鹿妻小学校での津波の様子

You Tube で
鹿妻(かづま)小学校体育館での
津波浸水のビデオへのリンクはこちらです。

鹿妻小学校は、太平洋の海岸線からおよそ1100メートルの位置にある。 
太平洋の海岸線の海抜は2メートル、鹿妻小学校の海抜も2メートル

25000分の1の地図(国土地理院)による) 下の地図にもある。

ビデオは、私が撮影したものではありません。



図0.石巻市の渡波地区の地図: 向かって右から左へ赤い丸がある。

もっとも右の赤丸がサンファン館(800センチ浸水、写真にあるエスカレータの下に
さらに くの字方向に(写真にはない)エスカレータがつづいている。 その写真に写っていない
エスカレータの地上から3分の1途中の位置に 「ここまで浸水 8m」 の印表示がある。
サンファン館の赤丸の左上が自宅(285センチ(家の中)浸水、家の外の浸水深は今も不明)、
(さらに左上へ)私の個人的避難場所:際(きわ)地区(海岸線から垂直方向に2200メートルの山すそ)、
(さらに左が)鹿妻小学校(およそ60センチ浸水)(海岸線から1100メートル)、
(さらに左が)ヨークベニマル(およそ300センチ浸水)(海岸線から700メートル)、
そして石巻ガス本社ビル(400-500センチ浸水)(石巻新漁港の岸壁からから470メートル)。
さらに左に北上川、と日和山(ひよりやま)(石巻高校がある)。

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大津波から1年4か月後、
ビデオの現場を見るため鹿妻(かづま)小学校へ行ってみた。
ビデオは、体育館の演技見学用の2階から撮影したようだ。

公道を撮影したものと考えていたが、
そうではなくて、校内の通路を撮影したものであるとわかった。 

通路の植え込みのコンクリートの高さは65センチメートル(物差しで実測)なので、
ビデオ撮影時の津波の浸水高はおよそ60センチメートル前後ということになる。
降雪の様子はないので、浸水の初期の段階かもしれない。 最大浸水高は不明。 

鹿妻小学校は小さな学校のわりには校庭が広い。
ビデオ開始から4-5秒後に校庭が湖のように見えるのがわかる。



図1. 鹿妻小学校 裏門の公道(水田側)から校内の体育館と通路と植え込みを見る。
ビデオは、体育館の2階から植え込み方向を撮影したことがわかる。
(大津波1年後の7月(石巻市の避難訓練の日)に撮影)



図2. 鹿妻(かづま)小学校の体育館側から校内通路と植え込みを見る。
正面が太平洋海岸線方向。
正面の小さな建物は体育道具収納庫、部室らしい。

植え込みのコンクリートの高さは65センチメートル。 
したがって、ビデオ撮影時の浸水高はおよそ60センチメートル前後。

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それから4年後、鹿妻(かづま)小学校へ行く機会があったので
体育館の写真を撮ってきました。


図3. 鹿妻(かづま)小学校体育館の内部: 4年後のこの日ここで、石巻市役所の防災ラジオの
販売会があったのでついでに写真を写した。 ありふれた小学校の体育館の内部 -
ビデオが撮影されたテラスが見える。 石巻市役所の職員によると、体育館の
床までは浸水しなかったと。 体育館の床は地面から70センチメートル
(巻尺で最近(2016年)計った)ほど高い。 そのお陰で浸水しなかったのだろう。
体育館は、大津波後、避難所として使われた。 震災初期には700人ほどがここで生活をした。

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私が住んでいる仮設住宅団地に栄田町内に住んでいた人がいる。
栄田(さかえだ)地区は、渡波中学校の西陸側の町内で鹿妻小学校に近い。
その年配の女の人から仮設団地内でお話をきいた。

2011年3月11日大きな地震の後、
お孫さんと一緒に徒歩ですぐに鹿妻(かづま)小学校に避難をした。
鹿妻小学校には避難者はたくさんいた。 しかし、人数まではわからない。
鹿妻小学校にいる間に、ここ(鹿妻小)も危ないのでもっと安全な場所に避難をした方がよいと
声があがり、さらに歩いて近くの「すがわら神社」まで避難をした。

(ビデオにあるように浸水したならばもう鹿妻小学校を出てさらに
別の避難場所に移動することはできそうにないので、
上のビデオ撮影前のような気がするが・・・不明。)

息子夫婦とは同居していない。
息子さん夫婦が働きに出ている間、朝、お孫さんをあずかり、
夕方、子供を引渡し、帰していた。 今も、仮設住宅でそうしている。 

普段から、あずかった子供を自分が死なせてしまうわけにはいかないと心に決めていた。
地震の後すぐに避難をした。 以前から津波警報があれば避難をしていた。

大津波の後、自宅に戻る途中テレビで見るよりももっと怖いものを見た。 
だから大津波の放送が始まるとテレビのスイッチを切る、と。 

ご主人は船乗りでちょうど退職の時期にあたる。 仮設住宅入居から
およそ3年後、家を新築して応急仮設住宅を退去した。

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すがわら神社 はどこにあるのだろうと探してみた。
すがわら神社は 鹿妻小学校から北500メートルにあった。(地図に赤印を付けた)
菅原道真を祭る 菅原神社であることがわかった。


図4. 菅原神社 鹿妻地区牧山の崖のすぐ下にある。

図5. 菅原神社 3 メートルほど高い所にあった。

図6.菅原神社から見渡すと民家がひろがっている。 正面が太平洋の方向で海まで1500メートルほど距離がある。 左は土木会社の敷地。 東日本大震災では、神社近くの民家では、道路がひたひたになる程度に浸水したと聞いた。

菅原神社は、鹿妻小学校から 平坦な道を歩き 北へおよそ 500 メート、山の崖下にあった。 3月11日の夕方、神社の堂は開いていたのだろうか。  津波の日の夜から朝にかけてどのように寒さをしのいだのやら? あの寒い夜を想像するだけで心配になる。
仮設住宅の人に  「あら、すがわら神社、知らないの?」 と言われたが、私は知らなかった。 私の元の家から直線で 2.5キロメートル離れている。 鹿妻町内は避難訓練以外歩いたことはないので知らなかった。 今日は通りがかりの3人に道を尋ねてたどり着いた。 

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