海岸線の松原を見つめる やがて空は暗くなる
地震から30−40分経過、 海の方向をじっと見つめる
3月11日は、寒い日で、曇り空であったが、空は明るく、写真と同様
海岸線に沿って広がる松林をはっきりと見渡すことができた。
周辺は大変に静かだった。
数百メートル先で 農家の人が立ち話をしている声が聞こえるほどだ。
国道398号線よりも陸側の広い道路を車が通行しているのが見えた。
小さな走行音も聴こえてくる。
ラジオを聴きながら海の方向を見つめる。
津波が見えるかもしれないと思ったからだ。
ラジオは、岩手県に津波が到達していると放送していた。
石巻に津波が到達しているという放送はまだない。
津波は見えない。
避難の車がぽつりぽつりと集まりだした。
地震の揺れが収まってから 50分から60分(正確ではない)経過した頃
空が暗くなり小雨となる。
(当時は知ることができなかったが、ちょうどこのころ、大津波が石巻の海岸に到達したようだ。)
一台一台指で数えたわけではないが、車の数は見える範囲で10台前後である。
前年、前々年の津波警報発令でもこれほど車が集まることはなかった。
車の人は車に閉じこもったきり外に出てこない。
小雨から、みぞれ、小雪、降り止みを繰り返すお天気となる。 気温も低下。 手がかじかむ。
私は、頭の雪をはらいながら海の方向を見つめる。 やがて暗くなりもう海岸方向の松林は見えない。
(当時は知ることはできなかったが、ちょうどこのころ大津波が石巻の家々を破壊していた時間帯。)
繰り返しになるが、周辺は、雪、みぞれ、
一時降り止む繰り返しの天候のこともあり、ひじょうに静かだった。 大津波で
家々が海水の中で破壊されていたせいか、何の音もここまでは届かなかった。
遠くの道路を走行する自動車も見えないし、小さい走行音も何も聞こえない。
静寂そのものだった。
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地震の揺れが収まってから 数時間が経過した頃
夕方の5時半頃になり、「鹿妻(かづま)小学校にも水が上がってきているので、この辺も危険です。
もう少し(坂を)上に上がってください。」と、いう声が聞こえた。 姿は見えないが、
話す口調から女の警察官のようだ。 声が穏やかなせいか誰も移動する人はいない。
私も移動しなかった。
(この時間帯には、すでに津波の襲来は終わり、海水が引いた時期なので、「津波が来ます、
早く上に上がってください」ではなくて「水が上がってきています」の表現になっているのだと思う。
海水が水田の用水路を通ってじわじわと逆流していた頃(推測)。 切迫感はなかった。
(この時分の鹿妻小学校の様子を撮影した
YouTubeのビデオを発見したのでリンクします。)
鹿妻小学校は、私の避難場所と太平洋の海岸線の中間位置にある。
鹿妻(かづま)小学校は太平洋の海岸線からおよそ1100メートルの位置にある。
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夕方の6時頃になり、やはり姿は見えないが、口調から警察官らしき人が、
「鹿妻小学校にも水が上がっています。 この辺も危険なので、もっと(坂を)上に上がってください。」
と叫ぶ声が聞こえた。 周辺には、津波の気配、海水の気配はまったくなかったけれども、
男の警察官の強い声のせいか、皆一斉に移動を開始した。
私はその必要性を感じなかったが、一応、坂道を上に上がることにした。
坂の上の民家のガレージに身を寄せる
野宿を覚悟しつつ、自転車を引きながら坂道をゆっくりと登る。
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