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  紫花人形  本題の章=野火)


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


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前の「かたばび」の静から動に一転して「京鹿子娘道成寺」の白拍子が胸に付けた鼓を打ちながら激しく踊る姿へと激しく進展します。白い生地に火焔太鼓の模様に鬼気迫(セマ)るものが有ります。舞台で白拍子が何度も衣装を変える様に、夫々違った女性の感情を多面的に表現しています。演じる事が難しい背を向けて反る一瞬の所作を人形に捉(トラ)えている事に感服します。舞台の幕切れで自拍子が男性の煩悩を象徴した大鐘に上がり、烏帽子を脱ぎ蛇体の本性を現しての「鐘に恨みは数々ござる」の見得を切る仕草に女性の強い情念と愛惜を感じます。
昭和初期は演劇の名優が揃った時代でした。作者は当時観た歌舞伎や能の舞台衣装や所作を詳細的正確に記憶して人形を創作しています。 「道成寺」「藤娘」「勧進帳」「鏡獅子」「猩々」「弱法師」「石橋」等が在りました。また歌舞伎舞台では目立たぬ黒衣(クロゴ=舞台上で役者を支える後見の役者)も作品としています。展覧会の主役である横田熙生先生に対して作者は黒衣のような存在である事の心遣いに自尊心と使命感を持っていました。
文学や芸能の感覚に自然の風情や人との惜別の感情を追慕する「ものの哀れ」の無常感が有ります。 人形は日本女性の哀愁の感情を発露して提示したものでした。






歌舞伎の舞台で観る人間の寸法、これが観客が観る一杯の寸法であるように思うのです。 この大きさの舞台だからこそ、人間が大きく演ずる事が出来るのだと思います。 これが美の寸法でると思います。こんな芸を観る事が好きでしたから、人形の寸法も、 人が手近に寄って観る視野一杯の寸法となっています。掌の大きさになる三寸が、人形の寸法となっています。



西洋のダンスは音を形として表現しています。踊っている人自身が楽しむ為のもので、内から外へと遠心的に体いっぱいに表現して踊ります。日本の踊りは女性が女の運命を感じ、男性に捧げる為に見せるものですから、外から内へと求心的に踊り、無常観を表現しています。動作も躰を単純に纏めるように、動きを押さえるようにして舞っています。この人形は、激しく燃え盛る炎のような情念の表現です。鐘を伏せておいて上に釣り上げたような形になっていますから、そのような気持ち出で観てほしいようです。大空に羽ばたき飛び上がろうとする踊りの姿、つまり現実から理想の大空に脱皮しようとする、私の苦しい姿が作品となりました。両手を上に、躰をくねらせて、心は大空に舞っている姿です。そして人形がいつも愛の姿であるように、現在の私が夢に見る美しい過去は、懐かしい大正時代に娘時代を過ごした、風俗、人情なのです。いつも心は大正時代の人になっています。



「伊豆の踊り子」で高校生が帽子を鳥撃ち帽子に変えて、踊り子の一行に加わって行くあの気持ち、皆と同じ平等の次元に自分を置いて親しくなって行きたいと願う純粋な気持ちに感動しました。私も他人が木綿の着物を着ていると、私も木綿の着物を着たいと何時も思っていました。