本と自分の紹介ページ

MONIQUE

canta pra gente , canta com gente

~ こちらは、小山久美子(vo.) のHPです ~

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更新日 2011-08-23 | 作成日 2009-12-19

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2005年 著書 『ボサノバの風景』について


国際語学社の担当者の方(社長様)と、打ち合わせ時、『ボサノヴァ』と表記するか『ボサノバ』と表記するか、話し合いました。一応、世界の語学を扱う会社から出版されるテキストとして、全国の書店の書棚に並ぶことを踏まえ、一般日本人に通用しやすい表記と表紙にすることが決まりました。

本書は、在住の増えているブラジル人と日本人の交流の助けになるように、と、在日ブラジル人学校の教科書や、語学・旅行・音楽を趣味とする、知性派の大学生~OLさんなどをターゲットのして、編まれています。私自身は趣味の人で、都内のボサノバを愛する、大変優れた感覚を持つ人達のLPレコードジャケットの趣味、カフェに至っては内装の嗜好性、もちろん、写真やテキスタイルについても好みが非常に高いことを熟知している自分には、少々不満ではありましたが、本をひらけば、セッションで知り合った友人が学生時代から撮り貯めていた素敵な風景写真が存分に広がっていることを思い、写真や印刷の予算と併せて調整を行った結果、イラストの表紙と併せて承諾しました。

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当初80以上の歌詞翻訳を、数社の出版社に提案型の案件として送りました。

80の歌詞は、1999年に渡航する以前から語学の勉強を兼ねてやっておりましたが、実際にブラジルで黒人の家に暮らし、あちこち散歩しては、思うように行かずに様々な感情を募らせ、色々な人間模様を村で観察してから、スラングやことわざ、独特のニュアンスを多少なりとも理解して帰国し、更に現場で歌いながら、3~4回練ったものです。

歌っていると、スピリッツがやって来て、意味を教えてくれることがあります。または、感情経験をさせてくれることがあります。

3社から連絡をいただき、自分のビジョンとほぼ同様にこの本のあり方を考えてくださっていた、国際語学社の社長さんと仕事をすることにしたのでした。私の訳詩は、18に絞られ、本の構成を踏まえて更に、余計なものをそぎ落とし、しかし十分に背景やニュアンスが伝わるように、推敲が重ねられました。そして、曲の中からテーマを取り出し、サラサラっとエッセイを書くと、曲の魂とエッセイに関連できるような写真が、浅川宏樹さんの手持ちのスナップ写真の中から選ばれました。(彼とはもう、この頃はあまり仲良くしていなかったのですが・・・むしろ喧嘩寸前の非常にスリリングなやり取りになりました)。紙面構成は、国際語学社さんが外注している個人の方に廻りましたが、こちらの思いを余りにも無にしてしまわれるので、結局誤学社の編集担当の女性が、手づから行ってくださいました。また、下見に協力し意見してくれた、八代ミサにも感謝の意を込めて、ここにお礼を申し述べたいと思います。

日本のJASRACから出していただいたリストを元に、アメリカや本国への歌詞著作権利用に関しての事務作業も、膨大なものでした。一軒一軒、FAXやE-mail、電話で解決し、支払いはJASRACに代理振込みをして、本国の各会社に支払ってもらうのです。これは、出版社はノー・マタ-でしたので、すべて自分で行う手続きでした。写真18枚と、この著作権料で、私の原稿料の大半は消ましたが、こうして産み落とされた、この歌本は、メジャーなものばかりでなく、あちらの方々の生活の中にあるココロを良く示し、歌う時や歌を理解する時の手助けをしてくれるものになったのではないかと自負しています。


noel-thumb-150x142.jpgブラジル大使館 May '08
交流年大使館講演資料



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ページを開けると、素晴らしい世界が広がっています。感情は、生きている証拠です。どうして、それを圧して生きる必要があるでしょうか?世界は自分のために廻っている訳ではないけれど、あなたの感情は生きていて、意味を持っています。あるときは行き止まりに泣き、あるときは調和を喜び、あるときは、疑問を唱えます。すべては次の段階に進むための知識です。それを深く認識することが、人間の倫理にも繋がるのです。

ブラジル人のイデオロギーの素晴らしさと音楽やデザインの奔放性にはどのような要素が働いているのでしょうか?

まだ若い国家であり、世界最大の森林地帯を抱えた資源の豊かな国であることの他に理由があります。異なる人種が混じりあい、交じり合い、お互いを理解して共に生きていこうとする、必然的で絶対的なマインドがあるのです。その時、彼らは耳を澄ますことに長け、言葉を選ぶことに長けていきます。複雑なリズムは生物の鼓動のスピードの違いが折り重なったもの。生物多様性の象徴です。何色もある虹のようなハーモニーは、さまざまな花や植物や動物、太陽、海、空の色のイメージを重ねた空気の層が見せてくれるマジックです。自由にうねり、うごめく、風となりオーラとなって天空を舞い、わが国まで届いてくるのです。

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さあ、ボサノバを含むブラジルの歌の世界へようこそ!自然と愛の息吹がたっぷりです!自分の感情の動きとその価値についてもう一度何か感じていただければ、あなたはすぐに蘇ることが出来るでしょう!

※ 全国の大型書店語学コーナー、
音楽系出版物コーナー、レコード店、などでご入手いただけます。(注文可)
※ アマゾン、セブンイレブン受け取りのネット販売で取り扱いがあります。


51KEGF3AAAL__SL160_.jpg国際語学社より発売中!






PROFILE

MONIQUE(MONICA)
小山久美子
KUMIKO KOYAMA

woodylive1.jpg1996年 WOODY BELL

MONIQUE Profile


1968年栃木県足利市生まれ。
父、母、伯父、叔母が、歌唱に優れ、歌を愛し、求道する。両親は生涯を通じて、地域での活動を続けている。幼少時、両親の仲人でもある藤岡幸氏(声楽家)に歌唱指導を数年間受ける

転居は宇都宮、戸祭小学校合唱部でハーモニーに取り付かれる。思い出深気き新潟県三条市第2中学校卒業後、栃木に戻り足利女子高へ進学。ピアノで音大を目指すのを高校2年で放ってしまう。一方、合唱団では県大会を目指し、いそいそと活動を続ける。日本の歌謡界を見捨てて洋楽へ傾倒。

跡見学園短大卒 在学中は東京大学緑会合唱団、 卒業後は慈恵医大第九合唱団に参加


渋谷YAMAHAにて鈴木比呂子氏にジャズ・ソウル系ボイストレーニングを師事。師の所属する西麻布WOODYBELLヴォーカルスクールに呼ばれ、鈴木陸央氏に歌唱及びステージングを師事。1997年頃より、師に奨められて街に出でる。友人を頼り、1ステージづつ誘われるままに、新宿J、大宮アコースティックJAM、青山sea bird、吉祥寺赤いからす、知人に頼まれてバーやレストランなどで歌う。

1999年の渡伯を機に、ブラジル音楽に傾倒、主にセッションへの参加、サンバチームでの文化研究及びダンスや楽器を通じてのリズム基礎習得、など
一般に多くの愛好家と交流し、文化的意見交換したりしつつ、平行して2つのカルテット運営及び演奏活動など自主企画ライブをこつこつと行う・・・

原久美(ボサノバ)のファーストレコーディングに立合い(師事ともいう)、石井彰氏、黒田直子氏にちょっぴり、ピアノやバークリー理論を教わりました。



六本木Vanilla Mood
西麻布ATMOSPHERE
足立区カフェ・クレール
大宮アコースティックJAM
代々木上原Bar Breth
旗の台Bonapeti
関内GIG
下北沢ぺニャ・ピスコ
新宿Cafe ハイチ
千駄木IMAGO
下北沢Bird Cafe
豪徳寺Cafe Cona
中目黒『楽や』


<現在>
外苑前FAVELA
エスペートブラジル
関内ファーラウト等に出演しています


MONIQUE 声(2006 AQUA)