魔眼

05


 翌日、わたし達は乗合馬車に乗り、ラーダの村を目指していた。

 村への直行は出ていなかったので最寄りで降り、そこから徒歩で移動する。ほどなくして、ラダフィート山脈を臨む緑豊かな環境に抱かれた村の入り口にたどり着いた。

『ラーダ村』と記された木の立て看板。そこから村の中へと樹木のトンネルのような小径が続いている。足を進めたわたし達はすぐに村の異変に気が付いた。

 ラーダの村は、異様な静けさに包まれていた。周囲に生い茂った木々の枝葉がさわさわと風に揺れる音だけが流れ、生活音が聞こえない。不気味な静寂が漂う村内を見やり、わたし達は目配せし合った。

「ガラムの町よりこっちの方がよっぽど深刻な状態でしたね」
「うん。……間に合えばいいんだけど」

 頷いて、異様な雰囲気の漂う村内へと足を踏み入れる。

「用心しろよ」
「分かっています」

 目に見える場所に村人達の姿は見当たらなかった。一軒一軒用心深く見回っていくけれど、誰もいない。

 村内にこれといった家屋の損壊や争ったような形跡は見られず、食事中だったのか、テーブルの上に食べかけの食事が残ったままの家や、途中まで洗濯物が干してある家もあり、忽然と人だけが消えたという印象を受けた。

 依頼主のエルサという少女……無事でいてくれればいいけれど。

 何軒目かを当たった時、ドルクが壁の中から感じられるかすかな気配に気が付いた。調べてみると、隠し扉になっている。それを開けると、狭い空間に寄り添うようにして隠れていた子供が三人、怯えた表情をこちらに向けた。

「大丈夫。わたし達は助けに来たんだ」

 なるべく柔らかい声と表情で伝えて、手を差し伸べる。

「……ギルドの、傭兵さん?」

 一番年長に見える黒髪の少女が震える声でそう言った。

「そうだよ。……もしかしてエルサ?」

 少女は頷き、気が緩んだのか髪と同じ色の瞳に大粒の涙を浮かべた。

「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 伸ばされた細い手を握り、わたしが微笑むと、彼女はしゃくりを上げて泣き出した。その華奢な肩を抱き、安心させるように嗚咽を上げる背をなでる。すえたような微かな匂いが鼻先をかすめた。

 その様子を見ていた残りの二人の子供も恐る恐る外へと出てきた。

「少し落ち着いたら話してくれる? この村で何があったのか」

 わたしの言葉にエルサは頷き、とつとつと話し始めた。



*



 依頼人のエルサは12歳。村長グラハムの一人娘なのだという。

 一緒に隠れていたのは幼なじみのトニーとケイシャの兄妹。トニーは10歳でケイシャは6歳だそうだ。

 事の起こりはふた月ほど前。村の近くの山道で村人の男性が大きく腹部を裂かれた状態で死亡しているのが発見された。魔物に殺された可能性が高く、村内は大変な騒ぎになったそうだ。

 村人達はしばらくの間山道付近への立ち入りを制限し、安全が確認されるまでは単独での外出を控えるよう申し合わせ、夜は篝火を焚いて交代で村内を巡回するようにして警戒した。

 だが、ほどなくして二人目の犠牲者が出る。今度は村の水源である泉に水を汲みに行った女性が殺されたのだ―――やはり、大きく腹部を裂かれて。

 村人達は戦々恐々とした。そんな中、おぞましい姿をした魔物の姿が目撃される。四つん這いになった人間を肉塊に変えたようなグロテスクなその魔物は土の中を徘徊するようにして移動しており、度々村の周辺で目撃されるようになった。どうやらこの近くに住み着いてしまったらしい。

 これまでの犠牲者の遺体の近くには地中から何かが出てきたような跡があったことから、犯人はこの魔物であるに違いないと村人達は結論付けた。

 傭兵ギルドに討伐を要請する声が上がったが、村長のグラハムは高額な報酬を支払えないと判断し、要請は見送られた。だがせめてと、グラハムはギルドの掲示板に嘆願書を貼ってくるようエルサを使いに出したのだという。

「……グラハムはギルドに直接相談はしていないの? 判断されるランクによってだいぶ金額は変わってくるから、普通はまずギルドに状況を問い合わせて、おおよそのランクとそれにかかる大体の費用を確認して、それから依頼するかどうかを決めるのが一般的なんだけど」

 村長の独断でギルドに相談もせずに要請を見送るのはいささか乱暴な判断であると言える。

 それにどうして、依頼人の名を自分の名ではなく娘の名にしたのか? 村長名で依頼を出した方が普通は社会的信用を得られ、依頼も受けてもらいやすくなると思うのだが……。

「難しいことは、分からないけど……でも、村のみんなもそれで納得していました。それで、あたし、嘆願書を出しに行ったんです。だけど……傭兵さんに来てもらえないまま、一人、また一人と犠牲者が増えていって。そのうち、村から逃げ出す人が出始めて。どんどん、どんどん、それが増えていって」

 そう言ってエルサは涙ぐんだ。

「グラハムはどこにいるの? 話を聞かせてもらいたいんだけど」
「ここにはいません。さっき、また魔物が村の近くに現れたって声が聞こえて―――大人達はみんな、武器を持って行きました。お父さんも……。あたし達はここで隠れて待っているようにって言われて……」
「……そうか。それは心細かったね」

 胸に沸き起こる違和感を飲み込んでそう応えた時、それまで黙ってわたし達の話を聞いていたケイシャが身を乗り出して言った。

「あのね、でもね、妖精さんがわたし達を守ってくれているの。だからわたし達は大丈夫なの」
「おいっ、ケイシャ!」

 兄のトニーが妹をたしなめる声を上げる。

「ダメだよ! 秘密の約束だろ!」
「でも……このお姉さん達、助けに来てくれたんでしょ? いい人なんでしょ?」
「ダメだって! 秘密を破ったら、オレ達も守ってもらえなく……!」

 そこまで言って、トニーは自分が『秘密』を暴露していることに気が付いたらしい。無言で小さくにらみつけているエルサの視線が痛そうに、瞳を逸らした。

 わたしとドルクは軽く頷き合った。

 決まりだ。やはり、幻惑蛾(げんわくが)だ。

『嘘つき妖精(ライアーフェアリー)』。それが、幻惑蛾の持つ異名―――。



*



 幻惑蛾は人の頭ほどの大きさもある肉食性の蛾で、比較的知能の高い魔物だ。

 肉厚で極彩色の羽根を持ち、幻惑作用のある鱗粉をまき散らしながら飛ぶ厄介者で、それを吸い込んでしまった者は自分でも気が付かないまま、内臓を食べられて生涯を終える。そして、幻惑蛾の恐ろしさはそれにとどまらない。彼らには擬態能力があり、死んだ獲物のふりをして相手の生活圏に侵入してくるのだ。

 元々集団で生活する習性を持つ彼ら―――その頂点に立つ女王は特にきらびやかで、きらきらと輝く鱗粉をまき散らしながら飛ぶその姿はさながら妖精のようだと言われている。幻惑蛾の中でもひと際高い知性を持つ女王は己の姿を利用して人に近付き、幻惑を用いて妖精だと信じ込ませ篭絡、時には人々が気付かぬうちに町や村をまるまる自分達の餌場へと変えていくのだ。

 妖精は清らかで尊いものだという、人間側の信仰心にも似た思いの根柢を利用した、彼らからすれば賢い方法である。

『妖精』を最初に発見したのはエルサだった。

 何ヶ月か前、森に木の実を採りに行った時に木陰で弱っている妖精を見つけ、家へと連れ帰ったのだという。

 輝く宝石のような羽根を持ち、絹糸のような金色の髪をしたその妖精は、愛らしい青の瞳をエルサに向け、こう懇願した。

「お願い、わたしのことは誰にも言わないで。本当は人間に見つかってはいけないの。……でも、あなたは特別。わたしを助けてくれたんだもの。お友達になりましょう」

 妖精にお友達になろうと言われて、エルサは舞い上がった。おとぎ話の主人公にでもなったような気分だった。

 エルサの甲斐甲斐しい世話のおかげで妖精は次第に元気を取り戻し、二人は同じ時を共有しながら仲の良さを深めていった。

 それからしばらくして、村の男性が殺される最初の事件が起きる。

 怯えるエルサに妖精は言った。

「最近村の近くに住みついた気味の悪い魔物の仕業よ。でも、大丈夫。エルサのことは、わたしが守ってあげるから」

 その加護のおかげかエルサに被害が及ぶことはなかったが、魔物に村人が殺される事件はそれからも続き、大人達は警らの為に家を空けることが多くなった。

 エルサは幼なじみのトニーとケイシャのことが心配になった。

 それを妖精に相談すると、妖精は青の瞳を優しく細め、淡いピンクの唇の端をにっこりと上げてくれた。

「他ならぬエルサの頼みだもの、いいわ。トニーとケイシャも守ってあげる。でも、特別よ。それから、絶対にその他の人には言わないで。約束を破ったら、わたしは妖精の国へ帰らなくてはいけなくなってしまうの。わたし、エルサと離れたくない。だって、こんなに仲良くなれたんだもの……ずっと、ずぅっと一緒にいたいの。ね? お願いよ」

 こうして、トニーとケイシャも妖精の存在を知ることになる。秘密を共有する仲間が出来て、エルサの心も楽になった。異常な状況下で、自分だけが安心を約束された秘密を抱えているこの状態が、彼女にはいつからか辛くなっていたのだ。

「―――その『妖精』は、今どこに?」

 わたしの問いに、エルサは力なく首を振った。

「……分かりません。さっきまでは多分、あたし達の近くにいてくれたと思うんだけど……でも、約束破っちゃったから……もう、妖精の国へ帰っちゃったのかも……」
「ゴメン……ゴメン、エルサ……オレ、つい……」
「ごめんなさい……」

 憔悴した様子のエルサに、トニーとケイシャがうなだれて謝る。

「いや、三人ともよく話してくれたよ。おかげで状況が見えてきた」

 わたしがそう言った時だった。

「あっ、お父さん達! 帰ってきた!」

 窓の外を見たエルサが駆け出し、 トニーとケイシャも弾かれたようにその後を追う。

「あっ、待って」

 わたしはとっさにトニーとケイシャの肩を掴んで引き留めていた。

「あのね、わたし、お父さん達に大事な話があるんだ。それが終わるまで、このお兄さんとここで待っていてくれないかな」

 言いながらドルクに目で合図をする。彼は頷いて、戸惑う二人の目線まで腰を下ろし、人畜無害な、柔らかく清らかな顔でにっこりと微笑んでみせた。

「すぐに済むから、それまでお兄さんと一緒にここで待っていようね」

 おおっ、このパターンは初めて見た。ドルク、使えるヤツだけど、やっぱり黒いな。

 エルサの後を追って外へ出ると、彼女が戻ってきた父親達に状況を尋ねているところだった。

 風が運んでくる―――死臭。

 エルサの前に佇んでいる父親達は立ってこそいるものの、目は焦点が合っておらず、顔や身体のあちこちに乾いた血がこびりついていて、肌の色も悪く、とても生きているとは思えない状態だった。それを不審に思うことなく、返答のない彼らへ向かって一生懸命語りかけている娘―――それは、異様な光景だった。

 子供達に真実(これ)を知らせるのは忍びないが―――もう、現実へと立ち戻る時間だ。

 わたしは腰の鞘からゆっくりと白刃を抜き放った。

 洗練されたフォルムが陽に反射して、内に秘めたる力を押し隠した輝きを、ギラリと放つ。

「壊劫(インフェルノ)」

 わたしは相棒の名を静かに呼んだ。

 世界が崩壊していく壊劫(えこう)の名が授けられた愛剣が反応し、わたしの中の回線とカチリと繋がる感覚―――同調をより深いものにする為に欠かせない、合言葉を唇に乗せる。

「魔眼―――開眼!」

 壊劫(インフェルノ)の刀身が暗い紅色の輝きを帯び、魔剣の力が唸りを上げてわたしに流れ込む―――茶色の瞳が紅蓮へと変わり、それまで不可視だったモノを超感覚的に映し出す!

 わたしは壊劫(インフェルノ)を地面に突き刺し、力を開放した。

「爆裂(エクスプロージョン)!」

 耳をつんざく轟音と共に地下で大規模な爆裂が起き、村のいたるところから土柱が立ち上がった。

 ドドド、ドドドォォン!

「ぎいぃぃぃっ!」

 わたしの先制攻撃で壊滅的な被害を被った幻惑蛾の幼虫達が衝撃で地面から飛び出し、無残な肉片を辺りに飛び散らす。

「きゃああああぁッ!」

 しゃがみこんで悲鳴を上げるエルサの前で、父親達の顔面が割れた。脳を吸って父親達に成りすましていた幻惑蛾の成虫が擬態を解き、わたしに襲いかかってくる!

「はぁッ!」
「ギュワッ!」

 剛剣一閃。剣圧でずたずたに切り裂かれ、成虫達が絶息する。

 その時、空が暗く染まった。辺りの森に潜んでいた幻惑蛾達が一斉に出てきたのだ。

「あ……、あ……!」

 空を見上げ、言葉にならない声を上げるエルサ。太陽が遮られ、暗い極彩色に覆われた空は、この世のものとは思えない―――まるで魔界の光景のようだった。わたしはあらかじめ用意しておいた鱗粉対策の防護マスクを身に着けながら、油断なく壊劫(インフェルノ)を構えた。

 想像はしていたけれど、凄まじい数だ。なるべく全てを引き付けて―――。

「颶風(トルネード)!」

 漏斗状になった超高速の剣圧の渦を、幻惑蛾の群生の中心に叩き込む!

「ギュイィィィッ!」

 自慢の羽根を暴風の刃に切り裂かれ、耳障りな悲鳴を上げて半分くらいが消えた。

 ―――もう一度!

 一撃目を逃れた奴らに逃げる隙を与えないよう、溜めを置かずに二撃目を放つ! これでほぼ全てが片付いた。極彩色の闇が晴れ、太陽が再び姿を現す。

 大業の連発でさすがに息が切れたが、敵は待ってなどくれない。

 決死隊のようにパラパラと襲いかかってくる残りの幻惑蛾を薙ぎ払いながら、わたしは地面に膝をついたまま立てずにいるエルサの元へと向かった。

「あ……あああ……!」

 黒い瞳いっぱいに涙を溜めたエルサが、震える足で立ち上がり、細い腕をわたしへと伸ばし駆け寄ってくる。

「―――ごめんね。間に合わなくて」

 心からそう詫びながら、わたしはエルサの胸に壊劫(インフェルノ)を突き立てた。

 エルサが目を見開き、見開かれたその目からひと滴、涙が頬を流れ落ちる。

 彼女の話を聞いた時に感じた違和感。村から逃げ出す人が増え始めてそれがどんどん増えていって、と彼女は言っていたけれど、わたし達が見た家はどれも生活感があって、家財道具もそのまま―――とてもそうは見えなかった。それに、ガラムでも周辺の町でもそんな話は聞かなかった。ひとつの村からたくさんの人が逃げ出してくれば当然噂になるはずだし、ギルドの耳にも入るはずだ。そういった情報は通常喚起情報として共有されるのだが、データベースにそんな情報はなかった。

 ラーダの実情は、誰も知らないのだ。

 村長のグラハムはおそらく早い段階で殺され、その後は彼の皮を被り擬態した幻惑蛾のオスが彼に成りすまし、幻惑を用いて人々をだましていたのだろう。

 一人の少女が親切心から『妖精』を村へ連れ帰ったその時から、ラーダの悲劇は始まっていたのだ。誰も知らぬうちに、一人、また一人と幻惑蛾の手に落ちていき、ラーダの村は奴らの餌場と化されていったのだ。

 そして―――最初にエルサを抱きしめた時、微かに鼻をかすめたすえた匂い―――幼なじみの兄妹に『妖精』を引き合わせた後、わたし達がここへ来るまでの最近の間にだろう―――エルサは、女王に殺された。

 目の前のエルサと、過去の自分の姿とが重なる。あの時の自分と同じ年頃の少女―――救ってやりたかった。けれど、それは叶わなかった。

「オオ……オノレェェ……」

 事切れたエルサの口から人外の『声』がもれる。

「喉笛ヲ、食イ千切ッテヤロウトシタモノヲ……!」

 わたしの眼前で魔剣に胸を貫かれた少女の肉体が割れ、きらびやかな羽根を持つ幻惑蛾の女王がその姿を現した。

 ―――ラーダの村の嘆願を無駄にはしない。

 ここで、わたしが食い止めてみせる!
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