魔眼

06


 きらびやかな輝きを放つ極彩色の羽根。肉厚な羽根が動く度、きらきらと宝石のような鱗粉が舞う。

 だが、幻惑のかかっていない身からすると、その姿は妖精に似ても似つかなかった。ド派手で凶悪な面構えの、巨大蛾の女王だ。

 大きさは人間の子供くらいあるだろうか。鋭い牙の突き出た口を開き、幻惑蛾の女王は恨めしそうな人語を放った。

「マタ……マタ『傭兵』カ! モウ少シ……モウ少シデ、我ラノ餌場ガ出来上ガッタモノヲォォ!」

 また傭兵、ときた。やはりこいつはオルフラン地方から逃げ延びてきた女王の幼生だったのか。

「そんなモノ、作らせてたまるか!」
「私ノ赤チャン……子供……タクサン、タクサン殺シタナ……! 許サナイ!」
「先に手を出したのは、お前らだ!」

 剣を構えるわたしの前で女王が咆哮した。長く間延びした、何かを呼び寄せるかのような声だ。

 まだ仲間がいるのか?

 警戒するわたしに女王が牙を剥き襲いかかる! それを素早くかわし向き直ると、空高く舞い上がった女王は口から粘糸を吐き出してきた。

 飛び退(すさ)ってそれを回避した次の瞬間、足元に危うい気配を感じ、反射的にもう一度跳ぶ。直後、地中からグロテスクな姿をした魔物が飛び出してきた。

 ―――オロフ!?

 四つん這いになった人間を肉塊に変えたような醜悪な姿の盲(めし)いた魔物は、鋭利な牙の並んだ三つの口をカチカチと鳴らしながら襲いかかってくる。

「くっ……!」

 体勢を崩しながらもどうにか立て直し一体を両断するが、オロフは次々と現れた。

 さっきの咆哮は、これか!? だが、幻惑蛾とオロフの共生関係など聞いたことがない。

 まさか―――女王は幻惑でオロフを操っている!? そこまでの知性を身に着けているのか!?

 オロフの平べったくて大きな長い指の先についた黒い鉤爪が頬をかすめる。衝撃と共に防護マスクが破り取られ、裂ける痛みが耳に走った。

 しまった……!

 ここぞとばかりに女王が上空から鱗粉をまき散らす。わたしは左手で鼻と口を覆うようにしながら右手一本で応戦したが、反撃力の低下はいかんともしがたい。

 くそっ!

 斬っても斬ってもオロフは湧いてきて、大業で一掃したくともそれを放つ為の力を溜める暇がない。

 その時だった。

 ふわりと、目の前が黒のヴェールで覆われた。直後、自分の周囲を円を描くようにして走り抜けた鋭い風を感じる―――同時に魔物の断末魔が辺りに響き渡った。

 黒のヴェールと見まがったのはドルクの外套だった。わたしの前に飛び出すようにして駆け付けた彼が、剣を振るったのだ。

「豪気ですね。これだけの魔物の屍を累々と……オレの分も残しておいてくれないと困りますよ」

 わたしを背にかばうようにしたまま、いつもの淡々とした口調でドルクが言う。周囲に動くオロフの姿はなくなっていた。

「豪気なのはあんたの剣でしょ……」

 いったい一撃で何体のオロフをやっつけたんだ。呟きながら、背を向けたままのドルクの雰囲気が今までと変わっていることに気が付く。

「……子供達は?」
「眠らせて、安全を確保した場所に避難させてあります」
「そうか……それは、良かった」

 ドルクがどんな方法で子供達を「眠らせた」のか定かではなかったけれど、こんな現実を目の当たりにしないで済むのなら、それに越したことはなかった。ここで起こった真実を後で話として伝え聞くのと、自分の五感で実際に体験するのとでは天と地ほども差があるからだ。

 それは、これからの人生を大きく左右するほどの決定的な違いだ。自分自身の経験として、切にそう感じる。

「ここからはオレの番です」

 ドルクがわたしを振り返った。防護マスクを着けた彼の瞳はいつものこげ茶色ではなく燃え立つような金色に変わっていて、その変化にわたしは思わず息を飲んだ。

 魔眼―――!

 そうじゃないかとは思っていたけれど。やっぱり……やっぱり、そうだった!

「オ前モ……オ前モカ! 目ノ色変ワル傭兵……死ネ!」

 怒りに震える女王がわたし達に向かって粘糸を吐き出す。それを左右に飛び退(の)いてかわし、自分の外套で鼻と口を覆ったわたしと距離を取りながら、ドルクが挑発するような言葉を女王に投げかけた。

「幻惑が使えないとなると哀れなものだな。お前の武器は当たりもしない粘ついた糸と無様に突き出たその歯だけだ。仲間は全て死に、操っていた不細工な魔物の手駒も尽きた……さあ、どうやってこのオレを倒す? それとも逃げるか? 一年前のように、ラダフィート山脈の向こう側へ!」
「……ギギィ!」

 下手に知能が高いと、こういう時は不利に働くものなのかもしれない。

 激高した女王は怒りに目の色を変え、ドルクへと襲いかかった。

「喰らい尽くせ、魂食い(ソウルイーター)」

 ドルクが唇の端を吊り上げ、彼が手にした魔剣が仄暗い輝きを帯びる。刀身からざわざわと黒い瘴気のようなものが立ち昇り、寒気を伴う圧倒的な闇の気配が彼の周囲に満ち満ちた。その中で爛々と輝くドルクの金色の双眸だけが妖しく、魔的に浮かび上がって見える。

 その光景を目の当たりにしたわたしは、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。

 魂食い(ソウルイーター)、だと―――!?

 怒りに我を忘れドルクを噛み殺さんと飛び込んできた女王の口に、闇を纏った魔剣がまるで吸い込まれていくかのように消えていった。

「捕食」

 ドルクがひと言放つと、ゾリゾリゾリッと何かを引き剥がして吸うかのような、今までに聞いたことのないおぞましい音が聞こえ、串刺しにされた女王の身体が苦悶にのたうった。

「オッ、ブッ……ギュウゥゥゥッ!」

 捕食者に囚われた幻惑蛾の女王が苦しみに満ちた末期の声を上げ、絶命する。まるで中身を全て吸い尽くされたように干からびた亡骸が、力なく地面へと落ちていった。

「他の魔物に比べて知能が高かろうが、所詮は虫だな」

 それを見下ろし、皮肉気にドルクが嗤(わら)う。その姿は―――冥界の使者、さながらだ。

 突然の幕切れと、衝撃的な事実を突きつけられ、わたしは動揺を露わにした。

「なっ、なっ、なっ……」

 様々な衝撃に、二の句が継げない。何と言っていいのかも分からない。

 わなわなと身体を震わせながらドルクを見やるわたしに、彼は人を食ったような笑顔を返した。

「どうしたんですか? ふるふると震えて」
「あっ、あっ、あんたっ……何で!? ドルクって……偽名!?」
「偽名じゃありません」
「そんなっ、だって、じゃあ何で!? その剣……魂食い(ソウルイーター)なんだろう!?」
「そうです」
「偽名じゃないんなら、何でっ! おかしいじゃん! 何で、ランヴォルグの剣をあんたが!?」

 噛みつくように問い質すわたしとは対照的に、ドルクはどこまでも涼し気だった。

「ああ……ギルドの誤登録なんです、それ」
「はぁ!?」

 ギルドの!? 誤登録!? 何が!?

「あなたの言うランヴォルグという名前……ギルドの、誤登録なんですよ」
「えええ!?」
「オレの本名はランドルクなんです。ドルクというのはまあ、愛称ですね」

 な、何だってぇぇぇ!?

「何それ!? な、何で誤登録の申請をしてないの!?」
「面倒くさくて」
「はぁ!?」
「というのは半分冗談なんですが、まあ偽名で登録されていた方が色々な意味で好都合かもしれないと思って。何かの時に使えるかな、と。それでそのまま放ったらかしているんです」

 えええええ!

 いや、でもでも、それじゃ説明がつかないこともいっぱいあるんだけど!

「ならどうして『ドルク』なんてわたしに名乗ったのさ! 同業者だってのは分かりきってるし、始めからランヴォルグで名乗れば良かったじゃん!」
「何でですかね……自分でもそこは少し不思議だったんですけど。……あなたに嘘をつきたくなかったんだと、今ではそう理解しています」
「はあぁ!? どの口が! どの口がそう言う!? 結果的にスゴくだまされているんだけど!」
「嘘はついていませんよ。あなたがオレを知らなかっただけで」

 ……確かに。確かに思い返してみると、こいつは嘘は言っていない……気がする。のらりくらりとしたドルクの言い回しはこういうわけだったのか。

「でも、じゃあどうして『ランヴォルグ』をおとしめるようなことを言ったのさ。わたしにあんな真似までして……!」

 思い出すと怒りと屈辱と悲しさで頬が赤らんでくる。今までの感情に悲しさが加わったのは彼が他でもない『ランヴォルグ自身』だったからだ。彼をまだ見ぬ同志だと思い、日々募らせていった淡い想いを、自分が確かにこうだと感じ信じた彼という人の全てを、自分のこれまでの何年間かを、他でもない彼自身に全否定された思いだった。

 それがひどく悲しくて、悲しくてどうしようもなくて、目の奥がずんと痛くなってくる。

 良かった、魔眼になっていて。この紅蓮の瞳なら、目が充血していても気付かれずに済む。

「あれは―――すみませんでした」

 ドルクをにらみつけるようにしていたわたしは、彼の口から滑り出たその言葉に耳を疑った。

 初めて、ドルクがあの夜のことを謝罪した。

「あれは……目の前にいるオレ自身を差し置いて、あなたがあまりに『ランヴォルグ』を持ち上げるような発言をするから……面白くなくて」
「え……何、それ」

 あまりにも意外なその回答に、わたしは毒気を抜かれた。

 どういう意味?

 真意を掴めずねめつける、そんなわたしを見やりながら、ドルクは苦り切った表情で言い切った。

「面白くなかったんです。あなたが、『ランヴォルグ』に好意的な発言をすることが」
「な……何それ……自分で自分にやきもちを妬いていた、ってこと!?」
「まあ、端的に言えばそうなりますね。あれはあなたが頭の中で作り上げた理想の男であって、オレ自身ではありませんでしたから」

 えええええ!? 何、それ!? どういうこと!?

 わたしの脳内は混乱の極みに達した。

 今の発言を踏まえるとドルクはわたしに好意を持っている、ってことにならないか!? しかも、出会ったその日のうちに!?

 いや、でも!? 今の今まで、どこかバカにされているだけで、そんな素振りはさっぱりなかった気がする!

 出会いからしてまだほんの数日だし、しかもドルクの前では醜態に近い姿しか晒していないのに、好意を持たれる要素がない!

 でも、じゃあ何でドルクの口からこんな発言が出てくるんだ!?

「それよりも、見ていて痛そうなんですけど―――それ」
「ひゃえっ!?」

 混乱の最中、ドルクに声をかけられたわたしは変な声を出してしまった。そんなわたしの様子に頬を緩めながら、彼が尋ねてくる。

「耳。痛くないんですか?」
「え? あ……」

 オロフの爪で防護マスクを剥ぎ取られた時の傷だ。右側の頬から耳にかけて擦過創と、耳の上部、耳輪(じりん)にオロフの爪痕がざっくりと刻まれて痛々しく裂けている。血も結構出ていて、右側の肩は流れ落ちた鮮血で赤く染まっていた。

 意識すると、ズクズクと脈打つような痛みが甦ってくる。

「治しますよ」

 顔をしかめるわたしにそう言って、自らの防護マスクを外し、ドルクが近付いてきた。

 どくんっ、と自分の鼓動が跳ね上がるのを感じる。今までにない動揺を覚えてわたしはあせった。

 ちょっ……治すって、あれだろ、あの方法だろ!?

 それが予想出来るから、どうしていいか分からなくて落ち着かなくなる。

 耳は正直痛い。治せるものならすぐにでも治してほしい。

 でも、それがあの方法となると、今は正直自分の胸の方がどうにかなってしまいそうでためらった。

 おかしな話だ。心からそう思う。ほんの昨日は、その現象が確かめたくて自分から腕を差し出していたのに。

 それが、今は。彼がランヴォルグと同一人物なのだと分かった今は。

「……見せて下さい」

 左の頬にドルクの手が添えられ、彼に左肩を抱き寄せられるようにして右側をやや下向かせられ、わたしは遅まきながら制止の声を上げた。

「ま、待って、ちょっと」

 ドルクの香りが、彼の体温が近い。否応なくあの夜のことを思い出してしまい、どうしようもなく頬が火照る。

「待ちません」

 薄く笑って、ドルクは傷を負ったわたしの耳に口付けた。
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