魔眼 情動

06


 入り江から繋がっている洞窟内は海水に満ちていて、オレ達はわずかな足場とアデライーデが用意してきたカンテラの灯りを頼りに暗い洞窟の奥へと進んでいった。

「今ちょうど満潮みたい。普段はもう少し足場があって歩きやすいんです」

 カンテラを片手にそう説明するアデライーデの背中を追って行くと、奥に進むにつれ次第に洞窟の幅は広くなり天井が高くなっていった。わずかだった足場も増え歩きやすくなる。やがてオレ達は結界の張られた場所に出た。

「魔導書を見ながら初めてやってみたんです、侵入者対策の結界。無理やり破ろうとする相手にダメージを与えて、あたしに侵入者を報せてくれるようになっている……はずのもの」

 最後の方は自信なさげな言い方になりながら、彼女はロッドをかざして結界を解除した。

 そこから更にしばらく進むと洞窟の終わりが見え、最奥にある海水の溜まりの中に傷付いたカールマーンがいた。思っていたよりも小柄で、体長は鼻の先に突き出た角を入れて三メートルほどだ。通常薄緑と言われる体躯は濃い目の緑色をしていて、暗い水の中でキラキラと煌めいて見えた。

「子供か……?」
「多分、そうだと思います。先生が調べてくれたところによれば、大人はゆうに十メートルを超えるらしいから。身体の色もちょっと違うみたいだし」

 そんなやり取りを交わしながら、アデライーデはオレが下ろしたカゴの中から凍った魚を取り出すと魔力を調節して解凍を始めた。その傍らで改めて周囲に視線を走らせたオレは、空気の流れと微かに風が唸るような音を確認した。

 ここは洞窟の最奥で行き止まりだが、どこかに風穴(ふうけつ)があって、外へと続いているようだ。そこから漏れたカールマーンの声がアデライーデに届いたのか……。

「うーん……このくらいかな?」

 アデライーデは解凍した魚の身を指でつついて弾力が戻ったことを確かめると、「ご飯だよ」と言ってそれで水面を軽く叩いた。すると水中のカールマーンがゆっくりとこちらへ近付いてきた。初めて目にするオレの姿に警戒をする素振りを見せながらも、アデライーデが敵ではないと認識しているらしく、しばらくためらうように水中を揺蕩(たゆた)った後、おもむろに顔を出して差し出された魚を頬張った。

 クラウスが言っていた通り、カールマーンのつるりとした胴体には銛(もり)を撃ち込まれたと思われる大きな生々しい傷があり、その他にも裂傷やところどころ引き攣れるようにした痛々しい熱傷の痕も見受けられた。

 確かに人為的な傷だな……しかも傷の形状からして、そこらの漁師が使うような普通の銛で付けられたものではなさそうだ。もっと巨大で貫通力のある、殺傷力の高い銛だ。こんな銛を持つ者はそうはいないだろう。

 そんな銛を持つ輩……現在の状況から考えられるのは―――……。

「しかし、想像以上に痛々しい傷痕だな。生きていたのが奇跡的と思えるような……」
「見つけた時は本当に……ひどかったんですよ。息があるのが不思議なくらい血だらけで、可哀想なくらい弱り切っていて―――」

 その時の様子を思い出してだろう、アデライーデは言葉を詰まらせ、きゅっと唇を結んだ。

「……クラウス先生の見積もりでは、カールマーンの傷は後どれくらいで治りそうだと?」
「まだ一週間くらいはかかるだろうって言ってました。この子、見つけた時はくったりして岩棚に上がっていたから注射をして薬を塗ることが出来たんですけど、少し元気になった今は見ての通り水中に潜っちゃうからそういう手当てが出来なくて、餌の魚に薬を仕込んで治療しているような状態だから……」

 一週間か……。

 傷付いたカールマーンを観察しながらオレは頭を巡らせた。

 カールマーンの肉は人間が食するには脂っぽく、食用には向かなかったはずだ。傷のつけられ方を見ても、角を採取する為だけに殺そうとしたのは間違いないだろう。

 魔物は生きる為に人間を食することがある。人間も生きる為に他の生物を食している。

 それは自然の摂理だが、種族の垣根なく、生きている者は誰もが捕食されることを望まない。オレの故郷、エランダの住民達がそうだったように―――……。

 オレ達傭兵は人間の側に立ち、人間が他の生物―――特に魔物に捕食されることを防ぐ為にそれらと対峙することが多いわけだが、今回のように自然の摂理の枠を超えて、他の生物をむやみに殺傷する行為には嫌悪しか覚えない。それが歪んだ金銭目的となればなおさらだ。

 そんなことを思っていた時だった。

 ふと人の気配を感じて、オレは後ろを振り返った。

「ドルクさん?」

 そんなオレを怪訝そうに見上げてくるアデライーデに人差し指を唇の前で立てて合図を送り、神経を研ぎ澄ます。

 何者かが洞窟内に入ってきたようだ。まだここからは距離があるが……何人だ? 二人か?

 あちらはまだオレ達の存在には気が付いていないようだ。気配を隠す様子もなくこちらへと向かってくるのが分かる。

「誰かが洞窟内に入ってきたらしい……様子を見て来るからここにいてくれ。心配はしなくていい」
「は……はい、分かりました……気を付けて」

 不安げな表情を見せるアデライーデの頭にぽんと手を置き、彼女を安心させる為に軽く微笑んで、オレは今来た道を戻り始めた。



*



 洞窟内に侵入してきたのは傭兵風の装いをした二人組の中年の男だった。

 男達が手にしたカンテラの灯りに浮かび上がるその風体から察するに、一人は拳闘士でもう一人は術士(メイジ)か。この術士(メイジ)がアデライーデの言っていた人物だろうか?

 彼らがいるのは洞窟の中間地点だった。もう少し進んだカーブの先にはアデライーデの結界がある。そのカーブの先に身を潜めながらオレは二人の様子を窺った。

「入口は狭かったが、こんなに奥行きのある洞窟だったとはな……」
「ああ。これは当たりかもしれん。海水もずっと奥まで続いているようだしな」

 そんな会話を交わしながら二人は歩を進めてくる。

「まだ見つからないのかと、いい加減シュライダーも焦れている。色好い報告が出来ないと、そろそろオレ達もヤバい」
「同感だ。ここで見つかってくれればいいんだがな……」

 シュライダー? こいつらのリーダーか? 会話の内容的にはカールマーンを探しているようにも取れるな……。

 アデライーデの話では怪しい小型船には何人かが乗っていたとのことだった。この二人がその手合いだとしたら、残りの仲間は洞窟近くに停めた船の上で待機しているのだろうか?

 ―――とりあえず、これ以上行かせるわけにはいかないな。

 アデライーデの結界もこいつらに見せないに越したことはない。

 オレはタイミングを計って二人の男の前に飛び出すと、虚を突かれて目を剥く術士(メイジ)の喉元に素早く短剣を突き付け、遅ればせながら反撃の構えを取る拳闘士へそれを見せつけながら口を開いた。

「―――こんなところへいったい何をしに来た? 何かを探しているような口ぶりだったが……」
「な……何なんだ、お前は!」

 突然現れたオレに狼狽を隠し切れない男達へ、皮肉気な笑みを返す。

「そういうあんたらこそ何なんだ? 見たところ傭兵のようだが」

 術士(メイジ)の喉元に突き付けた短剣に薄皮が裂ける寸前まで力を加えると、分かりやすく怯えた相手はあっさりと口を割った。

「そ、そうだ……オレ達は傭兵だ。雇い主からの依頼で、あるものを探してここへ来たんだ」
「お、おい!」

 たしなめる拳闘士へ術士(メイジ)は悲鳴のような声を放った。

「じ、事実だし、これくらい特に問題ねぇだろう! それにコイツ、雰囲気が何かヤバい!」

 へぇ……索敵能力はお粗末だが、相手の力量を察する程度の器量はあるのか。ランクはまあ大目に見てBというところか?

「本当に傭兵ならギルドのプレートを持っているな? 見せてみろ」

 疑う素振りを見せながら低い声で恫喝すると、相手は震えあがりながら「ネックレスに付けている」と訴えた。オレと対峙しながら為(な)す術なくその様子を見守っている拳闘士に一応の注意を払いながら、左手でくたびれた長衣(ローヴ)に手を突っ込み引っ張り出したネックレスに付いているプレートを確認すると、男の素性が分かった。

 モーリス。職業術士(メイジ)。ランクB。

 プレートを見ただけではこれ以上の詳細な情報は分からなかったが、刻印から察するに、どうやらランクは最近昇格したばかりらしい。

「あるものを探してここへ来た、と言ったな。あるものとは何だ?」
「そ、それは……守秘義務があって、言えない」
「守秘義務? 普通の依頼ではないということか」

 モーリスの首筋に当てがった刃にわずかな力を加えると、薄皮が裂け、引き攣れた悲鳴が上がった。

「て、手負いの魔物だ! 手負いの魔物を探している!」
「おいおいおい……」

 呆れた声を出す拳闘士に、やけっぱちになったモーリスが怒鳴った。

「仕方がねぇだろ! 楽で美味しい仕事って文句につられたのに、これじゃ、割に合わねぇっての!」
「オレは知らねぇぞ。お前が勝手にゲロったんだからな」

 この二人の仲間意識は希薄そうだ。今回の依頼を通して組んだだけの間柄か。

「手負いの魔物、とは?」
「ご存じなんじゃねぇの? 僕チャン。オタクこそこんなところで何してんだよ」

 口元を歪めてオレを皮肉る拳闘士にモーリスが蒼白になった。

「おいおいおい! 妙な刺激をするんじゃねぇよ! 状況分かってんのか、この筋肉ダルマ!」

 どうやら決まりだな。この連中の探し物は手負いのカールマーンで間違いなさそうだ。

「なら、お前がさっさと話すんだな……」

 冷たい声でモーリスを促すと、竦(すく)み上がった術士(メイジ)はぺらぺらと話し始めた。



*



 モーリスの話をまとめると、彼がこの場所へ来ることになった発端は、ギルドの掲示板に張り出されていた非公式の依頼を受けたことだった。

 ダハールのギルドには地域柄、昔から遠方漁業に同行する護衛を募る依頼がある。その多くが緊急性の高いものではなく保険的な意味合いが強いものである為、そういった依頼は公式の依頼としては扱われず、非公式の依頼として掲示板に張り出されるというのが常だった。

 そういったものの中で半年ほど前から「ロッホ商会」という漁業を営む新興の商会から出る依頼が内容の割に報酬がいいと一部の傭兵達の間で評判になり、その噂が徐々に広がって、遠方漁業へ赴く度に張り出されるロッホ商会の依頼は傭兵達の垂涎(すいぜん)の的となった。

 モーリスは高い競争率を今回初めて勝ち取りその仕事にありついたのだが、遠方漁業の実態は、捕獲が禁止されている魔物―――カールマーン狩りで、雇われた傭兵達はその片棒を担ぐというものだった。

「依頼を受けてすぐ、漁場の位置を同業者に知られるのを防ぐ為とかで守秘義務の書類ってのを書かされて、面倒くせぇとは思ったけど、せっかくゲットした仕事を棒に振るのもバカくせぇし、報酬は確かにその辺のヤツよりよっぽど良かったから、深くは考えずにサインしたよ。
現場に行って初めて、こういうことかよ、って妙な納得はしたけど、その時にはもう海の上だし、既に片足を突っ込んじまっているっていうか、手遅れって感じで」

 彼らはその狩りで群れにいた子供を一体取り逃がしてしまったのだが、それを知った依頼主は激怒して彼らに「回収」を命じたのだという。

「生死は問わないから何が何でも角だけは持ち帰れってよ。あの角一本が、雇った傭兵達(オレら)の命よりよっぽど価値があるんだとさ」
「……その依頼主が『シュライダー』か?」

 先程モーリス達の会話に出てきた人物の名を出すと、微妙な反応が返ってきた。

「シュライダーはロッホ商会の総責任者だけど、多分もっと上がいるよなぁ?」
「オレに振るな。オレは口を割ってないぞ」

 つれない拳闘士の反応にモーリスが舌打ちする。拳闘士は既に戦いの構えを解き、諦めモードに入ってこの事態の成り行きを静観していた。

「ああもうくっそ、バカくせぇ! 漁の護衛に付いて行って帰って来るだけで良かったはずが、延々取り逃した魔物の探索させられるわ、その挙句こんな目に遭うわ……本当の黒幕……依頼主はもっと大物だろうってのが雇われた傭兵達の間でまことしやかに囁かれてる噂だが、本当のところは分からねぇ。何しろオレら、船長を通して命令を受けているだけで、シュライダーにすら会ったことがねぇんだ。末端もいいトコだからな」

 まあ、それはそうだろうな。切っても痛くない手足とする為にその「黒幕」は傭兵を雇っているのだろうから。

「さ、さあ、喋ることは喋ったぜ。も、いいだろう? 頼む、解放してくれ」
「最後にひとつ……お前、雷撃の呪文は得意か?」
「おお、オレは雷撃系の呪文には自信があるんだ。何を隠そう、取り逃した魔物の子供がこの辺りに逃げ込んだのが分かったのは、ひとえにオレが呪文の痕跡をたどったことによるもの……」
「そうか」

 オレは得意げにそう語る術士(メイジ)の言葉を遮ると、短剣を収める代わりに、その鳩尾に重い拳を叩き込んだ。
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