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私と単車     2024.12.28 更新 

hd-w2 これは語り始めれば、夜が明ける。

 単車は、学生時代、信州で乗り始めました。

 風光明媚な地で、しかも交通量がここ神奈川とは全く違った環境だったのです。

 学生という身分も多くの自由をもたらされていました。

 ときに、私はYAMAHA MATE、学友はYAMAHA ミニトレで中央アルプスを越えました。

 HONDA HAWK U、GL WINGで、上高地、霧が峰、美ヶ原、乗鞍、木曽路、伊那路、高遠、八ヶ岳、20号線のクルージングを楽しみました。

 松本で、夕日に輝く常念岳を見ながら、刈り取りの終わった田んぼ道で、もずの声を聞いていると、W1の迫力あるエギゾーストノートが走り抜けてゆく。

 そんな「音」が耳を離れません。

 まだ若く、怖いもの知らずだった当時、父の勤務の関係で実家が神戸だったので、高速道路で帰省すると、平日、六甲山では「辻斬り」をやっていました。

 観光道路だった六甲山は、週末は渋滞しますが、平日は空いていました。

 適当な場所で、下から駆け上がってくる単車の音を聴いて待つ。

 エンジンブレーキの音で、腕のいいやつは分かるものです。

 こけたら救急車が来るまで2時間半はかかる、信州の高原道路で鍛えた腕を試します。わっはっは!

 競い合った後、信号停止で話しかけると実は丸山サーキットのツワモノだったりしたこともありました。

 「腕」を讃え合ったりしました。
 
 関東へ帰って来てからは「大垂水峠」へ。

 しかし、「大垂水」は交通の要衝で、生活道路であることに気付き、峠のトンビはやめました。

 もうワインディングは楽しめないと考え、オフロード車XL250Rに乗り替えました。

 砂っぱまをぶっ飛ばす茅ヶ崎。無限のワインディング・・・(後の手入れが大変だった(^^ゞ)相模湾に浮かぶ江ノ島。

 たまに交通量の少ない千葉へ行きましたが、しかし、それでも信州とは環境が違い過ぎました。

 結婚して、家内にも危険性を指摘され、維持できなくなり、愛車を処分しました。

 それで、おもちゃがコンピューターにとって変わったのです。


ある単車乗りの話
自称飲んだくれハーレーおやじ

みちのく旧車ミーティング 関東支部 中島



 ハレーおやじのバイク遍歴

親父の独り言

私が引き継いだバイクは、それなりに調子がいまひとつのものが多いので素人なりにイジリますが所詮素人では限界が。

そんな時に先生方に恵まれ助けていただきました。
感謝しております。


CB77、C95、W3です。







C95はボロボロ状態。

神奈川県内、テッツスペシャル店主の神の手で蘇りました。

次世代へ引き継げます。

特にキャブレターに問題有りのバイクが多かったと記憶してます。

以前に所有したW1Sは、キャブレターを10回くらいバラして始動調整の度、あの排気音の中、ご近所迷惑をおかけしてやっと本調子ということもありました。


神の手は将に神の技を持ち、すべての神々は決して偉ぶらず、素晴らしい尊敬できる先生方だったとハーレーおやじは泣くのでした。



このW3も先日、W1博士と称される先生の外科手術で元気を取り戻しました。



W3は見掛け倒しでボロボロ状態に見えた。

このバイクもきちんと次世代へ引き継ぐ為に入院中でした。



BMW.R69Sです。

調子悪く、群馬の先生の手でやっと蘇りました。

翌年、先生は高齢で他界。
ご冥福をお祈りします。

気がつけば次世代へ引き継ぐ年代です。

いい加減な気持ちてはありません。

何故なら先輩方から引き継いだのだから。





メグロS8、特攻帰りの叔父さんからの依頼で入手後、辻堂の大先生の手で蘇りました
しかし叔父さんは、その前に他界。









DT1F250.2サイクルトレール車。

2スト程度良し車はつぶれ多数で稀少。

長野のコレクターから入手したが調子が出たところで請われて泣く泣く次世代へ惜譲。




HONDAXLRBAJA















我はリターンライダー!

 2004年夏も、みちのく旧車ミーティングみちのく旧車ミーティングシンボルマークに参加させてもらいました。

 このサイトでは、特設!みちのくツーリング実況中継を入れました。

 みちのくの旧車写真

 2006年1月には17年ぶりに単車を購入。リターンライダーとなりました。

 愛車はHONDA XLR BAJA

 右上の写真は、浅間ミーティングにハーレーサイドカーで参加した時の写真。

 ノートPC・PHSをナビゲーター代わりに使用しました。

 私が単車を語るについては、何人かのキャラクターが存在します。

自称 のんだくれハーレーおやじ


BMWおじさん

ケンタウロス

SR500おじさん



<私の出会ったハーレーダビッドソン>


<2004年6月22日(火)快晴>

−雑感−ハーレーパワートレイン


 今、俺んちの前のコンビニに、珍しくハーレーが停まっていた。

 俺はその「馬」を見つめる。

 なんとブラシのかかったきれいな馬か。

 やがて、野郎が近づいてくる。

 ・・・彼の「馬」だった。彼は「もうこれは降りられない」と言う。そうであろう。

 俺は、齢のせいか、涙目となった。

 そのエグゾーストノートに涙しながら帰宅し、女房が怪訝な顔をした。

 なぜ涙が出たか、私にも分からない。


  ハーレーよ永遠なれ!

 それ以来、そのハーレーには出会っていない。

カスタムハーレー
 <横須賀で見かけたハーレー> 20040825

 このカスタムは、素晴らしいと思った。

 排気音を聞きたかったが、オーナーは現れなかった。

 ハーレーの基本は、アメリカ大陸の一本道をどこまでも走ることにあるという。

 町乗りでは使うものじゃないという。

 いつかは、私も地平線を追いたい、夕日をハーレーで追いたいと考えている。


どぶ板ハーレー <横浜で見かけたハーレー> 200608

 排気音を聞こうと、待っていたがついにオーナーは姿を現さなかった。


 米海軍基地の連中にもハーレー乗りがいる。

 しかし、がたいがでかいので、ハーレーが小さく見えてしまう。

 日本でも教習所で大型二輪免許が取れるようになって、ハーレー乗りが増えましたね。

 日本人の方がかっこう良い場合が多いです。





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