編み笠を被り三味線を小脇に抱いて行く「鳥追い女」(旅芸人)の姿です。 木綿の縦縞と背面裾(スソ)の大きな皺、裾除けの襦袢(ジュバン)、背中に垂れ下がった帯に一筋の模様、前方に傾いた体の角度、丸型下駄の向きで軽ろやかに歩く足音も聴こえそうです。人生は旅です、有為転変の諸行に心休まる光明を願うものです。
人形には幼い頃から現在までの多くの想い出が語られています。作者は人生で無常観を味わい、学び得た美しい魂の存在に確たる信念を持ちました。これまで展示された人形は貴賎を問わず人間は誰もが皆仕合わせに生きて行かねばならぬという祝福の宿願を持っていました。作者は人形の側で観客に、女性は優しく健気に家族や世間に尽くす事で仕合わせだと熱い心情を語っていました。展覧会は御祝辞で始まり旅立ちで静かに終わっています。旅立ちは新たなる人生への始まりでも有ります。芝居なら幕切れの拍子木の音が響く時点です。
作者は大正の御代に生まれ、裕福な幼少期を過しています。昭和初期の華麗で文化的な華族生活を体得して聡明で高貴な女性に成人しています。戦後の栄枯盛衰、混迷の人生を経て
尊敬できる横田熙生先生と邂逅しています。芸術や文学の真髄を語り、一碗の茶を戴く至福の時を得ています。得難い巡り逢いは互いに芸術的創作気運を高め,紫花人形を披瀝して天空に光彩を打ち上げました。
春風のように心地良く吹き抜け、後光が差す清らかな紫花人形の魂が 人々の心を揺り動かし高揚感を与えてくれました。風に舞う散華の中で天に舞い上がり水晶玉のように光り輝く星と成りました。
此の稀有な縁(ヨスガ)が光り輝く光明として現今の人々の心に蘇るように祈念致します。
展覧会は紫花人形が展示公開された最終回(昭和54年1月)と成りました。
「能」でも、最後に舞台に下がる時が大事です。この下がる時が次の舞台の始めともなるのです。小説でも初めと終わりが大事です。大きく終わるには、自然に緩(ユル)やかに始まるものでないと、息が続きません。
「福壽草」が一番の主題になっています。作品展は久しぶりですから、人形の物語の組立は元に還っています。「白梅」で禮をして始まり、「初時雨」までが序になっています。そして「蕗の薹」から「望月」までが本題となります。もう五個並べたかったので。「十三夜」の次に昔の「月影」や「青柳」を加えたかったのです。「笹の露」で終わりですから、三味線を置いています。昔の「時雨」も同じ表現です。それから想い出の「山茶花」となり、季節の「花吹雪」で飾り、「さすらい」で終わりの旅に発つように、風のように余韻を残して終わりにしています。これが作品展の常の順序になっています。本当は三十余りで表現したいものです。人形は会場に合わせ、観る人に話かけていますから、きっと人々の心に入っていく筈です。
昭和38年頃新聞で空に光る星の記事を読んで、徳島県池田の人が光り輝く星を頼って、私が門口に立っていると思って来たそうです。私を観て、この人は必ず世に出て人々を救う水晶体のように光を放ち、この光が物体に当たり次々に世の中を照らしていく人です。横田煕生先生も私を助ける為に生まれてきたようなものです。県知事のような役目を持っているそうす。私を知っているだけでも多くの人が救われていくと言って大満足していました。
人生で大切な事は、相会うという事です。人と人との素晴らしい出会いだけが、人生で尊い事ではないでしょうか。物や文章は真実を伝える事が出来ますが、その瞬間に会う事の真実には何も要りません、真実が在るという事だけを大切にして下さい。
人と共に、泣き悲しむ事が出来なくてはなりません。山を観れば山となり、鳥を観れば鳥と啼く。そこには、欲望というものがありません、純粋な魂だけなのです。人のことに、泣き喜ぶ、この事を母から教えられました。その人の身になることが、出来るのです。これは魂の触れあいなのです。だから、自分と関係つけて、喜びや悲しみを共にしたいのです。この感情が「芸」なのです。一葉、鴎外、独歩の作品の中に、このような心が観られます。願いと祈りのある姿こそ、救いになると思われます。
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