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  村上俊江像 むらかみとしえぞう

KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART    ;



表紙
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( 大嶋光次 像)


銅造。 昭和50年。 1個。 高80cm 。







肖像彫刻の難しさは如何にその人物の優れた品格を象徴的に表現するかに尽きると作者は語って特いました。像から意思の強い明治生まれの風格ある毅然とした教育者としての品威を感じます。もし着衣が背広でなく僧衣であったら像は高僧の風格を持つ肖像としても連想される作品でしょう。 斯様に我が国では古代から仏教芸術の範疇として肖像彫刻が多数制作さす。特に鎌倉時代以降にも人物を象徴的に表現した像が伝承され現存してい事を認識したいものです。

村上俊江氏は 山口県出身の教育者で 大正11年新設の高知県立城北中学校長に就任、「剛健醇美」 の校風を樹立しました。此の学校は開校後数年で他校に統合され消滅しました。その哀しく短い校史を愛しむ校友が開校50周年に記念碑と村上俊江校長の胸像を母校の校庭に再建したものが此の像です。 奇しくも城北中学で村上俊江校長と伴に勤めた大嶋光次教頭も後年土佐中高校長として赴任、功績を称えられ胸像として作者が昭和34年に制作して同校の校庭に設置されています。 編者は両胸像の除幕式に参列した事を懐かしく想い出します。







彫刻でも形を整える事は誰にでもできます。だが彫刻に人間の立派さを表現する事は難しい事です。そこには作者の哲学性が求められます。


人間の顔。どのたくさんの顔も神の単一的な設計である。それでいて、顔のもつ感じは千差万別、複雑微妙をきわめている。一人として同じ者はない。またその一人の顔が、 これがなんと心の願う動きにつれ無限の変化を見せる。顔は魔か不思議な生きものである。 この魔性の奥にひそむ一つの自然の深さが彫刻家にとってとてもおもしろい。したがって初心から生涯をかけて人の顔に深い関心をもつものである。

ロダンの老婆(彫刻)を観て、老婆の今までの人生(揺り籠から現在まで)の無情を観る事です。