3月11日 津波の日の最初の夜 1.
坂道の途中の民家のガレージに身を寄せる
野宿を覚悟しつつ坂道を自転車を引きながらゆっくりと登る。
坂道に沿って避難の自動車が並んでいた。 その数20−30台(指を折って
一台一台数えたわけではないので正確ではない)駐車している。
ほんの2−3分歩いた所に民家のシャッターの無いガレージがあった。
5−10メートル高くなった所だ。 海抜は10−16メートルぐらい。
風を防げるだけでもありがたいと思い、この民家のガレージに身を寄せることにした。
ガレージの前には発動発電機が唸りをあげ、その電気で
お祭りで使うような大きな電燈がひとつ輝いて周辺を明るく照らしている。
さらにブルーシートの中央には大きなガスストーブが用意されている。
10人ほどの男女がストーブを囲み座り込んでいる。
私は皆から離れてガレージの奥に陣をとり
ガレージの奥に束ねてあった段ボールと新聞紙を勝手にほどき
コンクリートに敷き体に巻き付けた。
発動発電機の音がうるさいので耳には栓をして、
リュックサックを枕にして横になった。
今はしっかりと休み、明日からの活動に備えたい、そして、
今夜、睡眠不足にならないことが一番大事だと考えた。
ストーブの人には何度かストーブの周りに来るように勧められた。
私は、ストーブの人にブルーシートの上に段ボールを敷くように勧めた。
その夜は寒いことは寒いが、私の家は元々あまり暖房の効いていない寒い家なので寒さには慣れている。
そのことよりも、発動発電機の音がうるさいのが私にとり障害だったのでストーブは遠慮した。
ガレージの側面には 「尚武」 と墨書した大きな額が掲げてあった。
このような額を掲げるほどのご主人なので、避難の人に早速、
大きな発電機と電燈と大きなストーブを用意したのだろうと有難く思った。
夜の9時ころになり、
ストーブの若い男の人からストーブにあたるように再び勧められた。
私もストーブの周りに席をとった。
大きなストーブなのだがほんのり暖かいぐらい。 シャッターのない
外に開いたガレージだから。 外は小雪がちらついている。
ストーブの周りの人はもともと知り合い同士のようなでもあり、
知らない人同士のようでもある会話をしている。
津波の話はほとんどなかった。
その中に明るく親しげにおしゃべりをする30歳代後半ぐらいの女の人がいた。
ほんの一瞬耳慣れない発音が混じる。 そこで、「どちらの国の出身ですか?」ときいてみた。
数回意味が分かってもらえなかったので、英語で質問をした。
「フィリピン」 と、返事があった。 そして、日本語で、
「わたしのお父さんはね、海の方ではたらいているの。 きっと大丈夫だと思う!」
さらに、もう一度、明るい表情をしつつ、私の顔を見ながら、
「わたしのお父さんはね、海の方で一人ではたらいているの。
一人ではたらいているからきっと大丈夫だと思う。」
私は彼女の眼を見つめながら大きくうなずいてあげた。
そして、その女の人は、みんなの方を向いて、もう一度、
「わたしのお父さんはね、海の方で一人ではたらいているの。
一人ではたらいているからきっと大丈夫だと思う」 と。
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