平成25年8月5日の社会保障制度改革国民会議で最終報告書案が提出されました。議事録がまだ出ていませんが報道等によるとこのまま確定したということのようです。報告書はともかくとして、会議では年金関係について充実した議論が行われています。国民会議における議論から伺われる公的年金の課題や将来像について私見を交えて紹介します。
昨年8月に自民、公明、民主の議員立法により成立した社会保障制度改革推進法の 第9条に基づいて設置されたのが社会保障制度改革国民会議です。
(社会保障制度改革国民会議の設置)
第九条 平成二十四年二月十七日に閣議において決定された社会保障・税一体改革大綱その他既往の方針のみにかかわらず幅広い観点に立って、第二条の基本的な考え方にのっとり、かつ、前章に定める基本方針に基づき社会保障制度改革を行うために必要な事項を審議するため、内閣に、社会保障制度改革国民会議(以下「国民会議」という。)を置く。
平成24年11月に第一回が開催され、8月5日の会議は第20回に当たります。報告案に対しては既に8月2日の会議に出されていて、ほぼそのまま最終報告案になったようです。8月2日に案が公開された段階ですでに報道がなされていますが、以下では8月2日案に対する報道も最終報告案に対する報道として扱います。
この法律自体は社会保障のあり方の点で多方面から問題点を指摘されており(一例として日弁連の声明)、その中で国民会議が社会保障にとってネガティブな役割を担うことにならないかは心配なところです。今回の報告書案についても「政府や与党であれば国民に対して言いにくいこと、厳しい現実を指摘し」「政府や与党の代弁者の役割を担った。」(西日本新聞の記事)という捉え方もあります。
確かに(おそらく)事務局がまとめた報告書案では、会議のなかの様々な議論が取捨選択され、結果として政権に都合の良い方向に傾いている可能性があります。また結論についても課題と方向性を示して検討の必要を述べているだけです。このため恣意的に都合の良いように解釈され、アリバイとして使用されるおそれがあります。
すでに一部マスコミが勝手に解釈しているのが見受けられます。以下は例として報告書案と8月3日付け朝日新聞朝刊13版の記事を比較します。→左が報告書案、右が朝日新聞です。
マスコミは分かりやすく、またインパクトを持って伝えたいということもあるのでしょうが、原文にあった含みを切り捨ててしまうことで、結果として政府の思惑や恣意的解釈を後押しすることになってしまう気がします。
本論では、このような法律や国民会議の制度が持っている問題点、最終報告書に関る政治的な事柄は別にして、主として会議での議論の内容に目を向けてそこから将来の公的年金の課題やあり方について考察したいと思います。
他の分野(少子化対策、医療、介護)についてはまだ見ていないので、なんとも言えないのですが、こと年金の分野に関しては議事録を見る限り、見識の高い委員たちにより充実した議論が行われていて大変参考になります。何でこんな人が委員なんだろうと思う場合が少なくない社会保障審議会年金部会とは大違いです。別稿「年金2.5%減額法案について」で”政治家たちが金科玉条のように言及する社会保障国民会議(社会保障制度改革国民会議)なるものにも不信感を抱かざるを得ません。”と書いたことについては撤回したいと思います。
実を言うとライフスタイルが変わっただの女性がどうのだの第3号制度がどうの等のステレオタイプな話でうんざりさせられる委員が一名いらっしゃいます。他の委員が話を受けるように見せてじつは他の路線に誘導するという方法で往なしているようで、議論に影響を与えていません。以下の記事ではこの方の発言は完全に無視しします。多分、他の分野では有益な発言をされているのだろうと想像します。
年金については第12回、第13回、第15回に議論がなされています。以下主な論点を私の視点で紹介します。あくまでも私の目と頭を通したものですので、議事録そのものも参考にされることをお勧めします。
最初に、年金は続けられるのか、すなわち年金財政の見通しについて見てみます。 第12回の冒頭に「年金関連4法による改革の内容と残された課題」ということで蒲原厚労省大臣官房審議官がプレゼンをしていますが、その中で次のように発言しています。
6ページ、少し年金財政の今後の状況について整理いたしております。
・・・
給付も負担もほぼ横ばいということになっているわけで、その意味で言うと、この年金の問題というのは医療・介護と違って、今後給付なり負担が増えていくという次元の問題ではないというのが1つ大きなポイントでございます。
これはいったいどういうことなのでしょうか。マスコミを通じ、騎馬戦式だの肩車式だのが喧伝され、その結果「将来自分たちが受給世代になるころは、年金などもらえない」ということで年金不信が広まったはずです。
財政上の問題はないというのは一面ではその通りと思われます。何故なら、医療や介護と違って、財政が成り立つように給付を削減することが年金では可能だからです。それではどこから年金財政が危機であるような話が出て広まる事になったのでしょうか。消費税引き上げ容認の世論を作るため意図的に流されたとの疑いを持ってしまいます。
騎馬戦(3人が一人を支える)、肩車(1人が1人を支える)という言い方は平成24年2月27日の野田首相のメッセージが出どころと思います。聞いた当時はそんなこともあるかな程度でろくに考えもしませんでしたが。最近、年金の統計を眺めていて疑問を持ちちょっと調べてみると、これが全くのでたらめであることに気が付きました。平成24年の「日本の将来推計人口」を見ますと この3:1、1:1という数字は単に65歳以上人口と15−64歳人口の比と思われます。しかし、働き手は自分も生活しているわけですから、このような計算は全くおかしい。3:(3+1)、1:(1+1)すなわち1.3人を一人が支える社会が2人を一人で支える社会になるとすべきです。さらに14歳以下、及び労働力率の低い22歳以下が減少すること、60歳以上の労働力率が上昇するであろうこと等を考えると実質の変化はさらにずっと小さいはずです。野田首相は頭が悪いのでしょうか。それとも消費税引き上げを実現するため国民をだまそうとしたのでしょうか。
しかしながら、金が無ければ給付を削れば良いというのは当然問題があります。委員のお一人が財政的に年金制度には問題がないというのは”年金財政論にすぎず、社会保障論とはなっていない”と指摘しています(第12回の駒村委員)。この問題は「マクロ経済スライド」の項で取り上げます。
報告書にも記載されており、議事録をみてもほぼ共通認識となっていると思われるのは所得比例年金が理想と言うことです。保険料も給付額も現役時代の所得に応じたものにするべきであると言うのです。
厚生年金は所得比例になっています。給与や賞与の額に保険料率をかけたものが保険料となり、基礎年金と報酬に比例した厚生年金が給付されます。これに対し国民年金は、所得による免除制度はあるものの、基本的に同一保険料、同一給付です。厚生年金が応能負担であるのに対し、国民年金は応益負担と言われます。
国民年金が所得比例の制度になっていない理由は、いうまでもなく、自営業の場合正確な所得捕捉が困難であるからです。現実的な対応として同一保険料、同一給付の制度にならざるを得なかったのです。
このため所得捕捉の強化、精度の向上を目指すべきと多くの委員が発言しています。所得把握を徹底し、所得比例の厚生年金に国民年金を統合するというのが一つのあり得べき将来像でしょう。
公平な所得補足の実現自体困難な課題に見えますが、そればかりではなく一元化というのはそもそも難易度の非常に高い難題と指摘する意見もあります(第15回の山崎委員の意見)。理由は納得できるものです。サラリーマンの厚生年金保険料は、給与所得控除等の各種控除前の収入に比例しています。それに対し、自営業者の収入として売り上げを考えますとそれから材料費や人件費や設備代(減価償却費)等の「必要経費」を控除せずに賦課するのは変です。すなわち事業者では各種控除後の所得で考えなければ所得比例年金は成り立たないことが分かります。サラリーマンは控除前の収入、事業者は控除後の所得と賦課ベースが違ってしまうではないかということです。
それではサラリーマンも控除後の所得ベースで保険料を賦課すれば良いではないかということになりますが、山崎委員によりますと、そうすると低所得者が増えてしまい、例えば民主党がやろうとしていた最低保障年金では、税で助けられるべき、保険料を賦課されない人間が膨大になるとのことです。
しかしながら、最低保障年金は少なくとも当分は消えてなくなってしまったようで、その点だけでは、控除後所得に比例した年金もありえるのかなとも思います。但し保険料の累進性は現在よりも各段に大きくなり、財政を成り立たせるためには、保険料率を高く設定し所得がある程度以上の人の保険料は相当高くせざるを得ないだろうという気がします。特に低所得者の厚生年金加入を拡大していく方向にすると、控除後所得0すなわち保険料を払わなくても良い被保険者が膨大になる恐れがあるようにも思えます。
また、これは明確な根拠なしに印象で述べますが、自営業者の所得の不明瞭さの大きな部分は収入から控除できる「必要経費」の不明瞭さにあるのではないでしょうか。それをそのままにして控除後所得ベースの賦課にした場合、公平とはとても言えない気がします。税とは別の控除のルールと、その適用の厳密化が必要でしょう。
それでは理想である「所得比例年金」の実現は相当に困難でなかなか実現できないものなのでしょうか。これに対しては駒村委員の意見(第12回、第15回)が現実的な解決策であるように思います。すなわち国民年金の第一号被保険者の中の自営業者の割合は6%弱であるので、自営業者のところは最後に残された問題として、厚生年金の適用拡大をまず進めようというのです。
第一号被保険者のほとんどは非正規労働者等の被用者でありそこに厚生年金の適用を拡大していけば大部分が所得比例年金の枠に収まるはずです。まずそれを実現するというのはなるほどと思います。
この為には就業時間や賃金等の条件を広げていくことは勿論ですが、現在適用逃れをしている事業所に対しきちんと保険料を徴収することが必要です(西沢委員の発言によると適用事業所170万くらいに対し適用漏れが24万6千事業所あるそうです)。そればかりではないと思います。対象規模がどれくらいかという数値は持っていないのですが、現在適用除外(任意適用)になっている、従業員5人未満の個人事業や、農林水産業や飲食店等いわゆる法定16業種外の個人事業にも強制適用していく必要があると思われます。
(1)で金が無ければ給付を減らせば良いので年金は財政的には問題ないと述べました。その給付を減らすための仕組みがマクロ経済スライドです。マクロ経済スライドの基本的な考え方は別稿「インフレにより年金額はどうなるか」に書きましたので興味のある方は参照ください。要は年金の財政上の問題がなくなるまで、毎年1%程度年金の給付額を減額させようというものです。
年金の財政はおおむね100年間の収支で考えます(国民年金法第4条の3)。もし100年間で財政が均衡しないと見込まれる場合は政府はマクロ経済スライドで給付を調整することになっています(国民年金法第16条の2)。つまり支給額を減らしていってその後100年間の収支が均衡すると見込まれるようになった時に減額を停止します。
マクロ経済スライドは平成17年に発動されていますが、今まで停止されており、平成27年から実際に動き出すことになります。このあたりの経緯は「年金2.5%減額法案について」を参照ください。
年金は大雑把にいうと物価、賃金が上昇するときは上昇し、物価、賃金が下降するときは下降します。この上昇、下降する割合をここでは変化率と呼ぶことにします(別稿では国民年金法27条の2の”改定率”を改定する比率を”改定率の改定率”と名付けています。改定率の改定率=1−変化率 の関係です)。またマクロ経済スライドによる減額の割合を減額率(先ほど書いたとおり1%前後の値です。国年法27条の4の”調整率”とは 調整率=1−減額率の関係です)と呼びます。このとき年金の減額は次のように行われます。
年金が増えるときにその増える割合を減らすことにより緩やかに調整しようと言う考え方です。これはどういうことかというとデフレ等で物価、賃金が下がるときはマクロ経済スライドは働かないと言うことです。もしデフレが続いてマクロ経済スライドの発動が遅れると、年金財政の均衡はいつまでも達成されないと言うことになりかねません。このためこの点を修正すべきという意見が何人かの委員から出ています(西沢委員、駒村委員)。最終報告書では次のようにまとめられました。
マクロ経済スライドについては、仮に将来再びデフレの状況が生じ たとしても、年金水準の調整を計画的に進める観点から、検討を行うことが必要 である。
実際に何が起こるのでしょう。平成25年から平成27年にかけて年金が2.5%程度減額される事になっていますが、じつはそれどころではなく、平成27年以降は、世の中の物価や賃金が上昇し、本来年金が上がるはずの局面では上がり分が1%程度減らされます。これを知っている受給者はどのくらいいるのでしょうか。またそれらの人々が知ったとき、年金不安が一気に拡大する懼れはないのでしょうか。マクロ経済スライドの意味が国民に浸透していないので、国民に対するメッセージが重要という指摘はマクロ経済スライドに基本的に賛成という委員からも出ています(13回伊藤委員、西沢委員)。しかし周知させた段階で波乱があってもおかしくありません。
もしデフレ下でもそのまま実施されるように修正が行われると、毎年機械的に年金が1%程度づつ減少することになります。これはそのままでは現実的な制度とはとても思えないのですがどうでしょう。
平成27年度については本来水準が平成26年度額を下回る場合はマクロ経済スライドは発動しないことになっており、本来水準への移行とマクロ経済スライドのダブルパンチはないようになっています。また発動する場合も26年度額が保障されます(国年法平成16年附則12条の2等)
年金が目減りしていくことは、年金のみに頼っている人の生活を脅かし、年金不安や政治的な問題を起こすと思われます。このような実施過程で現実に起きる問題の他、マクロ経済スライドが持つもう一つの問題は年金財政の均衡が見込まれマクロ経済スライドが停止されるときに、年金の水準はどうなっているのかということです。厚労省が示し続けているのはその時点で現役世代の平均収入の5割は確保されるという試算です。試算の詳細を検証したことはありませんが、どうせ都合の良い数字を組み合わせて鉛筆なめなめ作った数字だろうという疑いを持ってしまいます。そうではなかったとしても経済状況、人口状況に対する信頼できる見通しなど誰も立てられないでしょう。もし非常に低い水準になってしまったとき、年金だけでは生活できない高齢者が増加し、それは生活保護等他の社会保障、社会福祉の財政負担になってしまいます。それで良いのでしょうか。
デフレ下でもマクロ経済スライドが働くようにし、機械的に適用していくことについては多くの委員が問題を感じているようです。問題があるが止むを得ないという立場の委員もおられるようですが次のように検討が必要という意見もあります。
以上のような議論を反映してか、最終報告案では次のような文が加えられています。
当国民会議における議論の中では、基礎年金の調整期間が長期化し水準が低下することへの懸念が示されており、基礎年金と報酬比例部分のバランスに関しての検討や、公的年金の給付水準の調整を補う私的年金での対応への支援も含めた検討も併せて行うことが求められる。
支給開始年齢の引き上げは平均寿命の延びに対し財政を安定化させる一つの方法であり、マクロ経済スライドによる減額度合いを緩和できます。これは当然その年齢まで働くということが前提であり、他の社会保障制度や高齢者の就業に対する企業の制度の改革と同時に進めなければ無理があります。また業種や個人の健康状態により65歳以上でさらに就労するというのが困難な場合もあるでしょう。会議の議論ではいつかは引き上げはやむを得ないという見方と共に、一律引き上げでなく弾力的な制度への言及もあります。
また年齢を引き上げた場合、ついてこられない人がでてきて、それに対してどのように応援するか考えなければいけないという指摘(12回駒村委員)もその通りでしょう。
最終報告書案では中長期的課題とし次のような文章に議論を反映させています。
なお、この検討に当たっては、職務の内容と高齢者の対応可能性等も考慮し、 高齢者の就業機会の幅を広げることに取り組むとともに、多様な就業と引退への 移行に対応できる弾力的な年金受給の在り方について、在職老齢年金も一体とし て検討を進めるべきである。
マクロ経済スライドの国民への周知徹底の必要性の指摘があったことは前述しました。マクロ経済スライドの適用を進めるのであれば年金不安を起こさないために極めて重要でしょう。それ以外にも国民へのメッセージについての議論がかなりあったようです。
経済学者はショッキングな数値を伝え、一方政府は甘いことを言う結果、国民が何だか分からなくなっている。
世代間の公平に関って給付負担倍率を提示することの問題は、第13回でかなり議論されています。
というように給付負担倍率のアピールは不適当であること、また公平性の指標には所得代替率が良いのではないかという方向です。
所得代替率:現役世代の平均収入に対する給付額の割合のこと
最終報告書案では年金の項目7ページ半のうち1ページ近くを費やし「4.(2)世代間の公平論に関して」で、世代間の不公平の指摘に対する反論らしきものが述べられています。一方他の国民へのメッセージの必要性への言及は無いようです。
報告書では半ページくらい使って展開されていますが、国民会議での議論はほとんどありません。わずかに12回で山崎委員が厚生年金の被保険者でない在職の年金受給者に対する税制面での対応の必要性、高所得者の負担について社会保障全体として考えることが適当である旨述べているくらいです。
マクロ経済スライドによる給付水準の低下を補うため、私的年金制度の拡充が必要という意見が出ています (12回、13回駒村委員、第13回伊藤委員)。制度の整備や、税制面での優遇等による推進策です。現在ある財形年金制度の拡張版みたいなものでしょうか。国民年金基金や個人型の確定拠出年金との位置づけがよく分かりませんが、あっても良いとは思います。しかし、既に受給している世代、あるいはもうすぐ受給する世代には、いまさら言われてもどうしようもないわけであり、マクロ経済スライドはそういう人たちにも容赦なく圧し掛かります。
低所得者対策には税制、生活保護、住宅政策等制度横断的に議論していくという提案が述べられています(12回駒村委員、15回宮本委員)。また最低所得保障に拘らず最低生活保障を行っていく、公費を低所得者に重点化していくとの意見が述べられています(15回駒村委員)。
所得比例年金も保険料徴収の徹底があってこそですので、何人かの委員が徴収方法についての提案をしています。
賦課方式を止めて積み立て方式にすべきという主張をしている政党や学者がいることはご存知の通りです。これは私は不思議に思っておりました。何故なら、納める保険料を一定にして給付額も一定にした場合、両方式で毎年の収入と支出は差が無い訳ですから、違いは単に給付されたお金がいつ納められたお金かという名目だけです。本質的な差は無い気がするからです。国民会議でも同等定理、同等命題という言葉で両方式にほとんど差は無いという認識が共用されているようです。ただ、積み立て方式を主張する人たちの意図は政府の作意・不作為を封じ込めること、及び支払いと給付の関係を明確にすることにあるという西沢委員の指摘があります。また駒村委員によると、賦課方式は高齢者に有利な政策が行われるという政治的リスクを持つとのことです。
一部委員の言及を除いて、第3号被保険者制度は議論に上がっていません。3号制度は厚生年金保険という所得比例年金の体系の一部として存在しているわけで、所得比例年金を是とする議論の大筋の方向からは当然のことと思われます。完全に所得比例年金が実現できれば第一号の不公平感も、就業調整の問題もなくなります。
充実した議論が行われたとしても、どのような報告が行われるかが実効上は全てでしょう。まとめるにあたっての議論の取捨選択や、議論に無かった内容の大幅追加等、委員の反論が出ない範囲で、事務局側の進めたい方向に結論が向くように組み立てている印象はあります。本稿では報告書そのものについての検討はしません。そのようにまとめられた背景や、今後どのような効果をもつかについての検討が大変な上、単なる邪推になりかねないからです。しかしながらここで、明らかに目立つ点については指摘しておこうと思います。
マクロ経済スライドの機械的な適用に関しては、国民会議では多くの懸念する意見がありました。また賛成する委員も、国民への周知の必要性や給付額の低下を補う制度の重要性を指摘しました。しかし報告書では、基礎年金と報酬比例のバランス、私的年金への支援のみが留意事項とされています。また支給年齢の引き上げに関しては事務局意見と思われる、マクロ経済スライドの徹底を前提とした次のような文が挿入されています。
2004(平成16)年の制度改革によって、将来の保険料率を固定し、固定された保 険料率による資金投入額に年金の給付総額が規定される財政方式に変わったため、 支給開始年齢を変えても、長期的な年金給付総額は変わらない。 以上のような状況を踏まえると、今後、支給開始年齢の問題は、年金財政上の観点と いうよりは、平均寿命が延び、個々人の人生が長期化する中で、ミクロ的には一人 一人の人生における就労期間と引退期間のバランスをどう考えるか、マクロ的に は社会全体が高齢化する中での就労人口と非就労人口のバランスをどう考えるか という問題として検討されるべきものである。その際には、生涯現役社会の実現 を展望しつつ、これを前提とした高齢者の働き方と「年金受給」との組み合わせ について、他の先進諸国で取り組まれている改革のねらいや具体的な内容も考慮 して議論を進めていくことが必要である
この内容はデフレ下でもマクロ経済スライドが働くように法律を修正しない限り成り立ちません。これらに見られるのは、国民会議の議論の如何に関らず、強引にマクロ経済スライドの徹底を既定化させようと言う意志です。物価スライド特例措置を強引に中断させたのと同じものを感じてしまいます。だからこそ朝日新聞のような既定化を後押しする報道はすべきでないのです。
国民会議の議論のなかでかなりの部分が所得比例年金や、その実現のための所得把握のシステムに対して、その困難さの指摘も含めて費やされています。ところが最終報告書ではわざわざ一節を費やして(「2 年金制度体系に関する議論の整理」)、(1)で”現時点での政策選択としては、現実的な制約下で実行可能な制度構築を図る観点から行わなければならない”と先送りして、(2)で派生的な問題点やその他をごちゃごちゃ書き並べてうやむやにしてしまっています。
2.(2)で、「所得比例年金」実現のために、短時間労働者等の非正規労働者に厚生年金の適用を拡大していくことが望ましいことを述べました。しかし所得比例年金を切り捨ててしまったうえで短時間労働者への適用拡大を結論づけることに対応する議論は行われていません。被用者は被用者らしい年金制度への加入が徹底されるべきという視点(12回西沢委員)、滞納問題の解決策としての視点(12回宮武委員)からの肯定論がみられるだけです。しかしながら最終報告書案では改革に向けた4項目のうちの一項目として「短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大」を設けた上で事務局によると思われる次の意見が示されています。
年金制度体系をめぐる議論の整理のところに記述したように、国民年金被保険 者の中に被用者性を有する被保険者が増加していることが、本来被用者として必 要な給付が保障されない、保険料が納められないというゆがみを生じさせている。 このような認識に立って、被用者保険の適用拡大を進めていくことは、制度体系 の選択の如何にかかわらず必要なことである。 ・・・(以下続く)
前半の理由の部分は一見もっともらしいが実は何を言っているか分かりません。なぜ被用者保険ではなく国民年金に加入していることがゆがみなのでしょうか。適用拡大は結論としてはあるべき姿と思いますので、そのことに異議はないのですが、何故事務局独自の作文をしてまで推進しようとするのかが興味があります。低所得者の加入を増やすことは原理的に財政上の問題を起こす可能性があることを別稿「短時間労働者の社会保険はどのように変わるか」で書きましたが、そのような状態になり得るのは低所得者が大量に受給者になる頃と思われます。それまでは財政は改善する可能性が高いです。もしその短期的な効果や、将来に対する甘い見通しに基づいているとすると、財政問題(あるいは給付額のいっそうの低下)に対する対策が後手に回る可能性があり心配なところです。
初稿 | 2013/8/9 |
訂正 | 2013/8/23 |
●"改定率"の説明訂正 | |
改訂 | 2013/10/5 |
●不明快なところを修正 | |
改訂 | 2014/2/1 |
●平27度に対する説明訂正 | |
追加 | 2014/3/25 |
●騎馬戦、肩車論のでたらめ注 |