冬景色の中に凛と咲く寒牡丹のような、悲しくも美しい花魁(オイラン)の姿で表現しています。 胸の前に垂らした黒い前帯と紅赤の流水文様の内掛けは錦秋の紅葉を連想します。
流水に流れる紅葉に人生の諸々(モロモロ)の哀れで儚い運命が時と共に流れていく悲哀を感じます。高下駄で背を伸ばし、どんな苦悩も懐深く包み込んでいる気高い品格を持つ女性を花魁の姿で具現しています。
女性が娘にも人妻にも遊女にも成る多様性は源氏物語にも描かれています。現在でも同様の女心の生き様を人形に表現していると作者は語っていました。 光源氏とは理想を求めた彼方此方に密(理想の女性)を求めて飛び回る蝶の様な男性像でも有るのです。ある人が「貴方は総理大臣や外交官、
貧乏な乞食の奥さんにも成れますね」と云われて満足したそうです。
人形は作者の感情を多様な女性像として表現しています。或時は幼子に、町娘に、人妻に、老婆で様々な人物像として表現しています。殊に舞子や芸者が必ず創作される事情(ワケ)は女性としての感情が技芸を通して判然と着物や仕草が美しく表現されるからだと思います。技芸は職業としても成り立ちますが、人間として必修の倫理道徳感も修養する事だと思います。舞子や芸者の華やかな表情に美しく運命の悲哀を表現しています。
歌舞伎の舞台で観る人間の寸法、これが観客が観る一杯の寸法であると思います。この大きさの舞台だからこそ人間が大きく演ずるという事が出来るのだと思います。
人形の寸法も 人が手近に寄って観る視野一杯の寸法、これが掌の大きさ詰まり三寸の人形の寸法になっています。
大自然を観ていて、 ふと頭の中に自分の過去から未来への想い出が目の前いっぱいに浮かんできます。そこには、いっぱいの夢が自分の手を伸ばした掌の中に観えます。この掌の上に観える「夢の姿」これが人形の寸法です。
この寸法で観れば大自然も人形と同じ大きさになります。この寸法より大きくなれば掌には乗りません。大自然を掌に乗る人形に集約したものです。これが人形の芸となっている秘密です。
人形はどんな男性にも必要な女性像を表現しています。男性は常に争いをし、欲望を出します。そのような男性の荒々しい心を静める為に女性が必要になります。ある時は遊女になったり、貴婦人にもなるのです。
私が着ているこの着物が百年、帯が百二十年も昔の物です。母や祖先から護られて此処(展覧会場)に居るつもりです。
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