避難場所へ向かう

避難場所はどこか?

  私の避難場所は、東西に延びる太平洋の海岸線から 真北(まきた)方向に直線距離で 
  およそ2200メートル離れた、石巻市内の 際(きわ)地区、
  海抜は4−5メートルの山裾である。
  


国道398号線を横切る

  国道398号線(女川街道)の押しボタン式信号機は停止していた。 交通量はいつもと同じ。
  警察官が手信号で、早くも、交通整理をしていたのには驚いた。 
  35歳ぐらいの若い背の高い警察官だった。      
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警察官のその後の安否情報


  信号機そばの コンビニ は、営業中で、臨時閉店の準備をしている様子はなかった。
   (コンビニの位置は、太平洋の海岸線から 450メートル、入り江の海岸線から 620メートル)
  


道路に小さな亀裂 と たくさんの くぼみ

  自宅から国道398号線までの道路に地震の影響はなかった。 
  国道398号線を横断し通り越した伊勢(いせ)町、黄金浜(こがねはま)町の道路には地震の影響があった。

  黄金浜(こがねはま)町は、1960年のチリ地震津波の数年後から、それまでの 水田 を埋め立てて、造成した住宅地である。 
  埋め立てはあっさりしたものであったので、周辺の町内よりも全体的に地盤が低い。 

  道路はは小さな亀裂とたくさんの えくぼのような くぼみ が出来ていた。 
  小さな亀裂と 小さな くぼみ は、車道と歩道の境界、歩道の下水路の敷石の周辺に多くあった。 

  道路に大きな亀裂、大きな段差はなかった。 
  地震で壊れたブロック塀、倒壊した建物は、まったく見かけなかった。 
  液状化の跡も見かけなかった。 

  道路の くぼみに何度もハンドルをとられたが、自転車の走行に支障はなかった。
 心臓がドキドキし始めた。 これまでの地震では、道路の亀裂や くぼみ がこれほどたくさん現れたことは
 なかったからである。 本当に津波がくるかもしれないと予感がした。 (理由を書くこと) 
 やがて、住宅地を通り抜けて 田んぼ の中に出た。


住宅地を通過中に避難途中の家族、避難準備をしている人は見かけなかった

  住宅地を通り抜ける間に、私と同様に避難のため移動しているとおもわれる人に
  1人も出会わなかった。  「お宅は避難するのですか?」と、立ち話をしている主婦二人と
  すれちがっただけである。  避難準備をしている人や家族もまったく見かけなかった。 

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  津波警報が出ても避難行動をする人を見かけない状態は、今回の3月11日だけのことではない。
  前年、前々年の津波警報の時も同様であった。 この点に注目していただきたい。

  私は避難途中そして夕方避難場所から帰る途中、リュックサックを背負っていることもあるせいか、
  道路で出会う人が奇異の目で見ているという雰囲気を感じた。 「避難するほどのことでもないのに、
  本当に避難している人がいる、珍しい!」 という目を感じたものである。


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