年金に関し、世代間の不公平、世代間格差ということが声高に言われています。世代間の格差は何故生じたのでしょうか。それは非難されるべきことで、正されるべき「不公平」なのでしょうか。そんなことはないのではないかということを解説し、ターゲットとすべき真の問題は何かについてまとめます。
世代間の格差がいつから強く注目され出したか、またそれがいつから「不公平」と言われるようになったかはよく分かりません。”世代による給付と負担の関係の差”についてまとまった評価データが出たのは、年金大改正の年「平成16年の財政再計算結果」です。「平成21年財政検証結果レポート」にも引き継がれています(342ページ〜347ページ)。これによると妥当と思われる換算方法を使用した場合の給付額/負担額の値は次のようになります。
生年 | 国民年金 | 厚生年金(*) |
---|---|---|
(*)基礎年金分も含む | ||
1940生 | 4.5 | 6.5 |
1945生 | 3.4 | 4.7 |
1950生 | 2.7 | 3.9 |
1955生 | 2.2 | 3.3 |
・・・ | ||
2010生 | 1.5 | 2.3 |
この表をみてどう思われるでしょうか。解説、私の意見は後ほど書きます。
この「平成21年財政検証結果レポート」において、この差をどう考えるべきかは次のように書かれています。
世代間の給付と負担の関係を見るにあたっては、 @ 私的な扶養から、都市化・核家族化によって公的年金制度を通じた社会的 な扶養へと移行していること A 少子化・長寿化の進行により、現役世代にかかる扶養負担が高まっている こと B 生活水準の向上と実質的な保険料負担能力が上昇していること などの背景についても考慮する必要があり、この試算結果のみで、世代間の公平・ 不公平を論ずることは適切ではないということに留意が必要である。
この世代間の差を短絡的に”不公平”と考えてはいけない。と言うことを述べており。至極まっとうなコメントであるように私には思えます。
厚労省はあるときまでは、上に挙げたレポートのように、少なくとも表向きは世代間の差を”不公平”とは見なさず、むしろそのような単純な見方を批判しているように見えます。平成23年9月13日の第2回年金部会においても厚労省提出資料「現在の公的年金制度の課題と改革の方向性について」においても、世代間格差は課題として挙げられていません。しかし委員の中には世代間格差を”不公平”と捉える人もいるようです。第3回における藤沢委員提出資料です。
現在、我が国において、世代間格差や世代間の不公平が議論となっております。その最たるものが年金制度ではないでしょうか。若年層における年金の未納率の上昇も、就労困難による未納だけでなく、年金制度の不公平感から、納付を拒否している方もいらっしゃると推察いたします。
私のFacebook ページ(インターネットのソーシャルネットサービス)におい ても、年金制度についての意見を度々求め、議論をしておりますが、世代間の 不公平を述べる方も多々いらっしゃいます。
その上で、本日の論点にもなっております、「マクロ経済スライド」における 「年金額の調整(年金調整率=物価上昇率−スライド調整率)」をデフレ下に おいても厳格に実施すべきことを議論していただきたく存じます。現在の年金 を支えている就労世代は、デフレ下における給与の実質的低下を甘んじて受け 入れている上に、年金保険料の割合増も受け入れております。これは、就労し ている国民だけでなく、企業においても同様であります。
年金支給額の減額となる議論を棚あげすることなく、相互扶助の精神に則り、 現在を生きる就労世代と年金世代、そして、未来の社会を支える世代とが、互 いに支えあうための第一歩として、デフレ下においても機能するマクロ経済ス ライドの実施の議論をお願い申し上げます。世代間闘争ではなく、世代間恊働 の実現を年金制度から実施していただきたく存じます。
この方個人の揚げ足取りをするつもりはありませんが、不公平論の典型を見るように思うので少し検討したいと思います。まず「不公平」とは何をさしているのかこれだけでは分かりません。マクロ経済スライドの実施について語っているのだから年金制度の維持の為の主張をしているようにも見えます。すると保険料増加と年金減額の一方のみ実施されていることを「不公平」と表現しているのでしょうか。しかし世代間格差という言葉もあり混乱しているように見えます。また賃金の低下がどのような関係があるかも分かりません。どうも、要は就労世代は苦労しているのだから、年金受給世代の年金を減額せよという感情的根拠が根本にあり、その上に混乱した理屈をつけているように見えます。このように現在の一時点を切り取り、年金受給世代の年金額と現役世代の保険料を対比させて考えるのは不毛で、世代間の対立感情をあおるだけです。年金受給世代の年金額については現役時代にまじめに保険料を納めて来たという事実、現役世代の保険料納付の苦労については将来受給できる年金額と一緒に考えなければ意味がありません。年金制度維持のためにどうすべきかという視点から考えなければいけないと思います。
2014年4月24日の年金部会で「年金制度における世代間の給付と負担の関係について」が議題として取り上げられますが、ここでは厚労省の言い分が微妙に変わっています。議事録にある数理課長の説明は今までの厚労省のスタンスを保っているように見えますが、提出資料「年金制度における世代間の給付と負担の関係について」では”世代間の公平性の確保”という用語が使われていると共に、”年金制度の給付と負担の関係を論じる場合は様々な要素を踏まえて考える必要があると言う指摘もある”と控え目な表現が使われています。これはその資料でも触れられているように平成24年2月17日の「社会保障・税一体改革大綱」で繰り返し”世代間・世代内の公平”、”世代間の不公平”、”世代間の公平の見地から”という表現が使われていることの影響と想像されます。ただし大綱の主旨は年金受給世代に負担を強いるというものではなく、若い世代にもサービス・給付を行う「全世代対応型」の社会保障制度にするということにあるようです。
さてその第12回年金部会ではどのような意見があったでしょうか。議事録を見ると、おおかたの意見が世代間格差をそのまま不公平と捉えるような単純な見方はしていない中で、一部拘っている方がいるようです。意見を検討してみましょう。
小塩委員
まず世代間の格差の問題ですけれども、過去の沿革がありますから、現在、いろいろなところで試算されている世代間の格差について、これは全部だめでフラットにしろ、そんな極端なことを言う人はまず世の中にいないと思います。しかし、先ほど非正規の問題が指摘されましたが、年収100万円も稼いでいない人が国民年金の保険料を払おうと思って非常に大変な一方で、厚生年金を20万円以上もらって豊かな生活を送っている高齢者がいるわけです。そうした状況を見れば、世代間格差を問題にするなとはやはり言えないと思います。ですから、世代間格差の数字はいろいろ問題があるかもしれませんが、ああいう試算が持っている政策的なインプリケーションはやはり無視できないと思います。
武田委員
私も基本的には小塩委員の意見に賛成でございます。試算は一定の前提のもとで行うので、その前提を変えれば当然結果は変わり得るのです。大事なことは、保守的な試算にしても前提を多少変えたとしても、やはり世代間格差はあるということだと思います。その下で今何ができるかということを考えていかなければいけないのではないかと思っています。
・・・・
制度・法創設前にはこうであったとか、歴史を振り返るとこうだったとか、それは常に時代が変化してきていますので、余り過去にさかのぼって整合性を議論しても意味はないと思います。そう言い始めれば、今の現役世代からすると、非正規の方が4割だとか、今は共働き世帯が家族の形としては増えているとか、いろんな環境が変わってきていますので、その時代に合わせた制度設計が必要だということだと思います。必ずしも制度創設前にこうだったので今は恵まれているといった議論ではなく、更にそこから進んだ環境の変化に応じて制度を見直していく、後ろ向きではなくて前を向いた制度改革といった視点が必要です。そうした観点からは、繰り返しになりますが、年末のとりまとめの際で宿題になっている部分、先ほどデフレ下のマクロ経済スライドの話をしましたけれども、併せて第3号被保険者なども今の共働きの社会への移行の中においては時代遅れの制度になってきていますので、そうした点の議論を進めていくことが大事ではないかと思います。
小塩委員(もと内閣府で現在一橋大学教授)の意見は難解です。なぜ収入が低い人が無理して保険料を払っていて年金生活者が豊かな生活を送っていれば世代間格差を問題にする必要があるのか、試算が持っている政策的なインプリケーションとは具体的に何なのか。想像するに、世代間の対立不満が高まっているのでそれをなだめるような政策を取ることを見せる必要がある。それが政策的インプリケーションだということでしょうか。いかにも官僚的発想なのでしょう。なお年収100万円の人は、給与所得であるとすると、保険料全額免除対象になりますので手続きをすれば保険料の納付は不要です。また20万円で豊かな生活というのも実感からずれています。
武田委員の意見は意味不明というか、年金を論ずるには適さない一般論をとうとうと述べているだけで、意味を成していない発言と思います。私は無視します。
一般的に格差すなわち不公平ではありません。しかしながら前出の藤沢委員の提出資料や「社会保障・税一体改革大綱」にはあるので世代間の不公平という概念があることは確かです。年金における世代間の不公平とはなんでしょうか。
毎日jpの記事の一部を引用します。なおこの記事は年金に関するマスコミの記事には珍しく示唆に富んだ内容であり是非全文を読まれることをお勧めします。
記者の目:年金制度改革=吉田啓志(編集編成局)2012年5月23日
◇世代間格差をあおるな
年金制度改革のたびに顔を出す「世代間不公平論」が、税と社会保障の一体改革の過程で再び浮上しつつある。納めた保険料に対し、老後にいくらの年金を受けられるのかについて、高齢世代ほど有利な点をことさらに強調し、現役世代を「自分の老後は自分で面倒を」という自己責任論に誘導する論法だ。しかし、こうした主張は非現実的であるだけでなく、若者に高齢世代を敵対視する風潮を生み、社会を分断しかねない。自戒も込め、執拗(しつよう)に世代間格差をあおることは避けるべきだと考える。
発端は内閣府が1月にまとめた年金の「損得論」だ。50年生まれ(62歳)の人は生涯に保険料を1436万円支払うのに対し、受け取る年金は1938万円で、差し引き502万円の得。ところが50代半ばより下の世代は負担の方が多くなり、85年生まれ(27歳)では712万円の持ち出しになるという。 ・・・以下続く
これでは世代間格差が世代間不公平そのものということのようです。また、この記事によると世代間不公平論が浮上したのは内閣府のレポートが発端だそうです。そのレポート「社会保障を通じた世代別の受益と負担」はテレビにもよく出てくる学習院大の鈴木亘教授らがまとめたもので、ある生年以降の世代は払い損という内容になっています。これに対して厚労省は反論を出していて先ほどの第12回年金部会にも参考資料として提出しています。厚労省の資料の内容は「年金はあくまで保険であり金融商品ではない」から始まり全てにわたり説得力があります。鈴木教授はご自身の主張する社会保障の切り下げや年金の積み立て方式への移行を実現したいがために不公平感や危機感を煽っているのだろうと思いますが、その結果、世代間の対立や年金制度への不信感という何の利益にもならないないことを引き起こしていることに対し大いに反省していただきたいと思います。
それにしても世代間格差がすなわち世の中が感じている世代間不公平であるというのはすっきりしません。この点について元厚労省官僚で現早稲田大学教授の植村尚史さんの論文「公的年金制度における世代間公平問題への視点」の内容が納得できるものです。
今日、マスコミ等で公的年金における世代間不公平ということが問題になっている。多 くの場合、この問題は、世代ごとの拠出と給付の損得を巡って議論される。ある世代(コ ーホート)では、いくらの保険料を払って、平均的にいくらの年金給付を受ける、それが 別なある世代の何倍とか何分の一とか、そこに差があることが不公平であるという議論で ある。こうした論調に対し、政策当局や一部の学者からは、そもそも公的年金制度は、家 族内で行われてきた世代間扶養を代替するものであり、人口構成の変化によって世代間で 給付と負担に不均衡が生じるのはやむを得ないとの説明や、年金制度以外の世代間所得移 転と合わせることで、公的年金制度における世代間の不均衡は容認されるとの説明が行わ れている。
しかし、こうした議論や説明は、多くの人が感じている不公平感の本質から、問題の焦 点を遠ざけていくだけではないかと思われる。世代から世代へは、さまざまな形で、プラ ス、マイナスの資産がひきつがれていく。それらを集めてきて、どの世代が損だ得だとい う議論をしても不毛なことである。今日の年金制の世代間不公平論は、単なる損得論では なく、公的年金制度への信頼感の低下ということが背景にある。若い世代の年金制度の将 来に対する不安が、自分たちが一方的に不利になるという世代間不公平論という形で現れ てきたにすぎない。
世代間格差による損得論が問題なのではなく、自分たちが将来もらえるかどうか分からないのに何で今の年金受給世代のために保険料を収めなければならないのだという感覚が本質なのではないでしょうか。それを政治家、学者、マスコミが自分たちの思惑、あるいは無理解で世代間格差(世代間の不均衡)と結びつけた。またそれが年金への不信を持つ世代に逆流し、年金を批判する材料、あるいは保険料を納めない口実とされているといった辺りが実情と思います。
必要なのは”世代間格差”を是正すべきという論点を取除いて「年金への信頼回復」という本道に議論を戻すことです。
もう一度冒頭に挙げた、生年ごとの給付額/負担額の表を見てください。1940年生まれと1955年生まれでは15歳の差ですが、この値は2倍ほど違います。それに対し2010年生まれと1955年生まれは55歳の差があるにもかかわらず1.5倍ほどです。つまり世代間の格差はすでに年金を受給しているあるいはもうすぐ受給する人たちの中での差の方がはるかに急激です。しかしながら、私もそうですが、これらの人々には自分たちより前の世代の人々をうらやましく思うことがあるこそすれ、不当な差だと怒ったり、不公平だから是正せよと主張する方はほとんどいないはずです。やむを得ない格差と理解しているからです。
他の条件を一緒に考えるべきで、年金額だけの得失を論じるのは無意味だというのはその通りでしょう。しかしそうだとすると今度は当時の生活状況も含めて比較して、得だ損だとの議論が始まってしまいます。そうではなく格差が生じた理由がやむを得ないと納得できるものであればだれも不満は言わないはずです。
それでは今までどのような理由で格差が生じたのでしょうか。これを厳密に議論するためには、前出厚労省の資料や内閣府のレポートでやっているように、価値の換算方法を決定しシミュレーションを含めた計算を行う必要があります。その後どの要素がどれだけ影響を与えているか数字上の細かい分析が必要でしょう。それをやるつもりはありませんし、能力もありません。そうではなくて、厚労省の出している数字を信用した上で、理由を定性的に考えてみようと思います。私も含めた比較的若いほうの年金受給世代が、年長の受給世代に腹を立てていない理由は細部に多少の誤りがあってもそのような大筋を把握していてやむを得ないと感じているからです。
結論を箇条書きにするのは簡単ですが、やむを得ないという実感は得られないと思います。まとまりがないですがもっと細部から見たいと思います。
厚生年金保険の前身「労働者年金保険」が生まれたのは1942年です。その後の戦争や戦後の混乱期は年金も当然ながら大きな影響を受けます。その頃までも考えると格差はもっと大きなものになるはずですが、1940年生まれというと厚生年金に加入するのは早くて1955年以降です。国民年金は1961年に始まります。このころ以降に年金に加入した人の格差を生んでいる原因の一つとして考えられるのは、1960年代から70年代前半の、国民の生活水準の向上や年金制度の拡充に伴う急激な給付水準の引き上げです。格差計算に当たっては勿論保険料金額の換算は行われるわけですが、どのように考えて換算するかにより、大きな格差として現れる可能性は否めないでしょう。しかし国民の生活も大きく変わり、年金制度も急速に整えられていった時期でした。この時代を過ごした人を、この理由で得していると問題にする人は誰もいないと思います。
次の大きな理由は何度かあった制度の改正と思われます。主なものを上げます。
1986年にいわゆる2階建て年金となります。この際に厚生年金の報酬比例部分が25%減額されます。しかし既にもらっている人や近々もらう予定の人に対し、法律が変わったという理由で突然25%も減額しては現在の生活や将来の生活設計を脅かします。このため25%削減するのは20年先にもらう人からにし、それまでは毎年少しづつ減額しました。このため1946年より前に生まれた人は1946年以降生まれの人より給付乗率が有利になっています。1946年4月2日以降生まれの人を75%とすると1940年生まれの人は81.8%となります。また定額部分の加入月数当たり単価も大幅に引き下げられたため、1946年より前生まれの人は以降の人より定額単価でも有利であり、1940年生まれの人は17%ほど高くなっています。
1994年に定額部分の支給開始年齢をそれまでの60歳から65歳に引き上げることが決定され、2001年から引き上げが開始、2013年に完了しました。2000年にはさらに報酬比例部分の支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げることが決定され、2013年に引き上げ開始、2025年に完了予定です。どちらも決定から開始まで7年以上おき、開始から完了まで12年要していることに注意して下さい。
2004年の年金大改正でマクロ経済スライドというしくみが導入されました。興味がある方は別稿を見て頂きたいですが、簡単に言うと、公的年金の加入者数の減少と平均寿命の延びを考慮して、年金の支給水準を少しづつ下げていくというものです。今まで経過措置により停止されていましたが、2015年からは発動する予定です。冒頭の厚労省の試算においては、厚生年金の給付額が現役世代の給与の50.1%に達する2038年までマクロ経済スライドが続くとされています。
年金の支給水準の低下は物価・賃金の上昇に伴う支給額の上昇を抑制するという形で行われます。絶対額を下げるわけではありません。このため物価等が低下する状況においてはマクロ経済スライドは働きません。デフレが続いたこともあり、デフレ化でも働くように改めるべきという主張が強くなりました。しかしこれは絶対額を低下させるということになり、年金の信頼性を損なうもので、次元の違う制度になってしまいます。
(1)(2)は厚生年金だけについての話なので、国民年金も格差が同じくらい大きいのは何故ということになりますが、これは1942年に開始した厚生年金に対し、国民年金は1961年に生まれたばかりのため立ち上げ途中で急速に保険料を上げていく過程で格差が拡大したという要因があると思われます。
最後の理由は年齢構成の変化です。2004年の改正までは、将来全ての期間に渡って財政の均衡をはかるという目的で5年に一度の財政再計算が行われ、保険料と年金額の見直しが行われていました。65歳以上の人口比率はずっと増加し続けており、特に1980年あたりから急激に大きくなっています(財務省のページ)。1980年と2004年の物価指数は総理府統計局の資料によると、77.2:100.7ですからおおよそ1.3倍です。これに対し国民年金の保険料は日本年金機構のページによると1980年が3,770円であるのに対し2004年13,300円なので3.5倍となっています。この間の65歳以上の人口比率は2倍以上になっていますので、それが反映されたことが主な理由でしょう。少子高齢化が進むと保険料は際限なく増加することになります、このため2004年の改正以降は、保険料水準固定方式が導入されました。すなわち国民年金の保険料水準、厚生年金保険の保険料率の水準は平成28年度まで一定値で上昇しますが、平成29年度以降は固定になります。財政を均衡させるため、国庫負担をそれまでの3分の一から2分の一に増やすと共に、給付水準を下げます。そのための仕組みが先ほど説明したマクロ経済スライドです。
まとめますと世代間格差が生じた理由は次の通りです。
このため、積み立て方式から保険料を後の世代の納付にたよる賦課方式に移行していきました。
このため制度改正前後の世代で差が生じます。制度変更は現在や将来の生活設計を壊しかねず、その結果年金はあてにならないものという意識を生み、年金制度の信頼性を壊す恐れがあります。このため引き下げや開始年齢引き上げにあたっては20年程度の長い準備期間や経過期間を設けました。
これを止めるため、2004年改正で保険料水準固定方式とマクロ経済スライドが導入されました。
世代間格差が生じた理由と思われることを説明しました。制度の改正方法やタイミングに今から思うともっと最適化ができたのではないかという余地はあるかも分かりません。しかし、官僚の年金積立金の無駄遣いや社会保険庁のいい加減な事務に対してのように、怒るような理由ではないということに納得していただける方は多いのではないでしょうか。冒頭にあげた数値だけ見て1940年生まれは6.5なのに自分たちがもらうときは2.3だ、などと言ってもしょうがない事です。自分に都合が良いからという理由で世代間格差を「不公平」だと主張する一部学者や政治家に惑わされないようにしましょう。また引用した毎日新聞の記事のようにマスコミはきちんと考え的確な報道をしていただきたいと思います。
世代間の不公平が問題なのではないということを説明してきました。すると年金制度に対する真の問題点は何でしょうか。それは明らかに次の3点です。
マクロ経済スライドにより[1][2]が維持できるというのがまだ厚労省の言い分なのでしょうか。それは無理だろうという意見の方が多いように思えます。果たして維持できるのか、できないとすると小修正で良いのか、根本的な変更が必要なのか、政治家は党利党略を越え、学者は功名心をすてて、本気で議論し結論を出していただきたいと思います。
[2]の妥当な給付額とは何でしょうか。別稿では憲法25条の生存権に従って本来は”健康で文化的な最低限度の生活を営めるレベル”であるべきと言いましたが抽象的過ぎて実際的ではありません。老齢年金について言えば、”平均寿命以上生きたとき給付総額が保険料総額を価値において上回る”というのが最低線だと思います。
[3]の信頼性においては、2004年改正以降、官僚、政府は、信頼性の確保どころか、それをあえて失わせるようなことばかりをしてきたように見えます。社会保険庁のていたらくは論外とします。まずマクロ経済スライドです。これは年金を減額させるものであるにも関らず、どれだけの国民が理解しているでしょうか。しかも信頼性の確保のためには十分な周知期間と準備期間をおかなければならないにもかかわらず、翌2005年にすぐ実施されてしまいました。だからこそ、あまり分からないようにこっそり実施したかったのかも分かりません。デフレのため結果的に10年間実施されませんでしたが、早く正しい説明を周知させなければ、今後、年金に対する不信感を生み続けることになります。私は2004年改正時の1.7%減額をやめ、物価スライド特例措置を置かず、せめて10年の周知期間と準備期間を経て確定したある年度から実施すべきだったと思っています。次に、これに関連しますが2.5%減額をめぐる官僚、厚労大臣、マスコミの問題は別稿に書きました。複雑な制度の陰に隠れて、マスコミ、国民を煙に巻いて自分たちの思う方向になし崩し的に持っていこうという態度が見られます。問題点と提案を国民の前に明らかにし、それが複雑であれば繰り返し説明して国民に周知させて正しい理解と了解をえるという姿勢に改めることがまず必要です。
あるべき姿について結論を得るまで、まだまだ時間が掛かるかも分かりません。年金制度の信頼を回復するために政府に今必要なことは、妥当な給付が得られる制度を、必要であれば公務員の給与を削り、税金を増やしてでも、絶対に構築し維持し続けることを宣言することだと思います。
初稿 | 2013/5/8 |
修正 | 2013/5/13 |
●マクロ経済スライドの説明が不適切 | |
=支給額を減額→支給水準を低下 |