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紫花人形 終わりの章=さすらい)

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


表紙
設立の趣旨 全作品目録 精選作品目録 紫花人形作品目録 編者








 







        


 


              











笠を被り三味線を小脇に抱いて行く「鳥追い女」(旅芸人)の姿です。人形には幼い頃から現在までの多くの想い出が語られています。作者は人生で無常観を味わい、学び得た美しい魂の存在に確たる信念を持ちました。これまで展示された人形は貴賎を問わず人間は誰もが皆仕合わせに生きて行かねばならぬという祝福の宿願を持っていました。作者は人形の伴で観客の人々に、女性は優しく健気に家族や世間に尽くす事で仕合わせだと熱い心情を語っていました。展覧会は御祝辞で始まり旅立ちで静かに終わっています。旅立ちは新たなる人生への始まりでも有ります。
作者は人徳があり優しく謙虚で丁寧な言動で立場を弁(ワキマ)えた誠実な女性でした。大正の御代に生まれ、裕福な幼少期を過し栄枯盛衰の昭和の激動の末に芸術や文学の真髄を語り、一碗の茶を戴く至福の時を尊敬できる横田熙生先生と邂逅しています。この出会いを母も兄も見届け祝福しています。
春風のように心地良く吹き抜け、後光が差す清らかな紫花人形の魂が 人々の心を揺り動かし爛漫の高揚感を与えてくれました。風に舞う散華の中で天に舞い上がり水晶玉のように輝く星と成りました。此の稀有な縁(ヨスガ)が後世への光明として人々の心の中に何時までも残影するよう祈念致します。




「能」でも、最後に舞台に下がる時が大事です。この下がる時が次の舞台の始めともなるのです。小説でも初めと終わりが大事です。大きく終わるには、自然に緩(ユル)やかに始まるものでないと、息が続きません。


「福壽草」が一番の主題になっています。作品展は久しぶりですから、人形の物語の組立は元に還っています。「白梅」で禮をして始まり、「初時雨」までが序になっています。そして「蕗の薹」から「望月」までが本題となります。もう五個並べたかったので。「十三夜」の次に昔の「月影」や「青柳」を加えたかったのです。「笹の露」で終わりですから、三味線を置いています。昔の「時雨」も同じ表現です。それから想い出の「山茶花」となり、季節の「花吹雪」で飾り、「さすらい」で終わりの旅に発つように、風のように余韻を残して終わりにしています。これが作品展の常の順序になっています。本当は三十余りで表現したいものです。人形は会場に合わせ、観る人に話かけていますから、きっと人々の心に入っていく筈です。


人生で大切な事は、相会うという事です。人と人との素晴らしい出会いだけが、人生で尊い事ではないでしょうか。物や文章は真実を伝える事が出来ますが、その瞬間に会う事の真実には何も要りません、真実が在るという事だけを大切にして下さい。


人と共に、泣き悲しむ事が出来なくてはなりません。山を観れば山となり、鳥を観れば鳥と啼く。そこには、欲望というものがありません、純粋な魂だけなのです。人のことに、泣き喜ぶ、この事を母から教えられました。その人の身になることが、出来るのです。これは魂の触れあいなのです。だから、自分と関係つけて、喜びや悲しみを共にしたいのです。この感情が「芸」なのです。一葉、鴎外、独歩の作品の中に、このような心が見られます。願いと祈りのある姿こそ、救いになると思われます。





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