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  紫花人形 本題の章=十三夜) 


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


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第一回の紫花人形展覧会で、俥(人力車)の横に佇(タタズ)む人形が在りました。 初めと終わりの作品展で樋口一葉の小説「十三夜」の主人公の姿を表現しています。十三夜の秋は何か哀れが有ります。夜空は明るいですが、足元は暗く寂しい処も在ります。提灯を提げて足元を照らしても歩く心境は不安なもので、微(カス)かな光明に辿(タド)り着きたい一心です。傍目(ハタメ)には仕合わせそうでも誰もが何かの憂き事を秘め抱えているものです。
作者には家族の運命を一身に負い生きなければならない厳しい現実と真実の魂を求め苦悩する境遇が在りました。 一葉の家に多くの文人が集まっていた様に作者の家にも様々な人が来客し、絶える事はなかったのです。穏やかで優しく応対していました。 そんな一葉と似た運命があった事を想うと心が痛みます。一葉の一句一語の文章が悄然と生きる慰めと成っていた様です。父を亡くしてから戦前迄は大正時代の名残りある上品で優雅な生活で「遊ばせ言葉」が日常でした。戦後の荒廃と零落で不遜な人とも付き合い悲しい思いをしています。その困窮した時に横田熙生先生と邂逅して魂は救済されました。以後は多難な生活を魂一つで凌ぎながら有終の美を為しえた人生でした。如何なる辛苦にも耐え締観した光明ある人徳の姿を傍で心苦しく拝察しました。





後ろの肩の処に力を入れています。「十三夜」の調子をとる為に「望月」を出しています。この作品は私の内にある女心です。


「ものの哀れ」とは、十五夜(満月)を知る事だと思います。十五夜を知っているからこそ、 月のない暗い夜も、三日月の僅かな月も楽しく味わい深いものと出来るのです。人は月の欠けたのを残念がって愚痴ばかり言ってすます。ものの哀れとは、満月を知る故に耐え得る心なのです。又憂える心なのです。


森鴎外の小説「雁」の巻末で雁を食べるという事は、運命を飲み込むという事です。どうしようもない於玉の運命を 雁に譬えています。逃がしたいと願って投げた石が不幸にも当たる、この事は運命の石が当たってしまった悲劇です。人生にはどうしようもならない悲劇があります。世の中には常に山椒大夫が居て人間を苦しめるという事です。



悲しみの中に耐えていく姿が文学になるのです、悲しみを慰めてくれるのが文学です。このような生活の中で作品(人形)が創られているのです