若い女性の一途な情熱を歌舞伎「八百屋お七」の町娘で表現しています。若さが持つ純粋で大胆で一途な行動の中にも真実があります。その行動が例え世間には許されない事であっても悔いのない人生であるでしょう。麻の葉模様の垂れ下がった長帯、鹿の子模様の赤い着物、真っ赤な襦袢、全てが赤色で燃える情熱を見事に表現しています。神の使いである小鹿の背中に似た斑点の模様が鹿の子模様です、若い娘が神の威光を放った情熱の姿とした心意気に可愛さと哀しい運命の末路に泣かされます。
人形は顔や手の表情というものには特に拘(コダワ)ったものがありません、着物の袖先から手先を観せていません。女性の小さな手は可愛いもので意識して隠している様です。作者は手は、侍(はべ)った姿で矢手(右手)が目立たないよう気遣いすろ事だと言っていました。手先より全身の仕草や衣装に喜怒哀楽が表現されています。
女性の身繕(ツクロ)いとは、頭髪を整え着物を着換え顔に口紅を差す事で気持ちの高揚が有ったそうです。額は知的聡明な淑女貴婦人の象徴です。額を隠す内向的、消極的な表情を成人(男女)は控えたいものです。頭髪で額を隠すのは幼児です。
仏像では額に白毫とか仏眼が在り、額は悟りを開く窓のようです。
作者の父は或日数人の仲間と近くの鏡川で舟を出し魚を釣っていると川の上に犬を連れた大きな坊主頭の男が歩いて居るのを観たそうです。皆が腰を抜かすくらいに驚き,直ぐ帰り酒を浴びるように飲んだそうです。数日後に仕事の祝い酒が料亭で一週間ほど続き病で倒れました。亡くなる迄の数日は、大広間に寝かされ
何十人の見舞客が来て昼夜無言で見護る状況で、大勢の客に食事も運ばれていた様です。一日に何度もお医者さんが住診に来る容態でした。通う人力車の為に道路には筵(ムシロ)が並べてあったそうです。こんな光景は映画や芝居でも観たことが無いと話してくれました。亡き後には母は音曲を絶ったそうです。商売柄残務整理が暫く続いたようです。
後に郊外の広い屋敷に転居しましたが其処でも引っ越しの荷物が沢山在り、寝る場所さえ無い位の家財が在ったそうです。
家屋は商家(2000坪)で半分が店(材木商、屋号は「カネ久」)で、半分が住居で広い庭には樹木が多く植えられていました.
人形は風を言葉にしたようなものです。 踊りの姿を表現する事は難しいものです。生から動へ移りゆく姿を描かなければなりません。それから、再び生へ戻るような動きを表現しなくてはなりません。
私も娘の頃より国を憂える気持ちがありました。何か国の為に、天皇陛下の為にというものがありました。思えば母もそうでした。女性ですから主人の為、家の為という事でした。このように何かの為に尽くす喜びという事が一つの生き甲斐になっていました。現代では古臭いように言われますが、こうした生き甲斐がなくなった事が残念です。
人形の中に手が侍(ハベ)っていなければなりません。小さく駒鳥のように、人形の首を操作しているという感じになる時、人形は生まれてきます。
男女の出会いは神から許されています。何時でも尊敬の念を忘れてはいけないものです。寸刻も自分(自我)を出すと、現実的になり破綻します。
魂の世界と現実とは、余りにも違っています。魂の世界は常人では計り知れないものです。男女の世界が美化されず、そのままの姿が美しいのです。
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