避難場所へ到着
田んぼの中をゆっくりと走る
住宅地を抜け空気のきれいな水田地帯へ出てほっとした気持ちになった。
目的地の避難場所まで直線道路を走るだけだ。 ラジオを聴きながらゆっくりと走る。
避難場所へ到着
自宅を出発してから およそ 20分 で(私的に選んだ)目的地の避難場所に到着した。
避難のため来ている人は誰もいなかった。 遠くで、農家の人が怪訝そうに私を見る。
前年、前々年の津波警報の時も同様であった。
図 1. 私の避難場所:石巻市渡波(わたのは)地区内の 際(きわ)地区 写真中央よりやや左、上
の Y(わい)字路に見える道路(実際には十字路)上 (大津波から1年後の5月5日に撮影)
東西に延びる太平洋(仙台湾、石巻湾)の海岸線から真北方向におよそ2200メートル、
海抜4−5メートルの山すそ。 (参照:下段の地図)
水田は大津波で浸水したので、田植えをせず草が生えている。
写真の山すそを巡る道路とその右にある山すそ側の住宅は浸水しなかった。
ちょうどこの水田と道路の境目が大津波浸水域の境界である。
図 2. (避難場所近くから) 太平洋(仙台湾、石巻湾)の海岸線方向を見る。
大津波で山すその水田まで浸水したので、写真のように田植えは行われていない。
3月11日は、寒い日で、曇り空であったが、空は明るく、写真と同様
海岸線に沿って広がる松林をはっきりと見渡すことができた。
昭和30年代には、渡波(わたのは)地区の松林は、松原町付近から
湊中学校の付近まで4000メートルに渡る美しい松林であった。
チリ地震津波(1960)以降、松林を切り倒し、新漁港を造り、魚加工団地を造り、
住宅地を造成したので もったいないことに、1200−1300メートルほどになってしまった。
この避難場所は安全であるか?
安全と考えて選びました。
理由は、
1. 石巻湾は、石巻から仙台、福島に向けて
緩やかに弧を描く海岸線からなる。 V字形をしたリアス式海岸のように
津波が陸に向かうにしたがい高くなることはない。
2. 避難場所は東西に延びる太平洋(仙台湾、石巻湾)の海岸線から
真北方向におよそ2200メートルの位置にある。
自宅のある渡波(わたのは)地区で、ここよりも海岸線からの
距離があり、離れているところは他にない。(下の地図を参照)
3. 避難場所は山すそなので、山側に少し歩くとすぐに5メートル、10メートルと
海抜が高くなるので安全だと考えた。 ただし山を越える道路はない。
と、考えたからです。 こちら にもあります。
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私の当日の 避難経路 と 避難場所 際(きわ)地区:
自転車でゆっくり走り 際(きわ)地区に 20分で到着した。
津波は石巻の海岸線に地震からおよそ50分後に到達した。
これまでの避難訓練とはちがって一区画手前で北へ曲がってしまった。
ほんとうは、もう一区画西へ進み一段階で北へ向かうはずだった。
津波が本当に来るかも・・・、というあせる気持ちが作用したかもしれない。
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