下 総 銚 子 円 福 寺 多 宝 塔 ・ 五 重 塔

下総銚子円福寺多宝塔・五重塔(飯沼観音)

下総銚子円福寺多宝塔

◆「銚子のけしき」松本栄、明36.7 より

2008/06/17追加:
◆二重宝塔:
塔は飯沼観音堂の右方に在り、寛治年中(1087-)の建立に係る、元禄15年(1702)2月鐘楼と共に祝融の厄に罹るり烏有に帰せしが、宝永5年(1708)円福寺14世海恵法印の時に至り旧観に復す。
 下総円福寺多宝塔:左図拡大図:明治36年もしくはその直前と思われる。
◆飯沼観音堂:
本尊十一面観音、神亀元年魚網にかかりて海中より出現せしもの、弘仁年中弘法大師来錫し、開眼の密法を修す、故に大師を以て開山と伝える。明治に至り境域5,612坪、中央に本堂あり。その他二重宝塔、祖師堂、庫裏、書院、大露仏等巍立す。
 下総飯沼観音堂:明治36年もしくはその直前と思われる。

2007/07/27追加:
「日本之名勝」瀬川光行編、東京:史伝編纂所、明治33年 より
 円福寺観音堂:安永6年(1776)再興、10間四面の大堂と云う。昭和20年今次大戦で焼失。

 

2010/06/25追加:
◆「大日本寺院総覧」寺院総覧編纂局/編、明治出版社、大正5年
 圓福寺全景:左端に多宝塔あり
真言宗智山派、天正19年徳川家康30石の朱印を賜う。境内5,620坪。本堂は天正年中の建立、仁王門・鐘楼・祖師堂・大露仏・龍蔵権現祠・多宝塔などあり。多宝塔は寛治年中(1087-)の建立にて元禄15年(1702)祝融の災に罹り、宝永15年(ママ)再建に係る。
 ※宝永は8年(1711)までであるので15年は誤謬であるが、「飯沼山円福寺記録」では宝永3年(1706)宝塔建立とある。

2010/06/25追加:
◆「関東第一の魅力銚子市」吉田初三郎、銚子観光協会、昭和9年
 飯沼観音多宝塔:本堂は円通殿と称し、方10間の木造瓦葺で四面の廻縁には精巧な彫刻が多い。境内に青銅の大仏、二重塔などがある。

2010/09/19追加:「Y」氏ご提供
◆絵葉書
 銚子飯沼山大仏及塔: 下図拡大図
 :昭和8年〜19年のものと推定(「Y」氏見解)


2008/06/17追加:
◆下総飯沼観音伽藍: 銚子大空襲のサイト より写真転載 (拡大写真なし)
 昭和20年7月19日深夜から20日未明の空襲で飯沼観音は焼け落ちる。

2016/09/05追加:
○飯沼山多宝塔写真を入手:本人(s_minaga)蔵:

 飯沼山二重塔:左図拡大図

作成された年代を推定すると
通信欄の罫線が2分の1であるので、大正7年4月〜以降
「きかは便郵」の表題は明治33年(1900)〜昭和8年(1933)2月であるので、
推定年代は大正7年から昭和8年の間と推定される。

一見して、上重が巨大であり、下重を圧迫し、塔は近世関東風の姿であったと推察する。
写真の質が悪く、細目は良く分からない。
塔は基壇に建つのか椽を設けるかはよく分からない。
下重軸部は平面3間で長押などを用い基本的に和様であろう。
下重組物も良く分からないが、相塔のような龍の彫り物のある尾垂木があるようにも見えるが、錯覚であろうか。また彫刻・彩色の蟇股を設置しているようにも見えるがどうなのであろうか。
屋根は銅板葺、亀腹も銅板葺であろうか。
相輪は形どうりのものを用いる。
上重の組物も全く写らず、分からないが、軒下の空間の雰囲気からいえば、四手先の組物を用いるものと思われる。
 

2017/01/16追加:
s_minaga蔵絵葉書

 飯沼山観音二重塔:左図拡大図
通信欄の罫線が3分の1であるので、明治40年4月〜大正7年(1918)3月までの間の絵葉書であろう。
上掲の「飯沼山二重塔」と比べて、少しは写真の状態が良い。
下重は平面方3間、中央間は桟唐戸、両脇間の上部は彫刻板を嵌める。
横材は長押を用いる。塔は基壇上に立つのではなく、床下を設け、切目椽を廻らす。
下重・上重とも尾垂木には龍の丸彫り彫刻がなされ、江戸関東風の特徴を見せる。
また、下重には彫刻を施した蟇股を用いるのも確かなようである。

円福寺略歴
飯沼山と号する。飯沼観音・銚子観音と通称される。
本尊十一面観音は大和長谷寺本尊と同一木であると云う。
白鳳期に創建され、明応年中(1492-1501)に全恵が中興したと伝える。
中世から近世まで多くの信仰に支えられる。近世、寺領30石の朱印を受ける。
当時、東性院(下記拡大図にもある新生町に現存)、円養院(明治初年、白河市に移転)、阿弥陀院、尊乗院、鏡智院、来福院、証誠院、普門院、光幡院、成就院(以上廃寺)の10坊があったと伝える。
堂宇は観音堂・仁王門・多宝塔・鐘楼・太子堂・馬頭観音堂・二十三夜堂・ダキニ天堂・竜蔵大権現堂などがあったが、本坊を除き昭和20年の空襲で多宝塔以下焼失する。

下総円福寺絵図

◆銚子図:

銚子図:製作年代不詳、江戸前期の制作と推定される。

銚  子 図(ほぼ全体):左図拡大図

円福寺伽藍部分図:上図部分

「飯沼山観世音縁起」:明暦2年(1656)

円福寺縁起所収の「円福寺境内図」・・・・左上部に二重宝塔が描かれている。
 

◆「利根川図誌」巻六、赤松宗旦、安政2年(1855)
銚子・飯沼観世音の項
 銚子磯巡の図:下部中央左が飯沼観音
 銚子磯巡の図(飯沼観音):飯沼観音部分・拡大図
飯沼観世音
飯沼山圓福寺十一面観音 坂東27番 仁王門 鐘楼(石垣) 本堂の額通殿(得水書) 二重塔 龍蔵権現 (金銅)石華表あり・・・・

2010/06/25追加:
◆「大銚子遊覧鳥瞰図絵」吉田初三郎、交通教育会、昭和元年
 吉田初三郎銚子鳥瞰図1
◆「関東第一の魅力銚子市」吉田初三郎、銚子観光協会、昭和9年
 吉田初三郎銚子鳥瞰図2

2004/04/10追加:
「本堂再建記録」:宝暦12年−安永6年では
本堂は観音堂と呼ばれ、本尊は十一面観音。坂東27番札所。三手先十間四面で再興。
天正16年造営本堂は修理に及べども、年々破壊し、また諸法会に手狭になって来、それ故の再建という。

「名刹保存金御下賜願ニ添付セル明細書写」 (明治20年):
寛永15年松平外記二重宝塔の修理、寛文11年(1671)松平外記楼門再興、
元禄10年(1697)鐘楼堂再興。
宝永3年(1706)宝塔建立(「飯沼山円福寺記録」)との情報もあるが不詳。

2011/01/10追加:
円福寺発行ルーフレット「飯沼山圓福寺」より
多宝塔は「寛治年中(1087-94)の創建にして寛永15年(1638)の多宝塔」とある。


下総円福寺五重塔

2006/06/15追加:
五重塔の建立計画があり、浄財を勧進中。木造、高さ60m?、総工費15億円の予定とされる。
但し、浄財の勧募具合もあり、着工などの見通しは不明と云う。 → 2007年に起工される。
2008/06/17追加:
竣工は2008/10月(12月とも)を予定。大成建設請負。木造総檜造・朱塗、総高32.78m。(33.55mとも)
 下総円福寺五重塔立面図:大成建設のサイトより

2008/12/12追加:「X」氏2008/11/30撮影画像:

2008/11月現在、ほぼ完工状態と思われる。
但し、資金難?からか、総高は当初計画からほぼ半分に縮減と云う。

下総円福寺五重塔1
  同        2:左図拡大図
  同        3

2011/01/04撮影:

平成21年5月竣工。
五重塔は薬師堂と多宝塔の再建を兼ねたものと云う。
初重には薬師如来などを安置、薬師仏光背に百体の薬師三尊を配する。
心柱は鉄骨を用いると云う。(あるいは心柱だけでなく構造体そのものも鉄骨とも思われる。)
 ※鉄骨を使用するのは、建築強度=風圧の問題と云うも、
 元来木造塔婆は自然の猛威に耐えてきた建築のはずであろう。

 下総円福寺五重塔11
 下総円福寺五重塔12
 下総円福寺五重塔13
 下総円福寺五重塔14:左図拡大図
 下総円福寺五重塔15
 下総円福寺五重塔16
 下総円福寺五重塔17
 下総円福寺五重塔18
 下総円福寺五重塔19
 下総円福寺五重塔20
 下総円福寺五重塔21
 下総円福寺五重塔22

2011/01/10追加:
五重目の仕様は四重目までとは趣を異にする。
即ち、五重目の垂木は扇垂木を使用する。また斗栱は三手先であるが、肘木が通し肘木となる。
五重目も平面方3間を採り、そのため柱間が狭くなり、おそらく通し肘木を採用したものと推定される。
 (古塔の例に倣えば、上重平面方2間と云う選択枝もあったと思われる。)
2010/06/25:「O」氏撮影・ご提供画像
 下総円福寺五重塔31:五重目      下総円福寺五重塔32:五重目及び四重目       下総円福寺五重塔33:五重目
 下総円福寺五重塔34:相輪
 下総円福寺五重塔35:方形請花であるが、方形である理由は不明 。

2013/02/15追加:「O」氏提供情報、提供写真
2011年東日本大震災被害;相輪の宝珠・竜車落下(高幡不動・金剛寺と同じ)
 2011/03/11の東日本大震災で、相輪最上部の宝珠・竜車が落下する。
その様子はブログ:「犬の遠吠え!それでも撮る」>私の場合の 「3.11とその6か月後」2011年09月23日 に詳しい。
 2011/03/11当日地震発生時刻、筆者は「銚子円福寺近くの路上にいた。本震・余震を合わせて車を3回止め,3回目は車から飛び出し路上に伏せた 」と云う。 円福寺に入ると、「この寺の朱塗りの五重塔上部飾りの最上部部分が地面に落ちていた。塔の高さ約60メートルと言われているが,塔の最上部部分はかなりのすり傷や塗りの禿げなどの損傷も見せながらも原型は全く壊れず,ゴロリと地面に転がっていた。」とも云う。
 その写真を転載する。
  ○3.11落下宝珠・竜車     ○3.11直後の円福寺五重塔:手前に落下宝珠・竜車が写る。
  3.11以前の宝珠・竜車:2010/06/25「O」氏撮影:
 上記の写真と合わせて推測すれば、水煙の上部に竜車・宝珠の部品の下部が差し込まれる浅い「入子」構造になっていたと推定される。
つまり、相輪の中には心柱は貫通せず、水煙の上に宝珠と竜車を一体化した部品を浅く「差込」だけの構造と思われる。
この場合、避雷針も取り付けられているはずであると推測するが、その構造は分からない。写真で見る限り、避雷針が付設されているようには見えないので、相輪自体が避雷針の「針」を兼ねているのであろうか。
なお、半年後には相輪は修復されたようで、その写真の掲載もある。
「O」氏情報では、大成建設で直後に修理を行う。板金業者は落下に伴う破損部を修理、避雷針業者は避雷針と落下部を再接続すると云う。
2013/03/19追加:2013/03/09「O」氏撮影:
落下竜車・宝珠の修理
 落下竜車・宝珠修理:差込部分を厳重に「ボルト止め」したのであろうか。

 2011/03/11東日本大震災塔婆破損情報 (「O」氏提供情報):江戸浅草寺、銚子円福寺、武蔵高幡不動金剛寺下総仁王尊観音教寺

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2011/01/04撮影:その他伽藍:
 下総円福寺観音堂:近代関東智山派建築の典型である。
 下総円福寺鐘楼
 下総円福寺本坊客殿:本坊は円福寺観音堂の南にやや離れてある。写真の堂宇が昭和20年の戦火を逃れたという客殿であろう。
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2010/01/10追加:
追記:奥ノ院補陀洛山満願寺(未見)
犬吠埼にある。昭和53年伽藍建立。本堂として満願堂(六角三重楼閣)があり、さざえ堂(開山大塔)と称する。
ただし、この「さざえ堂」は、Webにある諸参拝禄を参照すると、巡回路がさざえ堂本来の二重螺旋通路ではなく、単に螺旋階段があるだけで、さざえ堂の範疇には入らない建物であろうと云う評価が一般的である。
2013/03/19追加:2013/03/09「O」氏撮影:
 奥ノ院満願寺1     奥ノ院満願寺2
 満願寺さざえ堂1     満願寺さざえ堂2     満願寺さざえ堂内部
 満願寺さざえ堂眺望:さざえ堂最上階からの眺望、中央やや右に写るのは犬吠崎燈台と云う。


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