私と単車 2014.09.30 更新
これは語り始めれば、夜が明けるかも。
単車は、信州で乗り始めました。
風光明媚な地で、しかも交通量がここ神奈川とは全く違った環境だったのです。
学生という身分も多くの自由をもたらされていました。
ときに、私はYAMAHA MATE、学友はYAMAHA ミニトレで中央アルプスを越えました。
HONDA HAWK U、GL WINGで、上高地、霧が峰、美ヶ原、乗鞍、木曽路、伊那路、高遠、八ヶ岳、20号線のクルージングを楽しみました。
松本で、夕日に輝く常念岳を見ながら、刈り取りの終わった田んぼ道で、もずの声を聞いていると、W1の迫力あるエギゾーストノートが走り抜けてゆく。
そんな「音」が耳を離れません。
まだ若く、怖いもの知らずだった当時、父の勤務の関係で実家が神戸だったので、高速道路で帰省すると、平日、六甲山では「辻斬り」をやっていました。
観光道路だった六甲山は、週末は渋滞、平日が空いています。
適当な場所で、下から駆け上がってくる単車の音を聞いて待つ。
エンジンブレーキの音で、腕のいいやつは分かるものです。
こけたら救急車が来るまで2時間半はかかる、信州の高原道路で鍛えた腕を試します。
競い合った後、信号停止で話しかけると実は丸山サーキットのツワモノだったりしたこともありました。
「腕」を讃え合ったりしました。
関東へ帰って来てからは「大垂水峠」へ。
しかし、「大垂水」は交通の要衝で、生活道路であることに気付き、峠のトンビはやめました。
もうワインディングは楽しめないと考え、オフロード車XL250Rに乗り替えました。
砂っぱまをぶっ飛ばす茅ヶ崎。無限のワインディング・・・(後の手入れが大変だった(^^ゞ)相模湾に浮かぶ江ノ島。
たまに交通量の少ない千葉へ行きましたが、しかし、それでも信州とは環境が違い過ぎました。
結婚して、家内にも危険性を指摘され、維持できなくなり、処分しました。
それで、おもちゃがコンピューターにとって変わったのです。
<リターンライダー>
2004年夏も、みちのく旧車ミーティングに参加させてもらいました。
このサイトでは、特設!みちのくツーリング実況中継を入れました。
みちのくの旧車写真。
2006年1月には17年ぶりに単車を購入。リターンライダーとなりました。
愛車はHONDA XLR BAJA
右上の写真は、浅間ミーティングにハーレーサイドカーで参加した時の写真。
ノートPC・PHSをナビゲーター代わりに使用しました。
私が単車を語るについては、何人かのキャラクターが存在します。
<自称 のんだくれハーレーおやじ>
<BMWおじさん>
<ケンタウロス>
<SR500おじさん>
<私の出会ったハーレーダビッドソン>
<2004年6月22日(火)快晴>
−雑感−
今、俺んちの前のコンビニに、珍しくハーレーが停まっていた。
俺はその「馬」を見つめる。
なんとブラシのかかったきれいな馬か。
やがて、野郎が近づいてくる。
・・・彼の「馬」だった。彼は「もうこれは降りられない」と言う。そうであろう。
俺は、齢のせいか、涙目となった。
そのエグゾーストノートに涙しながら帰宅し、女房が怪訝な顔をした。
なぜ涙が出たか、私にも分からない。
それ以来、そのハーレーには出会っていない。
<横須賀で見かけたハーレー> 20040825
このカスタムは、素晴らしいと思った。
排気音を聞きたかったが、オーナーは現れなかった。
ハーレーの基本は、アメリカ大陸の一本道をどこまでも走ることにあるという。
町乗りでは使うものじゃないという。
いつかは、私も地平線を追いたい、夕日をハーレーで追いたいと考えている。
<横浜で見かけたハーレー> 200608
排気音を聞こうと、待っていたがついにオーナーは姿を現さなかった。
米海軍基地の連中にもハーレー乗りがいる。
しかし、がたいがでかいので、ハーレーが小さく見えてしまう。
日本でも教習所で大型二輪免許が取れるようになって、ハーレー乗りが増えましたね。
日本人の方がかっこう良い場合が多いです。