鷲巣鷲山寺

鷲巣鷲山寺概要

文永2年(1265)鷲巣領主小早川内記が日蓮上人を招じ、一堂を建立する。
 ※この時、日蓮は鷲妙見大菩薩を感得し、この妙見は武蔵浅草長國寺に出開帳され、この出開帳の開帳日に市が立ち、
 これが現在まで続く「浅草酉の市」である。そして明和8年(1771)には長國寺に勧請される。
 また、丹波亀山本門寺<丹波の諸寺中>にも鷲妙見大菩薩が祀られるが、これは浅草長國寺から勧請されたものという。
建治3年(1277)日弁上人来住、内記寄進の邸宅を寺院に改め、長国山鷲山寺と号し、伽藍を整える。
日弁上人は第2世。
第13世は日乾上人、第16世は日受上人か。
 ※日乾、日受は寛文5年(1665)幕府の命である手形提出を拒み配流となる。→谷中感応寺中を参照。
当初は多くの伽藍が整備されるも、天文4年(1535)、宝永2年(1705)、文久2年(1862)、昭和29年に伽藍を焼失する。
近世には細草檀林を運営。
現在、仮本堂、庫裏、開山堂、鐘楼堂、水行堂、仁王門、香神堂、長屋門等がある。
現在は法華宗本門流四大本山(京都本能寺尼崎本興寺、岡宮光長寺)の一つである。
門前に観妙院、妙本寺の2寺中がある。
2023/10/25追加:
○「多古町史 下巻」の妙興寺の項 より
 この年<※寛文5年(1665)>は、幕府が不受不施を禁制宗門と定め、峯(※下総中村峯の妙興寺:日弁開山)と両寺一寺といわれた上総鷲山寺当住、隠居も出羽新城に流罪となるなど、当地方は「寛文の惣滅」といわれた法難の嵐が吹き荒れる。
 ※鷲山寺当住、隠居とは、鷲山寺18世智泉院日達などが該当する可能性があるが、資料がなく、不明。
智泉院日達:慶長6年(1601)-萬治3年(1660)、本能寺・本興寺両山23世。光長寺18世。細草檀林1世。万治3年7月1日寂。

「tukamoto」氏2010/11/03撮影画像
 鷲山寺仁王門     鷲山寺仮本堂     鷲山寺方丈
 元禄16年大津波犠牲者供養碑
  :本堂前に、元禄16年(1703)の大津波犠牲者供養碑がある。


2010/11/11作成:2023/10/25更新:ホームページ日本の塔婆日蓮の正系