サイトの紹介 | |||||
3つのえくぼ
情報
リハビリ |
見えない障害当事者の症例集
交流会が開催され次第、順次更新して行きます。
|
自己紹介 | ||
名前
|
もみじ
|
|
生まれた年
|
1958年(昭和33年)
|
|
病気の原因 |
1.5歳のときに股関節脱臼と診断され、5歳まで治療が続いた。私の変形性股関節症の原因は、この乳幼児期の股関節脱臼に伴う、臼蓋形成不全である。
|
|
手術 |
12歳:自骨2回、13歳:自骨2回
29歳:右股関節固定術 34歳:29歳の手術で入れた針金抜去術 46歳:右人工股関節全置換術 51歳:左人工股関節全置換術 と合計8回の手術を経験した。 |
|
活動 |
さいたま市の変形性股関節症友の会:ぽっ歩の会の協力委員をさせていただいている。
平成25年10月に、全国障害者スポーツ大会に水泳(25mクロール、50mクロール)で出場した。
右写真の〇が、私・・・ビリです。
|
病気の解説 | |
平成16年撮影(人工手術前)
右は、29歳の時に固定術を受けているため、関節がないことが分かる( 骨盤と骨頭の境がはっきりしていない)。左は、自骨手術(内反骨骨切りと臼蓋形成術)を13歳の時に受けた。 右股関節は、外転位で固定されていることと、固定術の時に骨頭を正常な位置(下に移動)に戻したため、左右に脚長差があり、実際の脚長差は1cm程度だが、右の方が見かけ上4cm程度長く感じながら生活いていた。 なんだか、見るからに腰が痛そう。実際痛かった。 平成25年撮影(人工手術後) 右は、固定から人工の手術だっため、手術が難しく、骨頭とステムの角度が自由に変えられる特殊な機械が使われている。 右股間節が固定されていた時は、どんなに体重をかけても痛くないので、骨への付加が大きく、骨密度も相当高かった。そのために、なかなか骨盤と大腿骨を切ることが出来ず、前から後ろから股関節に進入し、最後は砕いたそうだ。そのために、出血が多く、術後、血圧が急激に低下し、意識を失しなってしまった。直ぐに意識は戻りましたが、その夜一晩中吐き続け、へとへとになった。 左は、ごく一般的な機械で、大きさも右よりは小さい。 骨盤が水平になり脚長差が目立たなくなっている。左人工の手術後2ヶ月程度で、脚長差が気にならなくなった。気にならなくなるまでの期間は、個人差が大きいようだ。 自骨の手術を受けた人全ての人が、人工の手術が難しいということではないということが、これで分かると思う。 平成27年8月27日撮影。 撮り方が悪いのか、差が良く分かりません。残念。 |
変形性股関節症
加齢と共に股関節が徐々に変形して行く、進行性の病気である。主に中高年の女性に多い病だが、中には私のように10代で発症する場合もある。 病気の原因が特定できない場合を一次性と呼び、股関節脱臼、ペルテス病など原因が特定されている場合を二次性と呼ぶ。股関節の変形が片側のみの場合と両側の場合がある。私は両側に変形があるため、両側二次性変形性股関節症が正しい病名である。 私の病気の原因は、臼蓋形成不全です。臼蓋とは、骨盤側の体重を支えている部分だが、ここの形成が、胎内にいる頃から、発症(10歳)するまでのどこかの時期で、未発達なことを、臼蓋形成不全と言う。 臼蓋形成が不全だと、骨盤が体重を支えられず、大たい骨側の骨頭が徐々に上に上がって行き、やがては脱臼してしまったのが、幼少期である。 幼少期は、ギブス治療でなんとか、骨頭を臼蓋に戻すことができたのだが、その後歩く等で股関節を使っている間に、一部分だけに体重がかかり、その不自然な体重負荷に因り、徐々に股関節が変形してしまい、やがて痛みが出たのが、10歳。その痛みが我慢の限界に達し、病院を受診したのが、11歳の時。そして、12歳(右股関節)、13歳(左股関節)で自骨の手術を受けた。 |
公開日:平成22年03月19日
更新日:平成28年09月12日
Home | 3つのえくぼ | 情報 | リハビリ | もみじのお家 | 障害年金請求顛末記 |
見えない障害当事者の症例集 | ぽっ歩通信 | ブログ | もみじの掲示板 | 日記 | アンケート |
累計アクセス数:
現在の閲覧者数: