紫花人形 (青柳)(第6回作品展より)

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


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今度の展覧会は、いろんな意味で私に大きな変化を与えてくれたと思います。今までの私は人を求めていました。人を求めるが故に展覧会の作品も人に解ってもらえるような作品と思って、一番解りやすい作品、例えば老婆の手を引く若い人妻(前回の「蔦紅葉」)の作品、つまり半数以上はそうした現実の姿を多く使いました。だから見る人は単に人形という形だけで、びっくり驚くようなものでした。その中にも厳しい芸の作品「歌風」「星月夜」などもありました。しかし今度の展覧会は、歌舞伎や物語の主人公といった解りやすい形となったものを全然手がけようとは思はなくなっていました。だが、いざ作品にかかるとなると気は焦(アセ)りました。正月、二月になってから、やっと身辺を落ち着けて作品を創ろうとしました。しかも春の華やかな作品をと、まず最初に現代の新しい派手な布を使って、今まで考えていた作品に取りかかりました。作品は十個ばかり出来ましたが、何かもの足りなく心の充実感がありませんでした。あまりにも周囲が芸の雰囲気にならず、一人で苦しみました。一日の中で一人になって制作出来る時間は眠る時間もない、僅か二時間だけでした。こんな中で時は、徒(イタズラ)に過ぎていくのでした。しかし時が私に知らすものがありました。それは昼間先生と一緒にいた時、春には珍しい強い風が吹き荒れていた中で、春雷を聞き、一瞬頭の中に閃(ヒラメ)きの心が春雷によって目覚めたのです。今まで創っていた作品が全て嫌になりました。私は過去に生かされているのだと、過去の夢に誘われていきました。この夜先生が題を付けてくれた「春雷」が出来ました。それからは頭の中には人形の姿が生きて駆けずり廻りました。その中の「鷺娘」の幻影が作品となり、大空に羽ばたき飛び上がろうとする踊りの姿、つまり現実から理想の大空に脱皮しようとする、私の苦しい姿が作品となりました。両手を上に、躰をくねらせて目は大地を見つめていますが、心は大空に舞っている姿です。そして人形がいつも愛の姿であるように、現在の私が夢に見る美しい過去は、懐かしい大正時代に娘時代を過ごした、風俗、人情なのです。いつも心は大正時代の人になっています。だからどうしても、大正時代の現実の私を創ってからでないと、物語が始まらず、まず女学生の「よもぎ」を創りました。それから娘と人妻で全体を統一しょうと思っていました。創っていると、不思議な神様の力を借りたような、奇跡と思へる作品が出来ました。人妻が座っていて、ふと窓辺から外を見ようと腰を上げた、その一瞬の姿です。その時は作品が出来たと直感しました。見ると私も今までに見たこともない姿で、作品の天と地がはっきり見られます。芸(夢)と現実の境が、はっきりと分かれて一つになった女性の姿でした。肩が重く引いていて、躰は軽く宙に浮いています、それを両の手でしっかりと重みを感じているようです。この姿は今までに歌舞伎でも見られなかった姿です。あまりにも美しい芸の作品となりました。この作品は私の未来像として勇気づけられました。この姿から、誰か人を待つ私の心境が嬉しくなってきました。 ヂヤックチボーが「芸は霧の中で柳を見るようなもの」と言っています。私も心の中に微かに柳を見る心地で、「青柳」と名付けられ、期せずして、先生と気持ちが一致した喜びは喩(タト)へようもありませんでした。これ以後は「青柳」を中心として順調に女性の姿を表現しました。「青柳」の前と後ろにと、娘や人妻、それも幸福を現そうとして、内に秘めた「よもぎ」「笹なき」、この「笹なき」は幸福な人妻の姿です。幸福に心を温めている、そんな細やか姿で首も埋めたいような気持ちで、首を延ばし、背丈も一杯に延ばしました。これは夢を遠くに見る姿です。花嫁も一つ、女性の安らぎの一時「針供養」、最後に大自然に還るように(何時の展覧会でも)、空と地に分け、地は深い川の淵を見ている「題名不詳」と、空に向かって飛んでいる「ひばり」、「ひばり」は遠い景色を朱色の帯で現しています。大自然に還っていく姿で終わりとなっています。下膨れをした頬、こんな処にも乙女の美しさを現しています。「紅梅」は会場に入って来る人に禮をもって迎えている姿ですが、単なるお辞儀をしているのではなく、お辞儀をしている娘(舞子の姿)を表現して物語が始まっているのです。 人形の真実(ホントウ)の良さを解ってもらえる人は少ないようです。竹久夢二なら解ってもらえそうです。「青柳」などは泣いて喜んでくれるでしょう。夢二の絵を見ていると、絵よりも心が先に走っています。でも夢二にも知らない女性の心を現した作品もあります。佐藤春夫さんにも解って貰(モラ)へるでしよう。



「青柳」の人形を創っている時、何か私の力(チカラ)以上の力が稲妻のように手先に加わるのをはっきり感じました。だから会場でも多くの人々の注目する作品となりました。この不思議な力を何と説明したらいいでしょう。私以外のもののお扶(タス)けを受けて作品が出来ていると信じています。  
     



第6回展覧会の作品題名です。

紅梅  矢車草  青麦  よもぎ  なずな  汐鳴り  青柳
笹なき 春雷  雪割草  川柳  かげろう  ゆすらうめ 
針供養  花吹雪  草萌  ひばり



上記の文章は第6回展覧会が間近に迫り、人形創作に就いて苦悩していた作者が春雷の閃光と轟音で天と地、夢と現の幻影に誘われた美しい姿の人形として創成された心境を傍らで観聴して記録したものです。

昭和43年3月19日。







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