終点は神宮寺浜で、方向転換するために「神宮寺浜回転場所」まで回送運転をしていたが、利用者の要望により神宮寺浜−神宮寺浜回転場所も旅客扱いをするようになったのではないかと推察する。
 「林商事」のおばさんにはいろいろ有益な情報を教えてもらうことができたので、御礼に朝食のパンでも購入しようとクリームパンを所望する。
「ええっと、このパンはやめときな。賞味期限が切れているから」
おばさんに言われてパンの袋を確認すれば、確かに賞味期限が3日前に切れている。こんな商品を店に並べているのも問題だが、それよりも店頭に並べておきながら止めておきなというのも滑稽だ。おそらくこの店の商品には、賞味期限切れの商品がまだまだ隠れているのだろう。そして、おばさんは客が購入しようとする度に、賞味期限をチェックしているのかもしれない。
 「林商事」のおばさんの勧めに従って県道30号線を引き続き歩く。県道30号線には「九十九里ビーチライン」という愛称が付けられているが、まったくと言っていいほど海岸に縁がない道路である。おばさんの言う通り県道30号線は左に急カーブして内陸部へ入り込むので、右手の海岸沿いの道路を選ぶ。こちらの道路の方が「九十九里ビーチライン」の愛称にふさわしく、松林が途切れて九十九里浜が姿を見せる。30分ほど歩くと再び県道30号線と合流した。
 神宮寺浜からどれだけ歩いただろうか。既に時刻は11時を回っている。野手浜から歩き続けているが、銚子へ向かうバスの停留所は見当たらない。私と山田クンが先行して歩き、他のメンバーが遅れる。昨日からの行程を考えると、さすがに限界かもしれない。
 飯岡町に入ったところに千葉工業大学飯岡研修所があり、近くに公衆電話を見付けた。後ろを振り返るが他のメンバーが追い付くまでかなり時間が掛かりそうだ。私はバス停を見付けることを諦めて、公衆電話の受話器を手にした。
 千葉工業大学飯岡研修所の前で10分近く待たされて、「飯岡タクシー」が到着した。配車料としてメーター料金の他に300円が加算されるが文句を言ってはいられない。乗ってしまえばタクシーは速く、昨夜泊まった「飯岡観光センター」の裏手を通り過ぎる。右手には飯岡海水浴場が続き、この辺りは正真正銘の「九十九里ビーチライン」だ。飯岡漁港を経て、九十九里浜の東端にある刑部岬にある飯岡灯台まで運ばれる。
飯岡灯台  飯岡灯台は小さな白亜の円形灯台であった。高さは9.8メートルしかないが、「東洋のドーバー」と言われる屏風ヶ浦の絶壁の上に建てられているため標高は74.4メートルに及ぶ。眼下には飯岡漁港が広がり、その先には太東崎まで約66キロに及ぶ九十九里浜が弓状に連なっている。太東岬からバス、徒歩、タクシーを駆使しながら、苦労して九十九里浜を踏破できたので感慨深い。少し風は強いが、日差しもあるので寒くはない。
 時刻は正午前だったので、昼食でも摂ろうと近くにあった「ライトハウス」という喫茶店に入ってみる。ところが自家製ピザなど軒並み1,000円以上のメニューが並び戸惑う。旅の最終日とは言え、1,000円以上の昼食は中学生の身分としては手が出ない。やむを得ず400円の「オレンジジュース」を注文するが、缶ジュースなら4本分であるから痛手だ。
「これからはメニューと価格が出ていない店に入るときは気を付けないといけないな」
店を出るときに教訓のように山田クンがつぶやいた。まったくである。
 飯岡灯台まで入るバスはなく、国道126号線沿いのバス停まで坂道を下る。下り坂なので歩きでも多少は楽になる。
「1分差で乗り遅れると悔しいから先にバス停へ行ってるよ」
タクシーの移動と飯岡灯台での休息で元気を取り戻した柳田クンが先に走る。もっとも、柳田クンにバスを停めてもらう必要もなく、我々が灯台入口停留所にたどり着くと、ちょうど12時49分の銚子観音行き千葉交通バスがやって来た。
 バスの車内は思いのほか混雑しており、我々は車内で立つ羽目になった。銚子市街地が近付いてきたからであろう。バスは走り出すとすぐに飯岡町から銚子市内へ入る。
 バスはしばらく内陸部を走る。海岸沿いには屏風ヶ浦が続いているはずだが、道路は通じていないのでやむを得ない。三崎町二丁目からは海岸線沿いに通じる有料の「銚子道路」が分岐しているが、「銚子道路」を走るバスはなく、歩くわけにもいかない。
 銚子を代表する観光スポットである屏風ヶ浦をまったく無視してしまうのもどうかと思い、海に近そうな三崎停留所で下車する。周辺は三崎団地という銚子の住宅街になっており、学校帰りの小学生の姿が目立つ。
 近くにあった三崎一丁目交差点から分岐する県道254号線をたどり、屏風ヶ浦を目指す。県道254号線は大型ダンプカーが頻繁に行き交い危なっかしい。有料の銚子道路を避けて県道254号線に流れて来るのだろうか。近くに団地もあるのだから歩行者には注意してもらわなければ困る。
 県営住宅や市営住宅が集まる大谷津まで出ると食料品店が目に入る。昼食にパンでも購入しようかと考えたが、柳田クンが反対する。
「今日で最後だし、パンの昼食だけは勘弁してよ。食堂ぐらいには入りたい」
犬吠埼まで行けば食堂ぐらいはあるだろうし、柳田クンの希望を受け入れ、腹を空かせたまま先へ進む。
 県道254号線を黙々と歩くが、海岸へ出るためには「銚子道路」を横断せねばならず、「九十九里有料道路」と同様に我々が海岸沿いへ出ることを拒んでいるよう。「銚子市清掃センター」を経て、気が付けば屏風ヶ浦の西端に位置する名洗町まで出てしまった。屏風ヶ浦を見るために引き返す気にもなれず、そのまま先へ進むことにする。
 千葉交通バスの名洗入口停留所を見付けるが、時間帯が悪く、外川まで歩かざるを得なくなる。「銚子有料道路」の高架下をくぐり、愛宕山にある「地球の丸く見える丘展望台」の案内標識も目に入るが、誰からも立ち寄ろうと言う声は上がらない。わずかに標高73.6メートルの愛宕山だが、昨日以来、延々と九十九里浜を歩き続けてきた我々にとっては富士山登山にも匹敵する難行のように思えたのだからやむを得ない。
 外川を目前にした犬若で「食事処見晴」を見付けたので、吸い込まれるように暖簾をくぐる。時刻は14時をまわっていたが、店内は地元の漁師で賑わっていた。座敷に空席を見付けて座り込むと疲れがどっと出て来た。注文を取りに来た姉さんが、御飯は今から追加で炊かないといけないので時間が掛かると言うので、各々が麺類を注文する。運ばれてきた「ラーメン」(600円)をすすっていると、柳田クンが野菜の盛られた丼を抱えながら言う。
「ラーメンなんて不健康ですよ!旅行中は野菜不足になるからタンメンを食べましょう!」
確かに旅先では偏食になりがちだ。柳田クンの言うとおり、これからは気を付けよう。
 腹ごしらえをして、30分もゆっくりしていると次第に元気が戻ってきた。海辺に立てば、遠方にかろうじて屏風ヶ浦の片鱗が確認できる。屏風ヶ浦は、高さ60メートルの断崖が延々と10キロ余りも続く海岸線のことで、かつては海底であった層の上に関東ローム層の赤土が堆積し、バームクーヘンのような模様をしている。イギリスとフランスの間にあるドーバー海峡の海岸線に似ていることから「東洋のドーバー」とも呼ばれているが、遠目に眺めるだけでは迫力が伝わって来ない。それでも、屏風ヶ浦を一応眺めたことで満足する。
 「食事処見晴」の周辺には、犬岩と千駄ヶ岩(せんがいわ)というスポットもあったので立ち寄ってみる。犬岩は、耳を立てた犬の形をした岩で、源頼朝に追われた源義経が、奥州平泉への逃避行の際に愛犬の「犬若」をこの海岸に残していったところ、残された「犬若」が義経を慕って7日7晩泣き続け、そのまま岩になってしまったという伝説が残されている。ちなみに犬吠の由来もこの「犬若」の遠吠えが聞こえたことであるとか。一方の千駄ヶ岩は、標高17.7メートル、周囲約400メートルの岩礁で、こちらも源義経が100騎の兵を率いてこの岩に立て籠ったことから名付けられている。銚子には源義経にまつわる伝説がいくつか残されているようだ。
 外川町に入ると、あちらこちらに「澪つくし」がらみの案内標識が目立つようになる。HNK連続ドラマ小説として、1985年(昭和60年)4月1日から同年10月5日までに放送された「澪つくし」は、大正時代末期から戦後までの銚子を舞台にしたドラマだったのだ。沢口靖子が主役の古川かをる役を演じ、平均視聴率44.3パーセント、最高視聴率55.3パーセントの大ヒット作だ。地元では「澪つくし」の大ヒットが町興しに一役買ったのは間違いないだろうが、番組終了後5年以上も経つ今日まで、至るところに「澪つくし」の宣伝が残っているのは少々目障りでもある。
 銚子電鉄の外川駅に近付くと、ふいに踏み切りの音が聞こえ、自然と足が早くなる。外周旅行としては、昨日の上総一ノ宮以来の鉄道との御対面だ。
 外川町の北部に位置する外川駅は木造駅舎でレトロな雰囲気を醸し出している。1923年(大正12年)7月5日の開業以来の駅舎が現在でも残されているのだ。外川駅には駅員が配置されており、観音駅で1976年(昭和51年)2月10日から販売を始めた鯛焼きの餡子が入っていた一斗缶を利用したチリトリなども販売していると聞いていた。商売熱心な駅員は度々テレビの旅番組でも取り上げられ、どんな様子なのか楽しみにしていた。
 ところが、実際の外川駅は様子がかなり異なっていた。駅員は配置されているが、商売熱心な駅員とは正反対で無愛想だ。窓口には、新旧の記念切符やオリジナルテレホンカード、キーホルダーなどが並べられているものの、話に聞いていた一斗缶を利用したチリトリは姿を消していた。その代わりに鉄道とは無関係なプチケーキキャンドルというケーキの形をしたローソクが売られている。銚子電鉄とキャンドルの繋がりは不明だ。何かを買えば駅員の愛想も良くなるのかもしれないと、犬吠までの乗車券の他に、銚子電鉄が仲野町車庫で保存しているドイツ製のデキ3機関車が印刷された入場券を購入したものの、「ありがとう」の一言もない。鈴木クンが「澪つくし」のオリジナルテレホンカードを購入しても同じだった。外川駅の商売熱心な駅員の姿はテレビ番組用の演技だったのか、それとも過去の話になってしまったのだろうか。
 次の列車まで時間があるので、荷物を駅の待合室に置いて、長崎鼻を目指す。外川の集落には聖書の言葉が至るところに掲げられており、キリスト教徒の多い集落なのであろうか。
 銚子市の最南端にある長崎鼻は、太平洋に突出しており、最も早い初日の出を拝むことができる場所として知られる。長崎町の集落を抜けて、太平洋に向かって細く伸びる岬の先端には、白い煙突のようなものが建っている。てっきり灯台かと思えば、正式には長崎鼻一ノ島照射灯と言い、長崎鼻の沖合にある一ノ島を照らすためのものだという。長崎鼻の沖合は岩礁が多いため、灯台では役に立たず、航行する船舶に岩礁の存在を知らせる必要があるのだろう。
外川駅  外川駅に戻り、ホームのベンチで列車を待っていると、茶色と赤色のツートンカラーのクラシック調の車両がやって来た。
「おおっあの電車に乗れるのか!」
柳田クンが歓声を上げる。銚子電鉄の開業は1913年(大正2年)12月28日と歴史があり、なんとなく古臭い地方鉄道のイメージが先行するが、1990年(平成2年)から観光路線へのイメージ転換を図っており、車両の塗装変更に加えて銚子、君ヶ浜、犬吠の3駅を洋風駅舎へ刷新している。
 外川から銚子電鉄に乗ったものの、2分もかからないうちに次の犬吠に到着。1990年(平成2年)12月に落成した駅舎は白を基調としたポルトガル宮殿風建築。壁面には絵タイルも貼られており、大正時代の面影を残す外川駅舎とは対照的だ。切符の収集も刊行駅らしく女性が担当していたが、年齢は少々高め。数年前までならお姉さんと呼ばれていたであろう年頃だ。もっとも、犬吠駅の周辺は昔ながらの集落が残っているため、駅舎の存在は違和感を覚える。これから次第に周辺集落も駅舎に見合った様子に変わっていくのであろう。
 犬吠駅から15分も歩くと犬吠埼灯台にたどり着く。周辺にはリゾートホテルやレストハウス、土産物屋が建ち並び、観光客の姿も多い。さすがは著名な観光地だが、我々の全員が初めての訪問となる。
 犬吠埼灯台は、立派な白亜の円形灯台で、国産煉瓦を193,000枚も積み上げて造られている。高さは31.30メートルで、煉瓦造りの灯台としては尻屋埼灯台に次ぐ日本第2位の高さを誇る。ちなみに灯台内部の螺旋階段は九十九里浜にちなんで99段になっているとか。イギリス人技師であるヘンリー・ブラントンの設計によるもので、初点灯は1874年(明治7年)11月15日。既に116年もの間、風雨に曝されながらこの地に君臨しているのだ。
 犬吠埼灯台は、犬吠埼霧信号所も併設されている有人灯台で、内部見学もできるはずなのだが、見学時間帯だというのに「業務都合のため見学できません」との札が掛かっている。近くにいた職員に尋ねると運悪く今日は灯台内部の清掃日とのこと。野島埼灯台も見学できなかったし、灯台見学には縁がない。
 遊歩道で海辺をたどれば、周辺は奇岩や怪石などの自然美に富んでいる。太平洋に突き出た地形が影響しているのであろう。太平洋の荒波が岩礁によって砕かれる様子は豪快で、風に運ばれて波しぶきが飛んでくる。九十九里浜の穏やかな太平洋とは対照的な光景だ。
 地図によれば、犬吠埼の北側に「君ヶ浜しおさい公園」が広がっていたので足を運ぶ。ところが周辺はまだ整備工事中で、完成まであと半年もかかるという。未完成の公園を地図に記すとはひどいものだ。完成後に地図を差し替える手間が惜しいのであれば、せめて完成までの間は工事中の表示が欲しいところである。
犬吠駅  犬吠駅に戻ると切符売り場では、外川駅と同様にキーホルダーなどの銚子電鉄グッズが売られている。ここでも硬券入場券を購入したほか、「銚子電鉄の旅」(200円)という小冊子も販売されていたので買い求める。次回も銚子電鉄沿線を旅することは間違いないので、役に立つ情報があるかもしれないと考えたからだ。冊子は無料で配布してもよさそうな代物とも言えないこともないが、台所事情の苦しい銚子電鉄の増収策のひとつであると理解しておく。
 犬吠駅のベンチに腰掛けると、傾き始めた夕陽が眩しい。
「今日もよく歩いたよ。一生で最もよく歩いた旅になるかもしれないな」
池田クンが初めて参加した日本外周旅行の3日間を振り返る。九十九里浜の交通事情が大きく影響しており、時刻表の空白地帯を旅するときは、事前の情報を入手する手段が限られているので、綿密なプランが立てられないのは仕方がない。
 地図とにらめっこをして、犬吠から銚子電鉄で2駅の海鹿島(あしかじま)を今回の解散地と認定するが、我々はそのまま銚子まで列車を乗り通す。銚子駅で「青春18きっぷ」に日付を入れてもらうと、駅員が怪訝な顔をする。時刻は16時を回っており、この時間から「青春18きっぷ」を使い始める人など皆無に近いのであろう。しかし、銚子から自宅最寄り駅の平塚までの距離は184.3キロ。乗車券は3,260円で学生割引を適用しても2,600円。「青春18きっぷ」1回分(2,260円)の方が経済的なのである。

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