依頼内容通り、ザーハルトという肉食性の魔物の群れが町の郊外に住み着いていたので、ドルクと共に一掃する。
ザーハルトは獣型の比較的強い魔物だけど群れを成している点がやっかいなだけであって、その他はさほど特筆すべき点もなかったから、そう苦労せずに済んだ。
だからわたしもドルクも淡々と剣を振るう感じで、お互いの実力を見せ合うような展開にはならなかった。つまり、ドルクの伎倆(ぎりょう)を見極める機会にはならなかった。でも、太刀筋なんかを見ている限り、こいつは多分相当やる。
憎ったらしい男だけど、ドルクのあの傍若無人な態度は実力に裏打ちされたものということなのか。それを確認できなかったのは若干心残りな感じもしたけど、まあいいや。
町長から依頼書に任務完了の判をもらい、ギルドへの支払いを確認して、これで万事解決。後日、ギルドからわたし達へ取り分が支払われることになる。
各地のギルドには現金支払機が設置されていて、身分証明代わりのプレートを使っていつでも報酬を引き出すことが出来るようになっているのだ。
よーし、終わった終わった!
夕闇に染まり始めたガラムの町を歩きながら、わたしは大きく伸びをした。
これでドルクともおさらばだ。
「お疲れさん! ここで解散でいいよね?」
晴れ晴れとした面持ちで後ろを歩く彼を振り返ると、何故か怪訝な顔をされた。
ん?
「ギルドの規則では依頼を受けた支部に戻って完了依頼書を提出後に解散、ということになっていますよね」
「んん!? そりゃ確かにそうだけど……」
自由気ままな気性の輩が多い傭兵の世界、そんな規則は事実上なあなあになっていて、依頼をこなしたうちの誰かが戻ったついでに提出しに行くというのが慣例だ。守っているヤツはほとんどいないぞぉ。
「わざわざ一緒に支部まで戻るのなんて面倒くさいし大変じゃん。わたしが依頼書持って行くからいいよ」
「昨日からのあなたを見ている身としては、正直心配で任せられません」
なっ、何おぅ!
「じゃああんたが持って行ってよ、任せるから」
「規則を破るのは好きじゃありません」
ええ!? ちょっと待って、何その流れ。じょ、冗談じゃないよ!
不穏な空気を感じたわたしは慌てて言い募った。
「わたし、この後寄るところがあるんだ。時間かかると思うし、あんただっていけ好かない人間とこれ以上一緒にいたくはないだろ? だからさ」
「オレは別にあなたをいけ好かないと思ったことはありません。ただ、見ていてイライラするだけで」
「何だよ、それ!」
人をバカにしてんのか!
「一緒に行きます、あなたと」
きっぱりとしたドルクの物言いにわたしは眩暈を覚えた。
う、嘘だろ……。
「寄るところというのは、非公式で受けた依頼のことでしょう?」
「え、何でそれを」
「あなたが非公式の依頼を積極的に受けているという話は有名ですから。察しがつきます」
「ああ……『紅蓮の破壊神はひとつ処の依頼では血が見足りない』、ってヤツ?」
わたしはげんなりとドルクを見やった。
ギルド内でまことしやかに囁かれている噂だ。
それによるとわたしは血に飢えた魔性の女で、浴びるほどの血を見るまで満足出来ない性質(たち)らしい。常に血を求めて彷徨い歩き、嘆願書の依頼を受けることでそれを満たしているのだとか。いったい人を何だと思っているんだ、バカバカしい。
「依頼をこなしに行くのなら、戦力はあった方がいいと思いますけど」
「本気で言っているの? 危険度が高い割に見返りは少ないぞ。やめといた方が」
何とか思いとどまらせようとしたわたしの言葉は、ドルクによって遮られた。
「さっきの案件じゃ準備運動にもならなかったので。せっかくの機会なので『紅蓮の破壊神』の本当の戦いぶりも見てみたいですしね」
わたしは諦念の息を吐いた。
ああ、ダメだ。こいつもう決めちゃっている。何を言っても付いてくる気だ。
口では勝てる気がしない。ここはもう諦めて、貴重な戦力を得たのだと自分を納得させることにしよう。その方が多分利口だ。
うう、あと数日の辛抱だ。頑張れ、わたし!
*
日が落ちてからの移動は危険を伴うので、わたし達はこの日はガラムの宿に一泊することになった。
宿の近くの酒場で夕食を取りながら、これから向かう非公式の依頼についてわたしはドルクと話し合っていた。
依頼人はガラムの町から徒歩で半日ほどの距離にあるラーダという村に住むエルサという少女で、内容は村の近くに住みついた恐ろしい魔物に最近村人が食い殺される事件が続いており、助けてほしいというものだった。
記された魔物の目撃情報と現場の状況から、この魔物はおそらくオロフだろうと推測された。
オロフは目が退化した土の中に住む魔物で、四つん這いになった人間を肉塊に変えたようなグロテスクな姿をしている。体毛はなく、表皮はてろんとしていて、鋭利な牙の並んだ口が顔に三つついている。前足は土を掻くのに特化していて、平べったくて大きな長い指の先に黒い鉤爪が付いている。
「でも―――それだと、おかしいですね」
嘆願書を眺めていたドルクが言った。
「うん、そうなんだ。オロフだとすると、矛盾が生まれるんだ」
殺された人達は皆、内臓を中心に食べられていたのだという。だが、オロフは内臓を食べない―――そもそも、好んで人を食べる魔物ではないのだ。
彼らの狩りのやり方は獲物が地面を歩く音を聞き、土中からいきなり襲いかかるというものだが、好んで食べるのはシカなど比較的大型の草食性の動物であり、人間が犠牲になるのはそうした動物と間違われて襲われた場合がほとんどだ。その場合もひと口かじった時点でオロフは間違いだと気付き、それ以上は食さないのだが、そのひと口が不幸にも人間にとっては致命傷になる。
魔物に対する知識が浅い村人は知る由もないことだろうが、魔物に詳しい者であればすぐに気が付く致命的な矛盾だ。
だからこの嘆願書を見た時、わたしはそれがとても気になって、同時に嫌な予感を覚えた。
「……確か、ラダフィート山脈を挟んだ反対側―――オルフラン地方で、一年くらい前に幻惑蛾(げんわくが)による被害がありましたよね」
ドルクもわたしと同じ可能性に思い至ったらしい。
ラダフィート山脈はガランディア地方とオルフラン地方を東西に分けるようにして走る山脈で、今回のラーダの村は幻惑蛾の被害があった場所のちょうど反対側、東の麓に位置していた。
「ああ、データベースで確認したらオルフランのギルドに依頼が来ていて、依頼は一応解決済みになっていたけど、取り逃した女王の幼生だけが見つからなかったと記録されていた。……やっぱり、それが疑わしいよな」
幻惑蛾は肉食の凶暴な蛾だ。何万分の一という確率で生まれてくるメスは女王となり、恐ろしい数の卵を産む。孵化した幼虫は一定期間土中で過ごし、その後地上へ出て羽化する。彼らが好んで食するのが、人間を含む動物の内臓なのだ。
「幻惑蛾だとしたら、ランク的にはA+、ほぼSですよ。一人で行くつもりだったんですか?」
「報酬のところ見た? 誘っても普通は誰も行ってくれないよ。小さな村みたいだからギルドに正式に依頼を出すのは難しかったんだろうな」
報酬は村人達から集めただろうなけなしの金額と、少女が大切にしている母親の形見の指輪というものだった。
それでもきっと、ランヴォルグなら―――彼がここにいたのなら、共に行ってくれただろうけど。
「……確かにこれでは、同志を募るのは無理ですね」
「だろ? あんたもやめるなら今のうちだよ」
「……どうしてあなたは行くんですか?」
「んー……言うなれば自分の昔の体験に起因しているのかな。まぁありがちな話だけど。寄る辺ない者が抱える孤独と不安―――それがどんなものか、知っているから」
隠すほどのことじゃなかったから、わたしは素直にそう話した。
わたしが12歳の時、わたしの故郷は魔物に襲われ、壊滅した。
家族も、家も、友人も―――一瞬にして、何もかもを、失った。
この壊劫(インフェルノ)を除いては―――。
わたしの父は小さな神殿の神官で、壊劫(インフェルノ)はそこに依り代として祀(まつ)られていた神剣だった。
わたしは壊劫(インフェルノ)に使い手として認められたことで、その地獄をどうにか生き抜くことが出来たのだ。
わたしは自身で体験した。ギルドの人間が助けに来てくれるまでの間に感じた、永劫とも思える苦痛の時―――絶望に満ちた孤独と不安―――。
だから、行くんだ。今まさにその淵にいる人達を、掬(すく)い上げる為に。
ドルクは深く掘り下げて聞いては来なかった。ただ、こう口にした。
「―――それはオレも同じです。だから、行きますよ」
わたしは顔を上げて彼の顔を見た。
……そうか。こいつも、そうなのか……。
「後悔しても、責任は持たないぞ」
「自分の選択の結果を他人に押し付けるような、無粋な真似はしませんよ」
似たような過去を抱いているのなら、ドルクがこの無茶な依頼に同行しようとしている理由もまあ理解出来た。
「なら、遠慮なく手伝ってもらうことにしよう」
わたしはそう言って、少しだけ頬を緩めた。
*
賑やかな酒場の喧騒を縫うようにしてトイレから戻ってくると、何やら色っぽいお姉さんにドルクが話しかけられているところだった。
「ねぇ、君、いくつ?」
「 16です」
しれっと年齢を偽るドルクにお姉さんの質問が続く。
「可愛い顔しているわね。そのカッコ、察するに傭兵さん? ねぇ、良かったらあたしとどこかで飲み直さない? 二人っきりで」
「……連れがいるので」
「そんなの放っておきなさいよ。ねぇ、大人の時間、過ごしてみたくない? 興味あるでしょ?」
お姉さんはしなを作り、衿ぐりの開いた胸を強調するようにしてドルクに迫る。
おお〜、スゴい、女のわたしから見ても大きくて柔らかそうな立派な武器だ。これにはひとたまりもない男も多いだろう。
「色々教えてあげるわよ。オトコを磨く、いいチャンスだと思うんだけど……どう?」
お姉さんの必殺、流し目だ! さあドルク、どう出る!?
完全に野次馬気分でそれを見物していたわたしは、次の瞬間顎が外れるほど驚いた。
ドルクはその頬を淡く染め、大きなこげ茶色の瞳を恥ずかし気にお姉さんから逸らして、ふるふる震える子犬のような表情を見せたのだ。
「すみません、オレ、初めての相手は自分の好きな人と……って決めているので」
い……いったい誰なんだ、お前!
心の中で全力で突っ込むわたしの前で、偽りのピュアな表情にずきゅーんと貫かれたお姉さんがよろめく。
「素敵な女(ひと)からこんなふうに誘ってもらえて、なのに、こんなスゴく失礼なこと……どうか許して下さい」
「ううん、ううん、いいのよ。スゴく好きな相手がいるのね……あたし、ここの酒場にしょっちゅう来ているから。もし何か聞きたいことがあったら教えてあげるから、その時は声をかけてね」
頬を染めたお姉さんはそう言うとふらふらとドルクの側から離れていった。
「……いつまでそうして突っ立っているんです?」
いつもの無遠慮な喋り方に戻ったドルクがわたしに声をかける。
「あんた、何、さっきのあれ。思わず突っ込むところだったんだけど」
自分の席へ戻りながら苦い視線を投げかけると、ドルクは事もなげに言った。
「処世術ですよ。ああいう流し方をすれば相手も嫌な思いをしないですし、妙なトラブルに巻き込まれることもない。オレは自分の容姿を知っていますから。使えるものを使っただけです」
「わたしも知ってはいたけど、改めてあんたの黒さを垣間見た気分だわ……」
言いながら半分飲みかけのジョッキに手をかける。するとドルクに釘を刺された。
「今日は飲み過ぎないで下さいよ」
「分かってるよ、これで終わり!」
唇を尖らせるわたしの前で、ドルクはお皿に残っていたピザに手を伸ばし、それを無造作に口の中へ放り込んだ。
あ……口、大きいな……。
ふと、そんなところに視線が行く。
唇に付いたソースを親指で拭うようにして、それを舐めとる赤い舌。
昨夜はあの口に塞がれて、あの舌で絡め取られて、窒息するところだったんだ。
身長の割には手が大きいよな……ていうか、指が長いのか?
あの手に掴まれた手首は、びくとも動かなかった……。
そんなことを思い返しながら、あんな目に合わせられた相手と再びこうして向き合っている奇妙な縁に不可思議な想いを抱く。
明日はこの男とラーダの村へ赴く。そこでは、どんな展開が待ち受けているのだろうか。