インタビュー本番(12月第4週〜1月第4週)


Last Update: 04/01/2009

 

12月第4週

 今回、なにかの巡り合わせで、私が小林・益川両氏にインタビューさせていただくことになり、申し訳ない気持ちでいっぱいである。というのも、第一に私は同じ素粒子論の研究者といっても、分野が違うからである。素粒子論には大まかに言って、「フォーマル」と呼ばれる分野と、「現象論」と呼ばれる分野がある。私の研究分野である超弦理論は、「フォーマル」に分類される。一方、小林-益川の話は、現在は「現象論」に分類される(当時としては、フォーマルだったと思う。)そんなわけで、インタビュアーは現象論の方が妥当である。
 第二に、小林-益川の話は、35年以上も前の業績である。あのころと今とでは、素粒子論研究も大きく様変わりしている。当時の事情をロクに知らない私がふさわしいとも思えない。さらに、私はアメリカの大学院で教育を受けたので、日本の素粒子論研究の歴史になると、さらに疎い。
 じつは、研究者のなかには、小林さん、益川さん両方と共同研究された方もいれば、両者とオーバーラップのある人もいる。加えて、私よりはずっとシニアな人で当時の事情にも詳しい。本来、そういった方にインタビュアーの役をお願いするのが一番ふさわしい。
 とは言え、そういった方々はそもそもノーベル賞関連の仕事で大変お忙しいようである。また、インタビュー後のもろもろの作業やら、厳しいスケジュールのことを思うと、とても編集委員でもない方にお願いするわけにはいかない。また、今回の業績は、南部にせよ小林-益川にしろ、素粒子論では基本中の基本であり、フォーマルとか現象とか区別できるものではない。ストリングの学生であっても、知らないですまされるものではない。(もっとも、細かい現象論的な計算になると、私にはやはり手に余る)

12/22(月):益川さんインタビュー

 京都産業大に行くのははじめてである。この大学は丘の上にあり、ふもとには大きなバスロータリーがある。そこに大きなお祝いの垂れ幕がかかっている。そこからみんな長いエスカレーターに乗って、キャンパスに向かう。道ですれ違った学生が、「益川さんの授業がどうのこうの」と携帯で話しているのが耳に入る。益川さんは人気者になっているようである。
 パリティから来るのはサクマさんだけかと思ったら、(通常号の面倒を見ている)エンドウさんも来ていた。骨折したのはもちろん承知していたけど、松葉杖をついたサクマさんを実際に見るとやはり驚く。
 益川さんに、こちらでイメージしていたシナリオをことごとくひっくり返させられる。多方面に話がおよび、流れを見失わず、後で重要発言に戻るのを忘れないようにするだけで手一杯であった。想像と違い、トホーフトにそれほどインパクトは受けなかったようである。論文にトホーフトが引用されていなかったのは、そのためかもしれない。丹生イベントもあまり影響がなかったことに驚く。小川さんの歴史記事や、小林さんの講演では、キーになっている実験だったからである。益川さんの動機は、一言で言って「弱い相互作用のハイヤーオーダー」だったという。その意味で、GIMに感銘を受けたことはとても納得できる。
 クォークのカラーは当初三原色の「赤緑青」ではなく、「赤白青」が使われていてなぜだかずっとわからなかったが、やっと理解する。(フランス国旗の色から来たらしい)
 さまざまな益川伝説の真偽が明らかになる。
  ・ドイツ語白紙疑惑
  ・時間に正確な生活
  ・Maskawa という英語表記の由来
 色紙を頼むと、「たいへん字は下手なんで。ごまかすためのやり方がある」と言って、φιλοσοφια (philosophia) とギリシャ語で書く。「知を愛する、つまり愛知」ということらしい。写真も頼むと、「明治時代の人の言い方をすると、魂を90%吸い取られましたけど」と応じる。
 終了後、サクマさんは移動に難があるので、みんなでタクシーで地下鉄駅に移動し、京都駅へ。お昼にすることにしたが、ほとんどの店でランチの時間は終わっていて(すでに14:30)、彼女はあまり移動できないので店選びに困る。
 南部さんが記事執筆をお断りになったらしい。

 

 
インタビュー中は終始ニコニコしていたのに、写真を撮りますと言って撮ると「笑えといっても笑えるものではない」と言って、こんな顔になった。どこまでもあまのじゃくな人である。

 

 

 

 インタビューというものについて

これまで、本の関係で何人かの人にインタビューしてきた(米谷、ポルチンスキー、シュワルツ、南部等)。いつものことながら、インタビュー後は半分放心状態。ひとの人生を追体験するのは、思いのほか重労働である。考え方、感じ方は、人それぞれ違うのに、その人の考え方についていく必要があるかもしれない。
 インタビュー前に一通り下調べをすると、こちらには(勝手な)歴史的なイメージができてくる。それはよくある解説記事や本にあるイメージに近いのだが、本人に会って実際に話を聞くと、たいていひっくり返させられる。よくもっともらしく語られる物理の歴史なんて、つくづくあてにならないと思う。
 もっとも、後でご本人たちの書いたものをみると、たしかにその旨書かれている場合も多い。(益川さんのインタビューも、基本的にはノーベル講演の内容でつきていた。)慧眼の持ち主ならば、ちゃんとご本人の意図も見抜けるのかもしれない。しかし、本人は当たり前だと思っているせいか、どうもそのあたりが活字ではこちらに伝わりづらく、実際にやりとりを重ね確かめてはじめて認識できる。そういう意味でも、インタビューというのは有効な手法だと思うし、やみつきになる所以である。

 

インタビューで心に残ったこと

今回のインタビューで一番心に残ったことは、益川さんがインタビューの最後に言った「ひさしぶりに素粒子研究者と(長く研究の)話ができて楽しかった」という言葉である。ああ、大変なのだな、と心がゆれた。
 益川さんが素粒子の人間と話をしたいと言えば、それこそ全国からみんなが喜んで集まるだろう。受賞で、さまざまな分野・業界の方々と話をせざるを得ず、肝心の研究者仲間とろくに話すヒマもないのだろう。益川さんがまたニコニコして無邪気にそう言うから、かえって胸が痛む。受賞者の孤独を垣間見た気がした。
 また私は素粒子といっても、超弦理論の研究者で現象論には疎いし、小林-益川の時代のことについてはなおさら疎い。そんな私でも益川さんが喜んでくれたという事情もあろう。

 

12月末 パリティ1月号出版

年末年始

風邪でダウン。この数年ろくな年末を迎えていない。去年はやはりカゼで、2006年はノロウィルス、2005年がまたカゼ、そして2004年はじんましんが出た。去年は、クリスマス直前になってほかのグループに研究結果をスクープされたし、何かの呪いとしか思えない。というわけで、2008年の正月はカゼをひいたままついにお祓いをしてもらう(厄年だったし)。今年はついに年賀状を断念(去年も年賀状を頂いた方に返事を出しただけだったのだけど)

 

1月第2週

1/4(日)

家族を連れて「つくばエキスポセンター」に行く。ノーベル賞の簡単な特別展示があった。小林さんの等身大パネルもあったが、これは記念撮影用か。

1/5(月)

新年早々、さっそくパリティに働かされる。増刊号、最後から2番目の記事があがる。増刊号以外に、10月に脱稿したセシルの翻訳記事についても連絡が来た。写真のことなのだが、Physics Today にもともと載っていたものが気に入らなかった。そこで、セシルに連絡を取り、私が気に入っている写真の使用許諾を取る。
 NHKのノーベル賞特別番組が放映。これには橋本(省二)さんが関わっているらしい。このへんの人たちは、たいがい何かノーベル賞関係の行事に関わっている。

1/6(火) 小林さんがKEK特別栄誉教授に

1/8(木)

編集部から年表の依頼。インタビュー原稿のまとめが難航しているようで、確認のためと記事につけるために資料がほしいとのこと。インタビュー用に作成した年表をとりあえずファックスする。

成人の日まで

 しばらく研究に専念。連休中、KEKで特異点研究会。共同研究者が来ていたので議論。
 研究会用の弁当を注文してなかったので、そばの「竹前」に行く。今ではKEKのまわりにもいろいろな飲食店があるが、以前はこのへんでまともな店といったら、この店くらいだった。90年代の終わりに、近くにマクドナルドができたときは、ついにこのへんも「文明化」したとずいぶんKEKで話題になったほどである。
 週末中で、昼食の時間も過ぎていたので店も忙しくないせいか、店のおじさんが話しかけてくれる。おじさんの長男は建築士で、そのお嫁さんがピアニストだという。この店はしばらく前に改装したのだが、それも建築士の子供が設計したようである。もう一人の子供は店の跡継ぎのようで、こうしてみると職人一家である。
 研究面でも個人生活の面でもいい感じだったが、2日後にはパリティから大変な知らせを受ける。

このころ、総研大ジャーナルノーベル賞特別号。「Bファクトリーの若手研究者」の欄に、ウチのストリングの学生が載っていてびっくりする。

岩波「科学」のノーベル賞特別号が出る。研究者相手に長い記事を短期間で仕上げてもらうのは難しいという判断からか、莫大な数の著者を集めてそれぞれに短い記事を書いてもらったようである。一案ではある。

図書室に「ノーベル賞その栄光と真実」(森北出版)があったので、ざっと眼を通す。グラショウもワインバーグも「ノーベル病」にかかったとある。ただ、これはどうかという記述もある。ゲルマンがノーベル賞を受賞したのは、名前をつけたからと書かれている(八道説とかクォークとか)。たしかにゲルマンと同時期に同じ仕事をした人は多数いる。日本人の場合、ノーベル賞の受賞理由には、西島さんや坂田グループの人たちの名前も載っている。その意味では、なぜゲルマンだけがというのもわかるが、やはりこれは総合的な判断だと思う。個々の業績ではゲルマンと重なった人はいるものの、それらすべての仕事をなしとげたゲルマンはやはり別格のように思う。

 

1月第3週

1/14(水)

パリティ編集委員会。小林さんの記事は断念するとのことで、インタビューに切り替えることになる。しかし、これからインタビューして、テープ起こしをして、原稿を作り、チェックを入れてもらうことを考えると、書いてくれるのなら1〜2週間待った方がいいように思うのだが。日程として、つぎの金・月・水を提示される(金ってあさってじゃないか)。水曜だと場所はKEKでらくちんなので、水曜を希望する。金、月は都合が悪い。遅くとも、3月の日本物理学会までには増刊号を間にあわせる予定。編集委員会が終わった後もサクマさんたちと相談がいろいろあり、めずらしくやや遅めの終了(〜20:30。ふつうは20:00前後に終わる)

1/15(木)

セシルのインタビュー原稿、校正終了。3月号に掲載。
 インタビューの予定について連絡。水曜は小林さんに予定が入ったとのこと。月曜はどうしてもダメかとお願いされる。月曜晩なら何とかなると返事。
 その後、また連絡があって、火曜の夕方を打診される。火曜夕方は授業で、休講にしなければいけない。さすがに副業で本業に支障を来すのはマズいと思うが、こちらで贅沢を言っていられる状況ではないので、とりあえず承諾。一応、ほかの日取りが可能か打診してくれることになる。

1/16(金)夕方、インタビュー予定について連絡。1/22午後で最終調整。

この週、インタビュー用の下調べに追われる。小林さんの論文リストも用意する。じつは、素粒子物理では「小林誠」さんがもう一人いて(実験だけど)、じつにまぎらわしい。しかも小林さんが京都にいたときはこの人も京都にいて、KEKにいたときはKEKにいたので(同一人物?)とてもややこしい。
 GIM論文を注意してみる。小林-益川では4元モデルのすべての可能性を排除したが、そのうち一番自然なモデルは (A,C) モデルである。この場合でフェーズが出ないことは今では教科書にも載っているが、GIM も知っていたようである。クォークの混合行列が、「一般性を失うことなしに real orthogonal にできる」と書いてある。
 あらためてPakvasa-菅原もみる。75年前後に、6クォーク・モデルがいろいろな人によって提案されているのを知る。そういった提案をざっと調べた限り、小林-益川は引用されていないようである。こういった人たちでさえ、小林-益川は知らなかったようである。益川さんが、小林-益川を広めてくれた人として菅原さんを特に挙げているのはこういう経緯か(Pakvasa-菅原が小林-益川を引用したことから、小林-益川の知名度が上がった)。また、弱い相互作用と言えば "V-A" なのだが、当時 "V+A" も議論されていたことも知る。いろいろと勉強になった。
 丹生イベントの引用文献も調べてみる。今回の件があるまで私はまったく知らなかったが、意外に多い。もっとも、本当にチャームだと認められていたら、桁違いの引用数になっただろう。丹生イベントの引用文献で、まっさきに名前が出てくるのが、シュインガーの論文。注目した人は注目していたらしい。ただし、Spires は過去の論文データについて不完全なところがあるので、シュインガーが最初ということはありえない(シュインガーの出版は73年。一方、小林さんや益川さんたちも、丹生イベントについて71年には論文を書いているはず)

 

1月第4週

1/19(月)

益川さんインタビュー原稿第1版が届く。テープ起こし原稿自体は、新年早くに届いたようだが、編集作業に2週間弱かかったようである。まる2時間の内容を1/3にするのだから、大変な作業である。これ以上の短縮は編集部では無理なので、こちらで作業してほしいとのこと。ご本人が手を入れるヒマはほとんどないだろうから、こちらで入念に手を入れる。

1/20(火)

編集部原稿によくわからない点がいろいろあり、テープ起こし原稿にあたる。ところが、テープ起こし原稿では意味やニュアンスがわからないだけではなく、ミスや聞き取れていない部分が多く、本人にも書いてあることがよくわからないことが判明。ナマの音声ファイルを送ってもらって、すべて耳を通さざるをえない。(もっとも、かなり専門的な内容だったので、テープ起こしが完全でないのは無理もない。ある程度素粒子に素養があり、教科書的な歴史は一通り押さえている人がやったように感じる。ただ、教科書の歴史といっても、なにしろ歴史の教科書ではないので、本当の歴史はもっと複雑である。教科書にないような話題になると、途端に我々の会話についていけない様子であった。)
 夜:オバマ大統領就任式。各局生中継。ここはどこの国かと思ってしまう。

1/21(水)

明日はインタビュー。とはいえ、インタビューの下調べがまだ終わらない。楽な恰好でいくつもりだったが、みんなから学振に行くのならそれ相応の恰好というものがあるだろう、と脅されて、急遽スーツを引っ張り出す。この冬はじめてだったので、腹が入るか不安だったが、大丈夫だった。

1/22(木)

小林さんインタビュー。前回と同じ顔ぶれで訪問。サクマさんはまだ松葉杖。完全復帰と増刊号完成では、どちらが先だろう。
 学振のフロアはとても立派で、スーツにしておいてよかった。しかし、そのせいでかなり緊張。やはり、アウェー(学振)ではなくホーム(KEK)でインタビューすべきだった。
 かつての部下ということからか、場違いのストリング屋が来たということからか、こちらがどういう手を打つかお手並み拝見という感じのインタビュー。素粒子に進んだきっかけあたりから聞きはじめたが、一向に盛りあがらない。早々に切り上げて、研究の話に移る。小林-益川の細かい話になると、がぜん盛りあがる。常識人の小林さんからは、思いがけない話は飛び出さないと思っていたが、そうではなかった。
 (A,C) 以外の4元モデルを「ジャンクですからね」といきなり言い放つ。「なんでそのジャンクの話をそんなにくわしく彼が覚えているのか、こっちは不思議なんですね」とも。小林さんらしからぬ発言である。益川さんによると、小林さんが次々と4元モデルを打ち落としていったらしいが、6元モデルはすぐにそれで行きましょうと反応したらしい。その様子がやや解せなかったが、どおりである。小林さんは、はなっから変わった4元モデルがうまくいくとは思っていなかったらしい。
 1時間だと言われていたのに、インタビューそのもので1時間半かけてしまった。そのあとは、色紙を書いてもらったり、サインや写真を撮ってもらったりと、3人でお上りさん状態。色紙をお願いすると、「何を書くんでしょうかね。いつも、それが困るんですよね」と言って悩む。
 益川さんのときは、ノーベル賞そのものについて聞くのをほとんど失念していた。オフィスにメダルを置いてあるのかさえ確認しなかった。その反省から、小林さんにメダルとディプロマ(賞状)を持ってきてもらうように頼んでおいてもらった。
 本物のメダルを持たせてもらう。ノーベル賞チョコばかり見ていたので、本物がチョコよりずっと大きいのに驚く。
 終了後、サクマさんとしばらく益川さんインタビュー原稿について打ち合わせ(約2時間)。なお、最後まで残っている著者には、メールでも電話でも連絡が取れないらしい。

1/23(金)パリティで使うかもしれないということで、ノーベル賞チョコの接写写真を撮る。

1/24(土)益川さんインタビュー原稿第2版を送る

 

小林-益川の引用件数

 どうも気になったので、小林-益川の引用件数をSpiresで調べ直す。小林-益川は、私が業界に入って以来ずっと Spires の "all-time favorites" で、素粒子で歴代2位の引用件数を誇ってきたし、インタビューでもそのように触れた(1位はワインバーグ論文。なお、"Review of Particle Physics" は含めないのが、慣例)。インタビュー前に一度 Spires で確認はとっておいたが、そのときは2006年版までしかみつからなかったので、それが気になっていた。とくにマルダセナの AdS/CFT 論文は、過去10年間で急速に伸びているはずで、わずか1〜2年で大きく変わった可能性がある。
 いろいろ探すと、2008年版が出たばかりだったことがわかる。案の定、小林-益川は、2008年にマルダセナにその座を譲り渡したようである。もちろん、時代的な背景が違っており、2つの引用件数を単純に比較することはできない。現代の素粒子人口は小林-益川の時代と比べてはるかに巨大になっており、ストリングはそのなかでも最大規模であろう。そして AdS/CFT は、そのストリングの研究で過去10年間一番大きなテーマだった。しかし、小林-益川がノーベル賞を取ったその年に、歴代2位の地位をマルダセナに譲ったとことは、時代の移りかわりを象徴しているような気がしてならない。
 というわけで、インタビュー原稿では、歴代2位に触れたところに脚注を入れて処理することにした。