石巻市の津波避難タワー



1. 魚(さかな)町 一丁目 津波避難タワー

2. 魚町 三丁目 津波避難タワー
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3. 大宮(おおみや)町 津波避難タワー

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宮城県石巻漁業無線局 と その跡地に建設された 魚町三丁目津波避難タワー

   
石巻漁業無線局(宮城県の施設):昭和45年ころ新漁港、魚市場ができるとともに市内門脇(北上川の川口)から新しく移転、建設された。 被災後解体: 漁業無線局(二階建て)の玄関入り口 2012年3月に撮影: 一階の事務室は完全に壊滅した。 二階の無線室も浸水した。 ここは波打ち際に最も近く、50年前チリ地震津波の時も浸水した。 それなのに無線局入り口は地面とほぼ同じ高さである。 津波を考慮した造りではないことに注目! 

2011年3月の大津波から10年ほど前の夏、宮城水産高校で県民大学講座が開かれた。 県民大学講座初日の見学先がこの無線局だった。 質問の時間に無線局長に手をあげて質問をした。 質問: 今後予想される地震、津波の対策はとっていますか? 大地震、津波の災害時、国や県の機関、自衛隊や他の無線局と連携、協力して通信を確保するなどの災害時の協定などを結んでいますか? 無線局長の答え: ここは、漁船など船舶からの電報を受けてNTTへ引き渡す窓口の無線局です。 津波の対策はとくにありません。 他の機関と災害時に連携する協定などもありません。 以上が答えだった。

(空中線、送受信機などの無線設備は、牡鹿半島の山の上にある。 そこからマイクロウエーブとその反射板を使い、この局舎を結んでいる。 局舎には無線通信士が山の上の無線設備を遠隔操作する操作盤があるだけで何も見るものはなかった。 宮城水産高校の実習船「宮城丸」と無線電話での交信の様子を見学した。 )
 
石巻漁業無線局のすぐ前にあるのは太平洋に面した堤防(高さ4メートル): 砂浜にはイベント広場があったが、何もなくなっていた。 二階屋上から漁業無線局の職員が堤防をのり越えてくる大津波を写した写真がネット上にあった。 今は見当たらない。 私はコピーを持っているが、許可がないからHPに載せることはできない。 
 石巻市 魚町三丁目津波避難タワー 解体した宮城県石巻漁業無線局の跡地に建設された。 ソーラーパネルが太陽を求めて向いている方向が太平洋の方向である。 看板には 「津波浸水高は 5.4 メートルです」 とあるが、 ここでの浸水深は、もっと高かったはずと私は推測している。 なぜならば、海とタワーの間には、他の建物も松林もない、あるのは破壊された堤防と砂浜だけだからである。 その砂浜には、夏の海水浴の季節のための小さなイベント広場があった。 今はない。 
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波避難タワーの建設予算はおよそ 2億円、溶融亜鉛メッキどぶ付け)した鉄骨 がむき出しのタワーだ。 ここは、太平洋の砂浜から 150メートルほどの地点なので、台風などの強風時、海水の飛沫が鉄筋に付着するのは確実だ。 化学工業地帯や海水の飛沫が付着する海岸地帯では、溶融亜鉛メッキは、急速に腐食するとのことだが、その点、どうなのだろうか?

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