巻頭文
横田熙生先生は高知の城下町で幼少期を暮らしています。当時は江戸時代の風物習慣が日常だったそうです。青年期には大阪で苦学し、成人して現役召集兵としてシベリア出兵で極寒のロシアに衛生兵として従軍しています。除隊後に大正時代の東京でも勉学しています。東京は江戸や明治の風物が混在した活況ある都会でした。関東大地震の激変を体感し帰郷しました。昭和の社会変革でも芸術的思考を堅持し、
教育者と作家の境涯を自覚探明し知己朋友の知遇を得て美術的至上の作品を創作し、泰然自適の生涯を成していました。
中平美津子先生は大正の御代(ミヨ)に高知の商家で恵まれた幼少期を過ごしています。茶、琴、仕舞等の諸芸に長(タ)け文学、詩歌、美術にも感得していました。
女学校を終え鎌倉の親戚に迎えられ昭和初年の優雅な華族生活の一端を味わっています。 優れた感性で創作した紫花人形は 独自の文芸的作品で夜空に咲いた
花火のように天空に輝き、人々の記憶に無量の感慨を与へてくれました。上品で人徳があり優しい高貴な女性でした。
開示している作品は作者の生涯に於いて制作された作品の断片です。画像は編者が撮影したものです。全ての作品が経年に因る変貌が観られます。彫刻、陶器は材質が堅牢ですから、優美さを醸(カモ)して風格ある作品と成っています。絵画は和紙を使っていますから、全面の表装に風化現象が
表面化しています。人形も展覧会が終了すると、風に吹かれた様に何処かに消え去っています。
黄色の文字は先生方の真摯で実直な会話を傍で観聴した言葉の一端を編者が即日記録した文章を今度編纂したものです。 白色の文字は作品を解する一助として編者が記述したもので充分に作品の真意を尽くていません。何方にも相談や助言を願っていません。御賢察戴き、ご理解の程宜しくお願い致します。
文章で先生方を畏敬して作者と呼称し、中平美津子先生ご家族の尊称を略しました。
編者 拝
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