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  浦戸湾うらどわん之図(全図)

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART    ;



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(部分図)      (雪舟像=模写)    (不動明王画像=模写)





紙本墨画屏風 昭和62年。2曲1隻 。縦67cm 横186cm 。



浦戸湾は土佐湾に面し高知市の海の玄関口である風光明媚な入江です。手前の鷲尾山(306m)に登頂して浦戸湾を観下ろし俯瞰した景観図です。薄い墨色を基調にして近から遠景に連なる島や山並みを雄大にして優美に、遠方に広大な土佐湾を細長く、山の稜線にも彫刻的な量感、山頂の樹木が大和絵を彷彿させます。 昔は手漕ぎの釣り舟も沢山浮かんでいた様で、画面にも釣舟を原寸より拡大して描写しています。
この作品から 作者が尊敬して学んだ室町時代の雪舟「天橋立図」を連想します。何処か相通じる構図で共に晩年に描いた秀作です。
鎌倉時代以後に水墨画が禅宗と伴に伝搬され雪舟を始めとして水墨画は中国風の形式が江戸時代にも狩野派を主流とする画風が現代に迄伝承されています。 雪舟は室町時代に大名大内氏の庇護の元で山口を拠点として禅や水墨画を修学して明にも渡航して、中国風な水墨画を学び戦乱の京には帰らず周防で活躍しています。当時でも高名な学僧画人として天下に周知していた様で多数の作品を残し弟子達にも水墨画を伝授して水墨画は雪舟に極まったとも云はれ、当時から現代に至るまで我が国に於ける水墨画の巨匠として現代では作品が国宝として評価認識されています。
作者は伝承されている水墨画に平安時代に確立した大和絵の線描や立体的な彫刻等の技法を修練熟達して独自の水墨画の奥義を極めた作品を創作しています。 生涯を土佐の地で学問や知識を修得し,新たなる水墨画を極め確立しています。
然し その才能は非凡、秀逸であった故に世間には涵養されず自らは孤高の辛を悦び修養し 終世高知に在住した。善き朋友先輩の知遇を得て日本美術至上の作品を残しています。 雪舟と共に水墨画至上の美を極めた画家として評価されるものと確信します。



雪舟の「慧可断臂図」を観て思いました。座禅をしている達磨大師にはもう背中で慧可を感じています。慧可か腕を切って大師に捧げたという事は、一切の己の自我を断ち切って無になったと解釈するのです。此処に初めて、師と弟子の関係が生まれて来るのです。 天才は人の中に天才性を見つけます。人は天才の芸術に感動する事によって魂を自覚するのです。

満月(理想の美)は移ろい易いものです。光源氏は女性の中に常に満月を求めています。 だから満月を過ぎると、次の満月を求めて移って行くのです。美は常に完全な姿を求めています。