政府、日銀は年2%のインフレを目指しています。実現するかどうか分かりませんが、もし目論見どおり、今後毎年2%づつ物価が上昇した場合、年金額はどのようになるのでしょうか。年金額と物価との関係についても多くのブログ等に誤りや不正確な記述が氾濫しているようです。正しい解説を試みます。
※”インフレの場合、改定率の改定はどのようになるか”の節を分かりやすく書き換えました(25/6/20)
年金額が物価に連動して改定されるいわゆる物価スライド制は平成16年の年金大改正で廃止になりました。その後ずっと経過措置である「物価スライド特例措置」により年金額が改定されていましたが、昨年(平成24年)成立した改正法により経過措置はあと3年ほどで強制的に打ち切りになり、平成27年度からは本則である改定率により改定されることになります。ここまでの経緯は別記事に書きました。今後年金額は次のように改定されます。(国民年金法平成16年附則7条の2等)
平成25年度(10月から): | 前年度年金額×25年度改定率/24年度改定率×0.990 |
平成26年度: | 前年度年金額×26年度改定率/25年度改定率×0.990 |
平成27年度: | 26年度本来水準年金額×27年度改定率/26年度改定率 |
平成28年度以降: | 前年度年金額×当年度改定率/前年度改定率 |
平成25、26年度の式にある0.990が例の2.5%の差を縮めるための強制引き下げ分です。 ただし平成25、26年度についてはこの計算で従来より年金額が上がるという場合据置きとなります。厚生年金(報酬比例部分)の場合、これらの式とわずかの差が出る場合がありますが、おおよそはこの通りです。
経過年度の平成25,26,27年度は別にして、平成28年度以降については改定率に比例して年金額が変わる事になります。年金額がどのように変化するかということはすなわち改定率がどのような仕組みで変化するかということです。この改定率の改定については国民年金法第27条の2と第27条の3に定められています。ちょっと分かりにくいのでここでは全体を説明しません。興味のある方は国民年金法を見てください。本稿では2%程度のインフレが続いた場合どうなるのかということに限って説明します。以下
当年度改定率/前年度改定率
を改定率の改定率と呼ぶことにします。
改定率の改定率は、前年の物価変動率と名目手取り賃金変動率という2つの値で決められます。
物価変動率は年平均全国消費者物価指数の前々年の値に対する前年の値の比です。消費者物価指数は総務省統計では3種類示されます。実際に使われている値を見る限り総合指数が使われているようです。
名目手取り賃金変動率とは次のようなものです。
名目手取り賃金変動率=
3年度前の実質賃金変動率×前年の物価変動率×サラリーマンの手取り収入の減少率
すなわち賃金変動については、前年の変動率ではなくて、4年前から2年前までの平均の賃金変動率が使用されることになります。なんでこんなことになっているかについて、厚労省年金局は”短期的な賃金水準の変動による年金額への影響を軽減するため”(「平成16年財政再計算結果」)と説明していますが、結果として賃金の変動の年金額への反映が遅く感度が鈍いものになっています。
さて2%のインフレが続く場合有り得ると考えられるのは次の3つのケースです。それぞれについて改定率の改定率がどうなるか説明します。
名目手取り賃金変動率は、物価変動率に対し、3年度前の実質賃金変動率に手取り収入の減少率をかけた値を掛けたものでした。この値(仮に換算係数と呼ぶことにします)はどのくらいなのでしょうか。平成24年度をみると物価変動率0.997に対し名目手取り賃金変動率(平成21年度中心)は0.984です(平成24年・年発0401第3号)。この場合換算係数は0.984/0.997=0.987となります。もし物価の上昇と賃金の上昇の関係が同じように続けば2%程度のインフレに対し、名目手取り賃金変動率は1.02×0.987=1.007となり(2)となります。この場合改定率の改定率は名目手取り賃金変動率となります。もし物価の上昇に対し、賃金の上昇の度合いが今までよりも低いという場合2年後から4年後あたりでは換算係数がもっと小さくなりますので(1)となる可能性があり、この場合は改定率の改定率は1、つまり年金額は据置きになります。物価変動率を0.2%程度以上上回って賃金が上昇する傾向が続く場合のみやがて(3)となります。この場合は年齢により改定率が変わります。68歳以上の人は物価変動率により改定され、68歳未満の人は名目手取り賃金変動率で改定されます。
おおよその説明をしましたが、物価の変動が賃金より大幅に大きい、かつ上昇の年度がずれる等があれば何が起こるかわからないようにも見えます。この改定率というしくみは、どんな物価や賃金の変動があった場合でも妙なことが起きないように考慮されたものなのでしょうか。「平成16年財政再計算結果」(厚生労働省)に書いてあるどうしてそのような決め方にしたかの説明が散文的なもので、数学的根拠が大丈夫なのか大変心配になります。一度じっくりケーススディをしてみたいと考えています。
いずれにせよ最もありそうなことをざっくりまとめると、つぎのように言えると思います。
年金で生活している人間は暗い気持ちになりますが。さらにその気持ちに追い討ちをかけるのが平成16年度の改正で導入され平成17年度から始まっているマクロ経済スライド(国民年金法第27条の4、27条の5)です。これは物価スライド特例措置が有効な間は法律で停止されているのですが、本来の水準となる平成27年度からは発動します。マクロ経済スライドとは改定率に次の調整率を掛けた上で年金を改定しようというものです。
正確には法令上は物価スライド特例措置及び経過期間である平成25,26年度も本来水準が特例水準を上回る場合はマクロ経済スライドは発動することになっていますが現実にはありません。また平成27年度については本来水準が平成26年度額を下回る場合は発動しないことになっています。また発動する場合は26年度額が保障されます。
調整率=公的年金加入者総数の減少率×0.997
0.997という数値は平均余命の伸びを考慮した値です。改定率の改定率が1以下の時は調整率は掛かりません。また調整率を掛けた結果1以下になる場合は1となります。調整率については平成21年財政検証結果では、平成27年から平成42年までの15年間は−0.9%から−1.2%という見通しを示しています。すなわち、改定率が1%程度上昇しても調整率により打ち消されてしまうということです。このようにして給付水準を抑えていきやがては現役世代の平均給与に対する厚生年金の給付額の比(所得代替率と言います)を50%まで引き下げようというのがマクロ経済スライドの目的です。
頑張って説明しましたが、本文中に書きました通り年金額の「改定率」というものが大変見通しの悪いものであり、見落としがないかやや心配です。いずれにせよインフレ下では改定率というシステムとマクロ経済スライドで実質的な年金給付水準が下がっていくことは間違いありません。それにしても思うのは、戦前の反省に立ちわが国は戦争放棄や、労働者の保護のための様々なルール、そして生存権の保障としての社会福祉制度、社会保険制度を確立し守ってきたはずです。それが経済の発展の為に邪魔だということで、廃止や縮小が大っぴらに主張されるようになってきているということです。確かに年金を縮小し、国民皆保険を破壊し、様々な労働者保護の規定を経営者に都合のいいように変更すれば、ことによると日本の経済が発展し、経済成長率やGDPが増加するかも分かりません。しかし、その引き換えに経済格差は拡大し、落ちこぼれた人の生活は今までとは比較にならないほど悲惨なものになるでしょう。経済発展に邪魔だから廃止しろという立場と、どうしても継続できないので何らかの修正をしようという立場は立ち位置が全く違います。この国はどこに向かうのでしょうか。この頃「国益」という言葉が「お国のために犠牲になる者が出てもやむを得ない」というように聞こえます。
平成25年度の年金額については既に決定され政令が公布されており、3月25日付官報(政令第79号)で見ることができます。これはちょっと読みにくいのでカンニングさせてもらいます(PSRnetwork掲載の資料)。 これによると前年の物価変動率は0だったため物価特例水準は24年度と同じです。このため4月〜9月までの 年金は前年度据置きとなります。本来水準の改定率も据置きとなります。すなわち前記第1節での式において ”25年度改定率/24年度改定率=1”となります。この結果10月以降の年金額は前年度年金額に0.990を乗じた値すなわち1%減となります。
平成26年度年金額について厚労省より発表がありました。これによると平成25年度の物価変動率は+0.4%、名目手取り賃金変動率は+0.3%であり、物価変動率>名目手取り賃金変動率>1となるので、改定率の改定率は名目手取り賃金変動率となります。第一節の式で”26年度改定率/25年度改定率=1.003”となりますので、平成26年度の年金額は前年度の0.7%減となります。
名目手取り賃金変動率は平成24、25、26年度でそれぞれ0.984、0.994、1.003であり2節で定義した換算係数を計算するとそれぞれ0.987、0.994、0.999と上昇しています。これだけみると第2節で示した見通しはやや悲観的過ぎるのではないかと思えます。しかし実質賃金変動率計算の中心年度は平成24年が平成21年度で前年に物価が大きく上昇した年度です。これに対し、平成25、26年度の中心年度平成22年度、23年度は物価が下降していく過程にありました。すなわち物価が上がった場合に賃金が物価ほどに大きく上がらず物価が下がる場合は追随するか据え置きであることを反映しているに過ぎないようです。従って今後物価上昇に対し賃金(月給)がどのように上昇するかが問題で、以前のような鈍い上がり方しかしないのであれば悲観的な見積もりとは言えません。
平成27年度年金額についての厚労省より報道発表がありました。上で述べました通り平成27年度の年金額は本来水準の年金額、すなわち平成26年の本来水準の年金額に改定率の改定率を掛けたものになります。平成26年度において本来水準の年金額は特例水準の年金額の−0.5%です。物価変動率は2.7%、名目手取賃金変動率は2.3%とのことですので、それぞれ1.027、1.023となり第2節で述べた(2)のケースとなりますので、改定率としては名目手取賃金変動率が使用されます。改定率が1より大きいときはマクロ経済スライド(「マクロ経済スライドとは何か」参照)が有効であり、調整率が掛かります。調整率は−0.9%です。以上を合わせると-0.5%+2.3%-0.9%=+0.9%となり、年金額は26年度価額に対し+0.9%となります。
換算係数は1.023/1.027=0.996と高い値を維持しています。これは名目手取り賃金変動率の評価対象である3か年、平成23年、24年、25年のうち平成23年がまだ物価が下降傾向であり、平成25年はやや上昇に転じたものの上昇率はわずかであることによると思われます。平成26年が計算に入ってくる来年度以降、賃金の上昇率が物価上昇率に追いついていない場合は換算係数が小さくなり、改定率は物価変動率を明白に下回ることになります。
今回の報道発表において、難解なのは厚生年金について昭和13年度以降生まれの場合昨年度で特例水準の解消が終わっており、昭和12年度生まれでは-0.1%のみの差となっているので、それぞれ+1.4%、+1.3%の改定になるというものです。平成16年度において基礎年金額は本来水準と特例水準で1.7%の差があり、その後本来水準は改定率の改定に従い、特例水準は物価スライド特例に従い改定されて、平成24年度において2.5%の差となりました。ところがこの報道発表によると、厚生年金においては、昭和12年度以降生まれの場合、本来水準との差はもっと小さかったということになります。
このことについて検討してみましたところ、どうも厚労省の発表とは異なり0.7%のアップにしかならない人も多いと思われますが、詳細は一般の人の興味を超えると思われるので別稿(「平成27年度の厚生年金の額について」)とします。
かりに厚労省発表どうりだとすると、昭和12年度以降生まれの人は平成24年度では75歳以下となります。年齢別の受給総額は厚労省の発表(「平成25年度厚生年金保険・国民年金事業の概況について」等)にはないのですが、公的年金の受給総額のかなりの部分を占めていると思われます。年金引下げ法案の時など今まで「2.5%高い」と言い続けていた厚労省は相当に不誠実であったと言えるでしょう。
初稿 | 2013/3/17 |
修正 | 2013/4/3 |
●根拠資料へのリンク追加 | |
補足追加 | 2013/4/9 |
改訂 | 2013/6/20 |
●分かりやすい記述に修正 | |
改訂 | 2014/2/1 |
●補足2追加 | |
●平成27年度等に対する注追加 | |
補足2修正 | 2014/2/7 |
補足3追加 | 2015/1/31 |
改訂 | 2015/2/6 |
●補足3記述追加 | |
補足3改訂 | 2015/3/27 |
補足3改訂 | 2015/4/2 |
補足3改訂 | 2015/6/23 |