エピソード集





1       タスキが決めた1点差の優勝 (02年大会)

 初めての試みとして、イベントを盛り上げるため恥ずかしいタスキを用意した。「エサをやらないで下さい」「愛を下さい」と書かれたパーティーグッズだ。1つは前回優勝者へのハンデとして、1つは希望者に減点2点免除付きで、表彰式終了までかけてもらった。彼らはクイズ解答のため車外に出て人目に触れることもあったはずで、かなり恥ずかしかったと思う。

 ところが何とこの希望してタスキをかけたチームが1点差で優勝してしまった。私としてはこんなこともあるものかと感心すると共に、いずれまた似たような設定をやろうと目論んでいる。
更新日時:
2005/05/14

2       恐怖! たたりか? 消えたクイズ (94年大会)

 山中のある神社の名称を出題した。鳥居にも境内にも正解はなく、実はお堂の中を鍵穴から覗くと初めて解答できる。・・・はずであった、大会1週間前までは。

 当日先行車として神社に到着し念のためお堂を確認したら、何と中にあった神輿の配置が変わっており、神社名が読み取れない!これにめげず落ち着いて見渡すと神輿に「御祭礼」と書かれた紙が、上・右・左の計3枚張られているのに気がついた。しかも上の1枚は鍵穴を下からかなりの角度で見上げないと視界に入らない。神社内をよく観察してお堂の正面にもう1枚だけあるのを確認し、この「御祭礼」の枚数を問うクイズに差し替えを決定。直前のCPをまだ参加車が通過していないことを確認し、CPに公式通知でクイズ変更を知らせた。思惑通り、1枚とか3枚とか設定に引っ掛かった解答が多かった。

 さて後日気がついたことがある。この神社でクイズネタを探している時、石碑の裏を確認するため寂しい墓地に足を踏み入れたのだが、その瞬間から体が急に重くなり頭を強く締め付けられるような感覚に襲われた。すぐにその場を離れたのだが、街中に到着するまでの15分くらい、運転中もずっとその状態だった。最初に設定したクイズがなくなってしまったのは、この時のたたりかもしれない・・・。
更新日時:
2005/05/15

3       CP場所の占拠事件 (93年大会)

 湖畔のワインディング脇の広い待避所をCPとし、握力計をちょうど15kgで止めるクイズも実施することにしていた地点に、先行車と担当CP車が到着した時のことだ。何とそこには約100台のローリング族が占拠し、順にスタートし戻ってくるのを繰り返していた。これではCPを開設できない。しかもここのオフィシャルは女性2名だ。

 勇気を出して誰がリーダーかを尋ね、事情を説明して場所をシェアするよう交渉してみた。すると意外にもあっさり場所を空けてくれ、あっという間に全車いなくなった。何度も試走した場所で、試走時には1台のバイクも無かったのかなり面食らったが、話の分かる人たちで本当に良かった。
更新日時:
2005/05/14

4       オフィシャル車の迷走 (93年大会)

 まだ私もオフィシャルのノウハウが不足していた頃の話である。私は先行車として、後ろにCP担当のオフィシャル車を従え、隊列走行をしていた。スタートして400mくらいであろうか、何台かのオフィシャル車が付いてきていないことに気がついた。私のすぐうしろはワンボックスカーで気づくのが遅れた。携帯電話が普及していない時代で、事態が把握できず、ゼッケン1番が追い越していく中走ってスタートへ戻ろうとすると、1CP担当のオフィシャル車がコースとは違う方向へ単独で走り去っていった。ますます混乱する中、オートバックスの店員が知らせに来てくれた。「オフィシャル車がパンクしたので店内で交換中」とのこと。

 事情は分かったが果たして事態を収拾できるか。まずコースを知っているあと1台のオフィシャルにパンク修理を待って一緒に追いかけてくるよう指示し、他のオフィシャルは1CPへ急いだ。すると先ほど走り去っていった1CP車がちゃんと先に到着しており、CP開設済みであった。気を利かせて先回りしてくれていたのだ。本人はCPの正確な場所を知らなかったのだから、奇跡に近い。パンク車も1CPで合流することができ、事なきを得たが、これまで15年の経験の中で、最も冷や汗をかいた瞬間だった。

 この経験で2つの教訓を得た。
・隊列走行時は、大きな車両を最後尾にする。
・1CPまでに解答に時間がかかるクイズを設け、参加車を引き留めるポイントを設ける。
更新日時:
2005/05/14

5       作成者のお気に入りクイズ Bset 3

 過去の出題クイズの中には傑作と自画自賛できるものが多数あるが、正統派クイズの中でも特に私が気に入っているものを紹介しよう。

1位 塗り直し観光案内図

 観光案内看板から「八菅山」の標高を出題。ところが見た目は山の名前は載っているが標高は書いてない。皆看板の後ろを見たり周囲の他の看板を探したり右往左往。もう一度最初の看板を数分眺めると、山の絵とは離れた場所にまるで浮き上がり文字のようになって隠れている解答を漸く見つけ、思わず叫んだり手で隠したり(余計に周囲にばれるのだが)。つまり、旧看板を塗りなおしてあったために、この奇跡の出題ができたという訳。

2位 アスレチック遊具のロープ数

 確か第1回大会での出題。遊具のロープが一見縦横にクロスさせてあるだけのように見えるが、よくよく見ると複雑に編み込まれているのが分かる。理解すればする程、感心と難易度が同時に高まったはず。出題の極意を私自身学ぶことができた記念碑的作品。

3位 古戦場の史実の相違

 約670年前、新田義貞は自分の戦の結果をクイズにされるとは夢にも思わなかったろうが、こんな面白いものを発見しては放っておく訳にはいかなかった。久米川古戦場解説文(by東京都教育委員会)では新田軍の勝ち、小手指ヶ原古戦場解説文(by所沢市教育委員会)では勝敗決せず、と相違している。しかもルート上では後から登場する小手指ヶ原古戦場での出題であるため、問題を先読みしていなければ解けない設定。
更新日時:
2005/08/27
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Last updated: 2010/5/9
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