九 州 諸 国 の 擬 塔 婆 形 式 納 骨 堂

九州諸国の擬塔婆形式納骨堂

要旨

 九州諸国には納骨堂が集中し、7200棟以上あると云う情報がある。
この多くの納骨堂の内、大多数は通常の仏堂形式やビル形式であると推定されるが、中には当サイトで云う「二重塔・ニ層塔」、「擬製塔婆」の範疇の建築も相当数あるものと推定される。
 従って、主として九州諸国で「二重塔・ニ層塔」、「擬製塔婆」の範疇の「納骨堂」を追跡しても際限がなく、その上これ等の建物は正規の塔建築からかなりの程度乖離している場合も多いと思われるので、何が何でも全ての「二重塔・ニ層塔」、「擬製塔婆」の範疇の「納骨堂」(以上を「擬塔婆形式納骨堂」と定義する)を追跡するのは止めることとする。
 九州諸国の「擬塔婆形式納骨堂の概要」で述べるように、九州諸国では正規の層塔・多宝塔・宝塔形式ではない「擬塔婆形式納骨堂」が多く存在すると予想されるため、九州諸国に限り「擬塔婆形式納骨堂」は当ページに集約して掲載する。(地域順)

筑前東長寺:擬八角多宝塔形式納骨堂:僧侶に納骨堂であることを確認

昭和59年建立。初重は3階建の納骨堂で、一辺は約10m、地上高約19m。(「塔をゆく」)
外観は八角多宝塔の形式を採る。RC造。屋根亜鉛板葺。
2011/04/12撮影:
 筑前東長寺八角多宝塔1     筑前東長寺八角多宝塔2     筑前東長寺八角多宝塔3
2012/05/20撮影:
 筑前東長寺八角多宝塔4     筑前東長寺八角多宝塔4
なお、東長寺には2011年落慶の総桧造木造五重塔がある。
 → 筑前東長寺五重塔

筑前萬行寺:博多祇園

巨大な門徒会館(RC、5階建のビル、一部は4階建)4階の屋上に、相輪を掲げた単層堂が建つ。
但し、この相輪を付設した単層堂が納骨堂なのか他の機能をもつのかどうかは分からない。
浄土真宗本願寺派、享禄2年(1529)蓮如上人の命にて建立されると云う。門徒の地方中心寺院らしく、広大な境内と巨大な堂宇を備える。
2012/05/20撮影:筑前萬行寺単層塔堂

筑前長円寺:擬五重塔貼付形式納骨堂:境内に長円寺納骨堂(月光殿)との看板がある。

外観は縦半裁五重塔貼付納骨堂というべきものであろう。
通常では考えられない(伝統的ではない)意匠の建築である。納骨堂ビルの荘厳・装飾として 縦に半裁した五重塔を貼付した代物と云うべきものである。五重塔を冒涜するような意匠で、塔婆とは認めがたい代物であろう。
 ※縦に半裁とは正確に云えば、塔の初重から4重までの前三分の一を残し、後の三分のニは切落すと云うものである。
平成3年完成。鉄筋コンクリート製。総高約28m。長円寺は真宗本願寺派。春日市に所在。
但しRC造とは云え、外観は忠実に和様の様式を造作している点は評価できる。
1999年撮影: 「X」氏ご提供画像
 筑前長円寺五重塔1     筑前長円寺五重塔2
2011/04/12撮影:
 筑前長円寺擬五重塔1     筑前長円寺擬五重塔2     筑前長円寺擬五重塔3     筑前長円寺擬五重塔4
 筑前長円寺擬五重塔5     筑前長円寺擬五重塔6     筑前長円寺擬五重塔7

筑前国分寺:擬二重塔形式納骨堂、2基ある:小冊子「筑前国分寺跡」の境内図に納骨堂とある。

2基あり一号・ニ号と称する。二重塔形式を採る。向拝を付設。RC造。
2011/04/13撮影:
 筑前国分寺擬二重塔一号
 筑前国分寺擬二重塔二号

久留米霑妙寺:納骨堂と推定

◆六角偽三層塔:宝塔に並んで建つ。平面は六角、RC造総三層建物、最上階屋根は球面に造り、その上に九輪を架す。三層塔風建物と云うしかないであろう。但し塔建築として評価できる代物ではない。 (三層塔としての評価はできない。)
霊堂との扁額があるので、納骨堂であろう。
 久留米霑妙寺偽三層堂1     久留米霑妙寺儀三層堂2
○霑妙寺は久留米市京町255。明治12年大石寺55世法主によって開基される。(日蓮正宗、広布山と号する。)
 久留米霑妙寺三門     久留米霑妙寺本堂
  →霑妙寺宝塔(宝塔の項目中)

筑後府中安養寺:擬二重塔形式納骨堂:地図に納骨堂と明示。久留米市御井町高良山下。

RC造。詳細不詳。
建久3年(1192)頃、聖光上人の開山と云う。上人は当寺にて千日の別時念仏を厳修する。高良山目代の厨氏が寺地伽藍を寄進する。号を「厨山聖光院安養寺」と称する由縁である。安養寺南に接して永福寺がある。 筑後
2011/04/13撮影: 筑後安養寺二重塔1     筑後安養寺二重塔2

筑後府中永福寺:擬八角二重塔形式納骨堂:地図に納骨堂と明示、地元民の納骨堂との説明あり。久留米市御井町高良山下。

RC造。詳細不詳。
真宗大谷派。天文11年(1542)下弓削に創建、豊臣秀吉の九州平定に際し、陣中伺候して山号寺号を賜うと 云う。慶長6年(1601)田中吉政により府中(御井町)に移転、寺地を寄進されると云う。 文化2年(1805)焼失し、再建に取り掛かる。
2011/04/13撮影: 筑後永福寺八角二重塔1     筑後永福寺八角二重塔2

筑後源正寺:擬二重塔形式納骨堂:納骨堂と推測。久留米市御井町高良山下。

RC造。詳細不詳。
真宗大谷派。弘治5年(1555)創建。もとは府中(御井町)永福寺の西にあったが明治23年の火災で焼失、現在地(永福寺の南約200m)に移転と云う。 この移転場所は明治2年神仏分離で廃寺となった修験・高良山千手院極楽寺の跡地であったと云う。
2011/04/13撮影: 筑後源正寺二重塔1     筑後源正寺二重塔2

豊後浄土寺:八角三重塔

 八角三重塔は平成25年竣工。緒元は不詳。構造はRC造あるいは鉄骨と推定されるも、外装は檜造の木造である。
納骨堂として機能する。平面は八角形、三重塔であるが、三重塔初重の下の基壇相当部分にも、いわば基壇層と云うべきものを造り納骨堂・管理事務所のような機能を儲ける。そのことによって、 四層三重塔のような観を呈する。
 浄土寺(大分市王子西、旧生石村)は浄土宗鎮西派、文亀元年(1501)開山。山号は見仏山。
豊後に配流になった松平忠直<一伯・慶安3年(1650)没>の墓所。
戦国末期や江戸中期の大火によって焼失。本堂(正面7間入母屋造本瓦葺)は嘉永2年(1849)再建、一伯公廟も江戸後期の建築と推定、庫裏は江戸初期・中期の臼杵城の書院を移築と云う。
本堂、庫裏、玄関及び渡廊下、大弁財天石宮、一伯公廟、表門、北門の七棟は平成20年に国の登録有形文化財に登録される。本堂は近年旧に復する大改修が実施される。
2013/10/28撮影:
 浄土寺八角三重塔11   浄土寺八角三重塔12   浄土寺八角三重塔13   浄土寺八角三重塔14   浄土寺八角三重塔15
 浄土寺八角三重塔16   浄土寺八角三重塔17   浄土寺八角三重塔18   浄土寺八角三重塔19   浄土寺八角三重塔20
 浄土寺表門          浄土寺本堂
 浄土寺一伯公廟1      浄土寺一伯公廟2      浄土寺一伯公廟3
なお、浄土寺に以前(戦国末期か江戸中期の焼失前であろう)多宝塔があったと思われる。
明治の神仏分離の処置で柞原八幡宮多宝塔が取除されることに関して、浄土寺より「受贈」する「応札」があり、大分県庁も「聞届」ける通知を出す。にもかかわらず、結果的には浄土寺が柞原多宝塔を移建した形跡はないという結末に終る。
 上記に関しては「柞原八幡宮多宝塔」>明治の神仏分離の処置(多宝塔の処置) の項を参照。

肥前三津西光寺:擬二重塔形式

納骨堂。RC造。その他は不詳。西光寺は浄土宗に属する。
2013/09/22撮影:
 肥前西光寺ニ層塔1     肥前西光寺ニ層塔2     肥前西光寺ニ層塔3     肥前西光寺ニ層塔4     肥前西光寺ニ層塔5
 肥前西光寺ニ層塔内部     肥前西光寺山門      肥前西光寺本堂

熊本長洲霊堂:擬多宝塔形式納骨堂;熊本県長洲町長洲

納骨堂。RC造。長洲町営霊堂である。
長洲町長洲霊堂条例は昭和56年に制定されているので、その頃の竣工であろう。(聞き取りでも昭和末期頃の完成との情報あり)
2012/08/15「X」氏撮影:熊本長洲霊堂
2013/09/22撮影:
 長洲霊堂1     長洲霊堂2     長洲霊堂3     長洲霊堂4    長洲霊堂5     長洲霊堂6
 長洲霊堂7:内部、左右 の翼廊には仏壇が並ぶ。

肥後本妙寺塔頭常住院

納骨堂と推定される偽ニ層塔がある。RC造か。但し塔として推奨できるものではない。
2013/03/10撮影: 塔頭常住院偽ニ層塔
 →肥後本妙寺の塔頭常住院の項を参照

肥後川尻西教寺

西教寺は真宗本願寺派で、納骨堂がある。納骨堂は2010年03月竣工と思われる。
この納骨堂は僅かな空地に左右前後の建物と接するように建立され、外観の全容を把握することが困難である。
1階は駐車スペース、2階3階は恐らく納骨スペースの総3階建の納骨堂で屋根上に六角形の桟瓦葺屋根を載せ、さらに層塔風の相輪を架する。桟瓦葺屋根と金色の相輪 は遠くから遠望されるが、近くからは、容易には、3層建物に六角桟瓦葺屋根と相輪を載せた擬塔婆建築とは分からない。つまり、遠方から見た目には、ここに本格的な六角三重塔などが建立されているものと誤解する建物である。
2013/09/21撮影:
 川尻西教寺納骨堂1    川尻西教寺納骨堂2    川尻西教寺納骨堂3    川尻西教寺納骨堂4    川尻西教寺納骨堂5
 川尻西教寺納骨堂6:境内にある納骨堂の案内板を写したものである。

肥後妙音寺:二重塔形式納骨堂:熊本県宇城市小川町小川10

納骨堂と推測される。RC造。曹洞宗。
2012/08/15「X」氏撮影: 肥後妙音寺二重塔

肥後目白不動香峰寺:熊本市南区富合町木原2775

納骨堂、鉄骨造か。おそらく真言宗。総ニ階堂宇に相輪を載せたもので塔として評価できるものではない。(ニ層塔と評価は出来ない。)
2013/03/06撮影: 肥後香峰寺納骨堂1     肥後香峰寺納骨堂2


九州諸国の擬塔婆形式納骨堂の概要

 中四国及び関西に生活基盤を置く者にとって、納骨とは先祖代々が眠る墓地の土中に埋納し、その上には主として石製の墓碑を建てるのが当たり前の世界であった。そして、 その土地に檀家を持つ寺院があれば必ず墓地があり、また寺院のない村落・集落であっても、近隣に必ず共有墓地が立地しているのが普通であった。つまりは、ごく限られた都会付近は別にして、納骨は墓地で行うもので、納骨堂に納めるものでは有り得なかった。
 ところが、今般九州に足を踏み入れると、「納骨堂」がやたら多く、石製墓碑が林立する墓地の風景にはまず出会わないことに気が付く。
地元民に「納骨堂」が多い訳を尋ねると、「九州ではお骨はお墓には埋納しない、納骨堂に納めるものだ」との主旨の回答を得る。

このWebサイトには以下の情報がある。【要約】
 現在、日本全国には12000件を超える納骨堂があるが、その6割が九州にある。ついで北海道がおよそ16%、首都圏が4%、近畿圏が
3.5%という状況である。この数字は、宗教法人並びに地方自治体がもつ納骨堂の全てが含まれる。
 納骨堂の始まりは、一般的には明治期より始まったと言われている。
主な経緯は、下記のとおりである。
 1)浄土真宗本願寺派において喉仏を本山に納めるという習慣があったのが始まりで、保管をする為に納骨堂を設けた。   
 2)九州地方では、一旗あげようと上京する際にお寺に先祖のお骨を預ける「骨預り」という習慣があり、預かったお骨を保管するために納骨堂を設けた。
 3)北海道では、入植者が雪でお墓参りができないこと、いずれ本州に戻るのでそれまでの間お寺に預けることを目的に納骨堂を設けた。
 いずれも地域及び宗派の特性によるところが大きかったと推測される。
※何れにしろ、諸般の事情により、漸次、九州以外の地域でも納骨堂がこれからのお墓の主流になる時代が到来するのであろうか。

ページトップへ


2011/04/18作成:2013/11/16更新:ホームページ日本の塔婆