昨年(平成24年)8月に成立した「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」(年金機能強化法)で平成28年10月1日より短時間労働者(パート等)の厚生年金保険、健康保険の適用基準が改正され対象が拡大されます。改正内容について大新聞にも正しく伝えていない記事が見受けられます。できるだけ正確に紹介します。
※詳細な適用基準(加入基準)についての通達がようやく出ました(平成28年5月13日付)。「パートの社会保険適用の判断基準」にまとめましたので、そちらも参照ください。
現在の短時間労働者の適用企業における社会保険加入基準について説明します。2ヶ月以内の期間を決めて使用される人、季節的業務に使用される人のように法律で適用が除外される場合がありますが、そのような適用除外条件には該当しないことを前提として説明します。
「適用企業」とは強制的に適用される企業とそれ以外で任意加入している企業を指します。強制加入でない企業は次の通りです。個人事業でかつ従業員が5人未満の事業所、または個人事業でかつ農林水産業、旅館・飲食店等サービス業の一部、あるいは法務業等です。これらの企業が任意加入しない場合はパートに限らず正社員にも適用されません。(厳密に言うと厚生年金の任意単独被保険者になることができる場合があります。)
これについては今のところ法律や命令があるわけではなく、昭和55年6月6日づけの厚生省の都道府県あての内簡(国から地方自治体あての連絡のようなもの)に従って次のような条件で運用されています。( 日本年金機構のホームページの内容を要約)
正社員が月20日勤務し、所定労働時間が8時間の場合は、パートタイマーは月15日以上勤務し一日6時間以上(週5日で30時間以上)働く場合原則適用になる。但しこれ以下でも実態により適用になる場合がある。ということです。
注意して欲しいのは、健康保険の被扶養者、国民年金の第3号被保険者の条件である、年収130万円未満という条件(昭和52年保発9号等)は、勤務先での社会保険適用には本来全く関係がないことだということです。年収130万円未満でも上記の条件を満たせば厚生年金、健康保険の適用になります。反対に130万円以上でも、上記条件に該当しなければ勤務先で社会保険に入るのではなく、国民年金の第1号被保険者、国民健康保険の被保険者になります。
この辺り間違って理解している人が解説記事を書いていたりするほか、第3号被保険者を関連付けた議論等も行われることもあるため、一部に混乱した理解があるように思います。
現在年収130万円未満で、勤務時間に関する基準も満たさないので、配偶者の健康保険被扶養者で国民年金第3号被保険者の人は次のようになります。
国民健康保険に加入し保険料を納めます、また国民年金第一号被保険者として保険料を納めます。
会社の健康保険、厚生年金保険の被保険者となります。
(1)と(2)が同時に成り立つ場合は(2)となります。(2)の場合は老後の年金が増えることになります。また健康保険の被保険者本人となることで、傷病手当金、出産手当金の対象となる他、加入する健康保険によっては保養所の利用権や人間ドックの補助等他のメリットもある場合があります。(1)は130万円の壁とよく言われますが、(2)については壁ではなく本人にとっては良いことであると考えるべきと思います。
平成28年10月1日から施行される厚生年金保険法、健康保険法等の改正により、短時間労働者の健康保険、厚生年金保険の適用条件が次のようになります(厚生年金保険法12条1項5号、健康保険法3条1項9号)。
実質的に1.の例外を規定する2.の部分が適用対象者を拡大することになります(以下2.を特別加入条件と呼びます)。同時に厚生年金の標準報酬月額の今までの最低等級である月額9万8千円の下に8万8千円という等級(報酬範囲は9万3千円以下)が付け加えられました。また次の附則が設けられています。
週労働時間20時間以上等の条件は当分の間は従業員500人超の事業所にしか適用されません。また施行後3年でさらに適用対象が拡大される可能性があります。
※詳細な適用条件についてはこちらを参照ください。
厚労省が公開している資料によると、この改正により10〜20万人が新たに対象になるとのことです。
「500人超」について説明を追加しておきます。この計算の対象になるのは通常の労働者と、所定労働時間及び月の所定労働日数がそれぞれ通常の労働者の4分の3以上の短時間労働者の合計です(厚生年金保険法平成24年改正法附則17条等)。労働時間がそれを満たさないパート、アルバイト等は含まれません。
間違ってはいけないのは、健保の被扶養者、厚生年金の第3号被保険者の基準の年収130万円未満が変わったわけではないということです。新たに対象になるのは、週20時間以上勤務しかつ年収が106万円以上の人です。また対象になる場合も、130万円以上になった場合のように第1号被保険者になるのではなく、厚生年金の被保険者になりますので将来の年金額が増えることになります。
労働時間や賃金水準に関らず、賃金に応じて社会保険料を納めるということは、公平性から考えてあるべき姿です。また基礎年金に加え、納めた保険料に応じた厚生年金がもらえるようになり、高齢者や障害者、寡婦・寡夫・遺児等の収入水準が上がることになりますので、国民の福祉の観点からも良いことです。労働時間や賃金水準、企業規模に関する基準は引き下げられていくべきであり、最終的には撤廃されるのが良いと思われます。実際に附則に平成31年の見直しが明記されており基準緩和の方向に進むものと予想されます。しかしながら適用拡大に伴いいろいろ問題が出てくることも事実です。本節で検討したいと思います。
財政上の問題はどうでしょうか。まず医療保険制度です。全ての医療保険トータルで考えると被保険者の数は変わらず、支出も大幅には変わらないはずであり大幅な変化はありませんが、医療保険の保険者単位では問題がでてきます。
市町村が保険者である国民健康保険は、被保険者が減ることによる保険料収入の減少とその被保険者への給付が減ることの差し引きが問題です。”社会保障審議会短時間労働者への社会保険適用等に関する特別部会”の第12回資料(平成24年2月13日)にシミュレーション結果がのっています。これによると差し引き財政改善になるとなっています。
同じ資料によると協会健保は対象会社の規模を一定以上に制限した場合は財政改善になるようです。これは協会健保は小さな会社が多く対象になる会社が少なく、かえって被扶養者だった配偶者が他の健保組合の被保険者になり減少するためと想像されます。
トータルでは大差無いはずですから、国保、協会健保の財政改善分は健康保険組合がかぶることになります。さらに健康保険組合によりばらつきが生じるようです。同じ資料に週所定労働時間が20〜30時間である労働者の産業別の分布が載っているのですが、これによると多い順に、対個人サービス業(飲食サービス業等)、卸売り・小売業、医療・福祉となっていてこれら3業種で全体の6割以上を占めます。今回の改正内容ではこれらの業種の健康保険組合の財政が急激に悪化し被保険者にとっては保険料率が高騰するおそれがあります。このため今回、高齢者医療確保法、介護保険法も同時に改正されました。
健保組合からは75歳以上の後期高齢者の医療費の4割弱部分を後期高齢者支援金として徴収しています。また介護保険の第2号被保険者(40歳以上65歳未満)の保険料を納付金として徴収します。その他65歳以上75歳未満の前期高齢者の少ない組合から前期高齢者納付金を徴収し、多い組合に前期高齢者交付金を交付します。これらの納付金の額は組合の加入者数により決まるのですが(注)、今回の改正により当分の間加入者数の計算において、年平均の給与月額が10万一千円以下の加入者とその被扶養者の数については少なく見積もることになりました(高齢者医療確保法附則14条の6、介護保険法附則11条等)。これらの納付金は10万一千円以下の加入者が少ない組合は多めに、多い組合は少なめに納めることになり、特定の組合のみ負担が激増するのを緩和します。
(注)平成27年度までは被用者健康保険内では納付金の3分の一に関して被保険者ごとの標準報酬総額に基づき負担する総報酬制も併用されています(高齢者医療確保法附則14条の3、同法平成24附則51条等)。
今後短時間労働者の適用範囲を広げていくと、保険者ごとの負担増加のばらつきがいろいろな形で生じると思われます。その都度負担を保険者間で調整できるような法改正をしていけば原理的に問題はないはずです。
財政上の問題が心配されるのは厚生年金でしょう。この場合、加入者が増えることによる保険料の増加は財政改善要因、基礎年金拠出金(別稿「第3号被保険者問題」参照)の増加、年金給付額の増加が財政悪化要因になります。第3号の人が加入者となる場合はもともと基礎年金拠出金の計算に入っておりますので支出が増えるのは報酬比例部分の年金額だけです。財政にとっては改善方向でしょう。これに対して第1号の人が加入すると基礎年金拠出金も増えることになります。前記特別部会の第13回資料(平成24年3月19日)で条件が一部(月額賃金7万8千円以上)違いますが保険料収入の増加の方が支出増加より大きく、全体で財政改善の方向という予想結果が示されています。
しかしながらこれは今後の被保険者の収入分布の変化等をどう見積もるかで大きく変わるはずです。別稿「第3号被保険者問題」で、厚生年金は仕組み自体に所得再配分機能があることを説明しました。所得の分配を受ける側である低所得の被保険者が増加することは、財政上はもともと好ましくありません。今後適用範囲を広げていくことで財政が大幅に悪化する場合もあると思います。これは次に説明する低所得の人の保険料をどうするかということとも関係します。
現在、健康保険の最低級は5万8千円(報酬月額6万3千円未満)です。これに対し厚生年金の最低級は9万8千円(報酬月額10万1千円以下)です。何故このように違うかというと現役時代の報酬が低い人に対しても一定以上の給付を確保するためで、反対に所得が高い人の給付が高くなりすぎないよう最高等級も差があります(健康保険が121万円なのに対し、厚生年金は62万円)。つまり報酬月額が10万円の人も5万円の人も同じ保険料を納めている(平成24年9月〜平成25年8月は被保険者負担分8,215円)ことになります。報酬が低いほど負担は重くなります。あまり報酬が低い人は実際には第3号被保険者か国民年金の被保険者で、厚生年金最低等級内での極端な報酬差は少なかったのではないかと想像します。しかし今後適用範囲を広げると共に報酬の低い被保険者が増えるものと思います。今回の改正では新たに8万8千円という等級を増やすことになりました。
一方、適用拡大に伴ってどんどん標準報酬月額の下のクラスを増やしていくことは、前節で述べた厚生年金の財政の悪化や、次節で述べる国民年金とのバランスの問題があるばかりでなく、もともとの思想である「現役時代の報酬が低い人に対しても一定以上の水準を確保する」ということが崩れていくことであり、慎重に考慮されるべきです。
標準報酬月額8万8千円では本人負担分事業者負担分あわせて16,104円(平成29年9月以降)で将来基礎年金と僅かながらでも報酬比例部分が支給されます。また被扶養配偶者を持つ場合配偶者分の基礎年金も支給されることになります。これがさらに下がり健康保険と同じ5万8千円の等級が設けられた場合、10,614円になります。本人負担分だけだと5,307円です。これに対し第一号被保険者は一人当たり16,900円程度の保険料を納めることになります。勿論、別稿「第3号被保険者問題」で述べたように保険料の低い人の分は高い人が助けている分けで厚生年金保険内でつじつまを合わせているのですから、第一号被保険者に不平を言われるいわれは無いというのは正論です。
しかしながら、あまりにも極端なアンバランスは、いろんなところで軋みを起こしかねません。偽装社員の横行、厚生年金非適用事業の極端な不人気、厚生年金に加入させろ・させないで生じる刃傷沙汰等何が起きるか分かりません。社会保障審議会では低負担の被保険者には被扶養配偶者を認めないというような意見もあったようです。何かの配慮が必要な気がします。
当然短時間労働者を多く雇用する企業の保険料負担は増大します。しかしこれはやむをえないことではないでしょうか。人を使用する上での当然のコストです。短時間労働者を多く雇用した方が、正規労働者を雇用するより企業にとって有利であるという現在の社会保険の制度が、非正規雇用の増加という好ましくない状態を作っている要因の一つとも考えられます。今回当分501人以上の企業という制限が設けられました。また特定の業種に負担増が集中しないよう後期高齢者納付金等も調整されます。このような激変緩和措置をとりつつ、最終的には支払賃金に応じた負担という公平な状態にしていくべきだと思います。社会もそれによる価格の上昇等を受け入れるようにしていかなければなりません。
130万円の壁と言われるとおり、健保の被扶養者、第3号被保険者は130万円を超えないように働く人が多いという実態があります。これが106万円の壁になったり、20時間の壁になったりする恐れがあります。130万円の壁とは違い、厚生年金に加入できることで年金が増えるのです。このようにメリットがあることを良く宣伝し理解を広げることが重要です。政府だけではなくマスコミも重要な責任を負っています。
また130万円の壁の場合とは異なり、106万円かつ20時間を越えると事業主にも保険料負担が発生することになります。このため事業主側が、106万円を超えないようにあるいは20時間を越えないように就業を制限したり、偽装したりする可能性もあります。偽装はしっかり摘発しなければなりませんが就業制限はいかんともし難いかも分かりません。優秀な人が採用できなくなるその他企業業績、企業の発展にとってどちらが良いかということで自然に解消されるのを待つしかないと思います。なお特別部会が行った企業へのアンケートでは130万円の就業調整で業務上大変困っている。130万円の基準を見直して欲しいというような意見も見受けられます。そのような企業にとっては短時間労働者を社会保険対象とすることで130万円の壁がなくなりありがたいことなのではないでしょうか。
労働者の就業調整と企業の就業制限のいずれも、加入基準がもっと下がれば、やがてなくなる過渡的な問題です。
平成28年12月に成立した「公的年金制度の持続可能性の向上を図るための国民年金法等の一部を改正する法律」により平成29年4月より適用拡大の対象企業が拡張されました(厚生年金保険法平成24年附則17条及び健康保険法平成24年附則46条の改正)。
従業員500人以下の場合でも労使合意があれば、週20時間以上等の拡大条件が適用されます。労使合意とは、厚生年金・健康保険被保険者、70歳以上の社会保険適用条件で働くもの、拡大条件が適用されれば被保険者になる者を同意対象者とするときに
を指します。
事業主が同意しなければ適用されないわけで、果たしてそのような奇特な事業主がどのくらい存在しうるのか、実効性には疑問がある改正です。平成29年6月末時点での実績(「短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大の実施状況について」)では、この規定により任意に適用した企業数は1270社とのこと。数も少ないですが、不思議なのは増えた被保険者数が1742人とのことなので、一社当たり2人にもならないことです。適用した企業には何か特殊な事情があることが伺われます。
初稿 | 2013/7/6 |
改訂 | 2013/7/13 |
●総報酬性に関する注追加 | |
改訂 | 2016/1/3 |
●「500人超」に対する注追加 | |
追加 | 2016/6/20 |
●適用基準へのリンク追加 | |
補足追加 | 2018/4/13 |