「これから論文を書く若者のために」
出版後の進行状況

若手研究者のお経
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3/31(木)の進歩  三月は存在したのか?
戦後最悪の三月が終わる。なんという日々だったのか。「三月が存在した」という意識を持てない。空白の日々である。
 明日から、戦後最悪の四月が始まるのか。本来ならば、植物が動き出す楽しい日々なのだが。
若生さんの卒業研究について考えて過ごした。どういう方向に進めていくか。考えている内に、話がどんどん違う方向に進んで行ってしまう。ま、研究 とはそういうものだけど。
夜は逃避をした。震災のことを忘れたいと、録画しておいた番組を見て過ごした。
3/30(水)の進歩  東北大学は復興に向けて動き出している
研究室に来た。親切にも牧が、車で送迎してくれたのだ。ガソリン入手が困難な状況が続いているのに申し訳ない。
 以下、車中で聞いた話である。昨日、復興に向けての理学部の説明会があった。東北大学は再起不能(そんなことはない。事実無根である)などという風評が 出ていて、それに対処して欲しいという話も出たそうだ。たとえば、WHO のウェブページの地図では、福島第一原子力発電所の位置が仙 台市になっていたそうである(修正済みらしい)。たしかに、西日本在住の方の中には、仙台の位置を正しく指し示せない方もあられようが、そういう問題では ないだろう。仙台に降り立った WHO 救援隊が、「福島第一原子力発電所はどこですか?」と聞いても、道は教えて貰えないと思うぞ。
津波で被災した自動車は、宮城県登録の車両だけで 14,6000 台に上るらしい(河北新報よ り)。登録台数の 1 割だそうだ。「推計は津波で浸水した地域の世帯数に県内の1世帯あたりの保有割合を乗じ、浸水地域の登録営業車両の台数を加えて算出した」値とのことであ る。さりげなく、もっと恐ろしいことが読み取れる。これはつまり、宮城県の世帯の 1 割前後が浸水したということなのではないか。
私のパソコンは無事、ネットにも繋がる。せっかくなので、文献検索をして過ごした。文献を自宅に持ち帰って読むことにしよう。今週はもう研究室に は来ないつもりである。
 研究室の水道も復旧した。あとはガスか。
3/29(火)の進歩  J リーグ選抜対日本代表
とうとう試合の日となった。震災を支援する慈善試合である、J リーグ選抜対日本代表の日だ。このところ、この試合だけが唯一の楽しみだった。日本中の人々も同じ思いであったことだろう。いま、サッカーが日本を一つに する。復興に向けての大きな力を与えてくれる。
 私はもちろん、J リーグ選抜を応援する。ベガルタ仙台の梁・関口が選ばれているし、ユニフォームは仙台のものそっくりだ。J リーグが一丸となって、我がクラブを支えてくれている ………。観客席からは、「ベガルタ仙台  Go!  行くぞ仙台 俺たちと共に  ready go!」という歌声が聞こえてきた。我がクラブの歌を、他クラブのサポが歌って下さっているのだ。後半開始時にはカントリーロードの歌声が響いた。これも 我がクラブの歌。選手入場のときに、マフラーを掲げながら歌う曲である。も、涙が流れそうになった。
 試合が始まった。梁が先発していた。しかし、日本代表の華麗なパス回しの前に守勢が続いた。そして遠藤の美しい FK で日本代表が先制。日本代表の得点に沈黙したのは産まれて初めてである。岡崎にも決められて、前半なかばに 0-2 となってしまった。後半 15 分頃、J リーグ選抜が一挙に数人の選手交代をした。キング=カズと共に関口も投入された。その関口が惜しいシュートを外し、「決めろよっ」と懐かしがった (<-- 仙台での試合での、数々の外した場面を思い出している)。そしてカズ。ほんとうに、見事にゴールを決めてしまった。これぞカズ。日本人がそれを欲している ときに、ちゃんとやってくれるのだから。なんだか、復興への力を見た気がした。
 観客席のサポが、たくさんのメッセージを送ってくれていた。「One for all All for 東北」。私たちは、この試合のことを決して忘れない。今日が、復興への出発の日となった。
仙台市指定のごみ袋がなくなった。近所のスーパー・コンビニに行くも、どちらも在庫切れであった。やむなく、中山のイオンに行くことにした。デイ パック(*)をしょって、バスに乗って 10 分。ところがイオンにも、仙台市指定のものがなかった。でも、普通の透明のビニール袋があり、「仙台市のごみ袋として使えます」と注意書きされていた。震 災時の特別処置なのだろう。帰りは、デイパックにビニール袋を入れて自宅まで歩いた。ごみ袋を買うのも一苦労であった。あらためて、被災の街だなと思っ た。

*始めは「Tバック」と書いていた。なんかおかしいと思い検索してみた。そして間違いに気づいた。危うかった。「Tバックをしょってバスに乗る」なんて相 当である。

3/28(月)の進歩  江戸時代から続く老舗鰻屋
福島第一原発の状況に暗くなるばかりである。「放射性物質が漏れた」「半減期がどうの」「ヨウ素がほとんど消えるまでの時間は」などなど。 被災直後までは存在していた、福島第一原子力発電所のウェブページも消えてしまった。「所長からのメッセージ」とか、明るく希望に満ち満ちていたページ だったのに。一日も早く事態が改善することを祈るばかりである。
 気分を変えたくなって、今も東京に残る老舗を紹介した番組を見た。その中に、江戸時代から続く老舗鰻屋があった。江戸時代から受け継がれてきたタレを、 減っては継ぎ足し減っては継ぎ足して、創業以来ずっと使っているのだという。これぞ老舗の歴史だ。そこで、鰻のタレの半減期を計算してみた。ある日に継ぎ足したタレのうち、 t 日後に残っている割合は、

t 日後に残っている割合 = exp[- rt]
r; 1 日あたりの減少率

となる。したがって、

鰻のタレの半減期 = Log[2]/r = 0.693/r

である。毎日 1% のタレが入れ替わるとしよう。この場合、半減期は 69.31 日。ほとんど消失するまでの日数(元の量の 0.1 % になる日とする)は 690.78 日であった。2 年ほどか。余 計な計算をしてしまったぜ。江戸時代から続くタレと素直に受け入れるべきであったか。
久しぶりに研究室に出て来た。街までバス、街から歩きで、2 時間もかかってしまった。今日は、居室の片付けをするのみである。先日少しは片付けたので、残りを一挙にやってしまおう。そう決意し、ばさばさと取りか かった。落っこちているものは捨てる、じゃなくて、不要な物はどんどん捨てる。この機会に、物を減らすことも目指した。おかげで、どうにか元の状態に復旧 できた。

復元あいなった私の机

本棚。とりあえず詰め込んだ。
3/27(日)の進歩  八重洲ブックセンターの理工書一位に
100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』 が、八重洲ブックセンターの理工書売り上げの第一位に 輝いていた。大学生協でも、理 工書売り上げの第三位に入ってきている。八重洲ブックセンターではパネル販売を行った(行っている?)とか。お買い上げ、誠にありがとうございま す。
不思議なものだ。風呂に入れなかった昨日までは、数日身体を洗わなくともさして気にならなかったのに。今日はもう身体を洗いたくなっている。昨日 入浴したというのに。
手紙を出そうと近所の郵便ポストに行った。ところが、投函口が封印されていて、「窓口が開いている時間に郵便局へ持参して下さい」という旨の張り 紙があった。集配バイクのガソリンがないのか?  そういえば郵便配達は自転車でやっているようだ。
ちょっとだけ庭仕事をした。西洋芝に肥料を蒔いたのだ。早く緑になれ。希望の緑となれ。
3/26(土)の進歩  bk1 で 2 位に
100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』 が、bk1 の本の売り上げの 2 位に上がった。あらゆるジャンルの本の中での 2 位である。すごい。
うまくいけば今日、ガスが復旧する。朝から、わくわくしながらガス局の方の来訪を待った。戸別訪問してガス漏れがないかどうかを確認、その後に開 栓するらしい。14 時頃、お向かいさんの並びにガス局の 2 人組が来訪しているのが見えた。我が家にも来るのか!  ところが、2 軒訪問後、どこかへ行ってしまった。この方々とは別の 2 人組が歩いてきたので、祈るように見つめた。しかし我が家の前を素通りしてしまった。あんの散歩がてら、近所の様子を探ってみた。その結果、8 人ほど(2 人組が 4 つ)のガス局員が徘徊していることがわかった。自宅に戻って居間の窓際に立ち、ガス局員の動向を伺った。我が家の前を通るものの、みな素通りしてしまう。 我が家は今日の作業範囲に入っていないのであろうか。ところが 18 時前、ガス局員がついに来訪した。大阪ガス局から応援に駆けつけて下さっている方達である。「トイレをお借りしていいですか?」と言うのであったが、ガスの開栓もして下さっ た。神様に見えた。
 我が家は本当に、今日の予定に入っていたのか?  もしかしたら、「窓 辺に立って、じっとこっちを見続けている人がいる。今日やらないとまずいかも」となったのかもしれない。
 さっそく入浴をした。実に 17 日ぶりである。その間に水行は 2 回したが。冷水で心を清めるよりも、熱い湯で寛ぐ方がはるかにいいな。
モデルの再計算がやっと終わった。結果が変わらないことを確認できた。その勢いで、改訂した論文を American Naturalist に返送した。うまくいきますように。
論文返送とガス復旧の祝杯を上げた。風呂上がりのビールは 20 日ぶりくらいか。
3/25(金)の進歩  アマゾンで 499 位に
100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』 が、アマゾンの売り上げ 499 位に入っていた。これはすごい数字だ。bk1 では 4 位を保っているし。お買い上げ、誠にありがとうございます。

昨日中山まで歩いたとき、ラーメンにら壱が営業していることに気づいた。偉い。こういう努力こそ大切だ。そして無性に食べたくなった。ただし昨日 の発見時は昼食後であった。そこで今日、30 分かけて歩いて食べに行ってしまった。わざわざ行くかとも思ったけれど、食べに行くことで店の努力に応えるべきだ。久しぶりのにら醤油ラーメンはなんとも 美味しかった。
 帰路、スーパー八百フジに寄った。と、豆腐が出ていた!  どの店でも品切れであったというのに。豆腐様のご尊顔を拝したのは震災以来である。嬉しくって二丁も購入してしまった。
希望の光が射した。仙台市ガ ス局によると、「泉区館1丁目〜7丁目の各一部」のガスが、早くも明日復旧とのことである。我が家は 2 丁目。「各一部」の中に含まれるのか?  明日は一時たりとも外出せずに、ガス局の方の来訪を待とう。
 予感はあった。昼過ぎに、我が家の地区から去っていく大阪ガス局の車を目撃したのだ(支援に来て下さっている大阪ガス局さまに大感謝)。埋設ガス管の安 全確認に来たのであろう。去っていくということは、確認が終わったということではないか。確認後 1-2 日でガス復旧ということなので、大いに期待していた。
 仙台のガス施設が壊滅したので、復旧には、新潟からのパイプで送られてくる都市ガスを使うらしい。我が地区は仙台の西のはずれ。復旧がまだ先の地区の方 には申し訳ないが、新潟にもっとも近いという地の利が活きる日が来た のであった。
今日も一日中モデル計算。明日までかかるか。
3/24(木)の進歩  中古車購入手続き
ネッツトヨタの方が我が家に来て、中古車の購入手続きをした。納車にはもう少し時間がかかるという。なにしろ陸運局の整備ラインが動いてい ないので、車検を取ることが出来ないらしい。でも、最速で頑張ってくれるとのことだ。車が無いと大学に行くのも一苦労なので、早く納車して欲しい。
 中古車が売れているらしい。そうだろう。私みたいな人は大勢いるはずだ。みな、「一刻も早く」と頼んでくるとか。
 仙台空港近辺の状況も聞いた。津波は、仙台東部道路まで押し寄せたそうだ。停めてあった車も全滅。流された車はもちろん、タイヤの上くらいまで海水に浸 かった車も駄目らしい。ふつうの車は、海水との水陸両用ではないのだ。動かなくなっている車は、名取市が一箇所に集め保管するという。持ち主がわかったら 連絡、引き取り手がない車は半年後に処分とのことである。私の元に連絡が来るのか。もし来たら、CD 類とかを回収し、「あとは捨てて」と言って去ってい くか。
中山まで歩いて行った。イオンは、一階のみ館内営業を始めていた。しかし小麦粉は品切れ。なんで、地震が起きると小麦粉がなくなるのか(昨日の進 歩参照)。ダイシンにも行った。そして、芝生の肥料を買った。こんな時に何を買っているのかと思われるかもしれない。いや、こうした普通の活動を再開させ ることが大切だ。こういう時こそ、経済を活性化させる必要があるのだ。
今日も丸一日、モデルの再計算をしている。やたらに時間がかかる。明日中に終わるかなあ。
3/23(水)の進歩  再計算
昨晩、改訂した論文の英語を直した。と、またしても気になることが出来てしまった。やむなく今日、再計算をすることにした。「英文校閲をし てしまったのに、もー」という感じである。おまけに計算にやたら時間がかかる。一回の計算に 30 分ほど。結果を見てまたやり直すということを続けないといけない。結局、夕食時まで計算を続けてしまった。でも、おかげで、自分が正しいことを確認でき た。文章の修正もせずに済みそうである。
我が家の地区のガスの復旧は、思ったよりも早くなるかもしれない。お隣さんの地区である住吉台での復旧が明日というのだ。順々にやっていくのな ら、次は我が地区かも。そうなら嬉しい。
 という希望を胸に秘め、本日二回目の水行をした。「風呂上がり」後、寒さに震えながらビールを飲んだ。
コーヒーのフィルターがなくなった。近所のスーパーに買いに行ったけれど在庫がなかった。ついでに書くと、「小麦粉はお一人様お一つ」という張り 紙があり、しかも既に売り切れていた。なんで、フィルターだの小麦粉だのが品薄となるのか?
毎日毎日、何回も余震がある。そのたびにあんは、「わんわん」と吠えて見えない敵と闘う。ほんと、もう嫌になってしまうね。
3/22(火)の進歩  英文校閲
改訂した論文の英文校閲をしに NewDay School に行った。研究活動の復活である。少しずつでも前に進まないといけない。
中古車購入の書類を揃えるために区役所に行った。七十七銀行で購入資金もおろした。予定外の出費にげんなりである。
 ついでに街の様子を見た。一番町では、開いている店が増えていた。ぱっと見、3 割くらいの店が開いていたように思う。行列も減っていて、行列無しで入れる店もけっこうあった。ダイエーの行列も 100 m ほどに縮小していた。ミスタードーナツにけっこうな行列(30 m ほど)が出来ていたのが不思議。地震のあとはドーナツを食べたくなるのか?  路上には簡易販売の人々が溢れていた。机やベンチの上に弁当類を並べ、声高に宣伝していた。ある意味、活気があった。平禄寿司の店頭で握り寿司を売ってい たので、昼食代わりに思わず購入してしまった。生ものを口にするのはいつ以来か。
 懇意にしている店の安否確認もした。まずは、ブルックスブラザースに行ってみた。S さんにお会いできた。明日から営業だそうである。ついで、朝市まで歩いて行った。ここもちゃんと営業していた。金華山に行くと、みなさん揃っていた。よ かった。ただし、マグロは全然入ってきていないという。冷凍の本鮪大トロを出して頂いた。嬉しい。これはしばらく楽しめる。あとは陸女寿司か。八乙女だし 大丈夫と思うけど。生活が戻ったら食べに行くことにしよう。
帰宅したら留守番電話が入っていた。「701 号室のものです。ドアが傾いて室内に入れません。ベランダの窓を破ってもよいでしょうか?」という問い合わせであった。知るか。
3/21(月)の進歩  bk1 で三位に
100 ページの文章術〜わかりやすい文章の書き方のすべてがここに〜』 が、bk1 の本の売り上げの第 3 位になった。お買い上げ、誠にありがとうございます。ヤマト運輸・佐川急便等も、配送をそろそろ復活させている模様。みなさま、どしどしお買い上げ下さ い。
我が家の地区の唯一のスーパー八百フジは、今日まで閉店していた。他のスーパーは数 km 離れている。お年寄り等、食料品も買えずに困っている人が多いに違いない。そうした声を代弁したのか、「このままでは餓死者が出る。営業しろ」という旨の 張り紙が八百フジ店頭に貼られていた。噂では、「店内に割れ物が散乱しているので」という理由で閉店していたらしい。それに対し、「そんな理由で閉店して いるときか。最後の一品が尽きるまで売れ」と檄を飛ばされたようだ。そのせいか今日、店内整理をしていた。そして明日から営業するそうである。それでこそ 地域を支えるスーパーだ。
明日から、東北道を一般車両が通れるようになるらしい。一関 IC 以北は全車両が通行可能、一関 IC と宇都宮 IC の間は、大型車両と業務用車両ならば通れるようになるらしい。ようやくにして。まるで滑走路かのように閑散としている東北道を見て、物流に関わる車両(支 援物資を運ぶ車両のみならず、商業ベースの車両も)も通すべきではないかと思っていたのだ。小売店舗に品がなく、私たちは、食料・日用品を買うのにひどく 苦労している。第一の要因は、ガソリンがないためにトラックを動かせないことであった。第二の要因は、東北道が一般車両通行止めであったことだと思う。む ろん、渋滞が起きて緊急車両が通れなくなってはいけない。しかし、物流車両を通行可にしても、緊急車両の通行に支障はきたさなかったのではないか。ともか くも、品不足が一刻も早く解消されることを願いたい。
床屋に行って髪を切った。節約の一環である。むろん、髪を節約することが目的ではない(それでは意味がわからない)。洗髪に使う湯量を少しでも減 らすためである。これからは当分、湯を沸かして洗髪することになる。髪が少ない方が、水行になりにくいであろう(3/18 の進歩参照)。
3/20(日)の進歩  倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ
セルジオ越後の言葉。「倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ」。そうだ、走ろう。不謹慎かもしれないが、日記の題字を今日から元に戻す。
 サッカーに餓えている自分にも気づく。試合を見たい。生でもテレビでもいいから見たい。地震のことをしばし忘れて、サッカーの世界を楽しみたい。
曜日の感覚がない。どころか、日付の感覚もない。今日は何曜日だっけ、何日だっけと考え込むことしばしばである。
被災した仙台空港の写真をしげしげと見た。空港近辺の駐車場に駐めた愛車のことを、新しい車を買う前に確認しておきたかったのだ。駐車場そのもの が写っている写真はな かった。しかし、まず確実に津波にやられたと思った。いや、車なんてどうだっていい。あの場にいた方々のことを思うと。
館町内会(私が住む街の町内会)で野菜等の無料配布があった。いろいろな所からかき集めたのだという。せっかくだから貰いに行くことにした。 1000 人を優に超える人が集まっていた。なぜか、東北大生物の S 君がボランティアで働いていた。彼の属する M 研は、早くも実験を再開しているそうな。すごい。内の研究室は、建物が要注意診断なので、活動をいつ再開できるかわからない。はぁ。
3/19(土)  bk1 で 4 位に
100 ページの文章術〜わかりやすい文章の書き方のすべてがここに〜』 が、bk1 の本の売り上げの第 4 位に躍進していた。このまま首位を目指すぞ。
散歩がてらイオンまで歩いて行った。けっこうな距離であるが、天気は良いし他にすることもないのだ。途中、蕎麦屋さんで「ご飯と漬け物と味噌汁」 の定食をいただき、震災被災の街であることを実感した。イオンでは店頭販売をしていた。200-300 人が並んでいる。せっかくだからと並ぶことにした。待つこと 30 分ほど、野菜と、カセットコンロのボンベを買うことが出来た。どちらも嬉しい。とくに後者は、ガス復旧の見込みが立たない状況下では命の綱である。
車を買う必要がある。ここ 2-3 週間のうちには欲しい。そこで、駄目もとでトヨタネッツ中山店に電話をしてみた。すると、ちゃんと出た。今日から営業再開らしい。車が津波に流されたこと を伝えると、その車を買ったときの営業担当 Y さんに連絡をしてくれた。Y さんからさっそく電話が掛かってきて、手頃な中古車を抑えてくれた。なんという迅速な。さすが世界のトヨタだ。ただし、陸運局がまだ動いていないらしの で、いつ入手できるかどうかは未定だそうだ。

帰宅後、水道の蛇口を開いてみた。と、ぽとぽとと水が出た。途絶える様子もない。ひょっとして?  しばらくして、もう一度蛇口を開いてみた。今度は、通常の 3 割くらいの勢いで水が出た。水道が復旧した?  やがて、9 割くらいの勢いで出るようになった。3/31 に復旧と思っていたのに!  嬉しい、嬉しい。
 水が出るってなんて有り難いことなのか。今日の午前中までは、ペットボトルに溜めた水を、1 cc とて無駄にせぬよう計るように使っていたのだ。ついつい蛇口に手を伸ばし、「水は出ないんだ」と思い出したりした。それが今は、蛇口を開くと水が出てく る。ざぁーっと流れ落ちてくる。その水で、鍋に水を張ることが出来る。これこそが人の生活を支えているというのに、普段は何とも思っていなかった。今日 を、水道局への感謝の日とすることにしよう。
3/18(金)の進歩  bk1 で 9 位に
 『100 ページの文章術〜わかりやすい文章の書き方のすべてがここに〜』 が、bk1 の本の売り上げ第 9 位に入っていた。あらゆるジャンルの本を含めての順位である。けっこうすごい。お買い上げ誠にありがとうございます。
今朝は 30 cm の雪が積もっていた。雑水を新たにたくさん確保できそうである(雪を風呂桶にため込むのだ)。ならばと、貯め込んでいる雑水 を使って身体を洗うことにした。なにしろ一週間以上も風呂に入っていない。汗をかく季節ではないが、気持ち悪いことは確かであった。電気ポット 2 杯分の熱湯を用意し、風呂桶の水と混ぜてお湯にする ……… のであるが状況が悪かった。何しろ一昨日、風呂桶に雪を入れて冷水にしておいたところである(3/16 の記述参 照)。シャンプーと石鹸で髪と身体を洗って流すには、洗面器にしてそれなりの杯数が必要だ。そのため熱湯が足りず、ほとんど水行の状態となった。さっぱり はしたけれど、寒さに震えてしまった。身体の汚れを湯で流すつもりが、心と身を水で清めるような行為となった。今さら心を清める気はないん だけど。ガスが復旧するまでは、こうした水行を続けることになるのか。すっかり清らかな心となって皆さんの前に現れても知らないからね。
 身体の震えが収まった後、風呂桶に雪を新たに入れた。風呂桶のほぼ 10 割の水位を確保できた。
 水道の復旧は 3/31 とのことである。まだ 2 週間先だ。でも先が見えたのは嬉しい。
3/17(木) 今日も研究室へ
研究室の実験室を換気して欲しいという連絡が来た。薬品類がこぼれているのでよろしくない状態なのだ。というわけで今日も研究室に行った。 みっちーにも来て貰った。私は形式上の責任者、でも実験のことは何にもわからない。だからミッチーつきである。有機溶媒の臭いが立ちこめる室内に突入し、 窓を開け放ってきた。空気がましになったら、拭き取りもしないといけない。
帰路、バス停に行くために一番町を歩いた。と、魚肉類を店頭販売している店と、果物を店頭販売している店とがあった。行列は両者とも 50 m ほど。帰ってもやることがないので並ぶことにした。おかげで、鰤・鯖・鶏肉・グレープフルーツ・リンゴを手に入れることが出来た。これは助かった。でも、 野菜類も欲しい。

悲報。復旧に一ヶ月かかると言われていたガス。施設を詳しく調べたところ、被害状況はもっと深刻なことが判明したらしい。一ヶ月ではとても無理だ そうだ。風呂に入れるのはいつの日なのか。
 水も復旧の見通しがたっていない。水道が復旧すれば、身体を洗うことはできるのだけれど。
3/16(水)研究室へ
朝起きて外を見ると、雪が 5 cm ほど積もっていた。こんな時に寒気が来るなんて。あまりに無情だ。怒りを秘めつつ、雪の活用に勤しんだ。雪かきスコップで風呂桶に入れたのだ。おかげで、 七分目だった水量が九分目に増加した。雑水の貯蓄が増えたのは嬉しい。

今日は研究室に行ってみる。「想像以上の状態」と聞かされていたけれど、やはり自分の目で見てみたい。イタポン・ミッチーも行きたいというので、 現地で集合することにした。
 車を失ったので、バスで仙台市街に出た。ダイエーには 700-800 m の行列が出来ていた。後で聞いたのだが、牧研の Y 君は昨日、ダイエーで買い物をするために 5 時間並んだそうである。大学行きのバスは止まっているので、青葉山目指して繁華街を歩いて行った。相変わらず、ほとんどの店が閉まっていた。開いている店 には数 10 m の行列が出来ている。和菓子の店にまで 10 m ほどの行列が出来ていた。店頭で、味噌汁を無料で配っている店もあった。そしてそれに並ぶ人たち ………。繁華街の外れに、ほとんど行列のないクッキー屋があった。糖分も貴重と思い、クッキーを買うことにした。つい、5300 円も買ってしまった。我が人生で、クッキーをこんなに買ったのは初めてである。
 45 分ほど歩いて大学に着いた。牧研で、イタポン・ミッチーと合流。牧の居室は、かなり原状回復していた。皆で、私たちの研究室に行った。居室を見た第一印象 は、脅されていたほどではないというものであった。確かに悲惨な状態なのだが、二日で復旧できそうだ。「想像以上の状態」ということだったけれど、「想像 以上は想像通りを含むのか」という議論を思い出したのであった。とはいっても、酷いところは酷かった。たとえば私の机のあたり。

も、笑うしかありませんな。
いやあ、出張していてよかった。出張せず、地震発生時に昼寝していたら、逃げるのが遅れて大変な目に遭っていたかもしれない。
 研究室のある棟の安全度は「要注意」で、理学部の中で二番目に悪い状態という。電気も水もガスも止まっている。正常業務に戻ることが出来るのはいつのこ とか。
プロ野球会社西武ライオンズの選手が、被災者を支援するために募金活動を行ったそうだ。こいつら馬鹿か、それとも偽善者か?  募金で庶民に金を出させるよりも、自分らが搾取している法外な給料の一部を寄付する方がよほど早いだろう。そんなこともわからない頭脳なの か?  それとも、募金している姿を見せることが目的なのか?
3/15(火)  あんが戻って来た!
明るくならないうちに目が覚めてしまった。もう寝ていられない感じだ。やむなく起きて、昨日までの日記を書き始めた。日記を更新して、私の 無事を伝えたいと思ったのだ。
 更新を終えネットを見ていたら、家のチャイムがなった。玄関にすっ飛んで行った。ドックハウス花の人がいて、「おはようございます」と笑っていた。そし て、車の中からあんを取りだした。あんは、家を見て興奮したのか、私に甘えるのも忘れ庭に入り、芝生の上で速攻のおしっこ。すませると庭の奥に駆けていっ た。地震のとき、あんはケージの中にいたらしい。だからかえって安全だったようだ。その後、自宅に連れ帰って面倒を見てくれていたという。お世話になりま した。室内に入ったあんは、5 分もしないうちに、長らくお泊まりしていたことを忘れたように寛いでいた。
 大学は壊滅状態らしい。建物こそ倒れていないものの、室内は悲惨な状態とか。ありとあらゆる物が、倒れたり落ちたりしているそうだ。足の踏み場も無けれ ば手のつけようもない惨状らしい。新学期は四月下旬に延期された。こちらも、しばらく自宅待機である。
 それにしても暇だ。することがない。はっきり言って生き甲斐もない。引退後はこんな生活を送るのだろうかと、暗い気分になる。
つい数日前まで普通の生活を送っていたのに ………。どうしてこんなことになったのだろう。もっとも、他の方に比べれば、私ははるかに恵まれているけれど。
 現状と今の生活を綴っておく。
・車がない。空港に駐車して出張したのだけれど、津波にやられてしまったと思う。落ち着いたら車を買うしかない。想定外の出費にげんなりである。ところ で、津波に流されたであろう車、届けみたいなことをする必要があるのだろうか?  どこかで見つかった場合、勝手にスクラップにしてくれるのか?
・水もガスも止まったままである。両者の完全復旧には一ヶ月くらいかかるらしい。最悪、風呂に入れるのは一ヶ月後か。
・節水に燃えている。食器はラップをかけて使い、そもそも汚れないようにしている。それでも汚れる食器は出る。そうした食器は、紙で拭いて汚れを落とす。 洗い物をするのは夕食後だけ(朝昼に使った食器は紙で拭いて置いておく)。最小限の水を使って洗剤で洗う。洗剤を水で流したりはしない。紙で拭いて済ま す。これはヨーロッパ方式だ。
・幸いにして、風呂に水を貯めたままにしていた。この水を雑水に使っている。トイレを流すのに使ったり、手足を洗うのに使ったりだ。今日の夕食時は、卵を 茹でるのにも使った。綺麗な水を使うべきかとしばし悩んだが、茹でるのなら風呂水でよいのではないかと。茹でた後の水をまた風呂に戻せば、水はまったく減 らない。こんな感じで、風呂の水は抜かずに溜めておくべきだよ。
・ティッシュは贅沢に使っている。ちり紙交換に出す度に貰うので、引き出しから溢れるばかりにたまっているのだ。
・あんのご飯を、一回 68 g から 65 g に減らした。ペットフードも節約しないといけないのだ。
3/14(月)  被災の街
早起きして家を出た。まずはドックハウス花に寄り、「帰宅したのであんを引き取りたい」という旨の張り紙をした。そして山形へ向かった。市 内に着き、スーパーやコンビニを回った。米沢とは状況が違った。非常食類はほとんどなかった。電池もラジオもカセットコンロのボンベもなかった。せめてボ ンベが欲しい。米を炊けなくなったら悲惨である。ここになかったら諦めようとイトーヨーカドーに行った。するとなんと、ボンベがワゴン積みされていた。助 かった。コーンフレークや缶詰なども買い足した。レンタカーを返したあと、野菜類を買うべきだったと後悔した。どの店も野菜はいっぱいだったのに。何で気 が回らなかったのか。
 山形駅から仙台行きのバスに乗った。渋滞もなく順調に進み、市の中心部に入った。見ると、500 m ほどの行列が出来ていた。いったい何かと思いきや、ダイエーに並んでいるのであった。そういえば車内で聞いたニュースで、ダイエーは店を開けたと言ってい たっけ。営業しているコンビニにも、20-30 m ほどの行列が軒並み出来ていた。県庁市役所前で降りた。家まで相当な距離だが、歩いて帰るつもりである。途中、みっちーの実家に寄り消息を伝え(みっちー は苫小牧にいるはず)、ドックハウス花の様子を見よう。
 街中を歩き、被災地であることを実感した。開いている店には行列。店頭に店員が立ち(店内は封鎖)、数少ない商品を並べたり、炊き出しをしたりしている 所もあった。水が出る場所では、タンク類を持った人が並んでいる。営業しているガソリンスタンドには、数 100 m の車の行列が出来ていた。「商品が無いため閉店」という絶望的な張り紙をしたコンビニもあった。ただ、我が家方面に向かうバスに追い抜かれ、バスが走って いることはわかった。
 みっちーの家により消息を伝えた。もっとも、メールが通じていて、既にご存じのようであった。ドックハウス花に行った。張り紙が無くなっていれば伝わっ ているはずだ。しかし ………、張り紙はそのままあった。気落ちしつつ歩いた。もう 3 時間近く歩いている。足も痛くなってきた。ようやく辿り着いた泉ビレッジ(我が家のある団地)で、公衆電話に入った。ドックハウス花の携帯に電話を掛ける と、今度はあっさりと繋がった。明日、連れて来てくれることになった。あん ーーーー!
 帰宅後、明るい内に料理を始めた。冷凍庫の品が解凍状態になっているので、これらに火を通してしまおう。室内を煙たくしたくないので、カセットコンロを 持ってウッドデッキに出た。そして料理を始めた。ボンベが手に入り強気になったのか、揚げ物もしてしまった。ノドグロに下味を付け、小麦粉をふって中火で 揚げる。この非常時に、ノドグロの唐揚げなんて作っている場合かと苦笑した。と、庭の照明に明かりが灯った。「え!」と思い室内に入った。照明スイッチ等 が光っている。スイッチを入れると明かりが付いた。電気が回復した!
 電気が通じたので、ストーブを付けてみた。電気がないと稼働しないタイプのものなのだ。ところが動かず。給油系統に問題が生じているらしい。やむなく、 エアコンの暖房で我慢した。
3/13(日)  仙台へ
避難所での夜が明けた。寝にくい上に気が立っているので、ろくに寝ることが出来なかった。隣の女性が県職員と、「タクシーが ……」と相談している。どうするのかと聞くと、タクシーで岩手まで帰るということだった。なんと。私はレンタカーを探すべく、福島駅へと歩いて行った。と ころが、レンタカー屋はどこも休業していた。システムが落ちているらしい。タクシーが停まっていたので、山形までの料金を聞いた。「米沢まで 1,3000 円、山形まで 3,0000 円」という。思ったよりも安い。ならばと、とりあえず米沢まで行くことにした。そこでレンタカーを探そう。福島ほどの被害はなかったはずなので、営業して いるかもしれない。米沢に着き、レンタカー屋を回った。営業はしていた。しかしどこも空き車がなかった。新潟へと抜けて行く人が多いのだという。ところ が、諦めかけて訪ねた最後の一軒で、幸運にも車を借りることが出来た。よし、仙台に突入するぞ。水も電気もガスも止まっているらしいけれど、あんと我が家 が心配なのだ。まずは買い出しをした。スーパーに行き、コーンフレーク・レトルトのカレーやシチュー・粉スープなどを買い込んだ。しかし、水・カセットコ ンロのボンベ・電池・ラジオは品切れであった。帰路、スーパーやコンビニを見つける度に覗いてみるも、どの店にもなかった。やむなし。
 仙台への道は通じていた。笹谷峠を越えて市内に入った。まずは牧の家に寄った。食料を差し入れようと思ったのだ。牧には、我が家とドックハウス花(あん を預けている)の様子を見て貰いに行っていた。すまない。食料を渡し、こちらの情報などを聞いた。牧の家も大学も、ありとあらゆる物が落下して、室内は目 茶苦茶だそうだ。ついで、ドックハウス花に行った。むろん閉まっていた。あんは他所にいるらしい。
 いよいよ我が家へ。牧に聞いていたとおり、外観に異常は無かった。窓に目をやると、テレビがちゃんと立っているのが見えた。「おや?」と思った。ぐちゃ ぐちゃの状態を覚悟していたのだが。玄関を開けた。絶対に倒れていると思っていたランプもちゃんと立っていた。居間でも、お銚子が一つだけ倒れているだけ だった。二階では、ランプが落ちて割れていた。寝室のテレビも落下していた。これらはそもそも不安定な置き方をしていたのでやむを得ない。驚いたのは、大 きな箪笥が 30 cm ほど横に動いていたことだ。書斎では、本類が少々落下していた。でも、大部分の本はちゃんと書棚に収まっていた。惨状を覚悟していたのにほとんど被害がな い。さすが積水ハウスと感動した。
 あんを引き取るためにドックハウス花に電話を掛けようと、公衆電話に行った(携帯は不通)。8 人ほど並んでいた。待っているとき、水を抱えいる中学生が通った。どこで手に入れたのかと聞くと、「これは学校のプールの水。飲める水はテニスコート横」 と教えてくれた。良いことを聞いた。ドックハウス花は不通。あん、どうしてる?
 タンクを持ってテニスコートに行った。確かに、水が出る水道があった。なんでここだけ? おかげで、18 リットルの水を確保できた。これは大きい。問題は、カセットコンロのボンベが 1 本しかないこと、電池とラジオがないことだ。明日、レンタカーを返しに山形に戻る(帰りはバスの予定)。そのときに買い出しをしよう。
 ビールを飲んだ。美味かった。風呂上がりでもないし、祝い事もないというのに、なんとも美味しかった。

3/12(土)  難民
JR も動く気配がなく、青森に渡ることは無理そうだ。飛行機で東京へ行こう。そして、高速バスかレンタカーで北上する。そう思い立ち函館空港へと向かった。し かしどの便も満席であった。キャンセル待ちをしたら、運良く第一便に乗ることが出来た。昼くらいに羽田に着いた。携帯でさくら観光(高速バスの会社)の ページを見ると、福島行きの高速バスが出ていることがわかった。幸運と思い、乗ることにした。しかしこれが不幸の始まりだったかも。東北道を通るのかと思 いきや、関越で新潟経由で向かうという。ところが途中で、磐越(関越?)も通れないことが判明、下道で福島に向かうことになった。14 時に出発して、ようやくにして福島に着いたのが翌 1:30(途中で大渋滞があったせいもある)。途中、福島原発で爆発などという報も入った。なんということか。不安を抱えつつ、携帯で兄に予約を頼んでお いたホテルに入った。そして驚いた。たくさんの人が、床に寝ているのだ。「予約している」と告げると、「非常事態のため、予約の有無に関わらず宿泊できま せん。避難所に行って下さい」と言われた。そして、数 100 メートル離れた小学校を案内された。そこはまさにテレビで見るとおりの避難所だった。たくさんの人が床に直に寝ている。テレビで地震のニュースが流れてい る。夜中というのに、不安そうに見ている人も。私は独りぽっちで、避難所の隅っこに寝ることになった。バックを一つ抱えているだけ。家にも帰れない。孤独 な難民になってしまった。

3/11(金)  新聞広告掲載
100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』 の広告が読売新聞朝刊の一面に掲載された。「これ論」「これ学」「これレポ」の広告も一緒にであ る。かくして、読売新聞一面の一部が拙著で埋められることになった。光栄である。広告のおかげが、『100 ページの文章術』のアマゾンでの売り上げが躍進している。今日の昼の時点で 766 位だ。これは相当な順位なのだ。お買い上げ、誠にありがとうございます。

学会の三日目。昨夜から、私の名札をマツハシに貸したままになっているので(名札が懇親会の入場券を兼ねている)、名札無しでポスター会場をうろ ついた。こういう時に限って、『これから学会発表する若者のために:ポスターと口頭のプレゼン技術』 を参考にして下さっているらしいポスターの説明を聴いたりする。「著者だとわかってもらえたら、ちょっと幸せな気分になれるかも」なのだ。しかし自分から 言い出すのもなんだか。などという葛藤を抱えつつ、ポスター会場をゆっくりと一周した。
 今日は、高校生によるポスター発表もあった。せっかく来てくれているのだから、出来るだけ説明を聴いてあげることにしている。あるポスターの前でも、 「説明しましょうか」と声をかけられた。ちらとポスターをみやると「早稲田大学」とあった。大学生ならいいやと、「結構です」と答えた。しかしよく見る と、早稲田の付属高校であった。慌てて、「説明して」とごまかした。早稲田大学だと説明を聴かず付属高校だと聴くというのも失礼なやっちゃな。
 諸般の事情で、今日の午後で学会から退散した。昼食に、すじ善の大通り店で寿司を食べた。一昨日、すし善の本店にも行った。その時の印象は四つ星(五つ 星ではないという評価)だった。でも今日は美味しかった。「本店よりも美味しかった」と言うと、えらく嬉しそうにされた。
千歳空港に着いた。エレベーターに乗っていたら、天井から吊されている表示板が左右に揺れだした。地震か?  エレベーターも揺れている。かなり大きい。時間も長い。ようやく収まってほっとしたところに、かとぅから、「大丈夫ですか。宮城県で震度 7 の地震がありました」とメールが来た。なんとゆう ………。皆がテレビの前に集まった。仙台の名取市で、津波により、家屋が流され田畑が水没していく映像が映し出された。言葉を失った。仙台在住の人たちは 大丈夫か?  ドックハウス花に預けているあんは?  我が家はどうなっている?  一刻も早く帰りたい。しかし仙台便は欠航となった。仙台空港が津波に襲われたらしい。函館に行く便があったので乗ることにした。少しでも南に近づきたかっ たのだ。なんとか、青森に渡ることができれば。現在、函館の宿にいる。函館にも津波が来ていた。JR 函館駅も灌水したという。早く帰りたい。こんな不安 な夜、経験したことがない。

3/10(木) の進歩 生態学会二日目
二日酔いじゃ。後悔しつつ朝寝をしてしまった。何をやっているのだか。
 なんとか昼頃に学会会場に着いた。ポスター発表をしているデラックスの様子を見る。お客様 2 名に説明をしていた。よしよし。ついで、ポスター会場内を見て回った。『これから学会発表する若者のため に』を参考にして下さっているらしいポスターもあって、良い気分となった。「このポスターわかりにくい」と思う物はたいてい、これ学をまったく参 考にしていないんだよね、ふんっ。
 午後 3 時から自分の発表があった。時間が足りなくなると思っていたので、焦り気味に説明をした。そうしたら、いつまで経っても鈴がならない。結局、やっと一鈴が なったくらいで終わってしまった。正しくは、2 分後になるはずの二鈴で発表終了である。もっと落ち着いて説明すればよかったと後悔。さらには、質問もあまり出ずでげんなりであった。
 今夜は懇親会がある。しかし ----------、発作的に参加を取り止めた。理由は聞くな。参加権利は(参加費は払ってある)、「懇親会に出たい」と昨日の飲み会時に叫んでいた マツハシに譲った。

3/9(水) の進歩 札幌へ
朝一番の飛行機で札幌へと向かった。生態学会に参加するのだ。あんは昨夜からドッグハウス花にお泊まりだ。あんのいない夜は寂しかった。食 事中に、あんがケージ内で自分のごはんを待っている気になったり。食卓を離れるとき、あんに盗られないかと思ったり。ああ、早く会いたいと、初日から思っ てしまった。
 札幌に着いた。寒い。春の気配の仙台から真冬へと戻ったようだ。寿司を食べようと、すし善本店へ行った。せっかくだから、豪華な昼食を摂ろうと思ったの だ。すし善本店は高級感いっぱいの店であった。値段も奉仕も超一流。で も、ネタの鮮度は超抜群というわけではなかった。もちろん、美味しかったことは確かなのだけれどね。
 学会会場に着いた。まずは、共立出版の販売ブースへと向かった。そして N さん・Y さんに挨拶した。『100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』を 120 冊持ってきたとのことである。完売めざして勝負だ。
 その後、ポスター会場を見て回った。まずは、冨里・黒川の発表の様子を見た。お客さんはそれなりに来ているようであった。ついで、しんすけの弟子 2 名のポスターを見た。面白かったよ。『これから学会発表する若者のために』を参考にしてくれてい るらしい点も好感であった。モリナガのポスターも見た。「着眼が良い、面白い」と褒めたら、「酒井さんに褒められたのは久しぶり」と言われてしまった。そ んなことあるか。モリナガのことは褒めたことしかないはずだが。とある方のポスターの説明では、「マルハナバチをご存じですか?」と訊ねられ、しばし言葉に詰まった。それはまあ ………。
 ポスターを一通り見終えた後、共立出版のブースに戻った。私が圧力をかけたためか、『100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』が 5 分ほどの間に 2 冊売れた。H 大の T さん・K 研の T 君ありがと。でも、T 君の同輩の Y さんは、「遠慮しておきます」と言って近寄って来なかった。ちっ。
 夜は、酒井研の面々で飲みに行った。弾けてしまった。二次会に行ったことは確かだけれど記憶にない。

3/8(火) の進歩 あまりに大胆
昨日の帰りに園芸店ザ・ガーデンに寄った。まもなく店舗を移転するため、軒並み半額の閉店セールをしている店である。商品を新店舗に持って 行くのが面倒らしい。私の前に会計をした方は、草花を 6 株、割引後の価格で 6000 円ほどの買い物をしていた。そして店員に、「これぜんぶ 10 円に出来る?」と聞いていた。いくら投げ売り中とはいえ、何という大胆な要求か(6000 円 ---> 60 円)。と思いきや、「これぜ んぶ地植えに出来る?」の聞き間違いであった。
若生さんの卒業研究課題に関する論文を読んでいる。この課題にどう切り込むべきか。つらつらと考えながら読み進めている。
ちょっくら生態学会に行ってくる。金曜日には戻る。『100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』は学会中に発売の予定である。9 日発売説(当 ウェブページ)・10 日発売説(ア マゾン)・11 日発売説(共立出版)の三つがあ るが、共立出版説が一番もっともらしい。でも、学会中に展示販売されることは確かなようだ。
土曜日はホーム開幕戦だ。昨季の王者である名古屋グランパスを迎えての決 戦である。学会から金曜日に戻るのは、もちろん、この試合に参戦するためだ。早く、今年のチームを生で見たい。
3/7(月) の進歩 実験指導
研究風景を紹介するための写真撮影があった。理学部の広報活動の一環らしい。「実験室に植物がある所」を撮りたいとのことであった。植物生 態の実験室には確かに植物がある。ちょっとした繋がりから私が窓口となり、カメラマンを迎えた。モデルも欲しいという。そこで、オノデラと若生さんにお願 いした。そして、ピペットを操作しているふりなどをして貰った。さらには、私が後方に立ち、実験指導をしている場面を撮った。実験なんてしたことないというのに。あり得な いというか、知っている人が見たら大受けするであろう一コマとなった。

ベガルタ仙台 0-0 サンフレッチェ広島。試合のことを書くのを忘れていた。クラス会のため、試合を見ることは出来なかった。やむなく、携帯で経過を確認していた。強敵相手に 敵地で引き分けたのだから満足すべきだろう。内容的にも良かったらしい。ホーム開幕戦が楽しみとなった。
ようやくにして論文の改訂を終えた。英文校閲に出してすっきりした。
3/6(日) の進歩 宇都宮餃子
今日は帰宅するのみである。さっそく、自分の現実を思い出し嫌になりつつ、車を走らせた。途中、上河内サービスエリアで昼食を摂った。宇都 宮餃子のコーナーがあり、市内の 4 店舗の餃子を食べることが出来た。2 店舗の餃子を選び、焼き立てを頂いた。とても美味しかった。やはり焼きたてはいい。
 仙台に戻り、ドッグハウス花にあんを迎えに行った。入り口の扉を開けると、気配を察したあんがケージ内で暴れ出した。ケージの扉が開くと同時に突進、私 に激突して歓喜したのであった。
録画しておいた、京都の老舗料亭「吉兆」の物語を見た。良いねえ。板前の技にはほんに憧れる。あの 1/10 でも出来るようになればと思っている。ちなみに嵐山吉兆(本店)の会席料理は、お一人様 4,2000円だそうな。一度食べてみたい。
3/5(土) の進歩 高校のクラス会
今日は、東京の高円寺で高校のクラス会がある。実に久しぶりだ。ETC 休日割引がお得なので、車で向かうことにした。でも、あんはドッグハウス花に預けた。連れて行ってもよかったのだけれど、酔っぱらって世話をするのが不安 だったのだ。張り切って早く出過ぎたのか、二時間前に高円寺に着いてしまった。宿に入りしばし休息。川崎フロンターレ対モンテディオ山形の試合をテレビで 見るなどした。その後、高円寺の駅前商店街を散歩した。さして想い出のある地ではないのだけれど(私が住んでいたのは隣の阿佐ヶ谷)、雑多な風景が懐かし かった。仙台には、「駅前商店街」といった感じのものがないのだ。「東京には色々な店がある、色々な人がいる」と思った。
 午後 6 時から、ホテルメッツの桂林で会が始まった。懐かしい面々。大抵の人は、それなりに(人によっては大いに)太っているのであったが、一人だけ、高校時代よ りもはるかにスマートになっている人がいて驚いた。それにみんな、「人生」を歩んでいる。それぞれに、それぞれの物を背負っているのだ。でも、このとき だけは、そんな物を忘れることができる。高校の同級生っていいもんだ。純粋になれるもん。結局、夜中の 2 時くらいまでやっていたような(記憶喪失)。みんな、どうもありがとう。
3/4(金) の進歩 開幕
いよいよ明日、J リーグが開幕する。ベガルタ仙台は、敵地でサンフレッチェ広島に挑む(14 時試合開始)。一躍時の人となった李 忠成や元仙台戦士の佐藤 寿人をはじめ、きらびやかな選手を揃えた強豪である。しかし恐れている暇はない。我がクラブの戦力も、昨季に比べてぐんと充実している。なんとしてでも 勝って、勢いに乗ってしまおう。
100 ページの文章術 』 の副題。「わかりやすい文章の書き方の一部がここに」という意見が一番いけない。
携帯電話を使っての入試不正事件。どうやって、わずか数分で問題文を投稿したのか。謎が深まるばかりである。「試験監督の経験のある明治学院大の 川上和久教授は「工作した筆記具を使うなど手の込んだものならともかく、監視態勢がマニュアル通りなら、見抜けないことはない」と断言した」(河北新報よ り)。監督官もいるし、他の受験生もいる。そんな状況下で出来るものなのか。ただ、この記事でもっとも気になるのは別の点だ。試験監督の経験者などいくら でもいるのに、なぜ、明治学院大の川上和久教授という方が出てくるのか。 どうしてこの方に取材したのか、河北新報の記者にその経緯を聞いてみたい。ひょっとして、試験監督の権威であらせられるのか? 
生態学会が来週に迫った。学生がポスター作りに励んでいる。世間体と いうのもあるので、『これから学会発表する若者のために:ポスターと口頭のプレゼン技術』に従っ て作って頂戴ね。著者のとこの学生が無視していたら、やはりなあ。
明日、高校のクラス会がある。実に久しぶりの会だ。楽しみだなあ。というわけで、ちょっくら東京に行ってくる。舌に口内炎が出来て、喋ると痛いの が辛いが。
3/3(木) の進歩 本が届いた!
100 ページの文章術 〜 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに 〜』 が届いた。上質の紙を使っているだけあって高級感に溢れている。これで 1050 円(税込)とは「良い買い物」という感じである。もちろん、中身にも自信を持っている。わかりやすい文章の書き方のほぼす べて(*)をたったの 100 ページの中に納めたのだ。「最高の質を最短で目 標としてである。
 書店に並ぶのは 3/10 頃の予定である。みなさま、遠慮せずにどしどしお買い上げ下さい。

*副題を、「わかりやすい文章の書き方のほぼすべてがここに」(太字 はここでのみ)にしようかと迷ったことは事実だ。しかしそれでは、「何この謙虚」とか、「逆にウケを狙っているのか」とか、「それ以前に語呂が悪い」とか 思った。考えてみると、語呂が悪いという理由で「ほぼ」を取るという のはとんでもないことであったか。ま、済んだことだ。こういう葛藤があったということを記録に残し、「わかりやすい文章の書き方のすべてがここに」という 副題を受け入れて頂くこととしたい。
マクロ系研究室の卒業研究合同発表会があった。冨里が参加するので私も出席した。みなさん、お疲れさま。冨里の話し方も、一昨日よりもずっと良く なっていた。
3/2(水) の進歩 まもなく開幕
今週の土曜日に J リーグが開幕する。日本中が待ちに待ったときの到来である。去年、6 年ぶりに J1 に戻った我がクラブ。去年の開幕時は、期待 1 に不安 9 であった。しかし今年は、補強に成功したし、練習試合でも好調だった。期待 1.2 に不安 8.8 と大きく成長した。やってくれるに違いない。まずは、開幕試合の広島戦に勝とう。そして波に乗ろう。
月初めの談話会があった。来年度から研究室に入る若生さんも、初の本格参加となった。卒業研究としてやりたいことを述べてくれた。ここまでしっか りした形を持って入ってきた学生は初めてである。立派。頑張って、有意義な卒研生活を送っておくれ。
 目次では駄目だ、やったこととやることの中身を書けと何度も言ってきたのに。
論文改訂のための再計算がひたすら続く。いつになったら終わるのやら。
3/1(火) の進歩 卒論発表会
卒業研究の発表会があった。皆それぞれに頑張っていた。しかし発表者は 11 人。聴く方もさすがに疲れる。予選をやればよかったかも。勝ち抜いた何人かがハレの発表会の舞台に立つ。二年連続出場などという訳のわからない人も出てくるやもしれない。
宮城県角田市が、ベガルタ仙台 MF 角田の後援会を作るらしい(スポーツ報知よ り)。同名のよしみとか。良い試みだ。ぜひ、角田を盛り上げて欲しい。
 名にちなんだ後援会といえば、小浜市がオバマを応援したことを思い出す。こちらは、悪ふざけにもほどがあると思ったものだ。アメリカ大統領は世界最強軍 隊の最高司令官である。その判断一つでどこかの国に悲劇が起こるのだ。そういう人を決めるのに、「名前が同じ」などというノリでいくのだから。無責任もは なはだしい。
今日もひたすら、論文改訂のための再計算を進めている。メモリーを非常に消費したのかどうかわからないが、「ディスクの空き容量が無くなりまし た」というメッセージが出た。確認すると、60 GB ほどのディスクの残量が 0 GB になっていた。30 GB ほどは空いていたはずだが。なんかわからないが怖くなって、Mathematica を一旦終了し、パソコンも再起動してみた。そうしたら、ディスク残量が 30 GB ほどに復活した。油断なりませんな。