NicoNico iDOL M@STER Fan WEB
to SIREN

ホラーゲームとして名高いですが、いったいなぜ有名なのか? バイオハザードと似たようなゲームじゃないのか?

■無力感

複数の人物の視点が変わりながら物語が紡がれていく事を上手く利用しており、登場人物の一見無意味な行動によって他の人物が知らず知らず助けられているのが特徴的です。
また、このゲームの操作可能な登場人物は特殊な訓練など受けていない一般人が多数を占めます。


一作目では女子小学生すらも操作できるのですが、屍人が徘徊する中を泣きながら逃げ惑う姿から製作スタッフのSっ気がよくわかります。


主人公達の”弱さ”は、敵との遭遇を相手を倒すための作業に貶めることなく、後半になっても恐怖を演出し続けてくれる要因かと思います。

2では武器が豊富になったことと懐中電灯の光が攻撃や敵の行動の妨害手段として有効になったため、登場人物の弱さっていうのは当てはまらないかもしれません。
しかし演出が丁寧になったことで脱出出来ない場合の末路を否応もなく想像させられ、孤島であるためどこにも逃げ場がないことなどが登場人物の無力感を煽っていると考えられます。


これでもまだ、ただの化物に追われているだけなら、そこまで怖いと言われることはなかったでしょう。
登場人物が無力であることと、屍人という存在が組み合わさると・・・。

■視界ジャック

サイレンシリーズだけの武器があります。
それが幻視(視界ジャック)と呼ばれるシステムです。

近辺にいる屍人(同行者などが居るなら人間も可)の視界を盗み見ることが出来るというもの。

しかも相手には気づかれない。

このため、屍人の視界を盗み注意深く観察することで、どんな行動を取っているのか知ることが出来ます。
しかしこれが、いっそうの恐怖を煽り立てることに。

屍人は人間を発見しない限りは、それぞれがなんらかの行動を行い続けます。
農作業をしたり、食事を取ったり、歌を歌い始めたり、日曜大工を行っていたり・・・。

決して生きていない、人間と認めることは出来ないのに、個性が見出せてしまう。
手当たり次第に倒すだけなら考える必要はないのに、屍人の行動パターンを理解しなければクリアできない仕様なのがほんとうにやばいです。


バイオハザードで、もしゾンビが食堂で食事中だったら・・・?
食材が何か? なんて考えたくもありません。

ましてやサイレンの舞台は日本の農村や漁村。
海外の登場人物が洋館で事件に巻き込まれるなら一種異世界の出来事のように捕らえられるのですが、なまじ馴染み深い家屋であるために感じる恐怖。
特にサイレン2の廃屋の雰囲気はやばい。



視界ジャックで視点を切り替えていくうちにふっと素の自分に戻り。

急に台所が気になり始めます。


馴染みある風景の荒廃感と、とても生活に適していると思えないのにそこにいる屍人の生活習慣。
これが怖さをますます煽り立てるといえます。


■現実のコンテンツ

ブレア・ウィッチ・プロジェクトという映画でとられた手法と同じものだとか。

サイレンではBBSに書き込んだあと消息を絶った人物の記事を読むことができる。
サイレン2では、個人で開設していたサイトの更新がある日を境に止まった。

こういう手法はぞくっときます。

ゲーム中に手に入るアーカイブも物語の核心にかかわるようなものより、登場人物たちの私物や状況を暗示させるモノが多く登場します。

登場人物が不幸な結末を迎えた後にその人物がその村に来た理由が判明すると、ちょっとしんみり。

開始直後は、自分が操作している人物のことでさえ分らない事が多いのに、この形式のおかげで想像の余地ありまくりで。

作中の内容とリンクさせるwebなどのコンテンツは、サイレンの世界が現実に侵食してきているような感覚を演出しているといえます。



もはやなんとなく台所が気になるなんてレベルじゃなく・・・。

おや? 来客かな?



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ただの ゆうびん だった