仕事はまだ終わらない(1月第5週〜)


Last Update: 04/25/2009

 

1月第5週

1/25(日)

パリティ通常号でも眼を通すべき原稿がたまっている。なかの一つに、大御所の原稿があり、個人的にもコメントをお願いされている。とくに慎重に眼を通し、午後いっぱいかけてコメントをつける。
 京産大が「益川塾」を開くとの報道。12月のインタビューに喜んでいただいたので、素粒子の人と接触の機会が増えそうでよかったなと思う。

1/26(月)

小林さんインタビューのテープ起こし原稿が届く。夜、さっそく小林さんインタビューのテープに耳を通して、チェックする。

1/27(火)

益川さんインタビュー原稿第3版が届く。ふつう編集者はページを削りたがるものである。益川さんのインタビューも予定を大幅に超過しており、さらに1〜2ページ削減を求められていた。そこで無慈悲に片っ端に削っていったのだが、第3版では私が削った部分が何か所も復活している。これではどちらが編集者かわからない。
 もっとも、最終段階になると、一字一句をめぐる攻防戦となる。

私:ここに手を入れて1行減らすから、こっちは「すると」とつなぎの言葉を入れて1行増やしてほしい。
サクマ:いいえ、それは認められません。
私:じゃあ「では」なら1行増えずにすむのでは?
サクマ:ワードではないので、「。」は「ぶら下がり」にはなりません。「。」の分、1行増えてしまいます…(ぶら下がり:行の最後に来てしまった句読点を、行最後の外側にムリヤリ押しこむ操作)

とかなんとか。なんだか、予算の復活折衝のようである。

1/28(水)

益川さんのインタビューは、とりあえず現状のままで編集長、編集委員長の意見を聞くことになる。どの程度の史料的価値があるかわからないが、今回テクニカルな部分もなるべくそのまま入れることにしたので、難しすぎないかが気になる。
 年表の(再)作成と、注の作成をはじめる。こちらから送った資料を基に、パリティが年表を作ったのだが、問題も多くウラも取れていないので、こちらで再作成。すべての事項をチェックし直し、すべての論文の年月日を確認する。

1/30(金)

年表と注を送る。編集長、編集委員長から無事に裁可がおりる。編集部から、小林さんのインタビュー原稿は週末中に送るとのこと

1/31(土)

益川さんインタビュー原稿第4版を送る。共同研究者と久しぶりにスカイプで打ち合わせ。小林さんインタビュー原稿待ち。久しぶりに研究に戻る。穏やかな日の後には悲惨な週が待っている。

1月末 パリティ2月号出版

 

実際のインタビューと原稿の違い

 まず断っておかなければいけないが、実際のインタビューは原稿とはだいぶ違うということである。私はインタビューの際、時間の制約もあるので、たいていぜひ聞きたいことから聞いていく。今回の場合、ほとんどすぐに研究の話からはじまった。しかし、編集部としては、エピソードや裏話的な話から記事をはじめたい。いきなり、研究の話だと非専門家には辛いからである。そんなわけで、最初の方にエピソードがあるのだが、たいてい本題が終わった後に聞いたものである。
 第二に、私の発言部分はかなり大きく編集したものである。当然のことながら、メインはインタビューされる人であって、インタビュアーではない。私の発言はあくまでも呼び水に過ぎない。だから、つなぎがいいように適当に加工されている。
 また、私の部分は、スペースの関係からなるべく行数を減らしている。インタビューを読んで、コイツよくこんなこと聞いたな、と思う人がいるかもしれないが、私だってそこはストレートに聞いたのではなく、いろいろとぼかして聞いているのである。しかし、それでは行数が増えるので、そのものズバリという聞き方になってしまったのだ。そもそも編集部が聞いたのに、私の質問になっているものもある。
 一方、インタビューされる人の発言は、語尾や話し方の癖も含めて、なるべく忠実に再現したつもりである。編集部では語尾をかたっぱしから切っていったが(「ですね」とか)、それではぼかした発言もずいぶん断定的な発言になってしまう。
 それでも、実際の話とそれを文章に起こしたものでは全然違う。発言は、本人の表情や話し方一つで印象が全然変わってくるからである。記事ではそれは再現できないので、えてしてトゲのある発言になりがちである。よく、マスコミは真実を伝えないと有名人がこぼす場面があるが、これは記事にする上での構造的な問題である。
 じつを言うと、益川さんがその典型例かもしれない。益川さんというと、そのユニークな発言がマスコミでも注目された。その報道を見る限り、アクの強そうな方だなあという印象を持っていた。しかし、報道された益川さんと実際の益川さんは全然違う。私個人の印象はというと、一言で言って「お茶目な人」である。益川さんのニコニコした表情で、いたずらっぽく話されると、ユニークな発言もまったく違和感がない。「日本ではアイドルになっている」と報じた海外のメディアもあったようだが、ぴったりの表現である。私もすっかり益川ファンの一人になってしまった。
 ところが、原稿を読んでみると、どうも印象が違う。ナマの音声ファイルを聞いて、原稿との印象の違いにとても驚き、どう処理するかでだいぶ悩んだ。
 そんなわけで、ご本人の発言も発言順序を組み替えたりしたが、とにかく益川さんらしさ、小林さんらしさが出るように最善を尽くした。

 

2月第1週

2/1(日)

夜、「小林誠特別栄誉教授ノーベル物理学賞受賞祝賀会」(主催:KEK)先週引っ張り出してきたスーツを着る。たいへんな人数で、この前のインタビューのお礼を言おうにも言えなかった。理論部でも祝賀会を予定中らしい。これから飲み直そうという話があったが、小林さんの原稿が気になり断る。

2/2(月)

0:01 小林さんインタビュー原稿第1版届く。約束の「週末中」を1分だけ過ぎる。益川さんの方は原稿を送るとともに、組み版に入るとのこと。益川さんが修正したい場合は、校正段階で手を入れてもらうらしい。異例だがやむをえない。益川さんはまだみていないので、気に入らない点があって大幅に変更があったらどうなるんだろう?
 昼、編集部に電話。最後まで残っている著者にやっと連絡が取れて、水曜までに原稿ができなければ引導を渡すと伝えたらしい。先方はまだ半分までしかできていないようで、筆の早いほうの私だってそんなこと言われたら泣いてしまう。
 また、校了を来週金曜と設定される。校了とは、すべての原稿を組んで、編集長・編集委員長の裁可をすませ、校正をすませ、印刷所にもっていくまで進んだ段階をいう。
 さらに、畳みかけるように、見開き2ページの編集後記も頼まれる。ページが増えたので、ひょっとして話は立ち消えかと期待していた。
 夜中すぎまで作業。

2/3(火)

小林さんインタビュー原稿第2版を送る。昨日は遅くまでかかったし、今日中に第2版についてサクマさんから連絡は来ないだろうと踏み、早めに帰宅につく。ところが、車のなかで携帯に連絡があり、そのまま相談するハメに。1時間もかかった。

2/4(水)

小林さんインタビュー原稿第3版が届く。この段階で、編集長、編集委員長の意見を聞くことにする。2時間ほどして、編集長、編集委員長からの意見が届く。小林さんインタビュー原稿第4版を送る。編集後記をとりあえず書き上げる。書く内容が、まだできあっていない原稿次第なのでたいへん難しい。最後の原稿がなしになれば、その分をフォローしなければならない。かといって、最後の原稿がめでたく入ることになれば、こちらとの内容の重複が問題になる。重なってもなるべく問題のないように工夫する。編集後記について、サクマさんからメールが届く。サクマさんもよほど忙しいのか、漢字変換のミスとかがやたらと多い。

2/5(木)最後の原稿がまだあがらない。編集後記がどうも気に入らず、いろいろ書き直しを試みるが、しっくり来ない。あわてて仕上げたため、構成をあまり検討できなかったせいである。あきらめて送る。夕方、KEKでネットワークトラブル。

2/6(金)最後の原稿がようやくあがる。こちらの査読を待たず、ただちに組み版に入るとのこと。年表まで作っていただいたようで、こちらで作った年表の扱いに困る。

週末 小林さん、益川さんは名古屋で講演会(大学と各々の母校の高校)

 

2月第2週

2/8(日)益川さんの祝賀会(主催:京大、場所:京都)インタビューでお世話になったので出席したいが、残念ながら欠席させてもらう。

2/9(月)インタビュー、最後の原稿、編集後記のゲラが完成。日本物理学会誌のノーベル賞特集号が届く。こちらの増刊号とのオーバーラップはないよう。抜かれてしまったが、こちらはお二人のインタビューもあるのでやむを得ない。

2/10(火)ゲラが届く。インタビューのゲラもチェック。ただし、小林さん、益川さんがインタビューに手を入れた場合、他の部分にも修正が必要になるかもしれない。小林さん、益川さんが返送されたら、編集部から連絡が来る手はずになっている。

2/12(木)

岡田さんから、GIMの前に原さんの仕事があることを教えられる。
 おそらくバリオン-レプトン対応の話が効いたのか、4元モデルの話はGIMの前にもあった。なかでも有名どころが書いた論文としては、ビヨルケン-グラショウがある。(このビヨルケンはわざとスペルを変えていて、名前のイニシャルもJ.D.ではなく、B.J.となっている)
 これらの論文は、BL対応以外にはそれほど説得力がなさそうだが、例外が原さんの仕事らしい。ここではGIM同様、ちゃんと strangeness changing neutral current のことが書いてあるようである。原さんの仕事については、ヴェルトマンのノーベル賞講演や本でも言及されている。

 

2月第3週

2/16(月)

西島さん訃報の知らせ。じつは増刊号の歴史編の著者第一候補が、西島さんだった。これから入院されるとのことで、残念ながら執筆していただけなかったが、そのときから心配していた。西島さんに書いていただく機を逃したことが悔やまれる。
 小林さん、益川さんからのゲラが返ってくる。大きな変更はないようで、一安心。これで基本的に私はお役ご免である。あと、編集部が再校すれば校了。
 とはいえ、パリティの仕事は終わったわけではない。むしろ、増刊号のせいでほかの仕事にしわ寄せが来ている。研究が滞っているのに、マルダセナ-クレバノフの AdS/CFT の解説も、翻訳しなければいけない。(自分で翻訳することにした私が悪いのだけど。もっとも、最近さまざまな特集で人材を使い果たしつつあり、なかなか頼める人がいない、という理由もある)マルダセナの翻訳は、2006年の日経サイエンスの記事以来、2度め。

2/20(金)臨時増刊号校了(のはず)

2/21(土)小林・益川両先生ノーベル物理学賞受賞記念シンポジウム(主催:KEK、場所:東京)

 

2月第4週

2/24(火)パリティ編集委員会

2/25(水)

 理論部での小林さんお祝いの会。小林さんから、ノーベル賞発表当日の様子について聞く。
 まず話を数年前に遡って小林さんが高エネ研にいた頃の話をすると、当時発表日には小林さんのオフィスに記者さんたちが毎年のようにつめていた。残念ながら小林さんの受賞でないことがわかると、淡々と記者さんたちが引き上げていったものだった。マスコミが引き上げるのを見て、ノーベル賞が発表になったんだなとわかる状況が何年か続いた。自分が好きでやっているわけでもないのに、周囲が勝手に期待をかけて空振りに終わるという状況は、ずいぶん負担だったのではないだろうか。とくにノーベル賞ほど大きなニュースの場合、縁のない人間にとっては想像に余る。もちろん、マスコミも商売なので、念のため候補者のもとにつめるのは理解できるし、こういった取材で空振りに終わるのはおそらくしょっちゅうで、いちいちガッカリしたりはしていないのだろう。そういったことはわかっても、やはり大変そうに思うし、そういった重圧から解放されたという意味でも本当によかったと思う。
 と言うわけで、インタビューでもそのあたりのストレスについて聞いたところ、

最初そうやって押しかけられたときは、そりゃあかなりストレス感じてたけど、何年かやってると、もう年中行事として慣れてきましたよ、これは。その時間だけ、2〜3時間、みんなで集まって、さようならっていう。そういう。うん、慣れます。

とのことだった。ところが、逆に恒例だったので、今回の発表にあわてたところもあったようである。
 さて、今回の様子はどうだったかというと、以前のようにマスコミが小林さんの部屋につめるということはなく別室で控えていて、小林さんは学振の理事長と発表を待ったらしい。しかし、この日記でも書いたように、今回の発表は予定時間を30分ほど過ぎていた。そんなわけで、小林さんももう帰っちゃおうかと思っていたところに、電話連絡が来たようである。電話の相手がノーベル財団の誰だったかは、記憶があいまいらしい。
 発表時間が遅れることについては、小林さんもよくわからないようである。当日に選考結果を決めているはずがない。発表時に資料もちゃんとそろえているのだし、その準備はだいぶ前からはじめているはずだ。
 小林さんは、当日、本人への連絡がうまくつかないといった理由があるのではないかと想像していた。南部さんは早朝に起こされたはずである。そういえば、ファインマンも早朝に起こされ頭にきた、とたしか自伝で書いている。
 考えてみると、受賞者の大半はきっとアメリカに住んでいるので、こんなことは毎年くり返されているのだろう。それでも、アメリカに都合のいいスケジュールで発表時間を決めないところがヨーロッパらしい。

 

お祝いの会で出たケーキのいくつか。ケーキ屋さん「フレッソン」のもの。
ケーキ屋さんとしても「ノーベル賞」と書くのははじめてだったのではないだろうか。(次の機会はあるのだろうか・・・)

 

2月末 パリティ3月号出版。セシルの記事が載る。

3/9(水)

この日記の存在が「パリティ」にバレてしまう。公開して1か月もしないうちにバレてしまうとは思わなかった。丸善として公的に認められるような内容とはとても思えないが、丸善のホームページにリンクを張りたいとのこと。丸善との契約書に守秘義務とか余計なことが書いてなかったか、一応チェックしておくんだった。うがった見方をすれば、好き勝手に書かれる前にクギをさしておこうという意図かもしれない。(追記:後日、結局種々の事情でリンクは見送られることになった。まあそうだろうなあ)

3/13(金)

臨時増刊号出版。13日の金曜日。執筆者の方々、インタビューに快く応じていただいた小林さん、益川さん、編集部、そしていろいろ相談にのってくれた研究者仲間(とくに岡田さん)に多謝。

3/19(木)

基研の滞在型プログラムに出張中。別の研究会で来ていた山脇さん・坂東さんとノーベル賞について話が弾む。(坂東さんはあいかわらず多方面で活躍しているようで、日本のセシルといった感がある。)
 山脇さんからの話として、益川さんから聞いたという発表当日の様子があった。どうも益川さんが発表の電話に出たところ、相手の態度がずいぶん高飛車に聞こえたようで、頭にきたらしい。益川さんは、発表直後に「(ノーベル賞は)たいしてうれしくなあい」と言ってしまったが、そういう事情があったようである。この発言については、くり返しその様子がニュースで流れ、方々から怒られたようでもある(奥さんに怒られている映像まで流れた)。だいぶ反省されているようなので、もう許してあげてはと思う。

3/27-30 

日本物理学会年次大会(立教大)。
 ・南部陽一郎氏ノーベル物理学賞受賞記念シンポジウム
 ・小林誠氏・益川敏秀氏ノーベル物理学賞受賞記念シンポジウム
 ・ノーベル物理学賞受賞記念講演会(市民科学講演会)
が開かれる。